第5話 美少女に至るまでの前日譚 5
グレ :セッションお疲れさまでした
ツッキー:お疲れですー
グレ :中々、PC1をフォローするクールなPC2が似合っていましたよ
ツッキー:ふふん、これでも、グレさんに教えて貰ってから五年間、ほぼ毎週セッションをやっていますからね。貫禄という奴です
グレ :あははは、あの頃のツッキーは可愛らしかったですね?
ツッキー:今だってボクは可愛らしいのですが!?
グレ :はいはい、そうですね
ツッキー:あー! 絶対、そう思ってない顔をしてる! モニターの奥では絶対、呆れた顔しているでしょ!? 言っておくけど、リアルのボクはとっても美少女なのですからね!
グレ :リアルの私も、金髪碧眼の美少女中学生ですよ?
ツッキー:嘘つき! 社会人だって言ってたじゃん! 個人情報を中々言ってくれないけど、こつこつ、ぽろっと漏らした情報から推測するに、グレさんは二十代後半の男性でしょ!?
グレ :ツッキー。ネット上で相手のリアルの詮索はマナー違反だよ?
ツッキー:ぶー! でもでも、グレさんは全くオフ会とかに来てくれないし!
グレ :ネット上での関係は、ネット上で完結させる主義なのですよ、私は
ツッキー:やだやだ! オフ会しましょうよー! ボク、グレさんと会ってみたい!
グレ :私のことはネット上に存在する電子精霊だと思ってください
ツッキー:いいじゃん! いいじゃん! 前に一度、ボクが参加していない時のオフ会には、こっそりと顔を出した癖に!
グレ :その時は、ほぼ全員がオッサンの集まりでしたので。私は、基本的に未成年とオフ会で会うことはしません。
ツッキー:未成年じゃないもん! ボク、大人だもん!
グレ :はいはい、そうですねー…………随分荒れていますが、何か嫌なことでも?
ツッキー:バイト先の職場に、新人が来た……年上……未経験者……
グレ :わぁ、それは面倒ですね。年上の後輩ですか
ツッキー:一回り以上も年が違う相手と、何を話していいのか全然分かりません
グレ :別に、当たり障りなく季節の話題とか、職場の相手なら、仕事のことを話せばいいのでは? 無理に仲良くなる必要はありません。仕事上の付き合いとして上手くやるのです
ツッキー:友達もろくにいない私にとっては、とても高等テクニックですよ、それ
グレ :悲しみ
ツッキー:でも、ボクにはグレさんが居るから、オッケーなのです!
グレ :二次元から人間では出てこないですよ?
ツッキー:三次元! 三次元で会いましょう!
グレ :君が成人するまで付き合いがあれば、会えるかもしれませんね?
ツッキー:今! ナウ! 会いたいです!
グレ :じゃあ、保護者を連れてきてください。それならオッケーですよ?
ツッキー:ボクが親との折り合いが悪いのを知っていてそんなことぉ! んもう、グレさんのいけず! でも、そんなところが好きです! 付き合ってください!
グレ :ネット上の付き合いなら
ツッキー:………………じゃあ、ボイスチャットしたいです
グレ :それくらいなら、まぁ…………こちらの仕事が落ち着いたら
ツッキー:いつ! いつ落ち着くのですか!?
グレ :さて、どうでしょうね? 転職先の研修がようやく終わったところで、今はまだ、新しい仕事に慣れようとしているところなので
ツッキー:グレさんなら、きっと大丈夫ですよ! だって、グレさんのシナリオは読みやすくて、分かりやすいって皆からも評判ですから!
グレ :基本的に、シナリオ作りと仕事上の有能さはあまり結びつかないですよ?
●●●
私はかつて、職を転々としていた人間だった。
一つの職場に、二年以上留まったことは無い。それは偏に、私に会社員としての適性が著しく欠けていることに起因する。
つまり、私はとてつもなく飽きっぽい人間なのだ。
仕事は一応、ノルマをきちんとこなし、出来る限り小言を言われぬように、ミスや不備を少なくする努力はしている。一年目はともかく、二年目にもなれば、多少は頼りにされることも多くなっていたと思う。
けれど、ふとした瞬間、私は仕事に飽きてしまう。『あ、面倒くさいな』という感情が心の中に生まれると、もう駄目だ。仕事に身が入らない。そして、主に私のような人間が就ける仕事というのは、離職率が高い仕事なので、私が辞めたところで致命傷にはならないのだ。
よって、仕事に身が入らなくなって、ミスをする前に、私は仕事を辞めていた。
どんな仕事をしていたとしても、私には情熱も、執着も、誇りも生まれなかったから。
私が仕事を辞めた瞬間、誰かが死ぬような仕事ならばともかく、そうでない仕事ならば、私は特に続ける責任なんて感じない。
こういう薄情な人間だからこそ、私は職を転々と変えることが可能であり、また、今までそれなりに社会人を装って生きて来られたのだと思う。
「山田さんには退魔師の才能があるようには見えません。よって、今すぐ、後方勤務へ異動願いを出すことをお勧めします」
ただ、いくら何でも、新しい職場に着任した当日に、異動願いを出してしまうような、無神経な人間にはなれない。
例え、退魔師の仕事の先輩からの忠告だとしても、だ。
「ええと、芦屋さん……芦屋先輩?」
「芦屋と、呼び捨てにしてくださって結構です。一回り年上の方に、畏まられたところで、馬鹿にされているみたいで不愉快です」
「ああ、うん、それじゃあ、分かったけど、芦屋。異動願いを出すにしても、もう少し、私が駄目だと思う根拠を教えてもらわなければ、上も受け取ってくれないよ」
「…………そうですか」
今、私の眼前には、退魔師が居る。
インチキでも、自称でもない、公式に国以上の組織から認められた、本物の退魔師だ。
服装も、如何にもそれっぽい。陰陽師とかが良く身に着けている着物――狩衣という装束を纏い、それが自然体となっている。流石に、烏帽子の類は身に着けていないが、謎の呪符のような物を、ひらりと虚空から出現させているところは目撃できたので、間違いなく退魔師だろう。
このような『いかにも』な退魔師がこれから私の先輩となるのだ。思わず、穢れを知らぬ少年のように、目を輝かせてはしゃいでしまうかもしれない。
――――その退魔師の先輩が、私よりも一回りも年下の、女子高校生でなければ。
「では、僭越ながら。個人的な視点からで申し訳ございませんが、ご指摘させていただきます」
芦屋 彩月。
事前に『機関』から渡されていたプロフィールによれば、十六歳。現役の女子高生にして、二年間、プロの退魔師として活動している私の先輩。
カテゴリは、式神使いと結界術師。
前衛を使役した式神に任せ、後衛で支援や環境操作に徹するタイプの退魔師。
その他、プライベートに関わらない、退魔師としての様々な情報が載っている資料を熟読し、今日に備えてきた私であるが、そのような心構えは、彼女の前に立った瞬間、あっさりと吹き飛ばされた。
「まず、山田さん。貴方には覇気がありません」
抜身の刃を連想させるような、美しくも触れるのを躊躇われる少女だった。
容姿自体は、黒髪ショートで、小柄の、日本人形のような造形美の少女である。これだけの要素ならば、まだ、可愛らしいと思えるかもしれない。
けれども、纏う雰囲気が違う。まるで違う。一般人とも、私とも、他の研修生たちとも異なっていた。
触れればタダでは済まされない、そのような雰囲気…………そう、覇気があるのだ。
「戦える人間ならば、誰しも、他者を圧する空気があります。意図してそれを隠す者も居ますが、貴方の場合はそうではありませんね? ただの、一般人みたいな雰囲気です。戦うことに、さっぱり向いていません」
特に睨まれているわけでもない。
特に言葉が険しく、乱暴であるというわけでもない。
それなのに、怖い。
淡々と言葉を紡いでいるだけの、年下の少女が怖くて仕方がない。
「次に、経歴です。山田さん。山田吉次さん。貴方の経歴をざっと読ませていただきましたが、一切、格闘技の経験もなく、また、暴力事件やら、喧嘩すら経験したことも無い。弓術や、動物の解体などの経験も皆無。アウトドアの趣味もなく、単独ではろくにサバイバルをすることも出来ない。間違いありませんね?」
私が恐る恐る頷くと、芦屋は露骨に眉を顰めてこちらを視線で射抜く。
「退魔師とは、戦う仕事です。ある意味、警察官や自衛隊よりも危険な仕事かもしれません。殉職者も少なくありません。冷静に考えてみてください。今まで何の準備もしてこなかった人間が、いきなり、殺し合いの戦場に立って、生き残れますか?」
「…………芦屋は、私が死ぬと思うかな?」
「死にますよ、十中八九。これは、素人云々の話ではありません。例え、ここから技術を覚えて、経験を積み、退魔の術を覚えたとしても、きっと、貴方は遠からずに死にます。何故なら、貴方のような人を、私は六人見てきて…………そして、四人が死に、二人が重大な障害を負って、現役を退いたという情報を持っているからです」
余りにも、もっともな言葉だった。
芦屋の言葉は、年下の少女という先入観すら介する余地もなく、ストレートに私の心に届いた。どすりと、冷たいナイフで刺されたみたいに、『死ぬ』という言葉の意味を、否応なしに私へ教えてくれる。
「最後に、志望理由です。幼い頃の、夢だった? 退魔師が?」
そして、冷たい言葉のナイフで刺した後に、芦屋はぐいと私の胸倉を掴んで、強制的に屈ませた。
抵抗は出来ない。
大人と子供。男と女。そのような区分など意味を為さない程、私と芦屋の間には、大きな魔力の隔たりがあるからだ。
「――――舐めるな、一般人が」
「…………っ!」
はっきりと、こちらを睨みつけてくる目の中には、確かな怒りがあった。
黒曜石の如き瞳の中にある、ぐつぐつと煮えたぎったマグマの如き灼熱。これは明らかに、尋常ならざる物だ。
その怒りを受けて、私はまず恐怖し、次に疑問を浮かべ、最後に納得した。
確かに怒りは恐ろしい。けれど、何故? 退魔師の仕事を知らぬ、一般人のオッサンの妄言に対して、何故ここまで? どちらかと言えば、怒るよりも侮蔑した方が『らしい』志望動機だというのに。
「我々退魔師は、憧れてなるような職業ではありません。フィクションの中にあるような、華々しい活躍などありません。あるのはただ、血と泥に塗れて、延々と魔を退けるだけの現実です」
少し考えて、私は納得した。
怒りのさらに根底にある物を推察し、私は胸を打たれた気分になった。
ああ、なんて優しい子なのだろう、と。
そこでようやく、私の視界が、ふっと開ける。
「あの先にあるのは、栄光ではありません。恐るべき、魔物どもが跋扈する境界があるだけです。憧れで、魔と殺し合うなんて、まったく、馬鹿らしい」
芦屋が指さした先にあるのは、鳥居だ。
ここは、とある町の外れにある、小さな林だ。鬱蒼と木々が生い茂って、日の光を拒絶するような闇。その一歩手前に、その鳥居は神々しく在った。
山中にあるような、打ち捨てられたそれと違い、真新しく、赤の塗料も剥げていない鳥居。
それはまるで、人と人ならざる領域を隔てるように、そこに在る。
「さぁ、ここまで言えば、わかりますね? 山田吉次さん。ここは貴方が居るような場所ではありません。速やかに、お帰りなさい」
冷たく、無表情のまま、芦屋が私に言葉を告げる。
非常にもっともな忠告を。
ああ、今までの私であったのならば、この時点で大人しく帰っていたかもしれないね。何せ、人生は命あっての物種だ。困難な仕事や、面倒な人間関係にぶち当たったのならば、私は躊躇わず撤退を選べる人間だったのだから。
けれど、それは知らなかった頃の話だ。
知ってしまったのならば、もう、逃げようとは思わない。
「忠告ありがとう、芦屋。でも、私は帰らないよ」
「…………何故ですか? 意地ですか? それとも、もっと違う何かですか?」
無表情ながらも、苛立ちを隠せない芦屋へ、私は微笑んで言葉を返す。
「だって、子供が危険な場所に行くのにさ、自分は安全な場所に帰る大人なんて、社会人失格だろう? これは、意地とかそういう以前の。当たり前の話だよ、芦屋」
本音半分、建前半分の言葉を。
「…………まったく」
芦屋はしばらくの間、私の言葉を吟味するように沈黙すると、次の瞬間、無表情が崩れた。
無表情が崩れた先に在ったのは、心底、こちらに呆れ果てたという顔。
「ならば、消し去ることの出来ない恐怖を刻まれてから、後悔しながら消えなさい。かつて、貴方のような言葉を吐いた、元一般人たちのように」
もう、帰れとは言われない。
後悔しろ、という忠告は既に受けた。
私は、芦屋と共に、鳥居の向こう側へ踏み入っていく。
例え、その先にある物が後悔だけだったとしても。
他人の命が失われることに、真剣に怒る。そんなことが出来る優しい女の子を置いて逃げるなんて、まともな社会人のすることではないと思ったから。