第53話 幕間:土御門治明の相談事
「俺は、告白した方が良いと思うか?」
唐突な一言だった。
最近は、妙に同僚から驚かされることが多い。
ただ、彩月のように周到な罠を張って、私を逃がさない布陣を構えた奇襲ではなく、治明の口から出たのは、恐らく弱音の類だった。
「いきなりだねぇ、治明」
くく、と私は喉の奥で笑い声を抑えて、余裕ぶった表情を作って見せる。
もっとも、土御門の道場で組手を終わらせたばかりだったので、汗だくで何を余裕ぶってんだよ、こいつ? なんて思われているかもしれないけれど。
年下の男子から相談を受けた時、年上の社会人は訳知り顔で何かを語らなければならないのだ。これは、社会のルールというよりは、私がこうでありたいという社会人像に過ぎないのだけれどね。
「勘違いするといけないから、確認するけれど、それは君が、彩月に告白するってことでいいのかな?」
「…………ああ」
「でも、振られるよ、治明」
「そうだな。あいつは、アンタのことが…………心底好きだから」
苦々しい表情と共に吐き出された言葉には、嫉妬よりも後悔が多量に含まれていた。
恐らく、治明は後悔しているのだろう。
その後悔こそが、治明と彩月、本来であれば結ばれていてもおかしくない二人の間に、深い断絶を刻む原因なのかもしれない。
ま、それはそれとして。
「あのさ、治明。一応、訊くけれど、牽制のつもりではないよね? 牽制のつもりだったらもう、火葬後の心臓マッサージぐらい遅いのだけれど?」
「…………違う。そんなつもりは無い」
「うん。治明の場合だと、牽制するよりも堂々と宣戦布告するのが『らしい』からね。そこは疑っていないけれど、一応の確認さ。それで、どうしてまた、態々、当事者である私に、よりにもよって告白の是非について訊くの? 別に、相談を受けるのは嫌ではないけれど、男友達とか、もっと適任が居ると思うよ?」
「それは、だな」
治明の眉間に皺が刻まれる。
内臓を口から吐き出そうとでもしているのか? と疑いたくなるほど、たっぷりと渋面を作った後、治明は答えた。
「今更、隠すことじゃないが…………妙に俺は、こう、事件に巻き込まれた時、助けた奴に懐かれることがある」
「ああ、ハーレム軍団を自称している彼女たちね?」
「そう。とてつもなく俺の尊厳を貶める名前を、わざと自称している奴らだ。やめてくれと頼んでも、『乙女心を弄んだ罰』だと言って拒否される。あいつらは、俺に好かれたいのか、嫌われたいのか、どっちなのか本当に分からない」
「絶対に前者だろうね。ただまぁ、思春期の女の子――いや、世の中の女性全般はとても面倒な物さ」
世の中の女性たちも、男どもってなんでこんなに面倒なの? と思っているだろうけれどね。社会ってそういう物だから、仕方ない。
「俺の男友達は大抵、そいつらが俺と絡んでいる姿を目撃している」
「ほうほう」
「だから、俺がそいつらに恋愛相談すると、決まってこう返されるんだ……『死ね、色男』ってな」
「なるほどねぇ。だから、消去法で私になったのかい? 相談相手」
「…………ああ」
「私、童貞なのに?」
「多少……かなり拗らせた童貞でも、今は性別変わっているから、ノーカンだと自分を騙している最中なんだ」
「ふふふっ、偉いぜ、治明。自分を騙すところが社会人としての第一歩だ。その内、生きている意味とか、働く意味とかを脳内から排除すれば、立派な社畜の完成さ!」
「その言葉を聞いて、自分を騙すことの愚かさを思い知ったぜ、ありがとう」
どういたしまして。
言葉に出さず、頷いてから話を戻す。
「それで、告白だったか。言っておくけれど、治明。今、告白してもあまり意味はないよ? それは、君自身の心を区切るという目的だったとしても、効果は為さない。だって、君はただ、少しばかり自棄になって居るだけだろう? きちんとした、決断の下に動いていない」
私が指摘すると、治明はぐ、と喉の奥で呻きを押し殺した。
どうやら、自覚は多少あったらしい。
「原因である私が言うのもあれだけど、あの場面を見て、ちょっと動揺しているだけだと思うよ。どちらを選ぶにせよ、今はまだ、熟考すべきじゃあないかな?」
「違う」
「えっ?」
「違うんだ」
治明は項垂れながら、あの後――治明が彩月に引きずられていった後に何があったのかを話し始めた。
「女々しいって、言われたんだ」
「うん」
「『過去のことは私の逆恨みだけど、それはそれとして、いつまでもうじうじしているばかりで、告白の一つもしてこない男に魅力を感じるわけがない。加えて、好きな女が居る癖に、違う女を周囲に沢山侍らせている男に、女が惚れると思う? いえ、それは別にいいの。人の勝手だし。そう、問題はいつまでも貴方がはっきりしないことだと思うの。ねぇ、いつ、告白して来るの? 私、貴方のことをさっさと振って過去に決着を付けたいのだけれど?』」
「いたた」
「…………みたいな言葉を、三十分ほど正座させられながら聞かされて」
「いたたたたたた」
「俺は初めて、女の前で涙を流したよ」
「も、もういいから」
「涙を流した次の瞬間、『気持ち悪い』と言われて心が折れたよ。だから、早く、諦めるために、わざと振られるために、告白を、しようと……」
「死ぬ! 心が死んでしまうよ、治明ぃ!」
虚ろな目で、治明は告解の如く言葉を垂れ流している。
きつい。思春期の男の子に、そういう物言いは正直、ドン引きだぞ、彩月。いや、彩月ならばそれぐらいするだろうって、短くない付き合いで分かっているけれど、限度という物があるだろうよ。
いくら何でも、自分に好意を寄せる男子にこれはひどすぎる。
「俺が、俺が悪いんだ…………あの時、俺はあいつと、その弟を守れなかったから……どこに居ても、必ず守るって約束したのに」
「そうは言っても、現実問題、仕方ない事情があったんじゃあないの?」
「…………当時、俺は鞍馬山に修行に出ていて」
「鞍馬山って、京都でしょ? だったら、無理だよ。物理的に無理だよ、助けに来られないよ。長距離転移なんて、専門の魔術師か異能者でないと」
しかし、どうにも歪みを感じてしまうね。
本来、治明はここまで言われて黙っている類の人間ではないはずだ。女子相手にだって、割とすっぱりと言うところがあると学校では賛否両論なのに、彩月の前ではまるで、親に怒られた子供のように縮こまってしまう。
これは、互いに幼少時のトラウマに原因があるようだが、詳しい事情は聞けていないし、この場で聞き出すことは憚られる。どちらか一方の意見を先に聞いてしまえば、私は残り片方の意見を、先入観を持って聞いてしまうからだ。
この件に関して、部外者である私が言えることは本当に少ない。だからこそ、その数少ない言葉をより適切に言うために、判断材料は正確に集めるべきだろう。
「かもしれねぇ。でも、理屈じゃねぇんだ。俺が、あの時、あいつらを助けられなかった。それが、何よりも悔しい」
「そっかぁ」
「…………後、こう、鞍馬山でその、天狗の師匠が…………大人の女性で、あいつの下に駆け付けた時、その人に送って貰ったのが不味かった自覚はある」
「あー、うん」
「『貴方はそういう人なのね』と、冷たく言われた瞬間、当時の俺の心臓は恐らく、何秒か止まっていたと思う」
「あちゃあ」
間が悪い。
間が悪すぎるよ、それは。
間が悪くて、どちらも悪くない。彩月の家で何かしらのトラブルがあり、一刻も早く駆け付けるために、天狗のお師匠さんに頼んで急行した治明の判断は間違っていない。当時、まだ幼い子供だったことを加味すれば、かなり頑張った対応の仕方だと思う。
けれど、彩月から見れば、それはもう手遅れ。
約束を破った幼馴染が、大人の女性……多分美女に抱かれて、駆け付けたところを見れば、何か言ってやりたくなるのも無理は無い。弟さんが亡くなったのか、それとも攫われたのかは不明であるが、守れなかったという罪悪感と無力感があるところに来られれば、何もなくても誰かに当たりたくなるのが心情だ。
この件に関して、二人は悪くない。
強いて誰かが悪いと指摘するのならば、襲ってきた相手であり、守り切れなかった当時の大人たちだろう。
「あの時、あいつを守れなかった俺は心の中で誓ったんだ。今度こそ、あいつを守り抜くって。もっと鍛えて、絶対にあいつを傷つけないって。だから、他の退魔師が二の足を踏むような危険地帯だって進んで突っ込んで行ったし、誰もが諦めた救出任務を喜んで引き受けた。代償行為なのは分かっているが、誰かを助けた時、俺はほんの少しだけ心が軽くなる気持ちになれたから」
「…………治明」
「でも、今から思えば、俺は逃げていたんだ。弟を失って、心を病んだ彩月の前から、逃げていたんだ。専門のカウンセラーに任せるしかないって。今は、力を付けるのが先決だって、俺は逃げていた…………嫌われて当然だ。そんなクソ野郎」
何も言えねぇ。
どれだけ手ひどく心を折れば、あの治明がここまで暗く落ち込んでしまうのだろうか?
いけない。
これは流石に、プロの退魔師といえど、職場にも影響を及ぼしそうな精神的ダメージだ。元を正せば、治明が精神攻撃を受けたのは、私が救難信号を出してしまったから。
あの時、私が大人しく彩月に襲われることを受け入れていたら、こうはならなかったのだ。いや、無理だな。社会人として抵抗せざるを得ない場面だった。
ならば、せめてここでフォローしよう。
「治明。私は、治明と彩月、君たち二人の関係についてはとやかく言えない。完全に部外者だからだ。でもね? 治明、良く聞いておくれ。部外者だからこそ、有事の際、君たち二人の連携はとても素晴らしく思えたよ。長い時間をかけて培った信頼を感じた」
「…………けどよ、それはあくまで仕事の時の話で」
「完全に公私を分けられる人間なんて居ない。今まで、少なくない時間、社会人をやっていた私だからよくわかる。だから、例え彩月が君のことを本当に嫌っていたとしても、君があの子のために積み上げた力を否定していない。忌まわしく思っていない。きちんと、治明だったら大丈夫だと信頼している」
「…………」
「それに、君は代償行為だったとしても、多くの人を助けている。エルシアちゃんだって、君に助けられた一人だ。その行いを、君自身が否定しちゃいけない」
「………………そう、か」
沈黙の後、ぽつりと呟いて治明は顔を上げた。
「嫌われていても、俺の力を信頼してくれるなら、まぁ、うん…………今度は、きちんと助けられるかもしれねぇな」
その顔は、明らかに強がりの笑みを浮かべていた。
本当は胸の中が痛くてたまらないのに、僅かな光明を握りしめて、格好つけるために立ち上がった男の笑い方だ。
この顔を見て、私は確信する。
きっと、治明という少年は、私が何も言わなくても立ち上がれたであろう、と。私の言葉は、その時間を僅かに短縮したに過ぎない。けれど、この少年は律儀に私へ恩義を感じてしまうだろうから、忘れずにオチを付けてやるのだ。
「今のところ、彩月よりも私を助けてくれる機会の方が多いけれどね?」
「おい、やめろ。ガワは美少女になっているんだから、そういう発言は止めろ! 最近、あいつらはともかく、エルシアも『もしかしたら?』みたいな顔をしてくるんだよ!」
「ごめんね、治明。生憎、私は雌堕ちしないタイプのTSオッサンだから」
「業が深い用語を未成年に教えてくるんじゃねぇ……っ!」
強がりとツッコミを言えるようになれば、もう大丈夫だ。
私たちはこの後、お風呂で汗を流した後――もちろん、一緒に入っていない――互いに、互いが知らない彩月のことを語り合った。
治明が語るのは、幼く、色々と未熟だった頃の可愛らしい彩月。
私が語るのは、ツッキーというハンドルネームで、ちょっと病みまくってネットマナーに反するメンヘラ行為を繰り返していた時の彩月。
あれ? これって不平等条約じゃないかな? 主に、治明が損している気が。
「すまん……っ! すまん、幼馴染がすまん!」
「いや、過ぎたことだから」
「いやでも、あれはちょっと……いや、かなり引くぞ!? よく耐えられたな!?」
「大人だからね」
「ぶっちゃけ、俺にやられていたら嫌いになっていた可能性が多大にあるぞ!? だって、普通に気持ち悪かったよ! メンヘラ状態の彩月!」
「今は大分マシになったよ」
「マシになって、同僚をリアルで押し倒す幼馴染…………っ!」
元気づけるつもりが、余計に悩ませてしまったので、私はさらに深夜近くまで治明を元気づけることになった。
なお、治明の告白は考えることが多く出来たので、先延ばしになったという。




