第45話 銀弾よ、常冬を穿て 10
魔人グーラの権能は二つ存在する。
これは、グーラが担当している器官が、厳密に言えば、『口』と『舌』の二つ存在することから、二つの権能を得ているのだ。
一つは、噛み砕く権能。
それほど効果範囲は広くないが、グーラは対象を空間ごと噛み砕いて、虚無へと葬り去ることが可能な力を持っている。これは、ほとんど対象の防御を無視して行う攻撃であり、また、龍神アズマが放った雷撃すらも一定量相殺させることも可能な、攻防一体の力だ。
そして、もう一つ。
『舌』に値する権能がある。
「おお、憐れなる獣どもよ! 決戦の時は来ました!! 御覧なさい、貴方たちの楽園を乱すものが、そこに居る! 悔しく無いのですか!? 貴方たちが子々孫々獲物として、この領域に飼われ続けるのは!? きっと、貴方たちの王は助けてくれないだろう! それは、軟弱なる王が、人間を恐れているからなのです!」
虚言扇動。
例え、実の無い言葉であったとしても、もっともらしく相手に伝わらせる。それだけの権能だ。やろうと思えば、ただの詐欺師にだって可能な、脆弱な権能。
けれども、この虚言は人間以外の、言葉を理解できぬはずの獣たちにすら及ぶ。
人間には及ばずとも、知性を持つ獣たち。
それらは、グーラにとって格好の『獲物』だった。
「貴方たちは違うはずだ! そう、貴方たちは勇敢なる獣である! 自らの牙を! 爪を! 怨敵に突き立てる時は、今なのだ!!」
グーラの言葉に呼応するように、暗闇の中で魔獣たちが大きく鳴き声を上げる。
熱狂は次第に、群れを通して様々な個体に伝播して、次々と魔獣たちが集まっていく。さながら、その光景は肉の雪崩。
闘争本能を煽られ、理性を見失った獣たちは、言葉に追い立てられるように動き出す。
「さぁ! 私が先導しましょう! あの忌まわしい結界を噛み砕き、貴方たちの道を作って差し上げます!」
魔獣の群れの先頭に立つのは、グーラだ。
扇動し、先導するためには、一番先に立たなければならない。加えて、銀治の生活範囲に敷かれている結界は、範囲はさほど大きくないものの、魔なる者を拒む強力な代物。このまま、魔獣の群れを突撃させれば、その半数を結界の破壊だけで費やしてしまう。それは、余りにももったいない。
だからこそ、まず、グーラが先んじる。
結界を権能で噛み砕いて、解除。邪魔する壁が無くなったことで、魔獣たちはいきり立って、ログハウスをそのまま押しつぶす勢いで突撃するだろう。その結果、同胞の肉片を踏みつぶし、己自身の命すら散らすことになったとしても。
人間ですら、熱狂に飲まれれば、命の価値が下がるのだ。
魔獣ならば、どれだけ己の命の価値を下げるのか?
「さぁ! 偉大なる戦いを始めましょう!!」
グーラはそれが楽しみだった。
強靱な生命を噛み砕き、血肉を味わうことも好きだが、己の虚言に翻弄されて、命を無駄にする奴らを見るのが大好きだった。
本当ならば、人間が破滅する様が、グーラにとって一番好ましい。
直接的な力は使わず、己の虚言のみで他者を翻弄し、人間を死へと誘う快感を知ってしまえば、もう、知らなかった頃には戻れない。
だから、獣風情に虚言の権能を使うのは少しばかり抵抗感があったグーラであったが、この窮地を切り抜けない限り、その楽しみをもう一度味わうことは出来ないのだと妥協。
まず、この魔獣の群れをぶつけて、忌まわしき敵対者をいくらか削ってから、なんとか起死回生を狙う。
それが、グーラの思惑である。
もっとも、大して頭を捻ったわけではない。
どの方法が、自分が一番気持ちよく戦えるかを考えて、実行に移しただけ。
ただ、奇しくもその手段はグーラが単独で実行可能な作戦の中で、決戦を望むのであれば、悪くない作戦だった。
戦いの基本は数だ。
数が多ければ多いほど、戦いは優位に進む。
人間が散々積み重ねてきた、戦争の歴史でもそれを証明している。数が少ない側が勝った事例が、歴史的に大きく取り上げられているということはつまり、戦いとは順当に、数が多い方が勝つという証明なのだから。
そう、『通常の戦い』ならば。
「来ましたね、怪物が」
目標である結界内部から、迫撃砲の如く何かが撃ち出されていた。
否、違う。
それは、跳躍であり、突進だった。
結界内から、一人の人間が凄まじい勢いで跳躍し、魔獣の群れに向かって突撃してきたのである。
――――どっ!!!
戦車の砲撃で吹き飛んだ者が、己の死を知覚できないように。
ミサイルで吹き飛ばされてしまった者が、己が何に殺されたのか理解できずに死ぬように。
その一撃で、山肌は雪ごと大きく削れ…………グーラが集めた魔獣たちの約半数が、何も出来ずに死んだ。吹き飛ばされて、肉片となって、無惨に死んだ。
吹き飛んだ血肉は、鮮やかな赤をまき散らして、さながら、かき氷に苺ソースをかけたかの如く、白銀の世界を彩る。
「やぁ、グーラ。体調はもう、いいのかい?」
そんな地獄の中から、五体無事の人影が立ち上がった。
土煙と血煙と雪の粉。それらが混ざった醜悪な煙が晴れる頃、その少女はかすり傷一つない状態で、朗らかに笑っていた。
「折角、君の体を風通しよくしてあげたのに……あっちの姿の方が、私、パンクで格好良いと思うのだけれど?」
「は、ははは…………ならば、貴方を『格好良く』してあげますよ」
「やれやれ。なってないなぁ、グーラ。女の子相手に、格好良くなんてさぁ。いいかい? 女の子は綺麗で、可愛く無くてはいけないのさ。同級生の女の子がそう言っていたのだから、間違いない。だから、まぁ、あれだよ」
華奢な肉体には似合わぬ、圧倒的な魔力の奔流。
一歩踏み出すだけで、足場の雪が消し飛び、道が出来る程の尋常ならざる熱量。
それらを平然と扱う少女の姿はまるで、災害の化身のようで。
「魔法少女モノの悪役の如く、愉快に死んでくれよ、グーラ」
「お前のような魔法少女がいるものですか――――天宮、照子」
天宮照子という、怨敵の出現に、グーラは思わず笑みを引き攣らせるのだった。
「そうかい? 意外と居るものだぜ? 勉強不足じゃあないか? くくく」
グーラに対して、照子はにぃ、と笑みを邪悪に歪ませる。
華奢なはずの両腕には、一振りで山を削るだけの魔力が込められている。
熱狂に飲まれていたはずの魔獣たちが、恐ろしさのあまり、次々と逃げ出している。
これが、退魔師の姿か? とグーラは現実逃避したくなるが、戦わなければ活路は見いだせない。いざ、覚悟して強がりの虚言でも吐こうとしたグーラだったが。
「へぇ」
何かを察知したように、照子が大きく横へ跳んだ姿を見た瞬間、反射的に動きに追従した。それは、攻撃のための動きではない。
恐ろしく勘のいい照子の動きを真似ることによって、脅威を避けるための動きだ。
『――――クォー』
美しい鳴き声が一つ。
まるで、管楽器を吹いたかのような一声が、戦場になろうとしていた空間に響く。
たったそれだけのことで、その周囲は『氷の波』によってのみ込まれていた。
先ほどの照子の攻撃の痕を覆うように、氷が凄まじい勢いで空間を凍結させていき、結果、冬山の一部は、地面から木々まで全て、氷漬けにされてしまう。
「まったく、グーラが怒らせるから」
「こいつは……っ! いや、狙っていましたが、どの口で……っ!」
狂乱した魔獣たちはほぼ氷漬けになったが、照子とグーラは平然とした様子で、氷漬けの範囲から離脱していた。
「うーん、なるほど。あれが、現存する中では最古に近しい魔獣ってわけかぁ」
「…………共同戦線でもしますか?」
「ははは、まさか!」
「ですよね」
照子とグーラは、共に警戒を切らさぬまま、白銀の世界に君臨した『それ』を見る。
真っ白な毛皮。
真っ暗闇の中でも、仄かに光を放つ純白の毛皮。
一般的なそれよりも、遥かに巨大で雄々しい鹿角。
全長三メートルほどもある巨体ながら、スマートささえ感じさせるほどのしなやかな肢体。
そして、黄金に輝く二つの眼球。
――――『常冬の王』は悠然と、侵入者たちの前に姿を現した。
自らの領地で、暴虐を働く賊を誅するために。
「さてさて、どうしたものか」
かくして、尋常ならざる力を宿した者同士の三つ巴が始まった。
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「つくづく常識外れだよなぁ、あの人…………僕も、負けていられないな」
照子が、迫撃砲の如く突っ込んで行った後、銀治はその動きに若干引きつつも、心が振るいあがる気持ちを抑えられなかった。
夜間の襲撃による不調など、欠片も伺わせる様子はない。
いや、そもそもこの程度のトラブルで崩す調子など持ち合わせていないのだ。銀治は例え、食事や排せつの途中でも、素早く戦闘状態へ切り替えることを可能とする訓練を済ませてある。
故に、寝間着の状態から僅か二十秒で完全装備へと移行。
頭は冴えわたり、口元には隠し切れない戦いへの歓喜が浮かんでいた。
「いいや、違う。負けられない、じゃなくて…………僕が、決めなくちゃいけない」
あまりにも唐突な襲撃。
イレギュラーなトラブルに、真っ暗闇の中の出撃を強いられる現状。
はっきり言って、状況は良くない方向へと転がり始めているというのに、銀治は確信に満ちた予感を覚えていた。
今日、この時のために、『我々は生きてきた』のだと。
「犬飼である、この僕が」
己の中に存在する血液が全て、沸騰したかのような錯覚がある。
心は今すぐ、体を動かそうと騒ぎ立てて。
けれども、頭だけはどこまでも冷え切っている。
この時のために、誂えたかのようなベストコンディション。
肌からは、じくじくと一族が呪いと共に覚える、『常冬の王』の気配を感じ取れる。
「――――行こう」
銀治は気配を消し去って、雪に紛れながら戦場へと向かう。
そう、瞬く間に、様子を伺っていた奈都すら目の前で見失うほどの速さで、行動を開始したのだった。
「…………どうしよう」
銀治があまりにも迷いなく、素早く動き出したものだから、困ったのは奈都だ。
奈都は先ほどまで、予想の遥か上を行く照子の理不尽な力に慄いていたが故に、出遅れてしまったのだ。
本来であれば、照子に言われた通り、銀治をフォローする形で付いていくのが一番自然に戦場へと向かえる手段だったのだが、既に姿を見失ってしまっている。
だが、いくら何でも、この状況で暢気に逃走を選べるほど奈都は無責任ではない。
何故ならば、奈都には使命がある。
リースの仲間と合流し、『常冬の王』と友達になるという使命が。
「でも、これはチャンスだ」
使命のためならば、奈都は命を惜しまない。
人間の社会で埋没し、痛みを覚えながら生きていくぐらいならば、奈都は死を恐れない。
死よりも恐ろしい物は、自分が諦めてしまうということだから。
「乱戦の中だからこそ、周囲に相手にされていない小物の私だからこそ、付け入る隙がある」
だからこそ、冷静に戦力を分析して、奈都は判断する。
己がこの状況で自由を許されているのは、いつでも対処可能な戦力しか持たぬ存在だから。仮に、凄まじい音が幾度も鳴り響く戦場に参加しようとすれば、秒も経たずに命を落とさざるを得ないだろう。
しかし、それでも奈都は無力ではない。
必ず、己の行動が戦況を動かす一手になる時が来る、と心に決めて、行動を開始する。
「異心同一・煙々羅」
煙の魔獣を身に宿して、姿と気配を極限まで薄めて……やがて、存在が霧散してしまうギリギリのレベルまで、姿を消す。
『その時』が必ず来ると、信じて。
そして、役者は揃い踏み、長い因縁の行く末を決める舞台は幕を上げる。
だが、これは未来の定まらぬ即興劇。
役者が結末を左右する力に差はあれど、どれが決定打になるかは分からない。
混沌という有様が相応しい戦場が、どのような結末を導き出すのか? その答えを知ることが出来るのは、隔絶された領域の中で、生き残った者だけだろう。




