第50話 銀弾よ、常冬を穿て 15
猟師の本領は正面対決ではない。
獲物の足跡を辿り、罠を仕掛けて移動力を奪い、一方的に狩る。
あるいは、獲物に気づかれないハイドアンドキルが基本だ。何せ、大抵の獣は人間よりも強靱な肉体を持つ。
熊。鹿。イノシシ。いいや、愛玩動物として飼われている犬や猫でさえ、狂暴性と明確な殺意があれば、人間を容易く殺傷してしまうほどの力を持っているだろう。
だからこそ、狩猟者は自分の有利な状況で、一方的に狩らなければならない。
生業としているのであれば、怪我をすることなんてもっての他。あくまでも、健康に、安全に、確実に『仕事』として続けるのであれば。
けれど、銀治は違う。
「第一の魔弾よ、炎の理を示せ」
銀治は安全圏で閉じこもることを嫌った。
外を、未来を望んだ。
よって、不意に起こったエンカウントにも動じない。例え、正面対決の際、勝率は一割以下になると知っていたとしても。己の脇腹が抉られて、とめどなく血が流れていたとしても。ここで勝負を避ける選択肢はあり得ない。
先に進む。
この隔離された領域を踏み越えて。
未来に行く。
その意志が、強い信念が、銀治の肉体に魔力を生み出し、練り上げられる。練り上げられた魔力は、弾倉に装填された特殊弾頭に色を付け加え、炎熱を放つ魔弾と加工した。
「焼き払え」
リボルバーから放たれた魔弾は、傷ついた『常冬の王』の脚部――――それよりも、遥か下の地面へ突き刺さり、炎熱が周囲を焼き焦がす。
そう、地面に残っていた雪の欠片を、周囲の地面ごと吹き飛ばした。
『クォウ』
本来であれば、内部の魔力のみで止められるはずの魔弾。
けれど、死に体の『常冬の王』では制止はおろか、威力を減退させることも出来ない。いいや、それ以前に、『常冬の王』はその名の如く、冬の中では絶大なる力を発揮するが、逆に言えば、冬から外れた場所では大きく力を損なってしまう。
例えば、焼き焦がされて、雪が全く存在しない大地など。
なので、たまらず『常冬の王』が大きく距離をとって、雪が残る地面の下へ移動しようとしたのは当然の判断だっただろう。
「やはり、そうかよ」
だが、その行動は全て、銀治の狙い通りだ。
犬飼一族と『常冬の王』との戦いは、長い時間行われてきた。何度も、何度も、様々な状況での戦いを経て、少しずつ『常冬の王』についての研究を為されてきたのである。
雪の上でなければ、十全に力を発揮できない。
これは、犬飼一族が見つけた、『常冬の王』の弱点の一つだった。
「これで、最後だ」
銀治は後先考えず、己の魔力の全てを、弾倉に残る一つの切り札(弾薬)に込めた。
それは、銀治が作り上げた、犬飼一族八番目にして、終わりの魔弾。
態々、銀の特殊加工を施した特殊弾頭でなければ発動せず、また、その特殊弾頭を作り上げるのに、一か月の時間、継続的な魔力的加工を施さなければならない代物だ。
更に言えば、その弾丸は撃ち出すのに銀治の魔力の大半を使ってしまう。その一発を外してしまえば、銀治に多大な不利益を生じさせてしまう、大きすぎるデメリットを持つ魔弾。
されど、その効果はまさしく必殺だ。
「八番目の魔弾よ」
銀の弾丸。
魔獣に対してのみ、効果を発揮し、どの部位に当たろうとも、その瞬間、魔結晶を砕く退魔の属性を持つ魔弾だ。
様々なデメリットと限定的な対象指定の代わりに、魔獣にカテゴライズされている魔物であれば、『当たれば必ず殺す』という即死概念を付与した弾丸。
魔獣であるのならば、ランクAに値する神すらも殺す。
銀治が撃とうとしているのは、そういう一発だった。
「――――っつ、ぐう」
しかし、ここで銀治のリボルバーを持つ手が揺れ、照準もぶれるのを感じていた。暗闇の中、きちんと見えていたはずの視界がかすみ始めるのさえも自覚する。
出血が危険域にまで到達しようとしているのだ。
死の恐怖。
常冬の寒さに似た恐怖に、一瞬、臆してしまいそうになる銀治であったが、かすれた視界の中で宿敵の姿を見た瞬間、恐怖は祓われた。
――――なんだ、ボロボロじゃあないか。
あれほど威容を誇った『常冬の王』はいまや、半分焦げ付いた、死にかけのアンデッドみたいな有様だった。よく見れば、四つの足の内、後ろ脚は炭化して、崩れてしまっている。
けれど、その瞳は死んでいない。
お前を殺してやる、と全身全霊の殺意を漲らせている。
「ふ、はっ!」
そうでなくては。
決断は一瞬。
銀治は脇腹を抑えていた手を放し、出血が酷くなるのも構わず、両手でリボルバーを構える。
照準はぶれない。
視界は、宿敵の姿だけは、はっきりと見えている。
『クォオオオオオオオオオッ!!』
静謐なる冬の王が放つ絶叫は、断末魔にして渾身の証明。
時すら止める、絶対的な停止。
先を行くものを阻む、冬の理。
「退魔の理を示せ」
血まみれの猟師が撃ち出した弾丸は、八番目にして退魔の証明。
神すら撃ち殺す、絶対的な銀弾。
先へ進むための、魔を退ける理。
――――二つの殺意は交差する。
………………。
…………。
……。
「ははは、まったくさぁ」
銀治の眼前には、横たわる王者の死体が。
だが、少し視線を己の手足に動かせば、胸元まで、透明なガラスで閉じ込められたみたいな凍結の姿がある。
「相打ちなんて、締まらない最後だぜ」
そして、銀治の意識は暗転し、冷たい闇の中に沈んで行った。
●●●
温かい。
体の底から湧き上がる熱が、銀治の意識を急速に闇から浮上させていた。
「蘇生完了。魂すらも凍り付かせる常冬の魔術……強すぎる能力のおかげで生き残るなんて、流石の強運ですね」
聞き覚えのある声が、蹴飛ばすように銀治の意識を覚醒させる。
優しくなく、義務的に紡がれるその声は、日常的に馴染んだ取引相手の物だ。だからこそ、銀治は微睡まない。心に刻まれた警戒心が意識を覚醒させ、瞼を開かせる。
「…………んお? 水無月さん?」
「おはようございます、犬飼君」
死の淵から蘇った銀治が見た最初の光景は、無表情の水無月だった。
そこはせめて、照子の顔を見たかったと思う銀治であるが、ともあれ、生き残ったのならばそれが最上だろう。
「領域の破壊が確認されましたので、一応、蘇生班を用意して来てみれば、案の定死にかけていたのですから、予想通り過ぎて、私は爆笑しました」
「爆笑!? 水無月さん、笑えたの!?」
「私を何だと思っているのですか? 人間ですので、普通に笑えます」
「結構長い付き合いなのに、一度たりとも見てないんですが!?」
「見せる必要が無いので」
「そういう奴だよ、水無月さんは!」
水無月と言葉を交わしながら、銀治は己の手足を動かす感触を確認した。
問題ない。動かせる。
多少、芯に残る冷たさの残滓があるが、それもいずれ消え去るだろう。次いで、体を起こして己の状況を確認すると、周囲には物々しい医療器具と、多数の医療スタッフが黙々と動いていた。よく見ると、己の腕には輸血のための管が刺さっている。
更に言えば、屋外での治療なのか、透明なシーツみたいなものが銀治の周囲を覆い、簡易的な無菌室へと変えていたらしい。
「えっと、死にかけでした?」
「八割ほど死んでいましたが、我々が総力を賭けて蘇生いたしました。ええ、何せ、これから共に働く大切な仲間ですからね」
「うわぁ、恩着せがましい。恩着せがましい癖に、無表情」
「お望みであれば、顔の良い構成員を集めて、それらしい言葉を涙ながらに語らせましょうか?」
「ノーセンキュー。生憎、もう最高の美少女を見つけてしまいましたからね!」
「…………ああ、天宮照子のことですか?」
「そうそう! 彼女、どこかに居ないかな!?」
蘇生したばかりだというのに、銀治は生き生きとした表情で周囲を見渡し、照子を探す。けれど、医療スタッフは十数人ほど忙しく動いているというのに、照子の姿はない。
思わず、がっくりと肩を落とす銀治であったが、そこで水無月が声をかけた。
「貴方の蘇生が確実となった時に、帰りましたよ」
「なんで!?」
「カンパニーと機関の構成員が共に居ると、あらぬ誤解を生むからです」
「もっともな理由!」
「一応、伝言は預かっていますが?」
「聞かせて!」
「はい。『お仕事、ご苦労様。また、縁が合ったら会おうね?』だそうです」
「これは…………脈あり!」
「どうですかね?」
意気揚々と目を輝かせる銀治であったが、水無月は知っている。
銀治が熱を上げている超絶美少女の中身は、アラサーのオッサンであるということを。いや、既に肉体的には完全に美少女なのだが、まるで外に免疫が無い純朴な少年に対して、これを告げるのは性癖の破壊を意味しているので、流石に躊躇いを覚えているのだ。
もっとも、機関に銀治を引き抜かれるようなことがあってはならないので、銀治の傷が完治した暁には、きっちりと事情を説明するつもりなのだが。
「ふぅー、しかし…………なんだかんだあった割には、上手く行きましたよ」
「ええ、本当に。ギルドに対しては、我々カンパニーが、然るべき対処をして賠償を要求する所存です」
「あ、やっぱり、姫路奈都はギルドからの妨害員だったの?」
「いえ、人類と敵対する組織の構成員でしたね。ギルドの一部もグルで騙されていたようです」
「うわぁ、真っ黒じゃん! 殺しておけばよかった!」
「とはいえ、隠れるのが上手い組織ですからね。追撃チームはそれぞれの組織が派遣しているので、機会があったら殺す程度でいいのでは?」
「そうですね! そんなことよりもスクールライフだ!」
「その前に、きっちりと傷を治してください」
「分かりました! んじゃあ、肉を沢山食べます!」
「しばらくは絶食で点滴生活ですが?」
「功労者に酷くないですか!?」
「功労者だから、この対応なんですよ、犬飼君」
ぎゃあぎゃあと、ひとしきり水無月と言葉を交わす銀治であるが、その肉体は限界が近い。長年の因縁を終わらせたという達成感で、一時的に疲労も痛みもマヒしているから、多少なりとも元気に口を動かせているというだけの話だ。
そのことを、何より銀治自身が実感している。
だからこそ、銀治は再び、意識が微睡みに落ちる前に、どうしても済ませておきたいことがあった。
「水無月さん」
「王の亡骸ならば、腐らないように保管していますよ。もちろん、魔法陣での保存です。貴方が仕留めた位置から指一本触れていません」
「…………はは、流石」
「それなりの付き合いですからね。さっさと済ませて、動かす許可を下さい」
「はい、もちろん」
銀治は即席で作られたベッドから起き上がり、ふらふらの手足を動かして、透明なシーツを潜っていった。
途中、医療スタッフに止められそうになるが、水無月の「三分間だけだ」という言葉で、僅かな自由を許される。
「ぐ、あ…………はぁ、はっ」
いつもならば、一息で縮められる距離。
けれど、体が鉛のように重く、一歩進むごとに意識が泥沼に沈むこの有様では、たかが数メートル移動するのも一苦労だ。
それでも、銀治は誰の助けも借りず、一人で歩き、そして辿り着いた。
「…………よぉ、良い様だな」
魔法陣の中心で沈黙する巨体へ、銀治は親しい友人に向けるように、言葉を紡ぐ。
「…………あー、結局、強いのは僕だったというか、長年の積み重ねというか、そもそも、今回は外部からの侵入者が大暴れで、僕たちはその被害を受けただけというか……はぁ。何、言ってんだか、僕は」
ぼそぼそと、感情のままに、とりとめのない言葉を吐き出す。
それは全然、理路整然としていなくて。
ただのくだらない馬鹿話のようで。
そんなことを、物言わぬ死体へしばらく語り掛けると、最後に一言。
「じゃあな」
小さく笑って、銀治は宿敵へ別れを告げた。
ふと、眩しさに目を細めてみると、段々と空の向こう側が鮮やかなグラデーションで空を彩り、曙光が世界を照らし始めている。
銀治は十五年、ずっと同じ場所に居たが、このように明るい夜明けを見るのは、初めてだった。空がこんなに明るくなるなんて、知らなかった。
だから、銀治は改めて理解する。
ここはもう、常冬の領域ではない。
「そっか。もう、夏だったのか」
己が、外側にしたのだと。
撃ち砕いた常冬の故郷を想い、少しだけ外の眩しさに目を細める。
けれど、立ち尽くすことは無く、銀治は即席の治療室へと戻っていった。
――――彼の歩みを阻む境界は、もう存在しない。




