第59話 恋せよ、人類。尊く在れ 4
片理水面が、己の欲望を理解したのは、とあるアニメがきっかけだった。
可愛らしい魔法少女が主人公のアニメ。女子だけではなく、男子ですら魅了したそのアニメに、水面は特にハマったのである。
何故ならば、そのアニメの中には、水面が知らなかった愛の形が沢山あったのだから。
年上と子供。
女の子同士。
男の子同士。
器物と、人間。
動物と、人間。
様々な恋の形を、直接的ではないにしろ、丁寧に描いているそのアニメを見て、水面は覚醒した。
そうか、私はこういう物を見たいのだと。
様々な恋が実る、美しい瞬間を見たいのだという欲望を理解したのだった。
水面が、他人の色恋沙汰に関して余計なお節介を焼き始めたのは、それからである。無論、当初は上手くいかずに、何度も悔しさと己の情けなさで涙を流す日は少なく無かった。興味本位のゴシップ好きとして、周囲から嫌悪されることだってあった。
しかし、水面はそれでも心が折れることなく、何度でも立ち上がり、多くの恋愛を成就させて来たのである。
人は、結果を出す者を評価するものだ。例えそれが、少々周囲から浮いている者であったとしても、恋のキューピットとして、獅子奮迅の活躍を見せた水面は、一目置かれる立場となったのだ。
そして、現在。
「つまり! 恋愛とは、各々の縁が織りなす、一つの美しい模様! 奇跡! 同じ相手でも、同じ恋など存在しない! 故に! 私は! 奇跡が理不尽によって踏みつぶされるのが、我慢ならないのです! 私は! 私は! 世界中の人間が、愛に溢れて、恋を楽しめるような、そんな世界にしたい!!」
一度、死を超越した水面は、控えめに言っても狂人の様相で演説していた。
しかも、これは三十分ほど、ひたすら早口で要領の得ない呟きを重ねた上での、締めである。語り始めた時は、陽が傾き始めた時間帯だったのだが、気付けば既に、周囲は薄暗くなってしまっていた。
「分かりましたか!? 金髪の美少女さん!」
「貴方が変態だということは分かりました」
「何故に!?」
人間よりも頑強な肉体を得たので、ここぞとばかりに大声で語り明かした水面であったが、語り明かした相手――照子からは笑顔で変態認定されてしまう。
無理もない。
自分の恋愛に対する惚気ならばともかく、『恋に恋する』を通り越して、恋を狂信している様子を明かしてしまったのだから、変態扱いされてもおかしくない。これは、水面がカプ厨だから変態なのではなく、水面が変態でカプ厨なのだから、仕方ないのだった。
「とりあえず、貴方は人間に害を与えるつもりは無く、ただ、恋愛を応援したい、それだけであると」
「はい!」
「具体的に応援とは、何を指しているのですか?」
「この通り! まずは通りすがりの占い師として、関係を進められないカップルへのアドバイス! さりげないアシスト! 何かしらのトラウマを抱えて、恋に踏み切れない人には、一歩踏み出す勇気を、魔力で注入!」
「洗脳では?」
「本人の心からの願いを増幅させているだけなので、セーフです!」
「…………前に、貴方と会ったことがある、銀髪の女の子も、同様に?」
「あの子の場合は、こう、最初に憧れの混じった恋心を忠誠心と履き違えてしまっただけだから、本当に『いや、違うんじゃない?』と指摘する感じで干渉しただけですよ?」
「洗脳ですらない、と?」
「何かしらそちらに問題が起きたら、とても申し訳ないと思うのですが、私にはハーレム系主人公属性のイケメンを攻略する方法なんて、速攻しかないと思うのですよ。ぶっちゃけ、あの子は想いを告げることも出来ず、静かに影で涙を流すエンドに成りそうだったから」
「…………あー」
水面の言葉に、照子は心当たりがあるような顔を作る。
確かに、エルシアの件だけに限定するのであれば、そういう干渉は決して悪いことではなく、むしろ、一理がある物だと。
照子としては、先輩であるエルシアに余計なことをしていた場合、交渉の余地なく、水面を痛めつける予定だったのだが、これでは流石の照子も殺意を練れない。
相手が魔人といえど、こちらの攻撃を無効化し、その上で、対話を望む姿勢を見せてくるのであれば、応じる構えを取ってしまうのが照子だ。
それに、照子は少しだけ水面に興味があった。
一体どうして、この魔人は、私に殺意を向けないのか? この魔人と他の魔物では何が違うのか? それこそが、こちらの攻撃が通じない理由の一端なのではないか? と。
「ええと、君はその…………ひょっとして、人の心や、記憶を読むことが出来る?」
「はい! 全部ではないですが、恋愛関係のあれこれならば、多少は」
「ふむ。私の記憶を読んでみて欲しいのだけれど?」
「はい! わかりました! では、初恋の記憶…………うおぇっ!」
「唐突に吐き気を催すのは止めて欲しいのですが?」
「女の子じゃない? オッサン? いえ、これは…………き、気持ち悪い……プリンだと思って食べようとしていた物が、廃棄された油を片栗粉で固めた物だったみたいな気持ち悪さ……ううっ!」
なので、相手の能力を探る意味も兼ねて、少し質問をしてみた結果がこれである。
水面は確かに、恋愛に関わることに関して、相手の記憶を読み取ることが可能だ。その過程で、機関やら、退魔師に関しての情報も混ざることはあるが、あくまでも主体は恋愛。恋愛に付属する物として、異能バトルのあれこれを読者として読み込み、共感しているような形の読心能力なのだ。
しかし、水面の能力は完全ではない。相手の心の中を読み取る過程で、水面の価値観が基準として読み取りが行われているので、『これはひょっとして、初恋かな?』と勝手に勘違いをして深く読み込み、結果、まるで違う天然サイコパス劇場を無理やり共感してしまったのだ。
「ううう……なんで、なんで、ちょっかいを出してくる可愛らしい女の子を、ガチで泣かせるの? しかも、その後、大爆笑しているし……なんで、大爆笑? 女の子が泣いているんだよ? しかも、実行犯は君だよ?」
「ああ、敵対者の机にありったけのピーマンを置いて、復讐した時の記憶か。あれは愉快だった。何度も、しつこく私に絡む奴を排除出来て、とても清々しい気分だった記憶があるよ」
「素直になれない女の子と、恋愛に無関心な男の子の初々しい恋物語を楽しめると思ったのに、なんで、こんな気持ち悪くて悲しい想いを……こんなの恋愛じゃない……」
本来、異なるはずの思考回路を無理やり共感してしまった水面の精神的ダメージは深い。例えるのならば、殺人に快楽を見出す猟奇殺人犯の感性を、一時的に理解して、その快楽を受け入れた状態に近しいのだ。
一瞬であったとしても、自分の精神の一部が悍ましい何かに置き換わる体験に、流石の水面もたじろぎ、俯いてしまう。
「なるほど。心を読み取れるかどうかは、本人の意識次第で可否が判断され、勘違いでも読み取れる、か」
その隙を見計らい、さりげなく、照子は彩月へ視線を向ける。
アイコンタクトの意味は、水面に対する排除か、確保の手段を得られるかどうかの確認。相手が語っていただけであるが、時間稼ぎとしては十分すぎるほどの時間は稼いだからこそ、彩月に視線を向けたのである。
だが、彩月の答えは芳しくない。
視線を合わせた後、無言で首を横に振る彩月が示すリアクションはつまり、現時点では、水面の防御を破る手段は無く、また、見通しも立たないということ。
ならば、と照子は行動の方針を転換した。
捕縛、討伐ではなく、交渉での不戦契約……あるいは、機関への所属を求めるように説得するように意識を切り換える。
「いや、でも…………だからこそ! 一般的な価値観からずれた人が、初めて感じる恋の鼓動に戸惑いつつも、想いが結ばれるということが尊いのだ! ヨシ! この恋の芽を、全力で育てるために、私は今日、ここに来たのだ!」
一方、退魔師二人がアイコンタクトで意思疎通をしている隣で、水面が自主的に復活した。
社会人になると、辛い思いをして凹んだとしても、自分で自分を復活させなければメンタルが死んでいくだけなので、水面はこういう時に己を奮い立たせる術を熟知しているである。
「大丈夫ですか?」
「はい! 問題ありません! どんとこい!」
「では、重ねて質問なのですが、貴方は恋を尊重するスタイルらしいですが、例えば、魔物と人間の恋も応援しますか?」
「もちろん! 異なる世界同士の恋愛とか素敵ですぜ!」
「その場合、例えば、魔物が人を食い殺すなど、予め罪を犯していた場合、どうしますか? もしくは、恋の対象以外どうでもいいと考えて、平然と人殺しを続ける魔物だった場合は」
「む、むぅ……それは」
「邪悪な者が、歪んだ恋愛感情を持ち、一切の恋愛感情を抱かない相手へ、しつこく付き纏うのは? ストーカーと情熱的な恋愛の線引きは?」
「う、うううう……」
「存在しているだけで、世界に厄災をばら撒く誰かを愛する者が居て。世界中を皆殺しにしても、そいつだけを生き残らせない、なんてケースは? 誰の味方をしますか?」
「んああああああ!!」
けれども、こうも痛い部分をどすどすと言葉のナイフで刺されれば、水面でも立ち直るのに時間がかかってしまう。
そう、時間がかかってしまうが、水面は照子の問いに答えなければならない、という使命感があった。今まで、そういうケースは『フィクション』として愛していたが、この世界ならば、現実としてあり得てしまう可能性があるのだから。
照子の問いから逃げることは即ち、己の使命からも逃げてしまうということと同義。だからこそ、しばしの間、水面は奇声を上げて悶絶していたが、自力で正気を取り戻した。
「ぐ、ぐううう……ま、まずですね? 私は出来る限り、誰も傷つかない道を模索します。もちろん、忌々しい現実はそんなに上手くいかないことは分かっているので、私の方針としては、出来るだけ、そういう方向で善処したいと思ってください」
「はい、分かりました。それで、どうにもならない場合は? 世界の秩序から外れ、多くの他者を踏みつけて、己の恋愛を謳歌しようとする存在が居た場合は? 罪ある者の処置は? どうしますか?」
現実はクソッタレだと、水面は知っている。
フィクションの中の出来事であれば、『尊い、尊い』と推していられるのに、それが現実で起こった場合は、色々な弊害を起こす。何故ならば、現実には端役など存在せず、それぞれの人が、それぞれの人生を、物語を過ごしている。それを踏みつぶし、押しのけて、我を通す行為は害悪だ。例え、そこにどれだけ美しい恋が絡んでいようとも。
「…………私は」
現実は辛くて大変だ。
新生しても、婚期は変わらない。仕事にも行かなくてはいけない。どんなに強い力を手に入れたとしても、誰かを殺したり、傷つけたりするのは罪悪感があって出来ない。
いっそのこと、使命である恋愛に全てを捧げて、倫理も秩序も全て無視した、恋愛マニアになれれば楽だろうけれども、水面はそれを選べないし、選ばない。
きっと、照子が例に出した中で、その犠牲となるのが自分の家族や、友達だった場合、水面は恋愛を嫌いになってしまうだろうから。
故に、水面は辛くとも現実に向き合い、血反吐を吐く気持ちで答えた。
「私は、恋愛が大好きです。色んな組み合わせが大好きです。様々な恋愛模様をずっと眺めていたし、推したいです。でも、もしも、誰かの恋が、恋愛が、理不尽に誰かの想いを踏みにじるのであれば、その時は…………戦います。私は、ぶっちゃけ、その、戦闘能力は皆無で、捕まらないとか、攻撃を受けないことしか出来ませんが! それでもっ! 戦って、誰かの想いを、愛を、恋を守りたいと思います!」
水面の回答を受けて、しばしの間、照子はぱちくりと驚いたように目を瞬かせていたが、やがて、静かに笑みを作る。
それは、照子が魔物に対して初めて向けた、賞賛を意味する笑みだった。
「分かりました、認めましょう――――貴方は、尊敬に値する『人間』だ」
「……へっ」
「今までの非礼をお詫びします。そして、改めて自己紹介を。私は退魔機関に所属する異能者にして、エージェント、天宮照子です。もし、良ければ、貴方を我々に迎え入れたいのですが、何か条件はあるでしょうか?」
頭を下げた後、にこやかに手を差し出す照子。
水面はとりあえず、その手を取った後、こんがらがった頭で考える。
試された? いつから、いつまで? それとも、何かしらの罠? でも、さっきの表情は嘘じゃない。逃げようと思えば、いつでも逃げられる。契約? 契約を結ばれたらまずいかもしれない。でも、このまま単独で行動すれば、いずれ、もっと過激な手段でこちらを捕捉しようとする組織も現れるかも? だったら、覚悟を決める時なのでは?
「分かりました。ただし、条件が幾つかあります」
水面はぐるぐると巡る悩みを飲み込み、しっかりと照子を見据えて言う。
「ええ、もちろん、今すぐ決めなくて大丈夫ですよ。じっくり考えて、私の上司も立ち合いの下、話し合う機会を設けさせてもらえれば」
「はい! 是非ともお願いします! でも、今、とりあえず、その条件の一つを定めてもよろしいですか!?」
「うん? まぁ、内容によりますが」
それだけでなく、がっしりと照子の肩を掴み、黒いベールの奥で目を輝かせながら、条件を告げた。
「私に! 貴方たちの恋をサポートさせてください!」
「…………えっ?」
そう、水面本来の使命を果たすための、信念が込められた言葉を。




