第43話 銀弾よ、常冬を穿て 8
犬飼一族は当初、まるで『常冬の王』には敵わなかった。
それどころか、『常冬の王』の領域に生息する魔獣にすら、苦戦するという有様だったという。
無理もない。現代の科学力を持ってしても、ランクD以上の魔獣を狩るのは難しいという状況なのだから、当時、刀と弓矢が戦の主流だった時代は抵抗することすら不可能だっただろう。
しかし、犬飼一族には幸いなことに、魔力を操る才能があった。
最初は、己の弓矢に魔力を込めることを覚えて。
次に、己が調合した魔毒を鏃に付着させて。
試行錯誤を繰り返しながら、極寒の領域で犬飼一族は生きてきた。その内、犬飼一族を支援する組織も現れ、段々と装備が充実していく。
外の技術が向上したのならば、その技術を取り入れて。
けれども、やはり、ただ魔力を込めるだけでは魔獣は倒せても、『常冬の王』には通じない。故に、犬飼一族は魔術に手を染めた。
もっとも、魔力を操る才能と、魔術を扱える才能はまた別物である。そのため、犬飼一族が多くの魔術を覚えることは出来なかったのだが、代わりに、一つ、異様に相性の良い魔術を見つけたのだ。
それが、魔弾作成。
魔弾とは、銃弾を媒体として発動する魔術弾頭のことである。
犬飼一族はある時期を境に、一代につき一つ、オリジナルの魔弾の作成方法を残すようになった。
一代限りで、『常冬の王』を倒すのは難しい。故に、子孫に自分が開発した魔弾を残すことによって、段々と戦略の幅を上げようとしたのだろう。
結果から言えば、その試みは成功だった。
魔弾作成の継承魔術により、犬飼一族はようやく、『常冬の王』とまともに戦えるレベルにまで、血族を鍛え上げることに成功したのだ。
「祝福の魔弾よ。この者に、災いを退ける奇跡を与えたまえ」
そして、現在、八つ存在する魔弾の一つが、祝福の魔弾である。
他、七つの魔弾が対象を殺傷することに適した効果なのに対して、唯一、祝福の魔弾は、『撃ち込んだ対象の異常を滅ぼす』という、回復効果のある魔弾なのだった。
「あ、あれ? 頭痛が……」
よって、魔弾を撃ち込まれた奈都に負傷は無く、それどころか頭の中を食いちぎらんとしていた痛みは、嘘のように消えている。加えて、体のだるさや、ありとあらゆる不調が吹き飛ばされたかのように存在しなくなっていた。
「ふん。僕も、お前には無事で居てくれた方が、後々、話を聞くときに便利だからね。最初に銃を突きつけた非礼は、それでチャラだ」
「…………あ、ありがとう、ございます」
ぶっきらぼうに告げて、不機嫌そうに顔を顰める銀治。
ただ、これは単に銀治が照れてしまい、どんな顔をしていいのか分からないので、とりあえず、顔を硬直させているだけの反応だ。
そのことを知らない奈都は、助けてもらった恩と、つい先ほどまで敵対していた相手に対する不信が混ざり合い、複雑な気持ちで頭を下げている。
二人の間に、妙な沈黙が降りて、どちらもどのように言葉を切り出していいのか分からない。
「うんうん、仲良きことは美しきことかな。それで、早速だけれども、奈都ちゃん。記憶の方はどうだい?」
なので、そこをフォローするのが照子の役割だった。わざと声を大きく、空気を読まない風を装って、けれど必要な質問を奈都に問いかけて、話を本筋に戻す。
奈都は照子のフォローで、ようやく緊張がほどけたように一息吐くと、改めて表情を引き締め直した。
「はい。もう大丈夫です。ちゃんと覚えています…………自分が、どうやってこの領域に入り込んでしまったのかも」
言葉の通り、既に、奈都は記憶の全てを取り戻している。
魔弾のおかげで、精神に影響を及ぼす魔術効果は取り払われて、まごうこと無き正気に戻っていた。
「今から思えば、怪しかったのですが…………以前からの知り合いが紹介してくれたので……でも、どうにも、その人を前にしてしまうと、不安になってしまうというか、精神が揺さぶられて…………だから、不思議に思わず、依頼を受けてしまったのかもしれません。いつの間にか精神に干渉を受け、警戒心を消されてしまって、冬山をどんどんと進んでしまい、行き倒れてしまったのかも?」
「ほほう。つまり、君は誰かの仲介でこの領域に入って来たのかい」
「はい。名前は『鈴木』とだけ名乗っていた女性の方だったのですが、多分、偽名ですね。その人が、こう……ネックレス? みたいな魔道具を使った途端、隔絶された領域に入り口が出来て、そこから私は侵入してきたのです」
だからこそ、奈都は虚実を交えて照子へと説明する。
予め、打ち合わせしたとおりに。
「多分、その人が今回の件の黒幕だと思います」
姫路奈都は、己の使命を果たすために行動を開始する。
●●●
「いや、ごめんねぇ、奈都。色々準備してくれていたのに、無理を言って」
「いえ。これもまた、貴方たちに信用してもらうためですから」
時は少し巻き戻る。
具体的に言えば、奈都が常冬の領域へと足を踏み入れる前まで。
「うーん、だからと言って、命を賭けるというのはやり過ぎだと思うよ? 最低限、ワタシの同胞の生死確認。それと、伝言を頼むぐらいで良いのだけれど?」
「ですが、それだけでは同志とは呼べないでしょう?」
「そりゃあ、そうだけれど…………でもさぁ、ぶっちゃけ、ワタシたちからすれば、君のような子供に、これ以上無理を強いたくないわけ。分かるかな?」
ミンミンと蝉が鳴き始める、初夏の山腹。
常冬の領域との境界線となっており、一般人では人除けによって近寄れない場所。そこで、奈都ともう一人、真っ赤なスーツ姿の女性が話し合っていた。
「わかります。貴方たちは優しいですから」
「えー、あのね? 優しくないよ? 確かに、あの人は優しいかもしれないけれど、どちらかと言えば、ワタシたちはその優しさに付け込んで、良いように世界を変えようとしている悪党だよ? 信用してはならない」
「悪党は自分を悪だと言いません!」
「言うよ!? 意外とがっつりと言うよ!? 言わないのは小悪党だけだよ!!」
赤スーツの女性は、しばらく奈都と話し合った結果、草臥れた様子でため息を吐いた。
「頑固でお馬鹿。うちの仲間たちに負けず劣らずのお馬鹿」
「貴方のお仲間ともいずれ会いたいです!」
「駄目よー」
「駄目なのですか!?」
「だって、基本的に人間をぶち殺したい連中ばっかりだもの。だから、会った時にはまず、大きな声で合言葉ね? わかった?」
「はい!!」
「返事だけは本当に…………じゃあもう、仕方ないね。ワタシは今でも反対だけれど、そこまで望むのならば、策を授けます。これで見事、『常冬の王』を殺害か、捕縛することが出来たのならば、きちんと同志として迎え入れましょう」
「やったぁ! 絶対に友達にして見せますよ!」
「ワタシ、貴方のそういうところがとても不安だわ」
赤スーツの女性は、結局、奈都の熱意に押される形で策を授けることとなる。
策の内容は以下の通りだ。
・まず、奈都の記憶の一部を封じて、精神に影響を及ぼす魔術をかける。
・その状態で歩き回ると、まず、領域の影響を受けて行き倒れとなる。
・単に行き倒れになると、普通に死ぬだけなので、出来る限り対象に近づいて倒れられるように、無意識で作用する魔術を仕掛ける。
・対象は回復手段を持っているので、その回復手段を受ければ、記憶も侵入した目的も思い出すので、そこから行動開始。
・最優先目標は仲間との合流。
・努力目標は、『常冬の王』の対処。
「策は授けてみたけれど、本当にやる? これ、死ぬ可能性も内包してある作戦だから、あまり薦めたくないわ」
「やります! それに、貴方だったなら、私がこういうことも込みで提案したのですよね?」
「うん。だから、とても気が進まなかったの」
奈都に提示された作戦は困難だ。
何か一つ狂うだけで、死ぬ可能性がある。
だが、対象と接触する時に、死んでさえいなければ、なんとか対象の持つ魔弾によって蘇生が可能だ。そして、恩を返すという流れで上手く、対象と接触し続ければ、なんとか『常冬の王』との接触や、仲間の回収に役立つという考えだった。
「一応、対象は女の子に慣れていないから、貴方がちょっとぶりっ子ムーブすれば、相手の地雷を踏まない限り、簡単に靡いてくれるだろうし」
「地雷とは?」
「出来る限り、対象の前で『常冬の王』と友達になるとか言わないこと。対象は、幼少時に両親をそいつに殺されているらしいから」
「…………なるほど」
「ただ、問題が一つあるの」
ここまで話したところで、赤スーツの女性は『やれやれ』と肩を竦めて、自虐的な笑みを頬に張り付けた。
「対象と天宮照子が先に接触していた場合、全てが台無しになる可能性がある」
「天宮照子?」
「ワタシの仲間をボコボコにして、領域に叩き落とした張本人」
「仇は討ちます!」
「死んでいない。そして、無理」
「何故に!?」
「貴方は大災害に単身で立ち向かえる? そういう類の、理不尽の体現者よ。だから、とりあえず、貴方がもしも、記憶が復活した状態で天宮照子と出会ってしまったら、即座に退却しなさい。ワタシの仲間のことも考えなくていいわ…………ううん、それだけじゃ足りないわね。一応、精神魔術でワタシと出会った記憶を封じて被害者を装わせるけれど、もしも、天宮照子が関わっていた場合、魔弾を受ける必要性が無くなるかもしれない。その時のために、ワタシの記憶を問われた場合、頭痛を促すように魔術を仕組むわ。恐らく、そこでようやく魔弾を使われるルートもあるでしょう」
自虐的な笑みと共に、すらすらと出て来る過剰な予備プランに、奈都は思わず目を瞬かせた。
一体、この人は何をそこまで恐れているのだろう、と。
「ともかく! 天宮照子と接触したら、逃げなさい! いいね!?」
「…………はい!」
「ああもう、この子、絶対逃げないよ……万が一、ヤバくなったら自殺とか考える前に、逃走してね? ぶっちゃけ、死体から情報を引き出す方法とかも沢山あるから厄介なのよ、最近の人類は」
「…………人間めぇ」
「ふとした瞬間に、人間への憎悪を剥き出しにしない。んもう、だから使いづらいんだって。でもまぁ」
どれだけ賢い者が忠告したところで、愚者は痛みを覚えなければ理解しない。
いや、痛みを覚えて理解した気になって、再び、同じ過ちを犯す。
だからこそ、赤いスーツの女性――リースは憂いを帯びた笑みで、奈都を送り出したのだ。
「君が、我らが同志になれるか、楽しみにしているよ?」
せめて、次に会う時は死体でなければいい、という含みは、残念ながら奈都には伝わっていない。
●●●
状況は最悪だ、と奈都は記憶が戻った時に自覚した。
何せ、対象――犬飼銀治からの印象は最悪に近い。記憶が戻らない時だとはいえ、暢気に地雷を踏み、危うく殺し合いにまで発展しかけた己の愚かさを奈都は嘆きたくなってきた。
けれども、諦めるということを奈都はしない。
かつて、何度も諦観に襲われながらも、それを振り払い、復讐を果たしたからこそ、諦められないのだ。
諦めなければ、必ず目的を達成できる、なんて夢見がちではないのだが。
時に、諦めこそが状況を好転させるということを認められない程度には、奈都は子供だった。
「今回の件は本当に申し訳ございません。全部、私が油断したばっかりに……」
「いや、そこまで謝らなくとも」
「申し訳ございません」
「土下座はやめろ」
奈都は考える。
状況は最悪だからこそ、記憶が戻った直後だからこそ、使える手段がある。
劇的に状況を改善する手段なんてない。事ここに至って、信頼を得るのに手早い方法なんて使えない。だからこそ、誠心誠意、頭を下げて機会を伺うのだ。
「すぐにこの領域から出て行って、黒幕に復讐してきます」
「待て。出ていくにしても、単独では無理だろうが。それに、断言してやる。今のアンタじゃあ、返り討ちに遭う…………せめて、落ち着くまでここに居ろ」
「でも……私、銀治さんのことをよく知らずに、失礼で、酷いことばっかり……」
「…………ああもう! 調子が狂うなぁ!」
銀治への対処は難しくない。
一線を越えた相手ならば、無慈悲に葬れる狩人かもしれないが、人間の悪意を散々見てきた奈都からすれば、素の性格は純朴過ぎて心配になるほどだ。
だから、こうして殊勝な態度を取って、言うことに逆らわなければ問題ない。
そう、銀治だけならば、誤魔化すのはなんでもなかったのだけれども。
「うんうん、仲直りが出来そうで何より」
一見、朗らかに笑う照子の視線を受けて、奈都は胃が締め付けられる想いだった。
笑っている。
表情としては、笑っているのだが、目が笑っていない。
それは、明らかに、何かしらに違和感を覚えていて、奈都を疑っているという証拠だった。
何とか生理的な作用を意識的に操作してなければ、今頃奈都は、真っ青な顔で冷や汗をだらだらと流していたことだろう。
「私も、奈都ちゃんに協力できることがあったら、可能な限り手伝わせて貰うよ。何かあったら、気軽に言って欲しいな?」
「……はい! よろしくお願いします!」
とても恐ろしい怪物の、口の中に居る。
記憶を失った時に感じた温かな照子の感触は、既に奈都の中からは失われていた。




