第63話 幕間:土御門治明の決断
事務所の前で、死んだ目をした治明が体育座りをしていた。
土御門治明と、体育座り。
余りにもミスマッチな現実に、私は少したじろいだけれども、ここでスルーするのは大人として駄目なので、声をかけてみることに。
「どうしたんだい、治明? まるで、世界が終わったみたいな面じゃあないか」
「…………事務所」
「うん? 事務所がどうかしたのかな?」
「事務所……女子……たくさん……淫魔……あのアマぁ……っ!」
「落ち着きたまえ、殺意が漏れている」
体育座りで殺意を漲らせる治明に事情を聞き出してみたところ、どうやら、この事務所の中には治明を慕う美少女たちが押しかけてきているらしい。
理由は簡単。
カプ厨と淫魔が合体したことによって生まれた、ベテラン恋愛アドバイザーがこの支部に降臨したからである。
どうやら、美少女たちは自分の恋愛に関して何か一言アドバイスを貰いたいらしく、こうして、こっちの事務所に押しかけてきたようなのだ。
「分かるか? なぁ、分かるか? 照子。自分についての恋愛相談の順番待ちを見ながら、女子共がチクチク、色んな牽制やら、話題のマウントを取り合う空気の悪さが!? その中でただ一人、そう、一人だけで……やりきれない気持ちで相槌を打つ俺の気持ちが!?」
「私、男性の時にモテた試しがないから分からないや」
「彩月! 彩月の時!」
「単独の女性からの好意は、別にモテるということばじゃなくて、普通に恋愛していたというカテゴリに入るのでは? まぁ、成人男性だった時の私は、恋愛はまったく意識して無かったけれども」
「…………うう、うううっ」
「ええい、地獄の亡者みたいな目で私に縋りつくんじゃないよ、もう」
私は死んだ目で縋りつく治明を引きはがした後、ため息を吐く。
そうか、そういえば、治明の方も恋愛関係で色々と大変な時期になっていたのだった。ううむ、最近は自分のことで手一杯だから、ついうっかり見過ごしてしまっていたようだ。
「とりあえず、私は仕事終わりで着替えないとだから…………一階の喫茶店で待ってなさい。そこで、何か抱える物があるのならば、話し合おう」
「…………分かった」
ならば、ここは大人として……いや、彩月と共に在る者として、動かなければならない。そうと決まれば、さっさと終業処理を終わらせなければ。
「ただいま戻りました」
「あー、照子ちゃんだー!」
「照子ちゃんなのです?」
「照子ちゃん! 私たちの希望の太陽! 照子ちゃん!」
「お菓子食べるぅ?」
「ハレルヤ!」
ええい、喧しい。
私は愛想笑いを浮かべながら、美少女たちの絡みを受け流し、てきぱきと処理をこなす。
なお、さらりとスルーした所為か、禊ぎのためにシャワーを浴びている間に、いつの間にか着替えをメイド服にすり替えられた模様。
どうやら、構ってくれない私に対しての悪戯のようだが、甘い、甘いぞ、美少女たち。あまり、大人を侮るんじゃない。
「では、先に上がります。お疲れ様でした」
「「「そのまま帰るの!!?」」」
「ハレルヤ!?」
私は用意されたフリフリのメイド服を着て、颯爽と事務所から立ち去って見せた。
やれ、これがミニスカートならば多少なりとも恥ずかしさで抗議したろうが、ロングスカートならば問題ない。やけにフリルが多いメイド服ではあるが、今の私は美少女。このまま帰っても問題ないし、何より、彼女たちが帰るまで喫茶店で時間を潰すという選択肢もあるのだ。
ふふふ、美少女たちよ、大人を甘く見過ぎたようだな。
「やぁ、待たせたかい?」
「ぶふぁ!?」
もっとも、喫茶店で待ち合わせをしていた治明は、私を見るなりに、コーヒーを噴き出して、悶絶してしまったのだけれども。
あれ? 似合ってない?
「て、照子……真顔でギャグをかますのを止めろ……なんだよ、その破壊力……落ち込んだ気持ちが、一瞬で愉快になったわ、クソが」
「狙ったつもりは無いのだけれども、君が多少なりとも元気になれば良かったよ。ああ、ウエイトレスさん、チーズケーキとブレンドコーヒーのセットを……え? アルバイト? すみません、上の階の関係者なので、ええ、はい……メイド服は私物ではないので」
「ナチュラルに勧誘されているじゃねーか!」
外面だけは、太陽神すらも認めるほどの美貌だからね、仕方ないね。
「まぁ、私のことは置いといて。治明、本題に入ろうじゃないか。君が落ち込んでいる理由、それは恐らく、エルシアや、君を慕う美少女たちのことだけではないね?」
「なんというか、まぁ、うん」
「治明。正直に答えてくれ」
「…………んだよ?」
「彩月の馬鹿が、私とのツーショット画像データを、君に送ったりしていないかい?」
「………………」
治明は露骨に渋面を作った後、ぽつりと答えた。
「動画データだった」
「うわぁ。ひょっとして、私があの子が所有する空間を借りて、一休みしていた時の奴?」
「制服姿だった」
「うん、確実にそれだね。あんの、馬鹿娘……」
彩月はきちんと公私を分けることが可能な凄腕の退魔師である。
例え、私情でどれだけの混乱が在ろうとも、仕事内ではきちんと己の役割を果たし、目に見えて苛立ちを向ける治明と素晴らしい連携を行うことだって可能だ。
でも、その分、ちょっとプライベートで馬鹿になる傾向がある。抑圧された物が解放されて、馬鹿になるのだろう。流石に、ネットに流すような馬鹿はやらかさないが、こういう馬鹿をたまにやらかすのだ。
「ま、満面の笑みを浮かべた彩月が、アンタがすやすや眠っているベッドの上で……『聞こえるかしら? 治明。今、私の隣にはテルさんが寝てまーす』って、言葉から始まる……ぐうっ! 頭がァ!!」
「完全にあれじゃん! エロ漫画に出て来るNTRの導入じゃん! なのに、好きな人がチャラ男の役をやっているって、わけわからないことになっているな!? というか、その動画で私、エッチなことされてない!? 大丈夫!?」
「ぐぐぐ……太ももを撫でて、頬にキスしていたが、それ以上は……」
「あ、思い出さなくていいよ!? なんか、予想以上に辛そう!?」
「オフィシャルで恋人同士だと宣言された時が、一番……つら……は、はははっ、いつか今日が来ると思っていたが、まさか、まさか、彩月にこんなビデオレターを貰うなんて、俺は、なんて、はははははは!」
「大丈夫!? なんか、闇落ちしそうな笑い声だけど!?」
私は慌てて、心神喪失状態の治明を宥めて、落ち着かせる。
まったく、彩月は治明に対して容赦ないんだから。もっとも、これも一種の特別扱いなのだろうけれども、相手が特別扱いに耐えきれていないのが問題なんだよな。
「落ち着こうって、治明。彩月も悪意全開じゃなくて、半分ぐらいは冗談というか、猫がお気に入りのおもちゃを殴る気持ちが籠っていたと思うよ?」
「それはプラスなの? なぁ、プラスの要素なの?」
「彩月にとっては大分プラスだよ?」
「うう……幼馴染の知らない部分を……年上のオッサン……だった美少女に……ビデオレターが、何故か……チャラ男役が……ううっ!」
「駄目だ、脳が破壊され過ぎている」
治明の情緒は限界が近い。
現在は辛うじて、ブラックコーヒーだった物に、砂糖を山盛りぶち込んで啜り始めるという奇行で正気を保っているが、いつ、彼の精神が壊れてしまうか分からない。
だが、実際に彩月と恋人同士になった私が何を言っても、今の治明ならば、ダメージを受けてしまうだろう。
「治明、ちょっと待って欲しい。今、助っ人を呼ぶ。頼りになる、とっておきの助っ人を」
よって、私は素直に助けを呼ぶことにした。
最近、機関へと加入した、私たちの問題にうってつけの人物へ助けを求めたのである。
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「恋の問題に対する答えは、大きく分けると二つにまとめられます。即ち、行動するのか? しないのか?」
助っ人、片理さんは喫茶店の席に着くや否や、そう治明へと告げた。
「無論、その二つにはそれこそ数えきれないほど細分化したケースがありますが、結局は、この二つなのです。恋をした相手にアプローチをかけるのか? 告白するのか? プロポーズをするのか? それとも、しないのか。行動した方が良いか? 行動しない方が良いのか? 恋に悩む人に対して、様々な角度から情報を与えて、本人の決断を助ける事こそ、恋愛相談に於ける肝心なことだと、私は認識しています」
毅然とした様子で語る片理さんの姿は、まるで予言者だ。
遥か昔、太古の時代、自然の脅威や、恐るべき天変地異を告げる予言者の如く、片理さんは迷える若者に対して、言葉を告げる。
「故に、問いましょう。土御門治明君……貴方は、芦屋彩月さんが好きですか?」
「…………ああ」
「過去に、彼女に対して真面目にアプローチした時はありますか?」
「いや、それは、その、遊びに、誘うぐらいなら」
「本気で想いを告げたことはありますか?」
「…………出来るかよ、んなもん」
「今ならば、出来ますか?」
「………………わからねぇ」
「既に、恋人同士になって居る二人が居て、控えめに言っても成就する可能性が皆無の恋ですが、諦めずに色々とアプローチを考えてみますか?」
「既に詰んでいるじゃん!? それで、アプローチとかある!?」
「ありますよ? 普通に。まず、一度諦めた振りをしつつ、幼馴染で友達というポジションに戻ります。その後、二人の関係性が揺らぐその時まで、友達面して虎視眈々と待ちましょう。周囲から向けられる好意をきっちりと断って。いえ、あるいは、利用できるかもしれませんね? 貴方が『頼む、協力してくれ』と言えば、不健全な関係をいくつか作ることも可能です」
「最低の屑の所業じゃねーか! 誰がするかよ!!」
淡々と言葉を告げる片理さんを、最初は引き気味で警戒していた治明だが、いつの間にか、本音で叫ぶほどに心の距離を詰められていた。
ふむ、やはり片理さんは、恋愛関係の話題となると上手いな。話術もそうだが、自信たっぷりに言葉を紡ぐので、説得力というか、雰囲気がある。
「では、どうしますか? 土御門治明君?」
「…………それ、は」
「諦めますか? 諦めませんか? 楽な方を選びますか? 苦しい方を選びますか? 格好いい方を選びますか? 格好悪い方を選びますか? 個人的には、どちらでもいいと思いますよ? 恋に別れを告げるのも、一途に恋を守り続けるのも、どちらも等しく尊いですから」
だからこそ、治明も真剣に悩んでいるのだろう。
既に冷めきったコーヒーには口を付けず、じっと己の指先を睨みつけて、治明は考えている。どちらを選んでも、後悔する選択肢を、必死で選ぼうとしているのだ。
「照子」
「なんだい?」
そして、時間が遅く感じるまで沈黙した後、私の方へ視線を向けて、治明は問う。
「仮に、逆の立場だったらどうする? アンタは、諦めるのか? 諦めないのか?」
縋るようにではなく、刃を突きつけるような言葉だった。
けれども、私にとってその質問はあまり意味が無い。
「諦めるよ、私なら」
「…………どうして?」
「だって、その方が、彩月が幸せになるのだろう? 彩月が、私じゃない誰かを恋して、愛して、幸せになるのならばそれでいいと思うよ。ああ、もちろん、嫉妬やら苦しむ気持ちはあるだろうけれど、うん、葛藤はしないね。私は、彩月が幸せなら、私自身はどうでもいいよ」
迷うに値しない問いだ。
彩月が望む幸せがあるのならば、それを望もう。
…………などと、即答した後に気づく。あれ、ひょっとしてこれ、牽制したことになるのだろうか? と。
「く、ははは、そうか、そっかぁ…………ま、仕方ねぇよな、こればっかりは」
私が悩んでいると、治明は吹っ切れたように笑いだす。
闇堕ち系の乾いた笑いではなく、晴れた空を連想させるような爽やかな笑い声だった。
「なぁ、照子」
「なんだい、治明」
「俺、彩月に告白するわ」
「振られるよ?」
「ああ、振られるために告白するんだよ」
「それでいいのかな?」
「おう、これでいいんだ。だってさぁ」
苦笑交じりに言う治明の姿は、肩の荷が下りたような柔らかい物で。
「思い出したんだ。俺だって、アンタと同様に、あいつの幸せを願っていたんだって」
不本意ながら、敗北感を抱くほど格好良かった。




