第69話 落陽は再会と共に 3
学生服姿の少年の背中には、透明な翼があった。
ただ、それは天使を連想させる美しい物ではない。悪魔すらも忌避するような、歪で、異形な羽根。まるで、ガラスで構成されたようなそれは、『キキキキキ』と周囲の空気を軋ませる音を立てて、細かく振動を繰り返す。
「近づかないで…………頼むから……」
弱々しく懇願する少年の言葉とは裏腹に、彼の周囲は酷い有様だった。
例えるのならば、紙細工で作り上げたセットを、鋭い刃物で両断を繰り返せば、こんな景色になるかもしれない。
ばらばら、だった。
少年の周囲はごく普通の市街地だったはずだが、もはや、路面から電柱、はたまた、建物の一部まで、途轍もなく鋭利な何かで切断し、切り刻まれていた。
「近づかれたら……切って、しまう!」
少年は翼を持ちながら、路面へ足を付けていた。
けれども、それは矛盾を意味しない。何故ならば、少年の翼は空を飛ぶ物ではなく、周囲を刻む刃であるからだ。
よくよく観察すると、少年の周囲を幾つもの透明な破片が高速で回転し、『ひゅん、ひゅんっ』という風切り音を鳴らしている。下手に足を踏み込めば、周囲の建物と同じく、切断されてしまうだろう、というか、切断された。
「……うーん、シンプルイズベスト、というか。『近づいた物を切る』という魔法が、ここまで厄介だとは思わなかったよね、うん」
「その軽い口を今すぐ閉じやがれ……なんで、あっさり腕を切断されていやがるのですか?」
「予想以上に攻撃力が高かったんだよ」
暴走異能者の中には、最初から魔力を全開で使って、そのため、魔力が切れて倒れてしまう者も居るのだが、逆も居る。残り少ない理性で干渉に抗い、何とか己の異能を抑えつけている者。そういった者が理性を削り切ると、大抵、さらにひどい被害を周囲にまき散らすことになるので、出来る限り迅速に救助した方が良いのだが、試しに相手の領域に手を伸ばしてみたらこの様である。やれやれ、すっぱりと左腕を切断されてしまったぜ。
「うーん、私の防御力を過信しすぎたかな?」
「馬鹿、ウルトラ馬鹿」
「返す言葉もない」
「…………ですが、相手の防御は思いの外、万全です。魔物を使ったガス攻撃や、音響攻撃によって意識を奪おうと試みても、『空間を切断』して、対処しやがります。幸い、空間への攻撃は直ぐに世界の修正力に戻されますが、下手に干渉したらこちらに対して明確な攻撃を持つかもしれませんね」
「つまり、起爆寸前の爆弾をつつくような物かな?」
「大体似てやがります……はい、さっさと動け」
「あいあいさ」
切断された腕を、エルシアが治療魔術でくっつけてくれたので、無事に戦線復帰の私である。いやぁ、最近、四肢切断に慣れ過ぎていていけないよね。もっと自分の体は大切に扱わないと。
…………まぁ、安全策を講じて問題が解決するならば、それでいいのだけれど、生憎、現実は中々そうも行かない。
だから、大人は頑張る時、少しだけ無理をするのだ。
「一定以上の脅威度を確認……申請許可を確認……同伴しているエージェントに、許可を求めるよ」
「……天宮照子の封印解除を許可します」
「許可を確認。これより、全性能での鎮圧を行う」
所定のやり取りを終え、私はブレスレットとネックレスの封印具を外す。
すると、私の感じる世界が一段と鮮烈に情報を与えてくるようになる。五感だけではなく、世界に満ちるマナの流れを感じ取れるようになったからだと、私は考えているのだが、今はどうでもいいだろう。
瞬く間に全身へ漲ったこの力は、眼前に居る異能者の少年を助けるために使う物だ。余計なことは考えなくていい。
「う、ううう……駄目だ、近付かないで……っ!」
「大丈夫、私は大人だからね。子供の癇癪ぐらい、どうにでもしてあげるさ」
大きく息を吸い込み、私は切断の嵐が吹き荒れる領域へと踏み出す。
「駄目だって、言っているのに!」
当然、先ほど、私の左腕を切断したように、透明な刃が襲い掛かるが、私はそれを雷の如き反射速度で殴り砕く。
「……えっ?」
「よし!」
対処方法が確立されたので、私はどんどんと踏み込み、少年へと歩み寄っていった。無論、襲い掛かる刃は全て、拳で叩き割る。
これは別に、私の防御力が攻撃を上回ったわけではない。ただ、能力解放によって、魔力の流れをより鮮明に感じ取ることが可能になった私にとって、透明な刃の軌道は余りにも分かりやすくなったのだ。
どれだけ強力な異能であったとしても、そこには魔力が伴う。完全ステルスに特化した者ならばともかく、これだけ強い切断性を伴った異能であるのならば、どうしても魔力による痕跡や予兆が生まれてしまう。
故に、今の私にとって、少年が無意識に振るう透明な刃は、テレフォンパンチに等しい。
「う、うあぁああああああ!!?」
「空間を切断しようとする一撃は、特に魔力が籠っているから分かりやすいね」
私は少年を守るように展開する、透明な刃を全て殴り砕く。
狂乱したように、少年の背中から生える透明な翼が、蠢いて私に襲い掛かって来るが、それも殴り砕く。ガラスのような形をした異能であるから、鋭く、攻撃力は高いものの、刃から少しずらした面へ衝撃を加えてやると容易く砕けてしまうらしい。
「あ、ああうあ、く、来るなぁ!」
やがて、少年は涙を流しながら、己の手にガラスの剣を形成し――――己の首元へと突き刺そうとするが、遅い。
「起動せよ、我が異能【栄光なる螺旋階段】」
とん、と私の指が少年の額を突いて、即席の魔法を発動させる。
「【ハリネズミに安息を】」
「――――あ」
発動した魔法の内容は、この少年が持つ孤独……歪められた孤独に対する恐怖へ、寄り添い、安らぎを与える物。
それは、一夜の幻に過ぎない安息かもしれないが、少なくとも、忌まわしい魔人の干渉から、この少年を救うには十分だろう。
「ふぅ……ハードな案件だったけれど、これで最後かな?」
「最後の最後で、ババを引いた気分だったのです」
私が少年を抱きとめて、完全なる意識の沈黙を確認すると、エルシアが近づいてくる。私の魔法はどんな相手に対しても効果を発揮する後出しじゃんけんであるが、あくまでもその場しのぎの即席の物だ。
よって、念のために相手の意識を落とした後はエルシアに確認してもらう手はずになっているのである。
「まぁまぁ、そう言わずに。流石に、これほど強力な異能が発現していたら、私ぐらい耐久と生存に特化した退魔師じゃないと対処は辛いでしょ?」
「だとしても、使い潰されて良いという結論にはならないです。大体、馬鹿テルは、まだまだ新人で、さっきも迂闊な行動で腕を失いかけました。分かりますか? 例え、頑丈だったとしても、傷ついていい理由にはならないのです」
「あ、はい、すみません」
「ふん! こいつの精神調整が終わったら、さっさと帰ってご飯です」
エルシアは不機嫌そうにそっぽを向きつつも、きちんと仕事をこなしてくれる。
加えて、口は悪いものの、なんだかんだ私の身を案じる優しさがあるので、こうして叱られるとからかう隙が無いから困り物だ。
やれやれ、これは事務所に帰って後処理をしてから、何かエルシアにさりげなく、美味しい物でも御馳走しなければ――――ふむ?
「エルシア、ごめん」
「え、あ、ちょっと!?」
私は足元から悪寒が這い上がって来る前に、行動を起こした。
まず、乱暴ではあるが、エルシアに少年の身柄は投げ渡す。エルシアは小柄ではあるものの、卓越した魔術師だ。身体強化の魔術も当然、習得している。よって、この土壇場で投げ渡されても、落としたりはしないだろう。
「転移! 連絡! 多分、襲撃だ!」
「馬鹿テル――」
短く言葉を告げて、私はエルシアから飛び退いて距離を取る。
嫌な予感は、エルシアに対してではなく、私に対して集中している。その証拠に、エルシアの言葉は途中で、展開された結界によって遮断されてしまったのだから。
だが、そこは流石、歴戦の退魔師だ。エルシアは即座に、結界の強度を確認し、自分では解除が困難だと察知すると、すぐさま気絶した少年ごとこの場から転移した。
「さて、何が出るかな?」
完全なる罠の気配。
彩月と同等だと感じるほどに、強固で精緻な結界。
背筋から湧き上がる悪寒は、かつてないほど私の死を予感させて。
「――――――ごっ」
襲撃者は、私が視認するよりも先に私の胴体を蹴り上げて、吹き飛ばした。
恐らく、誰かが張った結界すらも砕く勢いで。
なるほど。どうやら、今回の襲撃者は本当にヤバい奴らしい。
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よく、漫画やアニメのコメディな敵の撃退シーンで、ホームランボールのように敵を吹き飛ばす表現がある。とはいえ、あれはあくまでも誇張された表現。ギャグ補正が効いている状態だ。逆に、ギャグ補正が効かない漫画やアニメでそのような攻撃を受けると死ぬ。大抵死ぬ。死なないのは、私と同程度の耐久を手に入れた、ご同類のみだろう。
「――――ぁああああああ!!」
ただ、流石に空中でピンボールの如く何度も蹴り飛ばされて方向を修正してきたのは、流石に苛立つし、痛い。物理的な耐久にかなりの自信がある私といえど、一度、結界に私を当ててぶち壊した後、『あ、やべっ』みたいなノリで方向修正を入れてくるのは苛立つんだよ。
というか、何が苛立つかと言えば、あからさまに攻撃ではなく、『場所を移動させるために動かした』みたいな蹴りだ。
「ここが終着駅か? 随分とまぁ、舐めた真似をしやがったなぁ、おい?」
「…………」
私が襲撃者の蹴りによって辿り着いたのは、人里離れた山奥だった。
鬱蒼とした木々が、夜の闇をさらに暗く誘い、周囲には獣の気配すらない。そんな闇の中から、浮かび上がるように現れた巨漢が一体。
それは、さながら山の化身の如き男だった。筋骨隆々なれど、死人よりも土気色の肌。道着の如き下履きは履いているものの、上半身は包み隠さぬ半裸。深緑の髪は、浮浪者の如くぼさぼさしているが、すえた匂いなどは一切感じない。むしろ、その巨漢からは生物の匂いが一切しなかった。巨漢自体が、山の一部であると感じるような、自然そのものの匂い。
さながら、仙人の如き存在感の相手であるが、額から伸びる鋭い一本角は、魔人の証明。古くから大和という国家に何度も姿を現した魔人の種族、鬼と呼ばれる強き者の姿だ。
「何の目的で私を狙う? リースの策か? それとも、別件か?」
「…………」
襲撃者である鬼は応えない。
静かに、金色の瞳でこちらを見据えて、ゆっくりと拳を構える。されど、その構えは余りにも自然体。隙だらけというよりは、ゆらりと拳を上げただけのような、構えにもなっていない構え。
一体、何のつもりかと訝しんだ瞬間、私は再度、知覚出来ずに衝撃を受ける。今度は胴体ではなく、側頭部。ぐるん、と勢いのあまりに回転しそうになるが、驚くべきはそこではない。この鬼は、その気になれば、私を思いきり吹き飛ばすのは容易かっただろう。だが、そうしなかった。威力を外に流すのではなく、全てを私の人体に叩き込み、真っ先に頭部を砕こうと攻撃してきたのだ。
とっさに、魔力強化を集中し、首を僅かに動かして威力を流さなければ、私は二度目の死を体験していただろう。そう確信を持てるほどの威力が、先ほどの拳打にはあった。
「ごっ! がぁ!? …………お前……手加減、しているな?」
「…………」
無言の鬼が振るう拳は、何らかの体術を使っているのか、私の警戒網を潜り抜けてクリーンヒットしてくる。けれども、明らかに、温い。一撃で死ぬ威力は秘めているもの、違う。腕だけの力で、子供をあしらうかのように放って来る打撃は明らかに、手加減されたものだ。
何故、手加減? 力を発揮できない理由がある? そもそも、こいつの底の見えなさはなんだ? 何を目的として、動いている?
「そうか。なんとなく、分かったぜ」
転生して優秀になった頭脳は、奴の打撃を受け流しながらでも、充分な答えを導き出してくれた。
手加減をしている理由は恐らく、二つ。
一つは、本気を出せば、大事になってしまうから。それこそ、退魔機関を全て敵に回してもおかしくない規模の大戦争が起こってしまう可能性があり、この鬼は、それを望んではいない。
もう一つは、私の異能の効果を知っているからだ。それも、一度、死んで転生したことを知っているからこそ、殺害が私の無力化に繋がらない可能性も考慮しているのだろう。私の力量を見極めて、私を無力化させる『何か』を仕掛けようとしている。
「お前が、脅威度ランクAに値する魔物…………いいや、魔神と呼ぶべき存在か」
つまり、この鬼は、この私を生かさず殺さず、捕縛することを目的に襲撃してきた実力者であり――――それが可能であると『誰か』が判断するほど、隔絶した強者だ。
多分、今の私では勝てない。




