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第64話 幕間:姫路奈都は苦悩する

 姫路奈都は、布団の中で包まっていた。

 頭からすっぽりと布団の中に潜り込み、猫のように体を丸めて、蹲る。こうすれば、余計な音が聞こえないのだと、奈都は知っていた。


「……ふーっ、ふぅ、ふーっ!」


 布団の中で、荒く息を繰り返す奈都は、暑さで苦しんでいるわけではない。奈都が居る部屋は文明の利器によって室内気温が低めに設定されており、布団にくるまっていても問題は無いのだ。

 では、何故、奈都は苦しんでいるのか?


「ごめん……ごめん、皆ぁ……」


 それは、PTSDと呼ばれる症状に似ていた。

 戦場を経験した兵士が、フラッシュバックによって苦しむように。奈都は現在、常冬の領域内で負った精神的な傷を癒し切れていなかったのである。

 しかも、その傷は二つある。

 一つは、自らの愚かさによって仲間を失ったという後悔。


「私は、私は…………もう、歯向かうこと、さえ……っ!」


 もう一つは、天宮照子という存在に対する畏怖だ。

 直接対峙したわけではない。

 殺意を向けられたわけではない。むしろ、敵対関係にあってなお、照子が奈都に向ける視線の中には、殺意という物はほとんど含まれて無かったようにも感じる。

 だからこそ、恐ろしく、悍ましい。

 奈都を助けようと、必死で足掻くリースという魔人に対しては、徹頭徹尾邪悪の化身の如き振る舞いで、戦い方が気持ち悪かったのだから。


「なんだ、あれ……なんなの? あれは、一体……」


 布団の中で頭を掻きむしり、照子の戦い方を想起する。

 人の戦い方ではなかった。

 本来、人は魔人や魔獣に対して、魔術やら武器やらを用いた上で、さらに、策を練って対処する物だ。何故ならば、人と魔物というのは、そこまでしなければ埋まらない性能差あるのが普通である。よしんば、研鑽を積み上げた武術やら、魔術による圧倒的な火力によって勝利するのならば、まだ理解が可能なのだ。

 だが、照子は違う。

 あれは、怪獣の戦い方だった。


「なんで、あんな風に……世界を侵して、我が物にするみたいに……」


 相手の攻撃を受けてなお、平然と笑い、乗り越える。

 規格外の魔力を持って、小細工を蹂躙し、魔人や魔獣ですら、ただの『被害者枠』としてしか見られないようにしてしまう。

 その癖、体の動きは武術のような積み重ねを全く感じない。感じないはずなのに、無駄だらけの動きであるはずなのに、その時、その瞬間に限っては最善へと無理やり嵌め込むのだから、照子と戦う相手からすれば理不尽としか言いようがない。


「立っている場所が……ううん、世界が、ジャンルが、違う」


 奈都はそれが怖かった。

 対等の相手としてでは無くて、単なる被害者として無慈悲に踏みつぶされるのが怖かった。死ぬことよりも、己の存在がまるでやられ役の如く矮小化されて、どうでもいい物として殺されるのを恐れていたのである。

 自分と照子の戦力差は、子供と大人どころではない。特撮映画に出て来るエキストラの一人と、怪獣ぐらいの差がある物だと、奈都は考えていた。

 実際、恐怖で過剰に警戒しているものの、『殺し合いになれば、抵抗も無意味に殺される』という点ならば、間違っていない。

 どれだけ素晴らしい技術を持ち合わせた格闘家同士が戦う場面でも、急に屋根から怪物の足が降りて来て、皆殺しにしてくるような物だ。まともに戦おうということ自体が、そもそも間違いであるとさえ、奈都は思い込んでいたのである。


「リースさん、ごめんなさい……ごめんなさい……私は、あの人と、戦えません」


 故に、奈都は布団の中に逃げ込み、涙やら鼻水やらを垂れ流しにしながら、陰鬱に自虐を繰り返す。水分もろくに補給せず、ただ、暗闇の中で僅かな自我を保つために自分を傷つける。

 そうしていなければ、到底、生きて居られないというほどに。否、いっそのこと、自分なんて死んでしまえ、と強く思うほどに。

 されど、奈都はまだ死なない。


「あさだー!」

「ごはんだー!」

「ふろだー!」

「「「おっきろー!!」」」

「げぶっ!?」


 何故ならば、奈都がそうやって己を貶めて、苦しむことをリースは悟っていたのだから。

 リースは魔人であるが、協力者に対して報酬は惜しまないし、同志とも呼べる相手であるのならば、見捨てられない。それが、同胞の命の恩人である奈都相手ならば、尚更だった。

 だからこそ、リースは奈都の傍に自らが最も信頼している存在を置いたのである。


「あー、またないているなー!?」

「んもー! なきむしぃ!」

「おいしいもの、たべないからだぞ!」

「だめなんだぞー!」

「わかっ、わかったから! 布団を引っぺがすのはともかく! 服を、脱がさないで!?」


 布団に蹲る奈都を、強制的に叩き出したのは、ぞろぞろとやって来た少女たちだった。

 全員が、メイド服を着た十歳ぐらいの少女たちであるが、そのほとんどが黒髪おかっぱ頭で、同じ造形の顔をしていた。

 ただ、少女たちの表情は全て異なり、外見こそクローンの如く似通っているものの、判別するのはさほど難しくは無い。


「いくぞー! まずは、おふろのごほうしからだー!」

「「「あいあいさー」」」

「うあああああ!!? 服を返してよぉ! せめて、下着はやめてよぉ!」


 メイド服の少女たちによって、一糸纏わぬ姿にされた奈都は、そのまま、胴上げのような形で輸送されて、風呂場に叩き込まれることになった。


「きれいになれー!」

「なれー!」

「ゆかげんどうですかー?」


 風呂場に叩き込まれた奈都は、同じく全裸になった元メイド服少女たちに体を洗われてから、浴槽に叩き込まれる。浴槽には、たっぷりと注がれた熱いお湯の他に、様々な薬効を期待された果物やら、香りのよい花々が混ざっていた。

 その香りは、奈都の鼻孔をくすぐり、ほんの僅かに、強張った心を和らげる。


「は、はふー?」

「おふろあがりは!」

「こちらをどうぞ!」

「かじつすいー!」

「わ、分かったから、飲むって…………ごくごく、あ、なんか、柑橘系の爽やかな香り――」

「「「つぎはごはんだー!!」」」

「まだ、みず、のみっ、げぇほっ!!?」


 次に、咽ながらも台所へ運ばれれば、そこにあったのは理想的な和の朝食。

 一つ一つが銀色に輝くご飯。食欲をそそる鰹節の匂いを漂わせた味噌汁。かりかりに焼き上げたシャケ。小皿には、沢庵やら白菜の浅漬けなどという漬物が添えられている。


「「「めしあがれー!」」」

「い、いただきます…………うう、相変わらず美味しい。私が、私なんかが、こんなに美味しい物を食べてもいいのかなぁ?」

「うるせー! めしをくえ!」

「おかわりしろ!」

「ちょうしょくはおにくだぞ!」

「おいしいごはんたべれば、きっと、げんきになる!」


 わいわい、きゃいきゃい、と周囲を騒がしい少女たちに囲まれての食事だが、奈都は嫌な気はしなかった。むしろ、在りし日の家族の思い出が蘇り、静かに涙を流すほどに感じ入っているらしい。


「あー、またないてるー」

「おまえなー、そんなんじゃだめだぞー」

「リースさまとあうのになー」

「へぼなつらをなー、さらすのはなー」

「……えっ? あの、『夜鷹』の皆さん、今、何と?」


 ただ、ここ最近、毎日続いている感傷は、少女たち――『夜鷹』と名付けられた群体生物の言葉でぴたりと止んだ。


「リースさまがくるー」

「おまえのようすをみにくるー」

「やくそくをはたしにー」

「おまえを、どうしにむかえいれるってさー」

「…………あ、あの、『夜鷹』の皆さん。えっと、やんわりとした表現で教えてほしいのですけど、あの、私って、今、どんな感じの有様で――」

「「「ひどいかお!」」」

「うわぁーん! どうしよーう!?」


 そして、今度は涙を流しながら焦り始める。その様子はさながら、夏休みの宿題を最終日まで手を付けてなかった子供のようで。


「やれやれ」

「しかたないのですなー」

「てつだいませうー」


 結局、『夜鷹』たちが総出で美容ケアを行い、何とか取り繕うことが出来るまで、奈都の情緒は不安定なままだった。



●●●



「やぁ、元気にしていたかい? 奈都」

「はいっ! それはもう!」


 奈都にとって、リースは尊敬に値すべき存在である。

 リース自身は己の容姿を『冴えないキャリアウーマンみたいだ』と自虐するが、奈都はその顔こそが好きだった。

 草臥れて、疲れ切った笑みを浮かべているものの、心根は優しい。野暮ったい黒縁眼鏡で、どこか気の抜けた雰囲気を相手に感じさせるけれども、その実、とてつもない切れ者。世界中でも、リースより賢い存在は居ないのではないのか? というほどに聡明な頭脳を持っているのだから、奈都は憧れていた。

 例え、自分が疲れていようとも、優しさと賢さを兼ね備えた女性の姿は、まだ幼さが残る奈都にとってはクリティカルな人物像だったのだろう。

 何より、『人間ではない』という点も大きく、リースに好かれたいがために、色々と虚勢を張ってしまうほどには、奈都はリースに懐いていた。


「……『夜鷹』?」

「だめだめー!」

「へなちょこー!」

「なきむしー!」

「ふむふむ。我らが同志、奈都よ。嘘はいけないなぁ、嘘は」

「う、嘘なんかじゃ――ふぎゅっ!」

「辛い時は辛いって言っておくれよ。そうじゃあないと、遠慮なく君を慰められないじゃあないか」


 当然、この時も奈都は虚勢を張っていたのだが、『夜鷹』たちの報告によって、あえなく偽装に失敗。虚勢がバレた後でも、何とか取り繕うとするのだが、それよりも前に、リースが奈都を己の胸に押し付け、優しく抱きしめていた。


「う、うう……だ、だって、私は、結局、何も……役に立たないと……ここには……」

「もう、馬鹿だな、君は」


 腕の中で震える奈都の頭をゆっくりと撫でて、リースは告げる。


「君はもう、充分すぎるほどにワタシを助けてくれたよ。君が居なければ、最悪、ワタシとその同胞はあの場で死んでいたかもしれないのだからね? だから、どうか、悲しいことは言わないでおくれ」

「で、でもぉ……リースさん、私はもう……あの人とは……化物とは、戦えなくて……怖くて、自分が、情けなくて……」

「それは仕方ない。私だって怖いさ」


 涙と鼻水で、己の真っ赤なスーツが汚れようともまったく気にせず、言葉を紡ぐリース。その様子はさながら、自らの子供を愛しむ母親の姿を連想させる物だっただろう。


「天宮照子。あのイレギュラーは、本当に恐ろしい。まるで予想外だし、こちらの思惑を悉く覆してくる。ひょっとしたら、絶対に届くことが無いとさえ考えていた場所にすら、手を伸ばすかもしれない。だからこそ、ワタシは……」

「リースさん?」

「ああ、ごめんね? この通り、ワタシも怖いんだよ。怖くて、怖くて、仕方がない。だから、奈都」


 ぽんぽん、と優しく頭を触った後、リースはそっと奈都を腕の中から解放する。

 まだ、その瞳は潤んでいたものの、いくらか虚勢が剥がれたことを確認したリースは、微笑んで言葉を続けた。


「約束して欲しい。これから、我らが同志として動くことになるけれども、今までよりも危険は段違いに上がるけれども、これだけは約束してくれ、奈都。君は、死ぬな。例え、ワタシや同胞、同志が死に果てたとしても、生きて、ワタシたちが存在していたことを少しでも覚えていて欲しい」

「それは…………そんなのっ!」

「頼むよ。君にしか、頼めないんだ、こんなことは」

「…………う、ううー、ずるい、ずるいです、リースさん」

「ごめんね、ずるくて」

「…………そんな顔で言われたら、断れません」


 じっと見つめ合いながら言葉を交わしていたリースと奈都だったが、やがて、奈都が顔を真っ赤に染めて目を逸らした。


「あー、あるじさまがくどいたー」

「いたいけなおんなのこをー!」

「わるいくせー!」

「せいへきをゆがませるぅー!」

「あっはっは、我が従者たち? 人聞きが悪すぎるんじゃないかな?」


 その様子を眺めていた『夜鷹』たちは、にやにやと笑みを浮かべながら冷やかし、リースは苦笑と共に肩を竦める。慣れた様子だが、同じく、冷やかしを食らった奈都としては、顔から火が出るほどに恥ずかしく、思わず両手で顔を隠す始末。

 この光景を見た者はきっと、とても信じられないだろう。

 都会から遠く離れた田舎の別荘で、平穏に休暇を満喫していそうなこの者たちが、まさか、世界を揺るがす陰謀を巡らせる組織の構成員であるなんて。


「さて、それじゃあ、奈都に『夜鷹』たち。準備を済ませたら、行こうか」

「「「あいあーい」」」

「…………あ、あの、リースさん。行くって、その?」

「うん、君の想像通りだよ、奈都」


 されど、事実は変わらない。

 どれだけ和やかな日常を経ようとも、どれだけ優しさと愛があろうとも、彼女たちの所属は変わらない。


「我らが『侵色同盟』の本部へ、君を案内するのさ」


 『侵色同盟』。

 世界を己の色に染め上げんとする、傲慢にして強欲なる集団。

 人と魔の区別なく、己の我欲のために手を組み、世界の秩序を砕かんとする組織こそ、彼女たちが望んで得た居場所なのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] そういえばあの時の男の子もジャンル違いの沼に引きずり込まれそうになってましたね
[一言] >世界が、ジャンルが、違う うんうん、そうだね あっちはTS百合のラブコメしてるからね…
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