第65話 幕間:赤き頭脳は黎明を望む
汚されること無き蒼穹の中に、その宮殿は存在した。
雲よりも遥か高みへ。
空よりも、宙に近く。
少し見上げれば、星々が住まう暗闇にすら手が届いてしまいそうなほどの空間に、その宮殿は、抉れた大地と共に浮遊していた。
その場所に、気付くことが出来る者は少ない。
少なくとも、衛星やら、科学の力では発見できない領域に存在していた。また、領域内では光学迷彩も施されてあるので、魔術と科学の二重構造で隠されているのだ。
例え、どちらかに秀でた者が居たとしても、もう片方の隠密技術は破れない。仮に、二つの技術に秀でて、隠蔽を看破出来る者が居たとしても、その数は世界に十人も満たない物だろう。そして、それだけの能力を持った者が居たとしても、広大な空を、しかも、生物が存在しない領域を態々調べようとは思わないだろう。
故に、その宮殿は――『侵色同盟』の本部は、決して暴かれることは無いのだ。
「…………うわぁ。まるで、ファンタジー小説に出て来る王宮みたい」
そんな、几帳面過ぎるほどに隠された宮殿の内部で、足音が幾つも響く。
「まー、実際その通りだからね。創立時に、境界に沈んでいた王宮を引き上げて、こうして本部として使っているわけなのだよ」
「それじゃあ、本物の王宮なんですか!?」
「ああ、女王が発狂して、王宮に住まう者を皆殺しにしてしまったという逸話が残る一品でね? 余りの所業に境界の核として、しばらく前まで魑魅魍魎の住処となっていたよ」
「ろ、ロマンが無い……」
「そんな曰く付きじゃないと、接収した時に色々面倒だからね?」
真っ白な大理石で美しく構成された宮殿内を、リース、奈都、『夜鷹』たちは歩いていた。
リースは我が物顔で。奈都はおっかなびっくり、周囲に視線をさ迷わせながら。『夜鷹』たちは勝手知ったる他人の家とばかりに、何人かは宮殿内へ散らばっていく。
「そうじー、そうじー」
「おちゃをいれないとー」
「おちゃがしのほきゅうー」
「んもー、だれもやらないんだからー」
まるで、ろくに掃除もしていない子供の部屋に入って、渋々片づけを始める母親のように、『夜鷹』たちは宮殿内でぱたぱたと、各々の行動へと移っていた。
その様子を眺めていた奈都は、そっと伺うようにリースへ視線を向ける。
「ん? ああ、大丈夫だよ、奈都。ここの管理は『夜鷹』たちに積極的にやって貰っているからね。むしろ、やって貰わないと誰も掃除とか食料のストックとか用意しないから、定期的に連れてくるようにしているんだ」
「そ、そうなんですか……」
「特殊な空間転移でなければたどり着けない場所だから、限られた人しか呼べないし。そもそも、この本部に来るような人は、幹部を含めた数人程度しかいないし。こんなに広い空間なんて、管理が手間取るだけだから、面倒な事この上ないのだけれどね?」
「えっ? じゃあ、どうして宮殿を本部にしたんですか?」
純粋な奈都の疑問に対して、リースは苦笑を浮かべて答えた。
「深夜テンションでね?」
「深夜テンション」
「創立当時はもう、『これから世界を変えてやるぞー!』みたいなテンションが上がり切った幹部しか居なかったからさぁ。お酒もいくらか入っていたし。あの方が止めるのも構わず、そのノリのまま、境界に沈んでいた王宮を引き上げて…………気づいたら、こうなっていた、というわけなのだよ」
「…………えっと、それは、その」
「素直な感想を言っていいよ」
「馬鹿の所業ですね?」
「まぁ、世界を変えようなんて真面目に考えるのは大抵、馬鹿ばっかりだからね」
気分を害するでもなく、むしろ、愉快そうに笑うリース。
その横顔を、どこか頬を赤めて眺める奈都だったが、かつん、とリースの足音が止まるに合わせて、反射的に自分も動きを止める。
「そして、その馬鹿どもがここに居るよ。新たなる同志を迎えるためにね」
「…………まさか」
「そう。今日、君を紹介しようと思って、幹部に召集をかけておいたのさ」
リースと奈都の前には、巨大な扉があった。
周囲の大理石とは明らかに異なる素材で作られた、重厚なる扉。扉の表面には、まるで蔦の如き文様で彩られており、触れるのを躊躇うほどの威圧感を放っている。
「あ、あの、そんな……私なんかのために……というか、心の準備が!」
「大丈夫。緊張することは無い。少なくとも、天宮照子よりは話が分かる奴らばかりだから」
「あの人、魔物を見るととりあえず殺そうとするじゃないですかぁ!?」
比較対象がおかしくないですかぁ!? と喚く奈都をあえてスルーして、リースは指先を扉に触れさせた。
すると、リースの魔力に呼応して、文様に沿うように光が迸り、扉がひとりでに開いてく。
「…………っ!」
開かれた扉の奥で、まず奈都の目に入ったのは空の王座だった。
王者無き王座。されど、その王座には埃一つ積もっておらず、不思議と目を奪われる引力のような物があった。
ここまではいい。
だが、次に奈都の目にした者こそ、彼女の心胆を寒からしめる存在だった。
「やぁ、大山。相変わらず、君は時間と約束を守る男だね?」
「…………」
「でも、無口が過ぎるよ、もう」
荘厳なる空間に似合わぬ、襤褸切れを纏った半裸の巨漢。
床に座り込んでいるからこそ全長は一目で分からないが、立ち上がれば三メートルほどの大きさを持つ巨漢が、そこに居た。
いや、ただ大きいだけならば、奈都も声を殺すほど驚かない。問題なのは、その存在感だ。
土色の肌に、静かに鎮座する筋肉の塊。深緑の髪に、額から伸びる一角獣の如き鋭い角。容貌からは、鬼の類であると推測は付くだろうが、奈都は違う、と先入観を否定した。
これは、世間一般で語られるような鬼とは違う物であると。いや、昔話に出て来るような、山を揺るがすような怪物ですらない。
それ以上の……『鬼神』と呼ぶべき何かであると、奈都は直感したのだった。
下手に身震いでも、呼吸でもしてしまえば、その瞬間、何の抵抗も出来ずに殺されてしまう、それほどの実力差を一目で感じ取ってしまったのである。
「ほら、奈都。挨拶、挨拶。大丈夫、怖いことなんてないからさ」
「……はっ! はひ! あ、あの、姫路奈都で、すっ! その、あの、若輩者ですが! これから、よろしく、お願いしますっ!」
よって、奈都が呼吸を再開できたのは、リースが優しく肩を叩いてから。しかも、その後に紡がれた言葉は、地上で溺れながら語っているような物で、奈都は己の不甲斐なさに、思わず顔を赤らめてしまう。
「…………大山だ」
「――――っ! あ、はい! 大山さん! よろしくお願いします! 頑張ります!」
「…………」
ぺこぺこと頭を下げる奈都に対して、大山と呼ばれた巨漢の男の答えはそっけない。
単に己の名前を告げて、僅かな時間、視線を合わせただけ。ただそれだけの事だというのに、何故か、何か途轍もない存在に少しだけ認められたような気分になって、誇らしさを覚えた。
「ほう、大山に認められるとはやるね、奈都。流石は我らが同志だよ」
「そ、そうなんですか?」
「大抵、大山は何も言わないから。リアクションを返すだけでも稀だし、言葉を紡ぐのも珍しい。だから、君は少なくとも幹部の一人に認められたんだよ。うん、誇らしく思っていいよ」
「えへへへ……」
奈都が年頃の少女らしく頬を緩ませる姿を微笑ましく眺めるリース。
ただし、その微笑みは段々と強張り、やがて、「はぁー」という沈痛な溜息へと変わってしまうのだが。
「すまない、奈都」
「えっと、何が? ですか?」
「君に、紹介しようと思ったのだが、この有様だ…………まったく、あの方――我らが盟主はいつも通り多忙だから仕方ないにせよ、せめてメッセージは寄越して欲しいものだ」
「うん?」
珍しく苛立ったリースの様子に疑問を覚えた奈都は、改めて王座の間を見回す。
すると、床に座った大山から少し離れた位置に円卓と、それぞれに割り振られた、大きさが異なる椅子が四つ。その内の一つがリースの物、あからさまに巨大な椅子が大山の物だったとしても、二つ空席が残る。さらに、あの方と呼ばれる盟主の席が王座だと考えれば、大山以外の幹部はリースの招集を無視したことになって。
「既読無視はやめろよ、あの馬鹿どもめ!」
「あの……リースさん。ひょっとして、遅れているだけかも、しれませんし、その」
「いや、遅れる時は大体、集合時間になってからメッセージで『今、起きた』とかいうふざけたことを伝えてくるから、この段階で何もないのはもう来ないよ、経験上」
「……えぇ」
「まぁ、新しい同志の勧誘はワタシに一任されているから後から拒否はしないと思うけれど、せめて、せめて、奈都にはもうちょっとしっかりしたところを見せたかったよ」
こうして、奈都は思い知ったのである。
これから自分が所属する組織――『侵色同盟』が、どれだけ強大な力を持ち、どれだけ自分勝手な奴らが集まっているのかを。
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「さて、やることは終わってしまったね」
「これで!?」
「だって、大山には紹介したけれど、他の幹部は居ないわけだし。大山は無口だから必要時以外は滅多に言葉を口にしない。それに、ワタシと共にこの空間に来たおかげで、君が同志であることは正式に登録されたんだよ」
「それじゃあ、これからまた帰るのですか?」
「そうだね。でも、折角来たのに何も無しというのもあれだろう? 扉の外に出てごらん? 『夜鷹』が君を宮殿の観光ツアーに連れて行ってくれるよ?」
「観光ツアー、ですか」
「運が良ければ、もふもふで可愛らしい魔獣と出会えるかもね?」
「――――いってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
目を輝かせて駆け出す奈都を、リースは機嫌よく送り出す。
傍から見れば、元気な妹を持つ社会人の姉に見えるかもしれないやり取りであるが、リースが奈都に向ける視線は姉妹のそれよりも、母親の感情に近しい。
「…………」
「ああ、分かっているよ、大山。本題に入ろう」
けれど、その温かな感情は一瞬で切り換えられ、冷たく、胡散臭い笑みを浮かべる怪人へと変貌した。
「君以外の幹部も集合してくれれば話は早かったのだけれど、こればかりは仕方ない。うん? これも予想していたのだろう、って? まぁね。予想はしていたけれど、たまには可能性が低い未来に希望を持ちたくなる物さ。でも、そうだね、君が居てくれれば、何とかなるかもしれない――――太陽神の肉体を持つ転生者、天宮照子の危険性について説明しよう」
リースは大山と向かい合い、まるで会話でも交わしているかのように言葉を紡ぐ。
実際はリースが一人芝居のように語っているだけなのだが、短くない付き合いであり、人外の頭脳を持っているが故に、大山から向けられる視線から意思を読み取っているのである。
「最初は放置してもいいと考えた。太陽神の肉体といえど、真価は異界から神格が降臨してこその代物だからね。たかが異能者が憑依し、転生した程度では何も変わらないと思っていたよ。実際、少しばかり強力な異能を持っているかもしれないが、ワタシならば十分に対処が可能だと考えていたし、実行に移したよ…………でも、駄目だ。悉く、ワタシの作戦は覆され、ワタシの未来予測も全く通じない。さながら、あいつ自体が不確定要素の塊であるかのように」
リースの言葉には、隠し切れない憎悪と殺意が滲んでいた。
けれど、それだけではない。リースは理性的な存在だ、故に、己の中に僅かに隠され、認めたくないと思っていた感情すらも認めて、考慮する。
そう、『畏怖』という感情を。
「そして、実際に対峙して分かった――――あいつは、『あれ』は駄目だ。あれは、殺す者だ。何かを守る者じゃない。やがて、何もかもを台無しにする可能性を秘めた化物だ。機関に潜らせたスパイからの情報から、異能を推測してみたが、明らかにおかしい。【不死なる金糸雀】と名付けられた、耐性獲得の異能……違う、明らかに違う。直接、対峙して殺し合った者にしか分からない直感かもしれないが、あれは、違う。耐性獲得していくというよりは、『化けの皮が剥がれていく』ようにも見えた。多分、天宮照子は、人間であって人間ではない何かだよ」
リースは口元に胡散臭い笑みを張り付けて、まるで、ホラ話の如く語る。
されど、言葉に込められた敵意と畏怖は紛れもなく本物。
「いずれは、我らが盟主に届くかもしれない」
だからこそ、大山も呼応した。
虚言ならば意にも介さない発言であるが、本物であれば捨て置けないと、強い意志を込めて大山はリースと目を合わせた。
たったそれだけの動作で、周囲の大理石がひび割れ、空間が軋むが、同格に位置するリースは動じることなくその視線に込められた疑問に答えた。
「本当だ。ワタシはそれを真剣に危惧している。故に、力を借りたい…………大山、奴を討伐するのに力を貸してくれ。ワタシも全力を尽くして万難を排するが、それでも恐らく足りない。君の力が必要なんだ」
「……………………わかった」
静かに、落ち着いた声で、大山はリースに応える。
必要最低限の言葉であるが、大山という存在を知っている者ならば知っているだろう。この巨漢は己が紡いだ言葉を必ず遵守するほど、律儀な奴だと。
「ありがとう。君がそう言ってくれたおかげで、大分肩の荷が軽くなった気分だよ。無論、君だけに頼るつもりは無い。ワタシだって虎の子の神器を用意するつもりだし、後一人、『人形師』になんとか頼み込むつもりだよ。『王冠』は無視するだろうけれど、『人形師』ならば、縁もあることだし、何とか手伝ってくれると思う」
やれやれ、と肩を竦めるリースだが、その目にはある種の決意が宿っている。
それは殺意であり、それは決死とも呼ばれる覚悟の類だった。
「ん? 幹部三人に、神器まで用意するほどの相手なのかって? そうだね、ワタシも確かに過剰戦力だとは思うよ。万が一も無く、奴を封殺できると断言できるとも。でもね? 『かつて、人間に殺された』私の記憶が、頭の中で囁くのさ」
『魔神器官』が頭領、魔人リースは油断しない。
聡明なる頭脳が確殺の未来を予測しても、過剰なほどの戦力を揃えて、天宮照子という異常存在へと挑む。
「天宮照子は、我らが望む黎明を殺す存在だ、とね」
全ては、盟主が望む黎明を実現させるために。




