第48話 銀弾よ、常冬を穿て 13
姫路奈都は、人間が嫌いだ。
特に、それを隠そうとはしていないが、他者からそれを指摘された時、脳裏に思い描くのは、数多の失敗の記憶だった。
『おかしいよ、お前』
車に引かれた猫の死骸を、涙を流しながら埋めているところを見ると、クラスメイトは奈都のことを薄汚い物のように見てきた。
『結局、貴方ってペットが一番大切なんでしょ? 寂しい奴』
クラスメイトよりも、仲間との交流を優先すると、当然のように人は離れた。
だって、当然だ。
奈都は人間が嫌いなのだから。
両親があれほど周囲に尽くして、誰かの笑顔のために頑張っていたというのに、結局。誰も両親の仇を討とうとしなかった。復讐を実行に移したのは、奈都自身のみ。それ以外の人は誰しも、見て見ぬふり。
いや、ひょっとしたら、己の知らないところで誰かが動いていたのかもしれない。
でも、それは遅い。遅すぎる過去の話だった。
奈都は復讐を遂げて、数多の人間を殺してしまったのだ。実行犯だけではなく、その伴侶も、幼い子供も、赤子さえも、奈都は容赦なく殺した。
残った獣と心身を共にして、血肉を貪る快感は、奈都の精神を完全に破綻させたのである。
その時から、奈都は人であるよりも、人の皮を被った獣として生きることを選んだのだ。
『奈都ちゃんって、本当に動物が好きなんだねぇ』
ただ、奈都は賢かった。
幼いながらも、理解していたのである。
獣として思うがままに生きれば、いずれ、己だけではなく、己に付き従う友達すらも、駆除対象に含まれてしまう、と。
復讐は対象が、裏社会に属する人間とその親類であるが故に、見逃されていた。だが、被害が一般人にまで及べば、きっと社会に属する秩序の番人が奈都を罰するだろう。
強い両親ですら、不意打ちで殺されてしまったのだ。
未だ、幼い奈都では、どれだけ強く在ろうとしても、いざその時が来れば、あっさりと駆除されてしまうだろう。
「…………うん! 私、動物が大好きなの!」
だから、奈都は動物好きな少女を装うことにした。
単なる博愛主義。
動物を好んで愛する、『そういう人間』として己を偽装して、なんとか社会の中に紛れて生きてきたのである。
それは、奈都にとって、憎悪と恐怖が入り混じる日々だった。
『俺も動物が好きなんだよ! 特に、猫! なぁ、今度一緒に猫喫茶に行こうぜ!?』
『えー、貴方みたいな人って、あれでしょう? 害獣駆除にも、なんかいちゃもん付ける感じなのでしょう?』
『ああ、わかる! わかるよ! 人間は度し難い! だからこそ、我々のような存在が、絶滅危惧種を保護してあげなくてはいけないのだ!』
『獣しか信じられないなんて、暗いよね、お前』
友達を生かすために社会に混じった奈都を待っていたのは、数多の不愉快な経験。
訳知り顔で、動物をだしに、奈都へ近づこうとする軽薄な男。
勝手なレッテルを張り付ける、一度も言葉を交わしたことのない他人。
思い上がった思想を押し付けようとする、傲慢な人間。
人間と交流出来ない存在は、生きる価値がない屑だと言わんばかりに見下してくる誰か。
奈都にとって、それらは全て、不愉快な存在だった。
何も我慢することなく、思ったままに牙を、爪を振るうことが出来たのならば? 何も考えずに、鬱陶しい衆愚を殺戮することが出来たら、どれだけ最高だろうか? と胸の中で何度も繰り返す日々。
『君ってさ、なんか、心の中でクラスメイト虐殺してそう! あ、でも、気にすること無いよ! 僕たちみたいな奴って、大概、そんな感じだから!』
恐怖を覚えたのは、そんな憎悪と殺意ですら、『よくある中学生の妄想』として括られる程度の物であるということ。もっとも、実体験や能力、経緯からすれば、奈都は間違いなく『本物』であるので、『わかってないな、こいつ』と適当に流せればよかったのだが、どれだけ規格外でも、奈都はまだ子供だ。
人間になっている……そういう恐怖が奈都の中には生まれてしまった。
人間の社会で、人間の振りをしていたら、いつの間にか人間になっている。
ならば、つまらない社会の中で、つまらない人間を装いながら暮らせば、いつの間にか、つまらない人間として、生きていくことになるのだろうか?
かつて、両親を殺した人間のように。
かつて、両親を見捨てた人間のように。
「嫌だ……そんなのは、嫌だ!!」
奈都は考える。
どうすれば、こんな日々から脱することが出来るのか? と。
銀治に指摘された通り、友達と共に、人気のない霊峰の奥地に引きこもり、誰とも交流せずに生きていくことも考えた。
奈都が中学生でなければ、かつて、両親を殺されていなければ、そういう判断も出来たかもしれない。諦めるという決断を、憎悪を殺すという覚悟が出来れば、誰も傷つけず、平穏に過ごせたかもしれない。
しかし、奈都の胸の中には、人間に対する憎悪が燃え続けている。
だからこそ、奈都はギルドに所属し、悪人を殺す類の依頼を好んで選んだ。
己の内心と、世界のギャップに苦しみながらも、せめて、なんとか自分が納得できるだけの生き方を探そうとして。
『ねぇ、君。今すぐ、誰かを噛み殺しそうな顔をしているけれど、どうしたのかな?』
そんな時である。
奈都が、リースという魔人と出会ったのは。
『あははは、なるほど! そりゃあ、大変だ、うん。でも、君のそれは八つ当たりに近しいよ。だって、君が憎い奴は全部、君が殺したんだろう? だったら、そこで終わり。それ以上を殺そうとすれば、君はただの『殺したがり』だよ』
当初、奈都はリースが魔人であることも知らなかった。
魔物特有の気配を上手く隠していたこともそうだが、リースは人間よりも、人間らしい魔人だったのだ。
奈都が、『鬱陶しい偽善者』と勘違いしてしまうほどには。
『ねぇ、奈都。君は人間を嫌うけれども、君の行動は人間だよ? だって、どれだけ無惨に仇を殺したところで、それは復讐という、人間の行動だ。獣が、自分の兄弟を殺されたからといって、復讐しようと思うかい? それだけの知識と感情を持った獣が居るとすれば、それはもう、単なる獣というカテゴリから逸脱していないかな?』
リースが奈都に告げる言葉は、いつだってもっともらしく。
憎たらしいほどに正論で。
己の醜さや、未熟さを嫌というほどに突きつけて来るものだった。
奈都は、そんなリースが大嫌いで、いつだって会わないように気を付けていたのだが、いつの間にか、リースは奈都の隣に居る。
煙のように現れて、好き勝手言って。
いつの間にか、煙のように消える。
そんな鬱陶しい邂逅が、いつしか日常になってしまうぐらい慣れ切った時だった。
『…………あー、いや、これは別に、君を助けようと思ったわけではなくてだね? まぁ、うん。これはバレてしまったね?』
リースが、魔人としての力を振るっている瞬間を、奈都は見た。
奈都に殺された悪人たちの仲間が、力を合わせて奈都を殺そうと準備をしていた時のことである。リース曰く、『そうする必要があった』から、殺しただけだったらしい。
怒りも、憎しみも無く、ただ、必要だから行われた殺戮。
無駄が無く、苦しめず、けれど、必要以上に慈悲を与えるわけでもなく、作業として淡々と殺すその手際は、美麗の一言に尽きた。
そんなリースの美しい行いに、奈都は長い間ずっと悩んで来た問題への答えを、見つけたような気がしたのである。
そうなりたい。
私も、憎悪や恐怖から解放されて、誰に恥じることなく、友達と一緒に生きていきたい。
そんな世界で、生きていきたい。
『…………だったら、大人しく待つことだね。何事もなく、後……そうだね、十年も経たずに、きっと、誰しも幸福に過ごせる世界がやって来るよ』
今までの失礼な態度を詫び、リースの目的への協力を申し出た奈都だったが、リースの答えは求めていた物と違っていた。
けれど、奈都は基本的に執念深い。
何せ、復讐相手の親類まで調べ上げて、きっちりと皆殺しにした奈都だ。一度、こうと決めたら中々引き下がらない。
『ああもう…………そんなつもりじゃ、なかったのに』
やがて、奈都の熱意にリースも根負けして、段々と危険度の低い依頼を頼み込むようになって…………そして、現在。
「う、ううあ…………みん、なぁ……っ!」
奈都は己の愚かさの代償を、かけがえのない喪失として支払うことになっていた。
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奈都が行う融合魔術は、己の肉体が乗っ取られる可能性があるという甚大な欠点を除けば、魔獣の特性を我が物とする優秀な魔術だ。
互いに、信頼関係のある魔獣と術者が行えば、その力は何倍にも膨れ上がるだろう。
それだけではなく、一つの群れとして、心を混ぜ合うほどの信頼を得ていれば、複数体の魔獣と融合し、その力を発揮することが出来る。
それが、異心混合・キメラ。
奈都の一族が持つ、秘中の秘。
奥義と呼ぶにふさわしい魔術だった。
そして、この魔術の特性として、融合中に受けたダメージは、術者、魔獣も含めて均等に分けられるという特性がある。ただ、この特性を持ってしても、肉体の六割以上を消し炭として吹き飛ばされた状態では、魔獣はともかく、人間の奈都では致命傷を避けられない。
よって、奈都と融合していた魔獣たちは一つの決断をすることになった。
『この愚かしくも、愛おしいリーダーを、生かそう』
奈都が魔獣たちを家族と見ているのと同様に、魔獣たちは奈都を群れのリーダーだと認識していた。
情けなく、時に、迷い苦しみ、散々選んだ道を後悔するリーダーであるが、それでも、一番強く、一番優しい『獣』だった。
その気になれば、魔獣たちを手放して、いつだって人間の社会に埋没することが出来たというのに、それが出来ずに苦しんだ愚かなリーダー。
愛おしき、家族。
それを守るために、己の身を犠牲にするのは魔獣たちにとっては当然のことだった。
だから、あえて均一に引き受けるはずのダメージを奈都へと向けないために、魔獣たちは多く引き受けて。
「どう、して……? 私なんて、私、なんてぇ! 死ねば、良かったのに!!」
雪が溶けかけた大地に平伏し、奈都は砕けた魔結晶の前で泣き叫んでいた。
生まれてからずっと、共に在った、家族同然の存在を、永久に失った事実。それを眼前に突きつけられて、奈都は泣きわめき、胃の中の物を全部吐き出す。
使命感という熱に浮かされて、止せばいいのに格上に手を出して、挙句の果てには返り討ち。その果てに、仲間を失うという無様は、奈都にとっては心が死ぬに等しい悲しみと後悔を得る物だった。
思い上がっていたのかもしれない。
両親を一度、失っているというのに。
まさか、自分が家族をもう一度失うとは思わず…………否、考えたくなかったのだろう。家族を失うということに関して、尋常ならざるトラウマを持つ奈都は、意図的にそこから目を逸らしていた。
目を逸らして、平気な振りをして、誰に指摘されることも無く歪なまま育ったからこそ起きた悲劇である。完全に自業自得であるが、幼くして両親を失ってからずっと、人間に対して閉ざして来た奈都に、同情すべき点は少なくない。
「ごめん、ごめんね……みんな…………でも、私、ちゃんと、やるよ」
だが、奈都は憐れまれるだけの可哀そうな少女ではない。
両親が殺された時も、復讐を選べる少女だ。
復讐を選んでしまうほど、強くあってしまう少女だ。
「皆の命を、絶対に無意味になんてさせない」
奈都は涙や鼻水を拭い、決意と共に立ち上がる。
例え、己に出来ることが僅かしか無かったとしても、せめて、託された使命だけは絶対に果たすために。
奈都は再び、自ら望んで――――愚行を為す。




