第71話 落陽は再会と共に 5
機関が照子に対して封印処理を施した理由は、その隔絶した強さを危険視したというのもあるが、一番大きな要因となったのは、周囲のマナを我が物として扱う技術を身に着けようとしていた点だろう。
何故ならば、それは、魔神に類する者たちが持つ機能の一つだからだ。
魔力を扱う戦闘に於いて、己の内側から強大な魔力を生み出す方式では、時間もかかる上に、生み出す魔力が強大であればあるほど、気配を隠すのが難しくなる。
そのため、魔神が選ぶ魔力補給手段というのが、周囲の環境からの略奪だ。
他生命体の存在を解体し、魔力へと変換して我が物とする能力。これは、異能や魔術ですらなく、魔神にとっては当然として備わっている機能に過ぎない。
それほどまでに、魔神という存在は規格外であり、魔力の扱いに長けた存在なのだ。
だが、裏を返せば、魔神が当然として持ち合わせる機能と同等のことが出来るようになったとしたら、その存在は既に、魔神の領域に足を踏み入れていることになるだろう。
人でありながら、神の肉体を持ち、マナを奪うことを覚えた転生者のように。
「お、おぉおおおおおおおおおっ!!」
雄叫びと共に、照子は拳打を繰り返す。
衝撃波をまき散らし、力任せの素人臭い動きの拳。されど、圧縮された魔力による一撃は、大地を砕き、山を抉る。
「…………」
対して、大山の動きは静かだ。
静かでありながら、決して遅れていない。ジェット噴射で移動するかの如き挙動を繰り返す照子の攻撃を、淀みなく、乱れることなく、緩やかさすら感じるほどの滑らかな動きで受け流して。
――――轟っ!!
火山の噴火を連想させるほど、凄まじい正拳突きを放つ。
「ごっ」
照子の攻撃とはまるで違う、威力が収束され、無駄なく伝達された正拳付き。
それは、超高密度の魔力で強化された照子の肉体すら貫き、防御として構えた左腕ごと、左半身を消し飛ばした。
だが、当然、ここで終わらない。
互いに魔神の領域にある者だからこそ、普通ならば致命傷の一撃であったとしても、牽制程度にしかならないことを理解し合っている。故に、大山はとどめの一撃を放つ。間髪入れず、息もつかせぬほどの間で。
「なるほど、こうするのか」
しかし、この程度の連撃で、魔神の領域に至った者が死ぬはずがない。
確信に満ちた大山の予感は、照子が残った右半身だけで、器用にとどめの一撃を受け流したことから、正しかったと証明された。
左半身がほぼ欠損した状態での、通常であれば、動くことすらもままならない状態。
そこから平然と、右腕だけで大山の拳を綺麗に受け流し、コンマ三秒にも満たない間に肉体を修復するのだから、もはや、完全に人外のやり取りだった。
「は、はははは! 面白い! 面白いなぁ! 強くなるのは、面白い! そう思わないかな?」
「…………」
「はっ! 無口だね!? けれど、拳は雄弁だ」
照子と大山は、互いに拳を振るい、ぶつけ合い、受け流し、空間を軋ませる。
周囲の木々や草花を全て、枯渇させ、環境を破壊しながら。
そう、つい数分前までは緑あふれる夏山だったはずの場所は、照子と大山の戦闘、及び、生命略奪によって、半分の面積が枯渇していた。木々が枯れ果て、大地に潜む生命体は全て命を奪われ、戦いの糧とされている。
もはや、戦いのフィールドとして隔絶し、隠蔽された結界内では、生き延びている野生動物はほとんど存在しない。
「こうして、こうだぁ!」
「…………」
環境を壊し、地形を変え、空間すらも余波で軋ませながら、両者は戦う。
当初は大山が、素人をあしらう武術の達人の如く優勢だったのだが、時間が経つにつれて、各段と照子の動きが良くなっていく。
その成長速度は、単なる才覚やセンスで説明できる物ではない。
【不死なる金糸雀】と名付けられた異能が、かつてないほどにその全性能を発揮し、照子をあるべき姿へと導いているのだ。
大山が、気の遠くなるほど長い時間をかけて積み上げた強さを、光の速さで追いつかんとしているのである。
「…………ふっ」
己の修練を瞬く間に学び、咀嚼し、成長していく照子の姿を見て、大山が感じた感情は、嫉妬でも、怒りでも、当然、諦めでも無かった。
「確かに、面白い」
歓喜。
己に迫る者が、今、眼前で成長しているという事実は、大山にとって喜ばしい物だった。
そのため、大山は約百年ぶりに小さな笑みを作ったのだが、その希少さを照子は知らない。ただ、この状況で笑みを浮かべる大山の強さに感服はしていた。
積み上げられた研鑽の上に成り立つ、揺るがぬ強さ。余計なことを口にせず、淡々と拳を振るう武人としての気質。何より、よくわからない殺意に振り回されて殺しに来るのではなく、己の意志できちんと殺意を向けて来るのを照子は気に入っていた。
「よかったな、死ねぇ!!」
もっとも、それはそれとして全力で殺そうとするのだが。
「しぃっ!」
「…………」
時間が経てば経つほど、動きと魔力操作が研ぎ澄まされていく照子。
悠然とした構えは崩れず、未だ底が見えない強さを持つ大山。
両者の戦いの結末は、例え、『神の如き聡明さ』を持っていようとも、予測がつかない物だろう。仮に、大山を知る者が観測していれば、悍ましいほどに早く成長する照子に恐怖しつつも大山を信じて。照子を知る者が見れば、ブチ切れながら今すぐやめろと叫ぶほどに、両者の戦いは常軌を逸している。
「――――創造主が命じる、【止まれ】」
故に、その戦いを止めることになった者は、一抹の罪悪感を覚えながら、己の仕事を為した。
照子と大山、両者の戦いが始まる前から予定されていた仕事を。
「ん、お? これ、は――」
照子は知らない。
どこからともなく紡がれた言葉が、その肉体を作り上げた『人形師』が、いざという時のために仕込んでおいた強制停止のキーワードだったということを。
そう、その事実も知らずに、平然と照子は停止の命令を力任せに破り、破棄する。これにより、『人形師』が天宮照子の肉体に仕掛けていた術式は全て消し飛んだが、時間は稼がれた。
雷速で拳を交わしていた者同士ならば、即死に値するほどの時間が。
されど、大山は殺さない。
絶好の隙は、殺すために作られた物ではなく。また、大山は己が紡いだ言葉を違えるほどに無責任ではなく。
「さらばだ、天宮照子」
結果、照子は異様なほど衝撃が無く、むしろ、心地良ささえ感じるほどの体重移動によって、綺麗に上空へと放られることになった。
一瞬の硬直の後、次いで起こった不可解な攻撃。完全に、拳を受ける気満々で居た照子は肩透かしを食らい、突如として視界全部に広がる夜空に目を丸めてしまう。
「我、衆生を救済し、永遠の浄土へと導かん」
「お、まえ―――」
そして、突如として現れた『鏡写しの自身の姿』を見て、失策を知った。
大山という、脅威度ランクAに値する魔神ですら、全ては、この状況に陥れるための囮でしかないということを。
戦いの最中でも、ずっと警告の如く背筋を這う悪寒は、嫌な予感が示していたのは、これだったのだと。
「さぁ、マホロバにおいでませ」
即断と共に、虚空を蹴り上げて、突如として現れた円形の鏡を打ち壊さんと拳を構えたが、その時すでに、転移は始まっていた。
ゆらり、と鏡に映った照子の姿が歪むと、鏡面から夜空の一部を染め上げるほどの光が放たれる。その光は、思わず目を閉じる照子の肉体を光へと変換。そのまま、鏡の中に吸い込み、神器としての役割を果たした。
「天宮照子。確かに、お前は強いよ。異常だよ。けれどね? それでも、やりようはそれなりにあるんだ」
照子を吸い込んだ鏡は、そのまま空を泳いだかと思うと、術者の下へと帰っていく。
術者は、真っ赤なスーツを砂ぼこりで汚してしまった冴えない女性だった。けれども、その女性の顔に憂鬱は無く、むしろ、勝ち誇るようにして、珍しく強気な笑みを浮かべている。
「それに、一人でワタシたちに勝てるわけがないだろう?」
そう、『魔神器官』が頭領、リースは、天宮照子の封印に成功したのだ。
●●●
リースは、封印が成功したことを確認すると、その場で膝を着いた。
「…………はっ、はぁっ、ふぅ…………よかったぁ」
そっと、円形の鏡を地面に置くと、そのまま頭を押さえて、大きく息を吐く。
本来、生理的反応を自在に操れるはずの魔人であるリースが、だらだらと額、首筋など、様々な箇所から汗を流し、荒く息を繰り返す。
魔力の消費はほとんどない。
邂逅すらも、ほんの一瞬。魔術で鏡を遠隔操作し、照子の姿を映した時のみ。
されど、リースの精神は酷く消耗していた。さながら、一世一代の賭け事でも成功し終えた後のような、疲労感と安堵がある。
「これで、これでも駄目だったら、どうしようかと…………はー、本当に嫌になるよ。ここまでやって、ようやく封印出来るイレギュラーなんて」
一体、誰が信じるだろうか?
全国各地で起こった、大量の異能者覚醒事件から始まり、脅威度ランクAの魔神。さらに、『侵色同盟』の幹部が二人すらも、全ては天宮照子という、たった一人の退魔師を封印するためだけに使われた囮であるなんて。
「殺す手段は沢山あるけれど、殺したら殺したで、絶対、ろくでもない何かになって蘇ってきそう……というか、蘇って来る。蘇って来た! だから、やるなら封印しかないと思っていたけれど、うん。流石に神器の権能には逆らえないようで何よりだ」
リースは自分を落ち着かせるため、独り言を繰り返しながら、再度鏡を見つめる。
その鏡は、余計な装飾の無い、円形の物だった。大きさは大玉の西瓜一つ分程度。片手で持つには足りず、両手で持った方が安定するような造りの鏡。
しかし、それは当然、普通の鏡ではない。
神器と呼ばれる、神……魔神の力だけが宿った、特殊な器物なのだ。
「…………」
「やぁ、大山、お疲れ。君には随分と苦労を掛けたね。ああ、そうだね。君が楽しむのは珍しいことだけれど、それを我慢してまで律儀に仕事を果たしてくれてありがとう。君ぐらいでなければ、あいつと直接対決するのは難しいと思ってね」
「…………」
「分かっているよ。完全に封印は無理だ。普通であれば、『マホロバの鏡』はどんな強者であろうとも、例外なく理想郷にぶち込み、その生涯が終えるまでもてなす。だが、それを用いてなお、永遠に封じ続けるのは無理だ。奴の異能がその内適応して、理想郷すら食い破ってくるかもしれないからね。それでも、大丈夫」
本来、使う予定の無かったリソースを大幅に使いながらも、リースの内心は清々しくあった。いつの間にか、傍らに佇んでいる大山に対して、微笑みかける余裕すら生まれるほどに。
「あいつ単独の力では、一年間は絶対に出られない。そして、一年間も経てば、もう我々の計画は最終段階だ。何も、問題ない。既に、為してしまえば、どれだけあいつがイレギュラーであったとしても、どうにもならないのさ」
リースはスーツの砂ぼこりを払い、立ち上がった。
その横顔に、焦燥の色は既に無い。憂いは消えたとばかりの強気な笑みもない。あるのはただ、平常。いつも通りの疲れ切った愛想笑い。
つまりはもう、異常事態は過ぎ去ったということ。
「さぁ、随分騒がせてしまったからね。怖い怖い、機関のネームドが来る前に帰ろ、う?」
そして、何も気負うことなく神器を回収しようと手を伸ばしたところで、がしり、と力強く何かに手を握られた。しかも、それは容易くリースの手を握り砕いたかと思うと、さらに奥へ、体の中心に近しい肩の部分まで掴んで。
そこで、ようやくリースは気付いた。
鏡面から、真っ白な手が――天宮照子の手が己へ伸びているという事実に。
「う、うぉお? あ、あぁああああああ!!? た、大山! 大山っ!!」
これには、流石のリースも恐慌に陥った。
完全に封印したはずの存在が、鏡面から手を伸ばし、自らを引きずり込もうと肩口に指を食いこませている。あまりの想定外にリースと言えども、とっさに助けを呼ぶことしかできない。
だが、この場ではそれが正解であり、唯一の最善だった。
「…………」
大山は仲間を見捨てない。
当然、助けを求める声があれば、すぐさま助けようと行動を起こす。ただし、そのために最善の行動を為すので、そこに一切の容赦はない。
よって、リースは左胸から手刀によって肉体が切断された。その結果、照子の手はすさまじい勢いで鏡面に戻されて、辛うじて難を逃れることが出来たのである。
『――――チッ!!!!』
なお、照子の腕が完全に収まった後、露骨に舌打ちが響いたことから、照子が明確に襲撃を仕掛けていたことが判明した。
「こ、こっわぁ……なんなんだよ、こいつぅ……ワタシ、絶対、家にこれ、置きたくない……ああもう、なんで、魔人が怪奇現象を恐れないといけないんだよぉ……ホラー映画みたいな攻撃してくるなよぉ……大人しく封印されとけよぉ……」
「…………」
「あ、大山はありがとうね? 大丈夫、大丈夫、あの場ではワタシの体を切り離した方が、余計なリスクが生じないって分かっていたから……それにしても、やけにワタシの片腕を奪おうとするなぁ、こいつは」
決して軽くない傷を負い、腕を奪われ、焦燥も恐慌もまだ収まらない。
だが、それでも、リースは鏡面に収まった照子へ告げる。
例えそれが、強がりだったとしても。
「無駄な足掻きだ、天宮照子……何度だって言ってやる。この場は、ワタシたちの勝利だ。それは、絶対に揺るがせない」
まるで、世界の敵に対して勝利を告げるヒーローの如く、言葉を吐き捨てたのだった。




