第46話 銀弾よ、常冬を穿て 11
三つ巴の睨み合いの中で、最初に動いたのは照子だった。
特に迷うことも無く、まっすぐと『常冬の王』の下へと突撃し、拳を振るう。その拳に込められた魔力は、山を削り、容易く魔獣の肉体を吹き飛ばすほど。
『クォーン』
けれど、『常冬の王』がひと鳴きするだけで、振りぬかれた照子の拳が制止する。
突然、不可視の壁に当たったかの如く動きが止まり、けれど、音は鳴らない。その瞬間、拳に込められた運動エネルギーが全て無くなったような止まり方だった。
「なるほど。そういう能力か」
拳を止められた照子は、素早く腕を引いて後退する。
戻した手を見ると、その美しい指先には、僅かばかり霜が降ったかのように氷の粒が付着していた。指先もまた、熱を冷たさが目立つ。
熱を、奪われていた。
「冬ってことは、つまり、季節の終わり、あるいは生命の終わりを示す。冬の王様ってことはつまり、『終わり』を司るってわけか。だから、私の運動エネルギーを終わりにして、制止させた。恐らく、効果範囲はこの領域全て。けれど、魔力の多寡によって効果が変わる。あまりに大規模に能力を発動させれば、私たちを即死させるまでにお前が死ぬ。だから、お前の能力を付与した氷を媒体として、攻防一体の攻撃手段としているわけだな。んでもって、さっき、私の攻撃を氷じゃなくて、能力で止めた理由は、込めた魔力の違いで氷が突破されると察知したから」
たったそれだけのことで、照子は『常冬の王』の能力に対して見当を付けていた。そして、その考えは間違っていない。
『常冬の王』の能力は、終わりを伴う冷たさに関わる物だ。
自らの領域を展開したり、氷や雪を操ることも可能だが、それはあくまでも副産物。能力の本領は、対象の動きを止めて、終わらせるということ。
相手の熱を奪い、徐々に動きを止めていき、最終的には冷たい躯として雪の中に埋もれさせる。動く物を、終わらせる。
そういう終焉を司る魔獣こそが、『常冬の王』だった。
「つまり、お前が止められないぐらいの魔力を込めて、思いっきり殴り飛ばせば、ダメージを与えられるということだな、うん。分かったぜ、攻略法」
『――――っ!!?』
そして、そういう能力を理解した上で、ごり押しで殴って来るのが照子という存在だ。
基本、どのような固有魔術を伴う能力であっても、魔力さえあれば対抗可能なのが、この世界の仕組みだ。もっとも、そのやり方はとてつもなく魔力を無駄遣いするやり方であり、並の退魔師であれば、あっという間に魔力が枯渇する悪手だろう。
また、どれだけ魔力が豊富にあったとしても、その行使に耐えられるだけの肉体が無ければ、意味はない。通常、人間の脆い肉体では、『常冬の王』の能力行使を魔力で完全に防げるだけの耐久は存在しないのだ。
しかし、照子はその両方を兼ね備え得た怪物である。
「く、ははははははははは!! どうした、どうしたぁ!!? その程度かよ! その程度で! 獣如きが! 王の名前を冠せられているのかよ!? なぁ、おい!!?」
獰猛に笑う照子の拳が、数百発ほど連続して『常冬の王』を襲う。
それらの拳の一発一発に、全て、氷の壁をぶち破るだけの威力が込められており、必然、『常冬の王』は能力を行使して、防御せざるを得ない。
防御の度に、多大な魔力消費を強いられたとしても。
「はっはぁ! 嗤えるなぁ、畜生が!!」
侮蔑と共に、拳の乱打を叩き込む照子の姿に、『常冬の王』は畏怖を覚え始めていた。
おかしい。
明らかに、人が保有しうるだけの魔力の限界を超えている。
確かに、『常冬の王』は魔力の多大な消費を強いられ、あっという間に保有魔力の総量が削られているが、それ以上に、照子が魔力を消費しているはずなのだ。
『常冬の王』が、ガソリンを燃やすかの如く魔力を消費しているのであれば、照子の消費のやり方はニトロ。一瞬のやり取りでも、並大抵の退魔師が魔力を枯渇するに十分な浪費を行いながら、攻撃を行っている。
こいつの魔力は底なしなのか?
「怯えたな?」
底なしの闇を覗き込んだような恐怖を抱いた瞬間、『常冬の王』の防御に綻びが生じた。
例え、核の炎だろうとも終焉に導く、絶対なる防御術であるが、無論、そのために費やされる集中力は決して少なくない。
大抵の場合、絶大なる効果を伴った能力を発動するためには、己の魔力を練り上げるための集中力が必要となる。まして、ここ数百年間、犬飼一族以外に敵対者が居なかった『常冬の王』からすれば、己の同等以上の『生物としての格』を持つ存在に対して恐怖を抱くのは当然の流れだっただろう。
故に、絶対なる防御は瓦解を始めた。
「まず、一撃」
止めきれなかった照子の拳が、『常冬の王』の毛皮を叩く。
とんっ、という軽やかな音。
それは優しいノックのようにも聞こえるだろう。
「二撃目」
どんっ。
ノックの音が、変わる。
荒々しくなっていく。
だが、まだ傷を負うほどのものではない。
「三撃目」
――――どっ!
ドアを叩き割るようなノック。
その衝撃は、ついに『常冬の王』の巨体を揺らして。
防御の綻びが、増す。
「四、五、六、七――」
一旦、防御が崩れ始めてしまったのならば、後はじり貧だった。
どんどんと防御を貫く拳の威力と数が増し、攻撃を受けるたびに、集中力は削られ。防御は綻ぶ。攻撃に転じようにも、一瞬でも防御に費やす集中力と魔力を違う物に割けば、その瞬間に殴り殺されることは『常冬の王』も理解していた。
殺される。
罠や策略といった知略ではなく、純粋なるごり押しで、少女の形をした怪物に殴り殺される。
『常冬の王』は己の終わりのイメージを明確に脳内に描き始めて、焦りと恐怖が、さらに能力の質を低下させていく。
このままであれば、『常冬の王』は順当に殴り殺されていただろう。
だが、この戦いは三つ巴だ。
「申し訳ない。ひょっとして、私のことはお忘れになっていますか?」
「…………ちっ」
殴殺の乱打を止めたのは、グーラだ。
嵐の中に飛び込むような勇気と覚悟を持って、照子の攻撃の合間に入り込み、その右腕を食いちぎったのである。
無論、己の口元ではなく、手足から生やした『口』による権能の攻撃で。
「それとも、私のことなど取るに足らない雑魚だと? いやはや、流石にそれは舐めすぎではないのですか? 貴方がどれだけ魔力を滾らせようが、この通り――――私の一撃は、貴方の柔肌を容易く噛み砕くので」
グーラの権能による捕食は、防御無視の絶対攻撃だ。
よって、タイミングさえ良ければ、高速循環による絶大な強化を遂げた照子の肉体を傷つけるのも可能である。
だから、グーラはずっとタイミングを伺っていたのだった。
明らかに、面倒な敵から片付けて、残りをさっさとぶち殺そうという舐め腐った態度を照子に取られても、怒りで飛び掛からず、好機を伺っていたのである。何せ、タイミングを間違えればそのまま、カウンターで頭部を殴り砕かれてもおかしくない。
「無論、憎たらしい貴方がこの程度で死ぬとも、戦闘不能になるとは思いませんが、これで、少しばかりは戦力の調和が取れたのでは?」
だが、グーラは起死回生の攻撃を見事に成し遂げて見せたのだ。
照子の右腕は、肘から下を荒々しく食いちぎられており、ぼだぼだと滴り落ちる血液も止まらない。魔力を用いて、無理やり止血をしても、重症。戦えば戦うだけ、戦力が低下していくことは確実のはずだ。
以前の傷が癒え切らないグーラ。
慣れない正面衝突に、王者としての精神が軋み始めている『常冬の王』。
右腕を失うという重傷を負った照子。
これでようやく、グーラの目算では、三つ巴の戦力が拮抗する…………そのはずだった。
「うーん、困ったなぁ、右手が食われてしまったぞぉ。どうしよう? 右手が無ければ、タイピングだって大変だし、今後の生活も不便だ! 年下の同僚に、さらに迷惑をかけてしまう! うーん、どうすればいいんだろう?」
グーラと『常冬の王』の眼前で、照子は唐突に棒読みの演技を始める。
重傷を負っているはずなのに。
右手から滴る血液は止まっていないはずなのに。
まるで、何かのお遊戯でも子供に披露するかのように、惚けた棒読みの口調で語り始めて。
「そうだ、こうしよう」
次の瞬間、悠々と照子が失った右腕を掲げると――――欠損部位に、光が収束した。
否、それだけではない。光と共に、周囲の魔力……『常冬の王』が領域を展開するために消費していた魔力が奪われ、収束したのだ。
「三、二、一…………はい、元通り♪」
目が焼けるほどの光の収束が終わると、そこには無傷の右腕があった。
再生ではない。
復元でもない。
強いて言うのであれば、それは上書きだった。
食われた右腕の情報を、さらに強靱な右腕の情報で上書きしたのである。
恐らく、次にグーラの権能を右腕に受けても、照子は平然とした顔で受け止めてしまうだろう。
「………………は?」
グーラはまず疑問に思った。
こいつは一体、何をしたのか? と。疑問に思ったからこそ、隣に敵対者が居る状態でも、無防備に観察してしまった。
次に、理解した。
照子が為したのは、仮初の器を作り上げたことではなく、『世界に記憶されている己の情報を上書きした』のだと、理解したのだ。
そして、最後にグーラは絶望した。
魔力を消費して、己の肉体を再生するなら分かる。
いいや、百歩譲って、異能を用いて怪我をした過去を否定するのならば、恐ろしく思うが、まだ納得がいく。
だが、なんだ? 周囲から魔力を奪って、その上で、己の情報を書き換えるとは、一体何なのだ? しかも、これは魔術ではない…………照子に備わっている、生物としての機能が働いただけの話だ。
「は、はははっ…………そりゃあ、ない、でしょう?」
グーラは己の笑みが引きつっていることを自覚している。
今まではずっと、照子のことを強大なる敵だと思っていた。恐るべき成長能力を持つ、厄介な敵対者であると。
だから、立ち向かうことも出来たし、仲間のために勇気を振り絞った攻撃も出来たのだ。
でも、理解不能の怪物の餌になるためだけに、踏み出す無謀などは、魔人であるグーラにも備わっていなかった。
『クォークっ!!』
よって、グーラの代わりに決死の攻撃に移ったのは『常冬の王』だった。
止めなければならない。
己の存在を賭けても、この存在を終わらせなければならない。
『常冬の王』の胸の中には、照子を前にした魔物たちが抱く、強烈な殺意と使命感のような物に占められていた。
そう、グーラが無謀と称した蛮勇を為すだけの気力が、『常冬の王』にはあったのだろう。
それを愚かと切り捨てるのは、無情が過ぎる。
事実、『常冬の王』が行った攻撃は強力で、必殺だ。生物であるのならば、『常冬の王』が渾身を込めてはなった『冷気』により、心臓は止まり、思考も止まり、やがて生命活動も止まって、氷像と化す物だった。
――――相手が、照子でなければ。
「起動せよ、我が異能【栄光なる螺旋階段】」
照子の宣言と共に、『常冬の王』が放った冷気が退いていく。二重螺旋の光が、足元から立ち上って、領域の灰色の空を貫く。
グーラはこれを知っていた。
これは、照子が持つ第二の異能。
パッシブではなく、アクティブで放つ、恐るべき後手必殺。
終幕を降ろすための、一撃であると。
「さぁ、【夏への門】は開かれた!」
蓄えられ過ぎた耐性をコストとして、即席にして強大なる異能は発動する。
異能名【夏への門】は、この領域を砕くための一撃だ。外(夏)へと続くための灼熱を呼び寄せるための能力だ。
常冬を砕くために、止まった季節を動き出すほどの熱を呼び寄せるために作られた物だ。
故に、効果は単純にして明快。
「今、季節を正そう」
領域内の冬を全て溶かすほどの膨大な熱量の陽光が、ビームとなって照子の周囲に降り注いだのである。
さながら、季節を狂わせる魔に対して、神罰を下すかのように。
遥か高みから、数多の光の柱が白銀へと突き刺さっていく。
膨大な熱量に当てられた雪は、融解を通り越して、次々と爆発する勢いで蒸発していって。
「…………まぁ、『お礼』はこの程度でいいか」
敵対者を全て吹き飛ばした蹂躙者である照子は、焼け焦げた山肌で一人呟く。
もうもうと立ち込める真っ白な蒸気の中、使命を帯びた少年が、その本懐を遂げようとしていることを予感があったのかもしれない。
ただ、その横顔には『やり過ぎたかも?』という焦燥が浮かんでいたのだが、それも一瞬。時を戻す力なんて持ち合わせていないのだから、過去の所業を後悔するよりも先に、やるべきことがあるはず。
「さて、多分、グーラの奴は死にぞこなっているだろうし。手早く片付けて、長い残業を終わりにするとしようかな」
照子は己の勘を頼りに、仕事の仕上げをしようと歩き出した。
敵対者にとっては、死神のそれに等しい足音を、己が破壊の跡に響かせながら。




