第55話 幕間:天宮照子の学校生活
「天宮さん、テストどうだった?」
「赤点は回避したよ」
「ほほう、どれどれ…………あー、裏切ったぁ!? 普通に平均以上じゃん!」
「夏休みを補習で使うわけにはいかないからね。私は、第一週目で課題やらなにやらを終わらせてから、思う存分バカンスを楽しむタイプ」
「でも、そうしたら、夏休み明けの実力テストで苦労しない?」
「(聖女の微笑み)」
「あっ、成績に関係しないテストなんて、勉強する気ねぇぜ! という顔だぁ!」
女子高生…………というか、高校生は結構大変だ。
無論、社会人とどちらが大変か? みたいな比較は意味を為さない。学校生活の大変さと、社会人として働く上での大変さは異なることもあるし、人間関係で苦悩する者にとってはどちらも似たような物だろう。
いや、マジで大人になったからと言って、中身が成熟しているかはまた別なのだ。
精神年齢が低めの私と同様に、中高年にもなって小学校低学年みたいな理由で機嫌を悪くして、職務を放棄する大人も居るからね。
成人したからと言って、立派な人間になれるとは限らないのだ。
まぁ、美少女に戸籍転生して、こうしてきゃいきゃい女子の中で戯れている時点で、私はどうこう言える立場では無いのだけれど。
「ねぇねぇ、天宮さん! 体の調子はもう大丈夫!?」
「大丈夫だったら、夏休み前にプールに行こうよ!」
「天宮さんが居ると、イケメンが釣れるんだ!」
「「この正直者(馬鹿)の言葉は一旦、忘れてください」」
「でも、天宮さんが居ると、確実にイケメンの視線が奪われるよね?」
「「この正直者ォ!!」」
ともあれ、一旦、大人になった私からすれば、まったく逆ベクトルのスクールライフを送ることになってしまった現在は割と大変であると認識している。
一応、社会人としての皮を被ることに加えて、美少女フェイスによって、大分クラスでの立ち位置は悪くないところにあるのだが…………そうなってくると当然、付き合いも増える。
こうして、クラスメイトの女子に遊びへ誘われるのもその一環だ。
「…………うーん」
私はその誘いに対して即答せず、微笑みながら悩む素振りを見せる。
イエスでもノーでも、即答はいけない。私は現状、クラスメイト内で特に親しい友達を作らず、何処のグループにも属さないマスコット的な存在だ。どこかの勢力に肩入れが過ぎれば、それは歪みを生み、いつかの滝藤さんのようにいじめ……あるいは、その前段階の問題が発生するかもしれない。
もう、かつての冴えない男子学生だった頃の私とは違うのだ。
異様なカリスマを持つ美少女なのだから、発言には気を遣わないといけない。
「プールはちょっと……カラオケとか、ショッピングとかは喜んで付き合うけど……」
「えー? なんでー? いいじゃん、熱い時はプールで遊ぶに限るよ?」
「あっ、ひょっとしてダイエットに失敗したの? そんなの気にしなくても…………うん、気にしなくてもいいのに……そう、二キロぐらい誤差……」
「むしろ、見られることを意識することによって痩せるのだ!」
様々な打算込みでも、割と無邪気に私を誘ってくれるクラスメイトの女子に対して、私は様々な建前を考え、どれが一番、角が立たない断り方であるかを考える。
「…………だって、皆と一緒に着替えるのとか、恥ずかしい」
考えた結果、結局、素直に本音を言うことにした。
それなりの時間、女子高生として過ごした私であるが、あからさまな取り繕った発言よりも、何故か、こうした素の反応の方が波風立たないから困る。
「おー? なんですかー? ぶりっこですかー?」
「恥ずかしがり屋の私、可愛いでしょ? ってか! このアマ! 実際、めっちゃ可愛いから困るわ!」
「男子に対しては割とぞんざいに対応する癖に!」
「女子に絡まれると、急におどおどして、恥ずかしがり屋になって、もう!」
「貴方に性癖を狂わされた女子がどれだけいると思うの!?」
なお、こういう受け答えをした際、大抵、クラスの女子に抱き着かれたり、もみくちゃにされてしまう。
うん、困るね。この肉体になって、性欲が極端に少ない性質を得て居なければ、毎日大変だったかもしれないね? いや、現状でも結構大変だよ。だって、女子高生の柔らかい体が、完全無防備で抱き着いてくるのだ。かつて、アラサーのサラリーマンであった時の名残から、『犯罪者! 犯罪者!』と良心が痛む。
「可愛い奴めー」
「こうしてやるー♪」
「恥ずかしがり屋だからこそ、プールに行くべきだよー、ほれほれー」
ただ、思いっきり拒絶してしまえば、彼女たちの親しみや善意を否定してしまうことになるし、嫌がり過ぎるのも禍根を残しそうなので、結局、私はされるがままに抱き着かれることが多い。フリーハグ状態だ。しかも、女子間では割と好評である。なんというか、この肉体は伊達に天照の肉体になる予定の物ではなく、抱き着くと太陽パワーで誰かの気分をすっきり爽快にさせるのだ。
正確に言えば、心の闇を祓うという表現が正しい。
思春期の女子高生たちは、私では分からない悩みや苦しみを抱えていて、何かしらのストレスを感じていることもあるだろう。そういう時、私を抱きしめると気分が落ち着き、段々と心が上向きになって来るのだという。
ここまで言われてしまえば、私としてもハグを断るわけにはいかない。
例え、彩月や治明から微妙な顔をされることになったとしても、私にはハグされる義務があるのではないか?
「夏休みはバイトで忙しいんでしょー?」
「だったら、皆で遊ぼうよー」
「え? 何、遊びに行くの?」
「混ぜろ、混ぜろ」
「わぁ、増えた! 天宮ちゃんの引き立て役が増えたな!」
「この正直者ォ!」
「アンタだって、水の抵抗が少ない肉体でしょうが!」
「需要! 需要!」
「ロリコン相手に需要があってどうするの!」
「男は皆、ロリコンって聞いたもん」
「ちょっと男子ぃ! 聞き耳立ててないで、意見を言ってよ!」
『『『無茶言うな』』』
いや、やっぱり駄目だわ。
義務とかでも駄目だわ。その内、やんわりと断ったり、個別で効率よくハグしていく方法を見つけないと駄目だわ。
少なくとも、気を抜くといつの間にか女子間でハグのリレーやら、密集隊形で女の子の柔らかさと匂いに包まれるのは避けなければならない。
消えかけていた性欲を思い出して、むらむらしてしまう。
「んもう、落ち着いて、皆……分かった、予定が合えば、プールには行くから……」
「言質取ったぁ!」
「一緒に水着を選びに行きましょう!?」
「日焼け止めも忘れずに!」
「質の悪いナンパ男の股間を潰すためのペンチも忘れないようにしましょう」
「えー、凶器の持ち込みは制限されるから、やっぱり手首のスナップを利かせた『玉潰し拳』がいいよぉ。例え、一人が止められても人数差で連撃が可能だから」
「やめなさい! 前に一度、ナンパ男の玉を砕きすぎて『ナッツクラッカー』の異名を貰ってしまった中学生時代を忘れたの!?」
しかし、女子間の物騒な会話を聞いて、性欲はすっと無くなった。
既にないはずの玉が縮み上がる気配って、何だろうね? 幻想痛ならぬ、幻想ヒュン?
ともあれ、慕われているのは悪い気はしない。
着替えの際は出来るだけ素早く終えて、更衣室から出ていくことで対応しようか。
…………なお、着替えという羞恥プレイからは即座に脱したものの、濡れた水着で女子に囲まれて抱き着かれるという未来が待ち受けているのだが、この時の私は知る由も無かった。
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突然であるが、彩月は嫉妬深い人間だ。
普段はクールな態度を崩さない彩月であるが、その内面の一部がよくあらわれるツッキー状態になると、とても構ってガールになる。
いや、少し柔らかい表現を使い過ぎたのかもしれない。
「ボクのグレさんに抱き着いた奴ら、全員、三時間はトイレから出られない呪いをかけてやる」
「およしなさい」
「ボクの……ボクだけのグレさんなのにぃ」
「独占権を主張するんじゃない」
「だって、だって! グレさんの好感度一位はボクじゃあないですか!」
「そうだね」
「ボクのために生きて、ボクのために死ぬ感じじゃないですか!」
「何様だ、おい」
「貴方の嫁です!」
「まだ交際にすら至っていない」
「でも、ラブラブですよね!! ね!!!?」
彩月は時折、こういう発作が起きることがある。
ツッキーというハンドルネームでチャットをしていた時もそうだが、妙に私が周囲の仲間と仲良く掛け合いをしたりすると、めらめらと嫉妬の炎を燃やしてしまうらしい。
チャット時代は、文字だけでしつこくこちらに絡んだり、セクハラやらモラハラをしたりするだけだったので、こちらが受け流せば無害だった。しかし、現実で互いの連絡先を知り合っているとなると、問題は少しばかり深刻になってしまう。
具体的に言えば、仕事終わりに私を拉致って、『今日は一緒の布団で寝ないと盛大に拗ねますよ!?』と脅してくるのだ。もう既に、その時点で大分拗ねていると思う私であるが、これ以上拗ねられると最悪、押し倒し事件が再来する可能性もあるので、要求の一部は受け入れてやらねばならないのだ。
「ツッキーのそういう面倒臭いところ、嫌いだけど好きだよ」
「?????」
「ともあれ、いい加減、放していただきたい」
「やだ」
「夏だよ? もうすぐ夏休みだよ? なんで、こんな密着し続けて、汗だくにならないといけないのかな?」
「…………」
「無言でクーラーの温度を下げると、また君のお母さんに怒られるよ?」
「……ふん! いいんです、あんな人」
「私としては、それ以前にこの状況を叱って貰いたいところ」
なので、仕方なく私は彩月に後ろから抱き着かれるという状態を一時間ほど維持している。
うん、クーラーが効いた和室に居るわけだけれども、それを差し引いても暑い。なんかもう、彩月なんかは完全にシャツの前が汗で透けて、下着が丸見えになっているというのに、放そうとしない。
私の汗と、彩月の汗が混じって、ついでに体臭も混じってよくわからないことになって居る。
念のため、仕事前に性欲を減退させる薬を飲んでおいてよかった。封印の影響を受けている今ならば、多少の効果はあると思ったが、そのおかげかプラシーボ効果か知らないが、私の理性はこうやって無事に保っているのだから、問題ない。
「じゃあ、悪い子らしく、もっと悪いことをします。ぺろっ」
「ひんっ!?」
訂正。
問題が発生した。
私の首筋に流れる汗を、彩月がぺろぺろと舐め始めた。これは駄目な兆候だ。暑さの所為か、情欲の所為かは知らないが、目がとろんと理性を失い始めている。
「こらっ!」
なので、こういう時はきちんと叱ってやらなければならない。
こういう時、甘やかすと彩月は駄目になるというのは、ツッキーで実証済みだ。むしろ、怒られたくてやっている節すらある。
「…………うう、ごめんなさい…………つい、グレさんの味を確かめたくて」
「素直に気持ち悪いからやめなさい」
「でも! だったら、この気持ちの昂ぶりをどうすれば!?」
「TRPGのセッションする?」
「やるぅー!」
彩月のテンションがおかしい。
いや、私がグレだと分かってから、妙に情緒が安定しない気がする。理由の一端というか、大部分は恐らく、私がきちんと彩月の好意に応えないことに原因があるのだが、応えたら応えたで、確実に依存ルートに行ってしまうから困る。
親友なのだから、彩月にはちゃんとした人生を歩んで欲しい。
…………ここで気軽に、私が責任を持って彩月を守る、なんて言えればいいのだけれども、生憎、私には予感がある。一度死んだからこそ、分かる予感が。
私は、これから死に近しい戦いを何度も乗り越えていかなければならない、という予感が。
退魔師は誰でもそうかもしれないが、死に近しい私が、未来ある若者を縛り付けたくない。それが、親友ならば尚更だ。
「ルルブ持ってきますね! 二人用シナリオの準備は!?」
「この端末の中にシナリオは既に」
「さっすがぁ! 今日は寝かせませんよ!! 長時間セッションしましょう!」
「流石に、二人用でそんな長時間セッション作らないよ」
…………でも、それでも、彩月の笑顔を見ていると思ってしまうのだ。
強欲にも、身の程知らずにも。
この子と共に、未来を迎えられたのならば、どれだけ幸福だろう? と。
「じゃあ、今度はボクがGMをやるのですよ!」
「おお、楽しみだね、それは」
故に、そろそろ私も覚悟を決めなければならない。
エルシアにあれだけ偉そうに言ったのだから、自分がまず、決断すべきだ。
痛みを伴う、未来を選ぶための決断を。




