第49話 銀弾よ、常冬を穿て 14
「推論を立ててみたのだよ」
雪が焼き払われ、真っ黒に焦がされた大地で、照子は語り始める。
「君たちに魔結晶が存在しない理由は、恐らく、こちらが使っている式神と同系統の技術による物だ。だから、器の予備があれば、直ぐに戦線復帰が可能となる。けれど、式神形式を採用する場合、人間の契約者が必要となるはずだ。魔物同士では、式神の術式は成立しない。現存する魔術では、そういう風になっている。もちろん、例外を考えればきりがないので、そこはあえて思考から排除して考えよう」
言葉を向ける存在は、手足がもがれ、胴体と頭部だけになった魔人、グーラだ。
グーラは生命体を食らうことによって、己の損傷をある程度補うことが可能な再生力を持っている。だがそれも、周囲の生き物が照子ぐらいしか存在しなければ意味はない。
加えて、グーラの魔力は照子の一撃を防ぐので大半を使ってしまい、枯渇寸前だった。
「君たちが、人間の協力者を得て、式神形式を採用したゾンビアタックを使って来る。私はこういう可能性を一時期恐れていたのだが、知り合いの式神に尋ねてみた所、それは難しいそうだ。何せ、魔物であったとしても『疑似的な死』は辛いらしい。どうやら、代替可能な器があっても何度も死を体験すると、精神が折れてしまうようだ。私はこれを聞いた瞬間、じゃあ、目についた時に、出来るだけ相手を苦しめてから殺すという手段を考えてみたのだが、そこで少し気づいたことがあってね?」
かすれた視界で、グーラは空を仰ぐ。
照子の力で領域へ大穴を開けたことにより、夏の星空が見えている。
それは奇しくも、グーラが初めて現世で自意識を獲得した時、思わず感嘆の息を漏らしてしまった光景と似ていた。
「その場合、どうして君やその仲間は、あの双子っぽい魔人たちの肉体を回収したのかな? 式神形式を採用しているのであれば、そのような手間は不要だ。わざわざ、私たちの前に姿を現す必要も無かった。ならば、肉体を回収する必要性があると考えるのが普通だ。恐らく、君たちの肉体を回収しないことには、君たちの人格は復活出来ないのだろう? だから、仲間想いの君たちは、わざわざ、肉体を回収しに来た」
呆然と、星空を眺めるグーラへ語り掛ける照子の顔には、朗らかな笑みがある。
そこに嗜虐的な感情は含まれていない。
心の底から、穏やかな気持ちで物騒な言葉を並べているのだ。
「この場合、君を肉片すら残らず抹殺すれば、君の人格を消し去ることは出来ると思う。でも、その場合、君とは違う人格の『君と同等の存在』が生まれる可能性がある。これは、あまりよろしくない。折角、丁寧に君の心をへし折ってあげたのに、また新しい魔人が生まれるなんて徒労が過ぎる。資源の枯渇を狙おうにも、どうやら君たちの背後には相応の組織の影があるようだし。さて、どうしようかな、と考えたのだよ、私は」
ここで、照子は覗き込むようにして空を仰ぐグーラと視線を合わせる。
照子と目を合わせた瞬間、死を覚悟していたグーラの心中に、とてつもなく嫌な予感が生まれた。こいつは、死ぬことよりも苦しいことが何かを心得ている、と。
「考えた結果、私は君を封印することにしたよ、グーラ」
「…………っ!」
「うん、良いリアクションをありがとう。そのおかげで、私のやろうとしていることが正しいと確信できた。君たちは、肉体を封印されれば、そのまま人格も封印されるのだろう? そして、恐らくはあちら側の判断で魔結晶と肉体のリンクは断てる…………けれど、態々お仲間を助けに来た君たちが、果たして、自らの手でお仲間を殺す判断が出来るかな? 殺す判断をする奴がいたとしても、満場一致の賛成ではないよね? 必ず、不和が生まれる。同時に、殺してしまったのならば、そちら側のチームの精神にもダメージを与えられるはずだ。何度か繰り返せば、精神から殺すという手段を取れるかもしれない。いや、それ以前に…………君の肉体を確保できれば、その魔力経路から、君たちの本拠地が割り出せるかもしれない」
「や、やめ……」
「ありがとう、グーラ。君のおかげで、君の仲間を殺せるよ」
グーラは今まで、現世で活動する上で、人間の邪悪な面を見てきた。
当然、今、グーラに行われているような脅しのような現場を見たこともある。そういう行いを見て、人間は同族同士で殺し合う、なんて馬鹿な生き物だと思っていた。その上、自らの権能で簡単に心を揺さぶられるのだから、救いようがない、と。
けれど、違っていた。
そういう残虐で、悪意のある脅しと、照子のそれは何かが違っていた。
人間が悪意を持って残虐行為を行うのは、それが効果的であるからだ。周囲に自分を恐れさせて、それが結果として身を守ることに繋がるからだ。もしくは、快楽を求めてそのような趣味を持つ者もいるだろう。
しかし、照子の瞳の中にはそういった類の感情は見当たらない。
がらんどうの如き、暗闇が瞳の中にあり…………じっと見つめていると、その闇の中から、何か、取り返しのつかない何かが舌先を出してくるのだ。
怪物。
世界すら食い殺してしまうような怪物が、こいつの中には潜んでいる。
「ぐ、ぐぐぐ…………だめ、だ」
数多の人間を破滅させ、同族からも眉を顰められる残虐性と悪意を持つグーラが、使命感に駆られた。
こいつの、思い通りにさせてはいけない。
こいつは破滅を呼ぶ存在だ。
などと、いくら心中で喚こうとも、現在のグーラには動くための手足も、魔力も存在しない。だからせめて、この声だけは届いて欲しいと、呻き声を上げる。
「出て、くるな……っ! 逃げ、ろ!」
「――――生憎、それは聞けない頼みだよ、グーラ」
グーラの呻きに応じず、姿を現した色彩が一つ。
赤。
真っ赤なオーバーコートを纏う、草臥れた雰囲気のキャリアウーマン。
まるで、他者に威圧を与えず、気付けば隣に寄り添っていてもおかしくないほどの希薄な空気を纏う、魔人。
『魔神器官』の頭領たるリースが、照子の前に姿を現していた。
いつの間にか。
照子の勘にも引っかからず、星空から雫が零れたかのように、いつの間にかそこに立っていたのだ。
「お、釣れた」
「やぁ、釣られてしまったよ」
リースが一歩踏み出すと、照子もまた、一歩踏み出す。
互いとの距離は五メートル。
照子の足元には、身じろぎすらも苦痛を伴う様になったグーラが。
「初めまして、天宮照子…………いいや、山田吉次さん?」
「照子でいいさ」
「じゃあ、照子さん。ワタシはリース。現在、君たち機関と敵対する組織に所属する、まぁ、頭脳担当だと思ってくれ」
リースは疲れがにじみ出る笑みを浮かべながら、言葉を紡いだ。
「今日は、君たちに降伏しようと思ってここに来たんだ」
思わず、照子が目を丸くしてしまうような、虚を突く言葉を。
両手を上げて、抵抗の意志を感じさせない動作を披露しながら。
「なるほど」
そんな動作だけで、照子はリースという魔人に対して親しみと脅威を抱いた。
こいつはとんでもない強敵だな、と。
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「君が察している通り、ワタシは仲間を見捨てられない。その上、君はワタシの仲間の生死を握っている。ならば当然、ワタシの選択肢としては降伏し、命乞いをするしかない。君が上で、ワタシが下。きっちりと立場は弁えている。弁えた上で、どうか、私の命乞いを聞いて欲しい」
リースの言葉は雨粒のようだった。
特別な何かがあるわけではない。ただ、ぽつぽつと落ちる雨粒は、大地に染みていく。意識しなくても、精神の中に入って来る言葉だ。
「まず、この場で降伏するのはワタシだけ。グーラはどうか見逃して欲しい。言っただろう? 頭脳担当なんだよ、ワタシは。ワタシが組織の情報を全て握っている。グーラをどれだけ痛めつけても、得られる情報なんて、ワタシの持つ量に比べたら雀の涙さ。それに、ワタシは君たち人間たちをよく知っている。理解している。利用価値のある存在は、条件付きで生かすことを許されていることもね? ああ、大丈夫。それで思い上がったりなんてしていない。君がほんの少しだけでも足を動かすだけで、ワタシの大切な仲間の命は奪われるんだ。そこら辺はきちんと、弁えているよ」
照子はリースと対面した時、まず、『勝てない』という意識を持った。
戦闘力はともかく、思考力や聡明さでは、絶対に勝てないだけの何かを、リースが持っていると感づいているのだ。そう、だからこそ照子は知っている。このままリースの交渉に乗って言葉を発した瞬間、簡単に言葉で絡めとられてしまうことを。
けれど、だからと言って、まるっきり話を聞かずに殺し合うのは悪手だ。口が上手く、頭がいい奴ほど、『それが通じない状況』に対策を立てている物である。
恐らく、照子が問答無用で殴り掛かれば、その瞬間、リースの目的を果たすような仕掛けが周囲に設置されているのだろう。
ああ、強敵だ。
照子は朗らかな笑みを歪めて、獰猛な笑みへと変化させた。
「やだな、怖い笑顔を作らないでくれ。ワタシはチャーミングな君の笑顔はとても素敵だと思っているんだよ? ね?」
「くくくく」
「こわぁい。あのね? ワタシは本当に降伏しているんだよ? ほら、魔力の気配なんて微塵も感じないだろう? ワタシの身柄を、自由にして欲しい。君が望むのなら、専門の異能者を呼んで、ワタシの情報をありったけ引き出せばいいさ。ああ、もちろん、ワタシは仲間の情報を吐きたくないから、そこだけは、本当に大切な情報だけは、自主的に『焼き切らせて』貰うけれど、それは仕方ないと思って欲しい。そうなると、ワタシが持つ情報の価値が薄れるかもしれない? 安心してくれ、ワタシの肉体自体が十分な情報となって――」
「今から、こいつを思いっきり領域の外へ投げる」
リースの言葉を切り裂くように、照子は攻勢を仕掛ける。
交渉には乗らず、断言系。
既に死にかけているグーラの首を乱暴に掴み、リールが見えやすいように掲げて見せた。
「自分でもちょっと引くほどの力で、思いっきり。ひょっとしたら、宇宙に出るかもしれない。いや、どうだろうな? それは流石に冗談だとしても、外国には行くかも? まぁ、死ぬだろうね、投げられた衝撃で。でも、君たちがそれを拾えば、復元する手段はあるんだろう? そして、その肉片をこっちが先に見つければ、封印の媒体にはぴったりだ」
「待ってくれ。それは余りにも不合理極まりない。どちらにとっても、最悪の事態を招く可能性がある」
「かもしれないね。だから、やってみようぜ」
「投げようとした瞬間、殺す」
「死なないよ、残念ながら…………ははは、それより、うん。やっぱり、そうだ。リース、君のように賢くて、強い奴は、こういう不確定な未来を嫌う。だから、これがこうするのが一番面白い」
邪悪に笑う照子の言葉を聞いた瞬間から、リースの思考は凄まじい速さで回転していた。
常人の思考速度が徒歩ならば、リースのそれは音速を超える戦闘機のそれだ。対等な条件であれば、リースの思考から逃れられる人類は少ない。
だが、それは即ち、全て最善の未来を選べることには繋がらないのだ。
特に、思考を読みにくいイレギュラーが相手ならば、容易く最悪は成る。平然と、自分の有利を蹴飛ばして、誰にとっても最悪を選ぶ、天宮照子ならば。
「じゃあ、カウントダウンだ」
「分かった! 君の知りたいことをこの場で全て言おう!」
「十、九、八、七」
「いや、言う! 今から、ワタシが勝手に白状する! だから!」
「六、三」
「秒数―――!?」
「零」
されど、異常事態は誰にでも起こる。
リースにとってのイレギュラーが照子であるのならば、照子にとってのイレギュラーは奈都だった。
「がうっ!」
「うおっ?」
それはいくつもの要素が重なったが故に、成功した奇襲だった。
まず、余裕ぶっている照子であるが、魔力の残量が厳しく、同時にリースという強敵と相対している。集中力を他に割く余裕が足りなかった。
そして、照子の腕へ――グーラを持つ手へ噛みついた奈都は、まるで魔力の強化を使っていない。ただの子供の力で、密かに歩み寄り、照子に噛みついたのだ。
本来、照子の力と防御力ならば、その程度の噛みつきなど、まったく意に介していないのだが、何せ相手がボロボロの奈都だ。人間の子供だ。だからつい、心配と驚きでグーラを掴む手を放してしまったのだろう。
「強制退去!」
「―――ああ、くそっ」
その僅かな気のゆるみこそが、リースにとっての最大の好機だった。
死に体のグーラは、その肉体が霞の如く消え去って、この場から消滅する。これは、頭領であるリースのみが行使できる、『本拠地への強制退去命令』だ。もっとも、使うための条件は厳しく、照子の隙が無ければ発動は成功しなかっただろうが。
「ありがとう、奈都――――そして、君も来い! 我らは同志を見捨てない!」
「やれやれ、マジで最悪な時間外労働だ」
照子は己に噛みつく、可愛らしい敵対者を逃がさないために。
リースは己の窮地を救った、小さな恩人を助けるために。
互いに僅かな時間、全力を尽くして戦った。
「…………はぁーあ。腕なんか貰ってもなぁ」
僅か数秒の戦い、その軍配はリースと奈都に上がったらしい。
もっとも、奈都は仲間の半分を失い、心身ボロボロの状態での撤退。リースは、奈都を助けるための時間で照子に捕まれ、そこから撤退するために自ら左腕を切り落としたという有様だったのだが。
「あんぐ」
敗北してしまった照子は、とりあえず、リースの左腕の切断部分……肘の辺りから滴る血液を舐めて、しばらく味わった後、嫌そうな顔をして吐き出す。
「人間みたいな顔で、人間みたいな味をしてやがる」
果たして、いつまで自分は人間で居られるのか?
そんな疑問を抱く照子の顔は、誰にも見られていない――――自分自身にさえも。




