第57話 恋せよ、人類。尊く在れ 2
「天宮さん、芦屋さん。特殊な魔人の討伐……いえ、拘束任務に就いてください。危険度、脅威度は限りなく低いですが、現状、その魔人に対する有効な攻撃手段が見つからないほどには、強敵です」
彩月曰く、退魔師の仕事を長くやっていると、常に例外を想定しなければならないらしい。何故ならば、異なる世界から侵入してくる魔物たちは、現世の影響を受けて、時折、新種が現れることもあるからだ。また、現世で誕生する異能者に至っては、それぞれが異なる強固な魔法を持ち合わせているのだから、セオリー通りに行かないことは多いのだとか。
ただ、今回、美作支部長が私たちに確保を命じた魔人というのは、例外の中でもさらに、例外が重なるほどの特殊個体らしい。
「美作支部長。現状、分かっている能力は? 負傷を受けなかったとはいえ、治明とエルシアちゃんのコンビから逃れられるほどの実力者なのでしょう?」
「そうですね。後で、詳しくまとめた資料は渡しますが、この場でも簡単に説明します」
何せ、治明とエルシアが逃した魔人だ。
かつて、私が窮地に陥った際は、複数体の魔人との戦闘状況にあったが、治明とエルシアのコンビならば、あの状況からでも順当に逆転が可能だろう。あの二人は連携も上手く、また、初見の相手だろうが、順当に処理できるだけの戦法を持っている。
普通に考えれば、脅威度ランクB上位の魔人相手でもなければ、逃さないと思うのだが、その場合、負傷ゼロで帰還して来るのは違和感があった。
「まず、魔人の行動ですが。対象は受肉しており、都市部を根城として行動しています。ただし、行動範囲での死者、行方不明者の報告はありません。魔術を使用した痕跡はありますが、ごくごく微弱。一般人相手にどのような細工を仕掛けたのかは分かりません。最悪を想定すれば、一般人を洗脳して、盾に使って来る可能性もあるのでご注意を」
「了解。さて、テルさん? 一般人を盾にするだけの知能を持った相手との戦い方は?」
私が考えこんでいると、彩月がこちらに質問を投げかけてくる。
これは、まだまだ未熟な私に対して、先輩である彩月が行っている指導の一環だ。何気ない会話の途中や、日常動作の合間に、投げかけられてくる質問を的確に答えること。答えることが出来なければ、後々、訓練内容が増加するという仕組みとなっている。
察するに、とっさの判断力を養うための訓練であり、後輩としては、日常の合間でもきちんと指導してくれる先輩はありがたい。
「一般人の避難を優先。常にツーマンセルを意識。人質に取られた場合は、片方が注意を引いている内に、『天罰術式』を申請すること」
「よろしい。受け答えの様子も、中々退魔師らしくなって来たわね、テルさん?」
「先輩のご指導の賜物です」
「ふふふっ、なにそれ、変なの」
なので、私は真面目な表情で受け答えをするのだけれども、どうにも、それが彩月のよくわからないツボに入ってしまったらしく、やや、ウケられてしまう。以前は畏まると怒られたのだが、現在では畏まった態度を取る度に、妙な笑いのツボを押してしまうのだから、先輩と後輩の正しいコミュニケーションというのは難しい。
もっと、こう、仕事中はピリッとした関係でありたいのだけれども。
「こほん。芦屋さん? 指導はよろしいですが、今は上司から指令を受けているところでは?」
「おっと、失礼しました、美作支部長」
「よろしい…………まぁ、過去にあれほど尖っていた貴方が、ここまで柔らかくなれたのですから、多少は大目に見ましょう」
「は、反省しますので、美作支部長、その話は、テルさんの前ではちょっと……」
珍しく、恥ずかしそうに顔を赤らめる彩月。
おやおや、どうやらこの二人の関係というのは、私が想像していたドライでビジネスライクな物よりも、温かい物らしい。
考えてみれば、正しくないことがあれば平然と、誰にでも噛みつき、誰かの命を守ろうとする彩月が、きちんと大人しく従っている時点で、美作支部長に対する信頼が伺えるという物だ。まぁ、二人とも、仕事の時はほとんど仏頂面なので、こういう時でも無ければ、全然、双方向の感情を察することが出来ないわけだが。
「そうですね。では、話を戻しましょう。一般人を盾にするのならば、我々には『天罰術式』があります。ただし、今回の相手に対して、効果があるかは不明です」
「天罰術式が通じない可能性がある? 機関が秩序の番人たる由縁である、大規模術式が?」
美作支部長の言葉に疑問の声を上げる彩月だが、私も同じ気持ちだ。
天罰術式。
それは、退魔機関が裏側から統治する地域に於いて、発動することが可能な術式である。内容は、『力なき一般人に対して、力ある者が害を与えた場合、それを罪として、罰を与える』という物。
対象は、魔物だけではなく、人も含まれる。
条件は、力無き者―――いわゆる一般人に対して、害を及ぼす行為を申請者が確認することだ。一見、緩そうに見えるかもしれないが、この条件は割と厳しい。
例えば、何の力もない一般人だった相手が、魔物の干渉によって、魔力操作を覚えて、力を得てしまった場合、一般人でなくなるので、申請は通らない。また、現行犯のみ術式を発動できるので、過去の所業まで遡って術式は発動できない。
ただし、発動すれば、罪の大きさに比例して、『対象の魔力を封じる枷を与える』という攻撃が為されるので、効果は絶大だ。
ふむ、融通が利かない分、効果が強力である天罰術式は、例え、脅威度ランクA相手でも、ある程度通じるというのに。それが通じない相手とは、一体?
「報告によれば、土御門さんの炎すら通じず、すり抜けるようにして攻撃を受け付けなかったそうです」
「治明の炎が!?」
美作支部長の言葉を聞き、彩月よりも先に、私が驚きの声を上げてしまった。
何故ならば、治明の炎は、同類殺しの炎。魔力を燃料に、魔力を焼き払う特性を持った強力な能力だ。混血による伝承魔術であるというのに、異能ほどの強度を持った魔法なのである。今までの強敵相手だったとしても、まったく通じないということはなく、むしろ、脅威だからこそ魔力の不燃性を高めたり、防御に対してかなりの意識を割くことを強いらせることが出来る能力であるはずなのに。
「この報告から、我々機関は、この魔人は極めて特殊な防御術式……あるいは、無敵属性を得ているのだと推測しました。幻像を操り、本体は別にいるというパターンも検討されましたが、現場の痕跡を解析した結果、それは無いだろうという結論にあります。ただし、攻撃しないのか、出来ないのかは不明ですが、魔人は土御門さんを始めとして、我々退魔師を傷つけようとはしません。魔力の発動痕跡と、微弱な干渉を受けたとの報告はありますが」
「一般人に対してだけでなく、退魔師にすらも、何かしらの魔術を発動させた痕跡はあるけれど、魔力を奪ったり、傷つけたりしているわけでもない、と?」
「はい。この点から、機関上層部は、脅威度は最低であるが、何がきっかけで最高にまで反転するか分からない異分子として、この魔人を警戒しています」
私の問いに頷き、美作支部長は機関の方針を詳しく説明する。
「現状、相手がどのような仕組みで我々の攻撃をすり抜けているのか、分かりません。故に、対応力に優れる貴方たちが派遣されることになったのです。対象は、可能ならば捕縛をお願いします。捕縛後、その仕組みを解析し、対策するためにも必要ですので。しかし、危険を感じたのであれば、討伐に移行してください」
なるほど。確かに、耐性獲得の異能と、後手必殺の異能の二つを持つ私と、結界術に優れる彩月ならば、この手の得体の知れない相手に対して挑むのであれば、適任だ。
今こそ、他の退魔師たち――子供たちの盾に成る時だと、私は密かに奮起する。
「了解です」
「了解…………それと、美作支部長。質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ、芦屋さん」
「魔人と交戦した時、何かしら対象の動機を知ることは出来ませんでしたか? 知能ある魔人ほど、ただの捕食よりも、何か別の目的…………そう、『使命』とも呼ぶべき動機を持っていることが多いので。何かしら、言動から察することが出来た情報はありませんでしたか?」
奮起していた私であるが、隣でペアである彩月が紡いだ問いに、はっと己の未熟を思い知らされた。そうだ、後から資料で情報を得られるとしても、この場で、上司である美作支部長から得られる言葉も大切なのだ。
ひょっとしたら、我々とは違う角度で、魔人についての見解を得られるかもしれないのだから。
「…………これは、あくまでも立ち会った退魔師たちの報告であり、魔人側の偽装の可能性があることも考慮して、聞いてください。未知の防御術式を使い、精鋭の退魔師たちから逃れた謎多き魔人、本人曰く、その目的は」
美作支部長はそこで一旦言葉を区切り、珍しく無表情を崩してから言葉を紡いだ。
「世界中が愛で満ちるように、より多くの人類を恋愛させること、だそうです」
「「……へっ?」」
その表情は、とても不可解な何かを見つけた時のような、疑問に満ちた物で、恐らく、私たちも今、同じような顔をしているのだろう。
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片理水面は、布団の中で呻いていた。
「う、うううう…………怖いよぉ、何なの? あれ?」
がくがく、ぶるぶると、恐怖によって身を震わせて、布団の中で恐怖に震えていたのである。
何故? 水面がここまで恐怖を覚えて、平日の朝から体調不良を装い、会社を休んだのか? それは偏に、非日常的な戦闘を体験したからこそ、だ。
『そのように怯えなくても、大丈夫ですよ、水面。私と貴方が生み出した混合魔術であるのならば、誰の刃も届くことはありません』
震える水面を落ち着かせるように、水面の脳内で別人……否、別物の声が聞こえてくる。
本来であれば、過度の恐怖による妄想を疑うところだろうが、水面は普通にその声に対して、言葉を出して抗議した。
「だからと言って、怖い物は怖いんだよ!? 丸焼きにされそうになって、とっても怖かったし! ワイルド系イケメンに殺意を向けられて、内心ではチビってないか心配だった!」
『あらあら』
何故ならば、その声はもう一人の水面自身であるのだから。
多重人格、というわけではない。水面は死の淵から蘇った際、異界から召喚された高位の淫魔と合体。完全に魂が混ざり合ったので、人格すらも統合されて、一つの意思の下に肉体は動くようになっている。
よって、現在の会話は高度な自問自答であり、疲れ切った会社員が、ぬいぐるみを片手にやる精神安定のお芝居みたいな物だ。
「何なの!? あの、怖い人たち!?」
『私のような存在も居るのだから、当然、それを取り締まる存在も居て当然ですね?』
「割と、最初から殺しに来てなかった!?」
『基本、私のような存在は人間にとって害悪ですし』
「悪いことしてない! 悪いことしてないのに!」
『問答無用で攻撃するのは、実際、有効ですから困ります。でも、安心しなさい、水面。私たちに暴力が届くことはありません』
「…………でも、身元がバレたら?」
『とても不味いので、正体は出来る限り明かさないように』
「うぼぁー」
特別な存在として新生した水面であるが、だからと言って、つい先日まで普通のOLだった一般人が、退魔師たちと戦って平然と出来るわけがない。
そう、例え、攻撃全てが当たらず、水面をすり抜けるだけだったとしても、とてつもなく精神的に宜しくないのだ。何故ならば、人は他者から害意を向けられるだけで疲労し、気分が悪くなる物。まして、殺意に近しい感情をぶつけられたのならば、元一般人としては精神がやせ細っても仕方ないだろう。
まぁ、世の中には元一般人でも、肝の据わり具合がおかしい奴も居るが、それはそいつが異常であるだけなのだ。比べてはいけない。
「うう……予想外だった……自分の住んでいる世界はもっと優しい物だと思っていた……非日常系ほのぼのライフが待っていると思ったら、ガチガチの異能バトルじゃん……」
『そうですね。私たちが生み出した混合魔術は、特定条件下ならば絶大な効果を発揮しますが、完全無敵ではありません。いずれ、この魔術の対処法を生み出す存在も居るかもしれません。だったら、どうしますか? 水面? 今ならば、使命を諦めるのであれば、何不自由なく、今まで通りに平穏に過ごせますよ?』
「…………それは、嫌だ」
けれども、水面もまた、元一般人でありながら、その精神は平凡から逸脱している。
戦うことにも、死ぬことにも、当たり前に恐怖を覚える水面であるが、それ以上に、水面の精神に宿った使命が、己の肉体を突き動かしていた。
「この世界を、一つでも多く、愛で満たす……そのためならっ!」
がばっ、と包まっていた布団を蹴飛ばして、水面は起き上がった。
その目にはもう、怯えの色は無い。
「私は悪魔にだって、なってやる!!」
一度死を迎え、尋常ならざる使命に覚醒した水面は、恐怖では折れない。何度も躓くこともあるだろうが、その度に乗り越えて、己が使命を再確認するだろう。
何故ならば、彼女こそが『愛の使徒』であり、魂までカプ厨で染まった生粋の馬鹿なのだから。
『まぁ、悪魔というよりは、淫魔カテゴリですが』
「やっぱり、淫魔って名乗りにくいよ!?」
『おっと、自己否定』
こうして、片理水面は己が使命を突き通す。
その信念が、恐るべき怪物との激突に繋がるとも知らずに。
 




