第60話 恋せよ、人類。尊く在れ 5
恋愛。
それは、私の人生の中に於いて、余りにも異分子過ぎるので、放置していた要素である。
基本的に私は、誰かを好きにならない。薄情な人間で、誰とも薄っぺらい外面を意識して交流するので、恋愛と呼べるほど誰かに好意を向けたことが無かったのだ。
芦屋彩月と出会うまでは。
「…………彩月」
「ご心配なく、テルさん。完全に契約を結び、奴の実体を捉えたわ」
「彩月、あのさ」
「どうやら奴は驚くことに、自在に肉体の有無を操作できる魔術を行使しているみたい。その所為で、攻撃を受ける時は『自分は存在しない』という設定で回避して。それ以外の時は、普通に『存在している』という設定に変更していると思う。もちろん、簡単なことではないし、矛盾を孕んだ魔術だけれど、この魔人の真に恐ろしいところは、ある程度の矛盾ならば、道理を無視して、世界に許容させることが可能という能力ね。何かしら? 存在自体が、矛盾を孕んでいる? あり得ない存在? だからこそ、ある程度の矛盾を操れるのかしら? ふふ、これは機関の上層部も驚くでしょうね。魔術の歴史に新たな一ページが刻まれるかもしれないわ」
いや、説明は分かったんだけれどさ?
どうして君は、私の肩を掴んで、逃げられないようにしているのかな?
「でも、安心していいわ、テルさん。どうやら、この魔人が自らの存在を認めて、受け入れた契約には、きちんと効果が及ぶみたいで、今はきちんとこちらの縛りが効いている。私たちが契約を守り続ける限り、逃げられる心配も、一般人に害を与える心配もない……いえ、あるいは、最初から『誰にも害を与えない』という縛りを自分に設けることによって、魔術の効果を上げていたのかも?」
「芦屋彩月さん、離したまえ。私は逃げたりなんてしない」
「嘘。信じない」
「どうして?」
「大人はずるいから」
「おっと、ぐうの音も出ないね…………そこら辺、貴方はどう思います?」
「大人がずるいのは、ずるくならないと心か体が現実に耐え切れないから、仕方ないですよ」
交渉は成功した。
珍しく、いや、恐らくは何かしらの奇跡的な確率によって、私は黒づくめの魔人との交渉に成功したのである。そう、魔物とは出会った瞬間に殺し合い、味方が使役する式神ですら、日常的に殺し合う関係にあるこの私が、だ。
これはある意味、私が退魔師を始めてから数か月内に於いて、一番の快挙かもしれないのだが、この交渉が完全に成立するには条件が一つだけある。
それは、この恋愛大好きカプ厨魔人の餌になり、強制的に恋愛相談をしなければならない、ということだ。
「しかし、大人だからこそ、責任は取らなければいけませんよ、照子さん」
「うぐっ」
「そう! 今、この魔人が良いことを言ったわ!」
「あ、正確に言えば、私は魔人では無いのですけれどね」
「「えっ?」」
「人であり、魔。魔であり、人。私たちは自らの存在を『半魔』と名付けたのですが……まぁ、恋愛相談の前では大したことではありませんね。後にしましょう」
黒づくめの魔人が何かを言いかけて止めたが、それって割と重要なことでは無いのだろうか? 一瞬、彩月の目が驚きで見開いていたし、割と革新的な何かなのでは?
私はちらり、と彩月に視線を送ってみるが、彩月は「それもそうだわ」と既に納得してしまっているので、もはや逃れる術は無いのだと知った。
君たちの中で、恋愛相談ってそんなに比重が高いイベントなんだね。
「申し遅れましたが、私の名前は片理水面。つい最近まで、ごく普通のOLでしたが、階段を滑って転び、命の危機に陥っていたところ、通りすがりの淫魔と合体することによって新生した存在です」
魔人――片理さんは、黒いフードを脱いで素顔を晒した。
片理さんの素顔は、素朴だけれども心が温かくなるような素朴な笑みを浮かべる、茶髪の女性だった。
「あのさ、後にするには色々と気になるワードが多すぎるのだけれど?」
「ですが! そんなこと、今はどうでもいい! 照子さんと、彩月さん! お二人にとって大切なのは! この私が、現在に至るまで、数多のカップルを成立させてきた恋のキューピットであるという事実です!」
「おお!」
片理さんが胸を張ると、先ほどまで敵対していたはずの彩月が目を輝かせて尊敬の眼差しを送っている。
うん、いくら契約があるからといって、切り替えが早すぎではないかな? 二人とも。
「では、契約に基づき、この私が、貴方たちの恋愛をサポートさせて貰います」
「後日だと、駄目?」
「駄目です。今、やりましょう。さぁ、彩月さん。照子さんとの馴れ初めをどうぞ」
「ふふん、任せて」
この後、彩月が私の馴れ初めを、それこそ、チャットのみでやり取りしていた時期から語り始めて、結果、現状に辿り着くことになるまでに三十分ほどの時間がかかってしまった。
なお、その最中に私が彩月の事実改変に対して突っ込んだ回数はおよそ十七回である。脚色しすぎぃ!
「ということで! 現在は私が猛アタックを仕掛けているのだけれども、中々テルさんがつれないの。どうしたらいいと思う?」
「なるほど……なるほど……尊い……ふむむ……やはり女子高生と年上男性の恋は……いや、しかし、百合も同時に楽しめるから、二度美味しい」
彩月の説明を聞いていた片理さんは、時折、『尊い、尊い』と何かの動物の鳴き声の如く呟いた後、真面目な表情で考え込む。
その表情は真剣そのもの。恋愛話を楽しんではいるものの、本気で私と彩月の問題に関して取り組もうとする姿勢が見えるから困るのだ。これでは、下手に止めようとすれば、返って藪蛇を突いてしまう可能性がある。
「分かりました。まず、確認してもよろしいですか? 彩月さん。貴方は、照子さんのことを愛していますか?」
「愛しているわ」
即答する彩月。
私はその言葉に頬を赤くしてしまい、己の顔に熱が上っていくのを感じてしまう。
「女の子になったとしても?」
「ええ、戸惑うことが無かったと言えば、嘘よ。でも、私にとって、テルさんはずっと、辛い時に寄り添ってくれた人だから。どんな容姿をしていても。例え、不定形のよくわからない化物に成り果てたとしても愛しているわ」
「なるほど。でも、強いて言うのであれば、男性の方がよろしいですか? 女性の方がよろしいですか?」
「んんんんー、まぁ、テルさんの子供を産みたいから、こう、上手いことどうにかならないかと思うことも無きにしも非ず。ただ、男性に戻った場合は、恥ずかしくて今みたいに猛アタックは出来なかったかもしれないわね」
「ふむふむ」
片理さんは何度も頷いた後、私へ視線を移した。
え? 次は私の番なの? 現時点で既に、大分恥ずかしいのに?
「照子さん」
「はい」
「現時点で大分恥ずかしいと思いますが」
「はい」
「契約ですので、頑張ってください。それと、時には言葉にして言わなければ後悔することもあると思いますよ?」
「…………はい」
「では、問いましょう、照子さん。貴方は、彩月さんを愛していますか?」
問われて、改めて考える。
愛。
愛は多種多様であるが、この場合は恋愛的な意味合いでの、愛だ。けれど、私には自信がない。私の感情が、想いが、一般的に恋愛と呼ばれるそれと同じであるか、自信が無い。何せ、周囲とズレてばかりの人生だ。ついに、性別すらズレてしまったこの私が、彩月のように堂々と愛を謳えるわけがない。
しかし、沈黙して流すには、私の中にある想いは、余りにも大きくなりすぎてしまった。
「分からない、ですね。私にはこの感情が愛なのか、恋であるのかさえ、分からない。友情に一番近いのかもしれない。けれど、私は彼女を悲しませたくないので、絶対に死ねないと思っています。かつては、いつ死んだところで、私の人生に大した意味は無いと思っていましたけれど、うん、今は違います。彼女を笑顔に出来るような人になりたくて、私は生きているのかもしれません」
「なるほど」
まったく、迂遠で面倒な答えだ。
アラサーになってしまうとどうやら、愛しているという一言さえも、はっきりと言えなくなってしまうらしい。
それでも、私の考えは伝わったのか、片理さんは朗らかに微笑み、彩月は口元を抑えて感涙している。
あの、彩月さん? 涙を流すの、早すぎません?
「かつて、恋愛をしたことは?」
「ありません」
「恋愛小説を読んで感動したことは?」
「あります。アニメや漫画も、結構、嗜んでいますよ」
「現在、本来の肉体とは違う肉体ですが、やはり、元に戻りたいと思いますか?」
「戻りたい、と思う心もありますが、逆に、戻らなくていい、と思うこともあります。前者は、男の方がやはり精神というか、魂がしっくりと来るから。後者は単純に、この肉体の性能の方が戦うには都合が良いからです」
「ふむ…………貴方は、仮に、彩月さんが別の方を好きになって、それを告げられた場合、応援できますか?」
「はい。もちろんです」
「嫉妬は?」
「あると思いますが、それよりも彩月の感情が優先されます。彩月が幸せになれるのであれば、極論を言えば、私はどうでもいい」
「…………貴方は」
片理さんは一旦、言葉を区切り、考え込むように沈黙する。
その間も、じっと私を見据えて、目を離さない。心の深奥に触れるような視線に、私は思わず目を逸らしそうになるが、耐える。これは契約だ。
それに、ここで逃げてしまえば結局、私と彩月の関係は何も変わらない。
胸の中に抱くよくわからない不安が、現実に何かを及ぼす前に、私は知らなければならないのだ。私がどう在れば、彩月が幸せになれるのかを。
「照子さん。貴方はきっと、自分が幸せにならなくても良い、と思っていますね?」
だから、片理さんが意を決した表情でその問いを投げかけてきた時、私は少しばかり首を傾げた。一体、どうして、今更、そんなことを尋ねるのだろう、と。
「はい、そうですが?」
「…………大多数の幸福のためには、己の欲望なんて圧殺すべき、と考えていますね?」
「当たり前でしょう? それが社会人です。他の人は自分の欲望と折り合いを付けて、上手くやれているかもしれませんが、私は…………ああ、そうか。そうですね、余りにも見透かされていたから、忘れていました。自己紹介を、きちんとやるのを忘れていました」
疑問を覚えたが、言葉を紡いでいる内に、自分で答えを見つける。
そうだよ、この人は初対面だ。私のことを何も知らない。外見だけみれば、美少女だし、恋愛関係の記憶が皆無の私ならば、彩月と比べて、片理さんの能力で読み取れる部分は少ない。そして、彩月の記憶を読み取っているのならば、私に対して多少、脚色が為されているという可能性もある。
だから、改めて言おう。
「片理さん。私は退魔師である天宮照子の前は、駄目人間の山田吉次でした。ろくに仕事も続かず、友達も出来ず、異性と付き合ったことも無く、三十路間近まで、真っ当な人間の交流が出来ないような欠陥人間です。なので、良いのですよ。私のことは考えなくても」
私という存在は、考慮に値しないのだと。
アラサーの駄目人間の事情など、どうでもよく。肝心なのは、善なる人。一番親しく、幼い頃から誰かのために戦い、美しく、気高い少女が、どうすれば幸せになれるか? という疑問に答えて欲しいのだと。
「彩月がどうすれば、一番良い形で青春を過ごせるのか? それを、一緒に考えて欲しいのです。それが、私が望む恋愛相談ですよ」
答えが欲しい。
正しさが欲しい。
私のズレた感性ではなく、真っ当な誰かの感性によって、判断して欲しい。彩月はきっと、馬鹿で、面倒なところがあるから、彩月の言うとおりにしたらろくなことにはならないし。
だから、私はここでようやく気付いたのだ。
この契約こそが、私にとって珍しく、望外の幸運であったことに。




