第54話 幕間:エルシアの芽生え
私は、魔物を使役するタイプの後衛との相性が悪い。
理由は簡単。
敵対者を攻撃せよ、という命令よりも、しばしば私に対する殺意の方が上回ることが多いからだ。
何せ、式神たちに絶大な信頼を寄せられている彩月でさえ、私に対する殺意を抑えきれていないというのだから、他の使役者に対してそれを以上の質を求めるのは酷だろう。
だが、何事にも常に例外という物は存在する。
「コール:バンジー。モード:マニュアル」
詠唱と共に発動するのは、魔結晶からラインを繋いで仮初の肉体を顕現させる魔術。
術者――エルシアちゃんが好んで扱うのは、青色の魔結晶を持つ魔物たち。西洋の童話や逸話に出て来ることが多い精霊、幻獣など。
バンジーという存在もまた、エルシアちゃんが好んで使う魔物の一種だ。
『――――ァ!!』
ガラスが割れてしまいそうなほどの高音の泣き声。
それを放つのは、たった今仮初の肉体で顕現した、青い髪の小柄な少女。肌の色は、人間のそれよりも遥かに青白く、まるで死体の様。しかし、生命であることを証明するかのように、金色の瞳からとめどなく涙は流れ、喉からは大音量の泣き声が。
そう、この山中に、魔物どもが隠れ潜む境界に響き渡る。
「ステルスをジャミング…………成功。ほら、さっさと倒しやがれです、照子」
「おうともさぁ!」
すると、バンジーの泣き声に当てられたのか、空から落ちてくる鳥型の魔獣やら、透明化をしていた猿型の魔獣がちらほらと姿を見せ始める。
目標が見つかったのならば、後は私の仕事だ。
特殊警棒に魔力を込めて、大きく跳躍。
「今更、この程度ォ! 封印を解除するまでもねぇんだよぉ!!」
はっはぁ! と自発的にテンションを上げる笑い声と共に、私は魔獣共を殴り殺す。私の魔力がたっぷりと込められた警棒の威力は、容易くランクDの魔獣たちを肉片へと変えていく。
多少、魔力を扱えて、障壁を使おうが無意味。修羅場を何度も潜り抜けることによって、私は魔力をより精密に扱う術を学んだので、雑な障壁ならば、弱い箇所を狙って楽々と撃ちぬける。さながら、障子でも破くかの如く。
「これで、ラストォ!」
かつてはそれなりに強敵であった、ランクDの魔物も、今では雑魚に等しい。
最近では、どうやって倒すか? よりも、どうやったらより返り血を浴びずに済むのかを検討し、細心の注意を払う程度には余裕がある。現に、今日は作業着に一滴たりとも血液を付けることなく十二体の魔獣を討伐することが出来た。
ただまぁ、どの道、穢れが溜らないように、討伐を終えた後の作業着は、直ぐに禊ぎを兼ねて洗濯をしなければならないのだが。
「おつかれ、エルシアちゃん。いやぁ、無理させて悪いね?」
「ふん。ワタクシにとって、こんなこと、まったく無理ではねぇのです」
通常業務を終えた後、私は笑みを作ってエルシアちゃんに声をかける。
案の定、冷たくあしらわれてしまうのだが、こういうのは継続が大切だ。例え、悪感情を抱かれている相手だろうとも、社会人であるのならば、関係改善に努めるのが正しい。ましてや、その相手が自分よりも遥かに年下の子供であるのならば、こちらが折れるのが適切だ。
ただ、今回に限っては珍しく、エルシアちゃんの方から私に対して打診してくれことがある。
それは、魔物を使役する際に於いて、エルシアちゃんが魔物の完全支配を行ったことだった。
「こんなの、やろうと思えば彩月姉さまにも出来るのです。でも、式神との仲が悪化する可能性があるから、やらねぇだけなのです。魔物の使役に関して、彩月姉さまの技術はワタクシよりも各段に上。長い扱い方も心得ているのです。でも、ワタクシの場合は、魔物との関係は完全にドライだから、今更好感度なんて気にする必要がねぇのです」
魔物完全支配。
それは、魔物の意志を完全にはく奪することによって、自在に魔物を動かすことが可能な技術らしい。といっても、未熟な術者が行おうとすれば、逆に体を乗っ取られる可能性もあるもろ刃の剣だ。加えて、完全支配を使えば使うほど魔物との仲が険悪になるので、緊急時以外は出来る限り使わないというのが、魔物を使役する者たちによる共通見解なのだとか。
エルシアちゃんの場合、そういう完全支配を受けることも込みで契約し、その分、自由時間やら、対価となる魔力、嗜好品などを与えることによって、ビジネスライクな関係を保っているらしいのだが、やはり、平時では使わないに限る技術だと思う。
「そうかい。じゃあ、気にしないでおく。でも、今回は各段に戦いやすかったし、戦闘時間も僅かで済んだし、事務所に帰ったら一緒におやつでも食べる? 治明と彩月には内緒で、美味しい和菓子を買ってあげよう」
「…………ふん。苺のショートケーキなら、考えてやるのです」
「わかった。禊ぎが終わったら、向かいの洋菓子店で買ってくるよ」
ならば何故、特に緊急時でもない、今回、態々こういう技術を使ったのか?
エルシアちゃんの建前としては、いざという時、連携に支障が出ないか確認するための訓練ということで、珍しく進んで私と組むことになったのだが、うん。
流石に、私も察することがある。恐らく、エルシアちゃんは仕事終わりに、他の二人が居ない場所で話し合うことがあるのだ。
「一番高い奴」
「はいはい」
加えて、仕事が始まってからずっと、エルシアちゃんが、宝石の如き瞳を細めて、こちらに苛立ちの籠った視線を向けてくるのだから、考えられる理由は一つしかない。
治明と、彩月のことだ。
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「…………芦屋家も、土御門家も、千年以上前から続く名家なのです」
「ほうほう」
「古くは、平安時代にまで遡り、都を騒がす悪鬼羅刹を悉く調伏せしめて見せた陰陽師の一族なのですよ」
「なるほどねぇ」
「つまり、世継ぎは絶対に必要なのです。二つの一族の血を絶やしてはいけないのです」
ふんす、ふんす、と鼻息を荒くしながらエルシアちゃんは語っていた。
右手で、ショートケーキの苺が刺さったフォークを握っている状態だと、説得力よりも微笑ましさの方が先に来てしまうのだが、そこはあえて見ないようにしておく。
「つまり、どういうことだい? エルシアちゃん」
「…………知っていやがりますね? 照子、女の子同士では子供は出来ません」
「そうだねぇ。将来的にはクローン人間作れるぐらいにまで科学が発展すれば、可能性はあるだろうけれど、今の科学文明ではちょっと難しいらしいね」
「いえ。それは表向きで、裏側の技術力ならば――――じゃなくて!」
「うん」
「女の子同士の恋愛は非生産的なのです!」
「え? エルシアちゃん、私の事、好きだったの?」
「死ね!」
ぷんすかと怒るエルシアちゃんを眺めながら、私はチーズケーキを一欠けら頬張った。
うんうん、やはり、エルシアちゃんの反応は面白いなぁ。チーズケーキが余計に美味く感じるぜ。
「真面目に! 話を聞きやがれ、です!」
「ほう。じゃあ、真面目に聞くけれど、結局、何なのさ?」
「…………彩月姉さまは、一族を担う大切なお方です。照子では、色々と問題があるのです。別れた方が良いのです」
「なるほどね。なら、私が『吉次』の頃だったら、君は大賛成だったと」
「犯罪! 犯罪です!」
「そうだねぇ、犯罪だねぇ。じゃあ、成人した後に付き合ったなら、君は笑顔で祝福出来るのかな? 私じゃなくて、彩月のことを」
「…………うー」
「エルシアちゃんは優しいねぇ。でも、ちょっと身勝手な優しさかもしれないよ?」
私はチーズケーキをフォークで切り分けて、瞬く間に平らげる。
濃厚でクリーミーなチーズの旨味と甘み、生地のサクサク感が絶妙に組み合わさって美味だ。おやつには少々重い味かもしれないが、一緒に緑茶を飲めば、口がさっぱりとしてすっきりとするからおすすめである。
「君は、治明から何か頼まれたのかい?」
「………………うううう」
緑茶を飲みながら尋ねると、エルシアちゃんは俯いて黙り込んでしまう。
うん、そうだよね。治明はこういうことをする奴じゃあない。やるとしたら、宣戦布告。それも、自分の口で、だ。
「主のことを想っての行動。言葉にしなくても、気を利かせて動く。確かに、従者として必要な技能かもしれないね。でも、主の意志に背くことになることを、勝手にやるのはどうかと思うよ? 君が、彼の同僚ではなく、友達でもなく、従者と名乗るならば」
「…………それでも、主様には、痛い想いは、して欲しくねぇのです」
「そうかい」
私は緑茶を飲み終えると、吐息を一つ。
さて、どうした物かと考えて、話を切り出す。
「なら、仮に君の言う通りになったとしよう。私と彩月が仲たがいして、そういう関係にならなかったとする。なんやかんや上手いこと言って、彩月と治明が結ばれたとする。多難はあるけれど、そういう可能性も無きにしも非ず、だろうね。そうなれば、私も笑顔で祝福しよう。悲しくて悔しくはあるけれど、軋轢を乗り越えて若者二人が結ばれるというのは素晴らしいことだ。エルシアちゃん、君の言う通り、二人の間に子供が出来れば、跡取り問題も解決」
ここで一度、言葉を止めて、エルシアちゃんの様子を眺める。
エルシアちゃんは、俯いて表情を見せていない。
私は、肩を竦めてから、言葉の先を告げた。
「君はそれでいいのかな? エルシアちゃん」
「ワタクシの幸せは、主様が幸せになることです…………主様が幸せになるのなら、ワタクシは、何の、文句も……」
「でも、君と治明が一緒に居られる時間は少なくなるだろうね」
「…………えっ?」
「あははは、何その顔。だって、当然だろう?」
エルシアちゃんがあえて目を逸らしていた事実を、分かりやすく告げた。
「好き合って、結婚するような仲の二人だよ? そりゃあ、男友達や女友達ぐらいだったら別に気にしないけれど、エルシアちゃんみたいに綺麗な女の子が従者を名乗ってくっ付いていたら、困るじゃあないか」
「そん、なの。でも、彩月姉さまは」
「彩月は身内に優しいからね。仮に今、治明と付き合うことになったとして、君が今まで通りでも文句は言わないだろう。でも、いつまでもそうしては居られない。だって、愛おしい異性の隣に、可愛らしい美少女が親しげにしていたら、浮気を疑うだろう? もちろん、そういう疑いも抱かない信頼関係を築くのかもしれない。だけど、例えそういう関係に二人がなれたとしても、今度は周りだ。エルシアちゃん、君なら分かるんじゃあないか? 一人の男性に、多くの異性が群がると、周りからどういう評判になるのかを」
つらつらと適当に思い浮かんだ言葉を並べるだけで、エルシアちゃんの肩はがくがくと震え始める。
うん、ここで『そんなの関係なく、従者やって見せます! 一生独身です!』と言い切ってしまえるほど吹っ切れて居なくてよかったよ。
「エルシアちゃん。君がどういう行動をしようが、それは君の自由だ。君が選び、覚悟と共に決断した行動ならば、私はどのような物であったとしても敬意を示すよ。けれどね? 残念ながらこの社会は、私たちの都合の良い妄想通りには動いてくれない。ずっと痛みを感じないまま、生きていくことなんて出来ない。誰だって、痛みを抱えながら前に進まなければいけない時が、きっと来る。君自身の願いによって、痛みを乗り越えないといけない時が」
そして、エルシアちゃんから私に対する好感度が低くてよかった。
これで躊躇うことなく、改めて、エルシアちゃんから嫌われることが出来る。
「だから、『エルシア』。従者を気取るのなら、主の覚悟を邪魔するのは止めなさい。彼を勝手に、可哀そうだなんて思うんじゃない」
「――――っ!!」
ばしゅん、とエルシアは空間を歪ませて、この場から転移した。
心が乱れ切っているというのに、魔術の行使に於いて、魔力は一切乱れていない。やはり、エルシアは特別で、天才なのだろう。
でも、子供だ。
治明や彩月と比べるべくもなく、恐らく、同学年の子供たちと比べても圧倒的に、幼い。
…………もしかしたら、私が知らないだけであって、エルシアは外見通りの実年齢では無いのかもしれないが、それでも。
「まったく、嫌われ役は辛いぜ…………なんて、ね」
主と慕う奴に嫌われて泣くよりは、まだマシな展開だろうさ。
やれ、エルシアがきちんと恋愛感情を自覚してくれれば、話は早いのだけれどね。




