第47話 銀弾よ、常冬を穿て 12
理想的な好機だった。
銀治は瞼に塗った魔法薬の効果によって、闇夜でも変わらず見通せる暗視を得ている。本来、狙撃銃に備わっているはずのスコープは、光の反射を嫌って外していた。元々、人間離れした視力を持つ銀治には、例え、一キロ先の狙撃だろうが、スコープは必要ない。
必要な物があるとすれば、それは好機だけ。
たった一瞬、『常冬の王』が展開する絶対防御を万全の態勢で射抜く好機さえあれば、銀治は己が使命を成し遂げられると確信していた。
「…………ふぅー」
冷たい吐息が、暗闇に紛れて吐き出される。
口の中に含んである雪の冷気が混じった、息。それは本来の人間のそれに比べて、透明だ。まるで、死人が吐き出しているかのように。
そう、死人。
狙撃の基本は死人になることだと、銀治は考えている。
望まない。
意識しない。
殺意を出さない。
狙おうとしない。
獲物は、生者の気配に敏感だ。だから、死ななければならない。心を殺し、肉体の動きを殺し、虚空から弾丸を撃ち出すのだ。
望まず、殺意も含めず、ただ、機械の如く引き金を引く。
結果は殺した後から、喜べばいい。
それは今、『常冬の王』に銃口を向けている時でも変わらない。
「八番目の魔弾よ、退魔の理を示せ」
視線の先で行われている、照子の大暴れに対しての感情を意図的に排して。
己の中にわだかまりそうになる複雑な心境も殺して。
銀治は、理想的に展開されている確殺の流れを待つ。
『常冬の王』が展開する防御すらも、力任せにぶち破る照子。その拳が叩きつけられる度に、『常冬の王』の能力に綻びが生じて、外部からの干渉を受けやすくなっていく。
確実に、その時が来る。
必殺の魔弾を撃ち込む、その時が。
「――――っ!」
そして、ついに照子が『常冬の王』の防御を完全に崩そうとした時、銀治は反射的に狙撃銃を掲げた。すると、鋭い風切り音と共に、猛獣の爪が振り下ろされているところに、ちょうど割り込む形で銃身が激突する。
ぎぃん、という硬質的な激突音が聞こえた瞬間、銀治は反射的に爪が振るわれた方向へ強く蹴りを放つ。
『ぎゃいんっ!』
獣の悲鳴。
固いゴムに似た、筋肉の鎧の蹴りごたえ。
されど、闇夜の中で確認する襲撃者の姿は、人狼。人型に近しい狼の爪が、銀治に対して振るわれていたのだ。
そう、この常冬に存在しないはずの、人狼の型の魔獣による襲撃。
これで、人狼の背後に潜む者の正体に感づかないほど、銀治は鈍くも、間抜けでも無かった。
「ちっ。あの時に、殺しておけばよかったか」
もう、狙撃銃は銃身が歪んで使えない。
予備はログハウスに置いてあるが、そもそも、この近距離に於いて狙撃銃による迎撃は正しくない。
よって、銀治はサイドアームであるリボルバーによって迎撃した。
「貫け、第三の魔弾」
リボルバーに装填したのは、三番目の魔弾作成者が作り上げた貫通の魔弾。
対象の魔力による防御を貫き、こちらの攻撃力をそのまま相手へ与えるための魔弾だ。だからこそ、本来、魔獣の筋肉と魔力による障壁によって効果が薄いはずの弾丸は、きっちりと人狼の心臓部を吹き飛ばして、瞬く間にその姿を霧散させる。
「当たれ、第二の魔弾」
次いで、撃ち出したのは必中効果を持つ魔弾だ。
銀治が一度視認し、その姿を覚えている対象であれば、魔弾は追尾性能を持ち、必ず的中する。もっとも、それは一定距離内に対象が存在する場合に限られるが、今回はそれが適用されたらしい。
ただし、当たったところで意味のない相手だったが。
『銀治さん。忌まわしき狩人さん。言ったはずでしょう? 『常冬の王』と友達にならなければならない、と。だから、友達になろうとする魔獣を殺そうとする貴方を、私は殺します』
魔弾は灰色の煙の中を通ったかと思うと、その効果を失くして雪の中に潜り込む。
異心同一という魔術により、襲撃者――奈都は物理攻撃を無効化しているのだ。正確に言えば、魔弾に当たってはいるものの、肉体が煙となっているので意味を為さない。
相手の物理攻撃を避けつつ、一方的に指揮官である奈都が、各所に隠してある魔結晶から魔獣を召喚。数と連携の力で対象を狩り殺す、というのが奈都の戦闘スタイルだ。
これが、物理手段に特化した存在であれば、例え、脅威度ランクCの相手だって、一方的に狩り殺せるかもしれない。
「――――はっ。獣の友達、ねぇ?」
戦う相手が、銀治でなければ。
「じゃあ、お友達を助けてみろよ? なぁ」
『――――んなっ!?』
本来、銀治が持つ魔弾の力を用いたとしても、煙と化した奈都に有効打を与えるのは難しい。魔力をたっぷりと込めた弾丸ならば、多少はダメージを与えられるかもしれないが、致命傷には程遠いだろう。
加えて、銀治が所有する魔弾の効果は大抵、相手に的中させてから効果を発揮する物が多い。煙の肉体を貫いたところで、それが着弾とカウントされるか怪しいものだ。
一応、一撃で殺せる魔弾の持ち合わせもあると言えばあるのだが、それは紛れもない必殺の切り札。『常冬の王』以外に、放つつもりは無い。
だからこそ、銀治が取った戦法は効率的で効果的な代物だった。
「必中の魔弾。こいつは、僕が持つ魔弾の中でも、あまり使い道がない魔弾だ。だって、そうだろう? こんなものは下手くそが使うものだ。獲物は己の腕で狙い、仕留めるべきだ。それが出来ない下手くそなご先祖様が作り上げた魔弾なんだよ、これは…………でも、今回で見直したね。こういう風にも使えるなんてさ」
「う、ぐ……」
必中効果を持つ、魔弾。
銀治はこれを、奈都に対してではなく、『奈都が周辺に隠した魔結晶』に対して、撃ち出していた。そう、奈都を助けた時、所持品である荷物を確認して、きちんとその姿形を覚えている魔結晶に対して。
「別に、僕はお前の信条に対して、何も思うことなんてないよ」
煙の肉体では、弾丸を止めることは出来ない。
そう判断した奈都は素早く術式を解除して、その身で銃弾を受け止めた。僅かな可能性でも、友達である魔結晶が砕かれぬように、精一杯の魔力を込めて、自らの腹で受け止めたのである。
「正直さ、苛立つけれど、『常冬の王』を説得して、この領域から解放してくれるのならば、構わないんだよ。とてつもなく気に食わないけど、僕を出し抜いてそれを成し遂げたのなら、僕の敗北ってことだし、好きにすればいい。敗者として、大人しく引くさ。でも、それはあくまでも、僕の未来を害さない場合のことだ」
ここに至って、銀治にはもう、奈都に対してかける情けも容赦も存在していない。
何を言おうが、何を為そうが、既に殺す対象として定めていた。仮に、照子がこの場を収めようとしても、構わず、奈都を殺そうとするだろう。
「――――お前、説得の材料に『僕を殺すこと』があった場合、僕を殺すだろ?」
何故ならば、奈都という存在が根本的に己の敵対者であると察してしまったのだから。
「お前はさ、姫路奈都。獣が好きなんじゃなくて、人が嫌いなだけだよ。お前はきっと、本当は人を皆殺しにしたくて仕方ないのさ」
「お、まえに、なにが――っ!」
「まるで、復讐に憑りつかれていた時の僕みたいだ。気に食わない」
語りながらも、銀治は手を休めない。
何度も、何度も、最効率で魔弾を装填し、必中効果を持った弾丸を撃ち続けている。
わざと、奈都が体に受けて、阻止できる猶予を与える程度の速度で。
「だってさ、お前の友達とやらが本当に大切だったら、戦いに使わないだろ?」
「…………う、あ」
奈都は反論したかった。
けれども、度重なる銃撃を受け止めた所為で、内臓はぐちゃぐちゃ。口からは吐血が止まらない。骨が幾つも折れて、死にかけの有様だ。
そして、仮に万全だったとして、奈都に何が言えただろうか?
いくらでも、それなりの言葉を取り繕って反論は可能だ。生きるために、戦うことが必要だったとか。戦いだからこそ、信頼できる友達を仲間にしているのだとか、それらしい言葉を考え付くのは簡単だ。
ただ、言ってしまえばきっと、奈都の中にある何かが終わってしまう。
「お前は、誰も来ないような山奥で、引きこもって暮らしていればよかったんだ。僕は、それが嫌だから、前に進む…………外に行く」
既に、憎悪と復讐を乗り越えた銀治は迷わない。
未だ、己の行動すらままならない、迷っている最中の奈都へ、最後の弾丸を撃ち込もうと魔弾を装填して。
「外なんて、そんなにいいもんじゃないよ」
皮肉げに強がりの言葉を奈都が、己の遺言として吐き出した時、周囲を吹き飛ばすほどの衝撃が領域内を襲った。
それは、空から降り注ぐ光の柱が生み出した爆発。
雪を解かすのではなく、急激に蒸発するほどの熱量を加えたからこそ起こる、壮絶なる嵐の発生だ。当然、爆心地である銀治たちもそれに抗うことは出来ず、少なくない衝撃で肉体を揺らされる。
「異心混合・キメラ」
そして、僅かに生まれた銀治の隙を突く形で、奈都は可能な限りの魔結晶を手元に集めて、多数の魔獣と己の心身を混ぜ合わせた。
禁術中の禁術を用いて、強制的に己の肉体を得た奈都は、もはや獣なのだか、怪物なのだかわからない、『爪のある触腕』を振るう。
「ちいっ!」
銀治もまた、直ぐに立て直し、即座に用意できる魔弾の中で一番威力の高い物を撃ち出す。
二つの攻撃が交差した結果は、相打ちだった。
悍ましい怪物へ転身した奈都の触腕は、銀治の脇腹を確かに切り裂いて。
銀治が放った炎の魔弾は、奈都が操る蠢く触手に当たって、凄まじい熱量の火炎を発生させている。
どちらも、致命傷に近しい重傷を負い、けれど、決定打にはならない一撃を与えて、衝撃の第二波に抗うことが出来ずに吹き飛ばされていく。
互いに、『このまま終わるということはないだろう』という予感を得ながら、両者は各々の敗北感を胸に姿を消していった。
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なんて有様だ、と獣は己を自嘲した。
自慢の毛皮は、半分以上が黒く焼き焦がされて。王たる象徴の角は、片方がへし折れてしまっている。辛うじて足が動くのがマシだが、即死を避けるためにありったけの魔力を使ってしまったが故に、コンディションは最悪。おまけに、己の領域に大穴をあけられて、それを塞ぐ手段も無いと来れば、どうあがいても獣は敗北者だった。
認識が甘かった。
数百年間、領域内に引きこもっていた獣は、己の慢心を後悔していた。
かつて、神であったはずの自分すら討ち取った人間どもなのだ。外からやって来た奴が、かつての規格外と同類であると、何故、考えなかったのか?
どれだけ後悔しようとも、時は戻らない。
やがて、獣はかつてのように、今まで己が手を下して来た相手のように、冷たい躯となって終わりを得るだろう。
「――――なんて有様だよ?」
獣が己の死期を自覚し始めていた時、倒れた木々の影から、懐かしい匂いのする人間が顔を出す。
人間は手に拳銃を携えて、とめどなく血が溢れる脇腹を抑えていた。
『クォー』
そんな姿の人間に、獣はおかしくなって一鳴きする。
まったく、お互い予定外にもほどがある物じゃあないか。
本来であれば、誰の干渉もなく、全力を尽くして殺し合うはずの間柄が、互いに瀕死の状態で出会ってしまった。
長い因縁の決着を付けるには、最悪に等しい状況だ。
――――それでも、戦わずにはいられない。
「…………僕の名前は、犬飼銀治。八代目、狩猟者だ」
脇腹を片手で抑えたまま、人間は銃口を獣へと向ける。
獣もまた、なけなしの魔力を絞り上げて、人間への必殺を練り上げる。
どれだけ無様で、どれだけ納得いかない状況でも、一体と一人は言い訳などしない。戦う相手から逃げることなんてしない。
例え、どちらが勝ったとしても、互いの命の灯火が消えうる可能性があったとしても。
犬飼銀治と、『常冬の王』は相対する。
「行くぜ」
『クォウ』
壊れかけの冬の中で、今、一つの因縁が終わりを迎えようとしていた。




