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第56話 恋せよ、人類。尊く在れ 1

 片理へんり 水面みなもは、カプ厨のOLだ。

 普段はバリバリと仕事をこなすキャリアウーマンとして、会社で頼りにされているが、一度、自宅に帰ると己の欲望を思う存分、解放する。

 男女の恋愛の他にも、薔薇や百合などを問わずに、誰かと誰かがくっつく恋愛を尊く思い、様々な作品の二次創作小説を投稿するほどにはカプ厨だ。

 いや、その活動はもはや、フィクションだけでは留まらない。

 幼少の頃より、水面は周囲の恋愛事情に耳聡く、常にアンテナを張り巡らせていた。何のために? 無論、幼さ故の意地悪さ、無邪気な悪意によって恋愛の芽が摘まれないようにするためである。

 そのため、幼少時から様々なカップルを誕生させ、何度も友人の結婚式に出た水面は、何時しか、周囲からは恋のキューピットとして有名になっていた。


「誰かと誰かの想いが結ばれる時、私は幸福を感じるんだ」


 ちなみに、この発言は高校時代に親友たちからドン引きされた水面の一言だ。

 そう、控えめに言って、水面はちょっと頭がおかしかった。まだ、恋愛模様を傍から眺めて、『尊い、尊い』と呟くだけならばいい。フィクションに埋没して、好きなキャラクターの組み合わせを妄想するだけならばいい。

 だが、水面はそれだけでは満足できなかった。

 正確に言うのであれば、恋愛以外の事情によって、両想いの二人が引き裂かれるというのが大嫌いだったのである。そして、恋愛が無惨に散るのを防ぐために、覆面を被って原因となる相手に襲撃を仕掛けるぐらいには頭がおかしい。


「恋は恋によって終わるべきだ! それを大人の事情やら、理不尽な悪意やらで、散らせるわけにはいかない!」

「だからと言って、金属バット片手に襲撃は犯罪だよ?」

「バレなきゃ犯罪じゃない!」


 行動の過激さによって、周囲からはドン引きされることも多かったが、なんだかんだで、彼女によって幸福を受け取った者たちも少なくない。なので、水面は慕われていた。多少、暴走する気はあるものの、無事に擬態の皮を被り、真っ当な社会人を送れる程度には成長し、我慢という行動も覚えたのだろう。

 時々、羽目を外すこともあるものの、水面はこれからもカップルたちを応援しながら、日々を楽しく過ごしていく…………そのはずだったのである。


「アンタ、他人の恋愛ばっかり応援してないで、少しは自分のことを考えたら?」

「うぐっ!」


 ある日、水面は唐突に背後から刺された。

 信頼していた家族……母親からの一撃だった。もちろん、実物のナイフではなく、言葉のナイフであるが、言葉のナイフだろうが、急所を抉る一撃は、水面を悶絶させるに相応しい一撃だったと言えよう。


「アンタもさぁ、もう、二十六歳だろ? きついよ? 言っておくけれど、男は身勝手だよ? 自分はいつになっても二十代の女と付き合えると思っている癖に、女性が三十代を過ぎると、対応が全然違って来て――」

「そんな男とは結婚しないもん! 年老いても綺麗だって言ってくれる人が良いもん!」

「ばっか、そんな男が居るかい。年老いたら、『くたばれ、ババア』と言ってくる奴ばっかりだよ。まぁ、アタシも『さっさとくたばれ、ジジイ』って応えるんだがね」

「くそっ! 両親の惚気とか、流石の私でも辛いものがあるよ!」

「実の娘に萌えられなくて良かったよ。ともかく、そういうちゃんとした男と結婚したいなら、まずは恋人を探しなさいな、恋人を」

「ううう……」


 実の母親からの言葉は、冷たいナイフでめった刺しにされたような精神的なダメージを、水面に与えた。

 そうなのだ。水面は幼少の頃より、他者の恋愛を応援し続けて、もはや、下手な婚活サイトに登録するよりも、水面に相談した方が、結婚率が良いというほどにはプロフェッショナルなのだが、代わりに、自分の恋愛はダメダメだった。控えめに言ってもゴミだった。

 何せ、二十六歳である水面は未だ、初恋すら経験していないのだから。


「ういー、ひっく…………婚期が、なんだぁー!」


 水面は普段、酒は嗜む程度。溺れるほど飲むことは無いし、酩酊して、足取りがおぼつかなくなるまで飲むなんてあり得ない。

 ただ、その時は酷く心に傷を負ってしまったので、痛飲し、ふらふらと揺れる路面の上を千鳥足で歩いていた。問題はない。いくら飲み過ぎたといえど、マンションは近い。少しばかり、気持ち悪すぎるので、エレベーターではなく、階段で、自分の部屋まで登らなければならないが、体力はそれなりに自信がある。

 だから、問題なかったはずなのだ。


「あっ?」


 マンションの階段から、足を滑らせて転び、後頭部を強かに打ち付けるまでは。

 まずい、という予感が水面の背筋を伝った。明らかに、『いったぁーい!』で済ませられるような音では無かった。『ごつん』ではなく『ごぉんっ!!』である。こちらの命を奪う可能性もある衝撃音が、頭の内に響いたという実感があった。


「…………っ!」


 しかも、動けない。

 ぐるぐると歪む視界の中で、それでも手足を動かそうとするが、びたびたと、死にかけの魚みたいな反応しか返さないのだ。加えて、その反応も徐々に弱まっていく。じんわりと頭部に感じる温かみが広がっていき、腹の底から冷たい感触がせりあがって来る。

 死ぬ。

 二十六年生きてきて、水面が死を本当の意味で感じたのは、この時が初めてだった。

 ぐるぐると歪む視界のなかで、脳裏に過るのは、水面の人生を圧縮した走馬灯。

 胸に渦巻く感情は、『死にたくない』という原初の想いと、『両親や友達が悲しむ』という真っ当な不安。

 そして、何よりも――――――もう、誰のカップルも推せないという事実が、水面の胸に重く圧し掛かっていた。


「…………る、か」


 本来であれば、致命傷を負った一般人にもはや抗う術は無い。

 だが、この時、死の間際に感じた水面の無念が、巨大なる魔力を発生させて、死に抗おうとする。いわゆる、火事場の馬鹿力みたいな覚醒事例が、水面の身に起こっていた。


「し、ね、る……かっ!」


 それでも、この死を回避するには、まだ足りていない。

 致命傷を受けたとしても、頭部が無事ならばあるいは、自己回復系の異能に覚醒し、事なきを得るかもしれないが、脳の損傷はまずかった。

 何せ、脳は体の動きを統括する器官である。それがダメージを受けているのならば、どれだけ魔力を発生させたとしても、異能として形を結ばずに霧散してしまうだろう。

 だから、どれだけ水面が想いを込めて叫び、魔力を生成しようが、死期を僅かなりとも長くするだけの無意味な行動に過ぎない…………そのはずだった。


『聞こえましたよ、貴方の熱い想い』


 水面の叫びに応えた者が居た。

 それは、人ならざる者だった。

 魔物と呼ばれる存在であり、けれど、知能を有するほどの理性を持った何か。

 それは、死にゆく水面へと優しく語り掛ける。


『死の間際でも、他者の愛を想うその心…………失うのは惜しい』

「あ、なた……いった、い……?」

『もはや、名乗る時間もありません。故に、これだけ問いましょう。例え、人ならざる者に成り果てたとしても、その想いに偽りはありませんか?』


 水面の歪んだ視界には、真っ白なワンピースを着た何かが、少女の声で語り掛けているということだけは分かった。

 これが、天使の声かもしれない。

 あるいは、死に際に契約を持ち掛ける悪魔の類か?

 ――――どうでもいい。この時を生き延びて、再び、尊いものを崇めることが出来るのならば!


「ある、わけが、ない……っ!」

『よろしい。認めましょう…………貴方が、私と共に在るに相応しい存在であることを』


 そして、それは叫びに呼応するように頷くと、その姿が段々と近づき、やがて、水面の肉体と完全に重なり合う。


『境界を越え、宿命を覆し、今、ここに一つの奇跡を為す――――魂魄混合! 淫魔合体!』

「淫魔合体!!?」


 水面が強かに頭を打ち付ける数時間前に、一つの大規模召喚が起こった。

 龍脈の活性化さえ起こし、本来であれば、脅威度ランクAの魔神に相当する大物が召喚されるはずだった。いや、実際に召喚はされたのだ。けれども、召喚された存在は、伝承や逸話と比べて、遥かに人類を愛し、傷つけることを嫌う存在だったのである。

 故に、召喚された存在はその場を逃げ出し、そのまま、魔力不足で消えるという己の宿命を受け入れた…………そのはずだった。水面と出会うまでは。


『大丈夫、怖くありません、片理水面……私たちは今、一つになるのですから』

「ねぇ、淫魔って! ねぇ、淫魔って言ったよね!? ねぇ!!?」


 消えるはずだった高位の魔物は、志を同じくする者を見つけ、その身を捧げて魂ごと融合する道を選んだ。

 適合するかどうかは、正直、賭けだっただろう。

 しかし、その魔物には確信があった。きっと、この女ならば、片理水面という重度のカプ厨ならば、きっと応えてくれると。


「…………これは、この、力……この感覚……そうか、今、全てが分かった」


 そして、ここに奇跡は成った。

 本来、どちらかの魂がどちらかを塗りつぶすことでしか存在出来ないはずの二つが、混ざり合い、互いの要素を継承した生命体として新生したのである。


「世界は! 愛に! 満ちている!!」


 これが、後に『半魔』というカテゴリを生み出すことになった、特殊指定脅威存在の誕生であり――――はた迷惑なカプ厨が跳梁跋扈することになったきっかけだった。



●●●



 後から思えば、異変は少しずつ現れていたと思う。

 例えば、珍しく治明とエルシアのコンビが、出没したという魔人を取り逃がした事。

 例えば、いつもは気を利かせて、治明のみを事務所に戻すエルシアが、その時は一緒に事務所へ戻って来た事。


「主様は、ワタクシのことをどう思っているのですか?」


 ――――例えば、エルシアが今までの関係から、一歩踏み込むような発言をしたこと。

 これらの異変は、明らかに何かしらの兆候であったのだが、その時の私たちには残念ながら、それに気づくだけの余裕は無かった。

 何故ならば、エルシアが踏み込んだ発言をした時、事務所内に居るのは、私とエルシアと治明の三人のみ。そして、その内の二人が当事者の問題が発生したのだから、残りの一人である私としても、思わず、羊羹を食べ進める手を止めてしまうほど驚愕していた。

 よって、私はその場がどう動くのか? というのを見定めるので忙しく、余計なことに思考を費やす余裕が無かったのだった。


「どう思うって、そりゃあ…………頼りになる相棒だと思っているぜ?」

「そうじゃ、ないのです……違うのです」

「えっ?」


 エメラルドの如き瞳を潤ませて。

 真っ赤に頬を染めて。

 必死な表情で見上げるエルシア。

 対して、治明は冷や汗を首筋に流れさせて、思わず、後ずさりをしている。

 無理もない。薄々予感はしていたとしても、あまりにも唐突な出来事だったのだ。予兆があったならばともかく、ふとした世間話の次いでみたいな間の空気から、居合斬りもかくやという踏み込みで勝負をかけられたら、普通はたじろぐ。


「女の子として……異性として、どう、思っているのですか?」


 加えて、さらに一歩踏み込んで、ぎゅっと手を握られながら尋ねられれば、流石の治明も肝を縮めさせるのは仕方がない。

 実際、これはどう答えても、エルシアを傷つける未来しか生み出さない質問だからだ。

 真実を話せば、エルシアは傷つく。

 虚偽で上手く誤魔化すような真似は、治明は選べない。

 手詰まりであり、絶望がそこにはあった。


「…………それは、だなぁ」


 なので、治明が私に対してちらりと視線を向けて、助けを求めるのも仕方ないことなのだろう。うむ、普段世話になっている分、ここで働かなくては。


「エルシア」

「何ですか? 腐れ野郎。ワタクシは今、忙しくて――」

「抜け駆けをするとは、君は実に強かだね。うん、思春期の子供っぽくて実に素晴らしい。どんどんやりたまえ」


 私は、治明以外何も見えていない! という状態のエルシアに対して、冷や水の如き言葉をかけることにした。そう、私が知っている限り、その手の想いや衝動は、熱しやすいが、その分、冷めやすい。

 事実、エルシアも言われた当初はぽかんと目を丸くしていたのだが、段々と顔から血の気を引かせると、正気を取り戻したかのように首を横に振った。


「ち、ちがっ! ワタクシは……こんな、つもりじゃあ……っ!」

「ちょっ! エルシア!?」


 その後、エルシアは混乱したようにその場から走り去り、治明もまた、その後を追って走り出す。

 きっと、治明が追い付いて何とか場を収めることは出来るだろうが、一応、心配なので彩月にメッセージを送って、フォローを頼んでおくことにした。


「しかし、妙だね。エルシアが己の恋心を自覚するにせよ、それを言葉に出すのはもっと先だと思っていたのだけれど……ふむ」


 ここで、私はようやく起こった異変について違和感を覚え始める。

 仕事の失敗。精神の不安定。

 これは、ひょっとして何か繋がっているのではないか? と。


「…………まぁ、命の危機は覚えないから大丈夫か」


 ただ、私は割と勘が鋭い方なので、ここで油断してしまった。命の危険特有の、嫌な予感がしないから、さほど害のある問題だと認識していなかったのである。

 この判断が後々、私の進退を決定してしまうとも気づかずに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あ~これは大変なことになりそうですねぇ( ˘ω˘ )!
[一言] >特殊指定脅威存在の誕生であり――――はた迷惑なカプ厨が跳梁跋扈する  …………(  Д ) ゜ ゜  跳梁跋扈!?  ここで、最終的には倒さないで放置される結末の可能性を示唆!? >…
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