第3話 美少女に至るまでの前日譚 3
グレ :久しぶり
ツッキー:お久しゅうございます、グレさん!
グレ :どう? 最近の調子は?
ツッキー:いつも通りです! バイト先の同僚が辞めました!
グレ :またかい? ブラックな職場だねぇ、相変わらず。
ツッキー:ほんと、クソみたいな家業ですよ。辞めたいんですけどね
グレ :可能であるのならば、辞めた方がいいんじゃない?
ツッキー:おっと、流石、通算四度の転職を経た社会人は言うことが違いますね!
グレ :五度目
ツッキー:えっ?
グレ :最近、めでたく再就職いたしました
ツッキー:退職の報告すら、聞いてなかったのですがー?
グレ :つい最近、緊急退職して、緊急再就職、みたいな?
ツッキー:再就職RTAじゃないですか
グレ :どちらかと言えば、ヘッドハンティングみたいな感じかなー?
ツッキー:おお、ついにグレさんの有能ぶりが世間に評価されましたか!
グレ :うーん、微妙に違うというか、必要に迫られてというか
ツッキー:誰かに必要とされることは良いことですよ。ボクも、掲示板の皆も、グレさんの存在をとても大切に思っています。
グレ :それは、私が貴重なGMだからだよね?
ツッキー:(・3・)~♪
グレ :こいつぅ!
ツッキー:新しいシナリオを、我々一同、お待ちしております!
グレ :ま、仕事がひと段落したらね? また、遊ぼう
ツッキー:ボク、PC1が良い! グレさん、美少女ヒロインやって!
グレ :ハンドアウトは抽選となっております
ツッキー:ちぇー
グレ :とりあえず、これから冬本番だからね。体調を崩さないようにして、楽しみに待っていただければ幸いだよ
ツッキー:ボク、愛しのグレさんをいつまでもお待ちしております
グレ :はいはい
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28年生きていて知らなかったことなのだが、この世界はどうやら、非日常に溢れているらしい。少なくとも、私が生きていく上で当然だと思っていた常識とやらは、砂上の楼閣の如く脆く、瞬く間に崩れ行く物だった。
「皆さん、おはようございます。これから、皆さんの研修のお手伝いをさせていただきます、加藤と申します。どうぞ、よろしく。では、今日はまず、簡単なおさらいから始めましょう。この研修場に来る前に、各々予習は済ませていると思いますが、確認のためだと思ってお付き合いください」
私の視線の先には、猫の顔をした謎の怪人が居た。
顔が三毛猫のそれであるという以外は、普通のスーツ姿の男性という出で立ちなのだが、顔だけはとてもリアルに猫だった。被り物とか、特殊メイクという次元を超えた何かである。
そう、つい一週間前までは考えもしなかった異常が、平然とそこに立っていた。
「ご存じの通り、世間一般の共通認識とされている『常識』では、昔話に出て来る怪物、怪異、神々、物理法則を超える類の力、これらは存在しないということになっていますが……私を見れば、もう分かりますね? それはこの世界――『現世』における一方面の見方に過ぎません。ほんの少し、見る角度を変えるだけで、常識の裏側には私や、貴方たちのような非日常が溢れかえっているのです」
果たして、一週間前の自分に、『来週、お前は人里離れたレクリエーション施設で、猫の顔した怪人に、再就職先の研修を受けているよ』と告げて、信じることが出来るだろうか?
うん、流石の私でも冗談としか思えない内容だね。
それでも、冗談としか思えないことでも、これが私の現状だ。
「では、何故、このような出来事が起こっているのか? それを説明するには、大分、時間を遡らなければいけません。例えば、戦国。例えば、平安。絵巻や文献に書かれた通り、まことしやかに怪異や神々の存在が囁かれていた時代まで」
私は体育すわりをしながら、壇上で演説する猫顔――加藤さんへ視線を向ける。
加藤さんは、妙に通りの良いバリトンボイスで、我々研修生へ、丁寧な説明をしてくれているようだ。
「何故、昔は平然と人と異なる存在が認知されていて、現在は違うのか? それは、もちろん、迷信の類を科学が駆逐したからに他なりません。それが常識です。しかし、だ。貴方たちはもう、知っている」
加藤さんは猫目を、一人一人の研修生へ向けた後、大仰に両手を開く。
「この通り、怪異も、神々も、異常も確かに存在しているのだと。では、何故、我々は存在しているのか? 現世の法則を示す科学は、我々のような存在は眉唾に過ぎず、存在できるわけがないと告げています。いいえ、あるいは、まだ科学で説明が出来ず、その内、全てを科学という光で解明することが出来るのだと。素晴らしいことですね? 実際、この世界の理ならば、この世界の法則に従っていけば、解明する日はそう遠くないかもしれません。そう、『この世界の理』ならば!」
言葉に熱が入って来た。
身振り手振りを使い、舞台演者の如く、加藤さんは我々研修生の視線を惹く。
実際、右隣の十代前半と思しき少年は、すっかりと空気に飲まれてしまっている。
「簡単な話です。我々が住まうこの世界の他にも、世界はあります。異界、あるいは、幽世と呼ばれる、この世界とは全く法則が異なる世界が。そして、それらの世界は、現世と隣り合っており、互いに影響を及ぼし合う関係にあるのです。故に、我々のような異常が生まれ、そして、異なる世界からはたくさんの『魔』が押し寄せてきます」
話もいよいよ佳境だ。
私はちらりと、横目で左隣を確認する。そこには、厭世的な冷めた視線で、檀上の加藤さんを眺める、冷めた十代半ばの少女が、居た。
…………うん。
「つまり! 我々の世界は古代から現代まで、ずっと『魔』に! 異なる世界の侵略者に脅かされてきたのです! それは、獣や人という生命体から、器物、現象といった多岐に渡る脅威の形で迫りくる物であり、我々はそれを総じて『魔物』と呼称しています。そう、我々! 分かりますか? 我々です! 現世に住まう人々は、異なる世界の侵略者たちに対して、我々のような者たちを用いて対抗しました。即ち、魔には魔を! 魔を持って、魔を退ける、これこそが!」
だんっ! と大きく足音を響かせて、加藤さんは研修生を見渡した。
「我々……そして、貴方たち退魔師なのです」
退魔師。
魔を退ける者。
私が勤めることになった、新しい職業。
その名前の響きに、私はふと、幼い頃の夢を思い出した。
純粋だったあの頃ならばきっと、加藤さんの演説にも感動して、心が奮い立ち、決意に満ちていたかもしれない。
だが、生憎、私はもうアラサーだ。
非日常的な響きを、そのまま受け入れて、『特別』に酔うなんて真似は出来ない。うん、これでも一端の社会人だからね。
きちんと、心が浮つかないように佇まいを直すさ。
「さて、長ったらしい前置きはここまで。ここに居る皆さんを。退魔師の卵として括ってしまいましたが、もちろん、必ず退魔の道を志す必要はありません。魔の力を制御し、日々を平穏に過ごすのもいいでしょう。けれど、そのためにはまず、己と世界の仕組みを知らなければいけません。誰も傷つけないためには、相応の知識と力が必要なのです…………では、そろそろ移動しましょうか。まずは、貴方たちが学び終えるまでお世話になることになる、寮をご案内しましょう」
加藤さんは、ぱんぱん、と手を叩いた後、「起立!」と研修生を立ち上がらせた。
と言っても、そこは訓練された兵士たちのようにきびきびとは動けない。私はつい、社会人の癖ですっと立ち上がったが、他の面子は戸惑いながら、あるいはのろのろと立ち上がる。
「さぁ、きびきび動く! 行動が遅い者は、心も遅くなりますよ! はい、列は乱さない!」
まるで、教師のように研修生たちに叱咤を浴びせながら、加藤さんは研修生たちを動かしていく。
ぞろぞろと列が動き始めてから、私は改めて、ざっと研修生たちの顔ぶれを見渡した。見渡していく最中、何度か、研修生たちと目が合ったが、研修生たちはさっと視線を逸らしてそっぽを向いた。
うん、なるほどね。
私は静かに頷いて、現在、置かれた状況を正確に把握した。
――――私以外、未成年の子供しか居ねぇ!
ナニコレ!? 大人の部とか無いの!? なんかもう、完全に私が不審者じゃん! 学校に突如として紛れ込んだ、不審な成人男性みたいになってんじゃん! 他は私服姿の子供たちなのに、私だけきちっと決めたスーツ姿のアラサーだよ!?
間違い探しどころじゃねーよ! 私の存在自体が間違いだよ!!
「あ、山田さん」
「はい、なんでしょうか? 加藤さん」
などと、あまりの場違いさに苦悩していると、不意に加藤さんから声を掛けられた。
「心苦しいのですが、我々講師としても目が届く範囲には限界があります。今期の研修生では、貴方が唯一の大人ですので、何卒ご協力をお願いします」
「あははは、微力を尽くさせて貰いますよ」
加藤さんの言葉に、曖昧な笑みを返しつつも、私は納得していた。
なるほど。どうやらこれは、新人として懸命に研修に取り組むよりも、講師たちと一緒に、内外から子供たちを導くことを期待されているらしい。
…………そこまで立派な大人じゃないんだけどなぁ、私。
「本当に、微力ですけどね?」
念を押すように小さく呟いて、私は肩を竦めて見せた。
薄情極まりないことかもしれないが、私にとっては所詮、ここの子供たちは赤の他人。精々、上手くやって、何事もなく研修をやり過ごしてやるさ。
…………。
……。
一週間後。
「うわぁああああああ!! 山田ぁ! こいつが僕の本を取ったぁ!!」
「はぁ!? ふざけんなし! 山田、勘違いすんなよ、こいつが嘘言ってる!」
「うっさい、馬鹿! 今、夜だぞ!? 山田さん、さっさとこいつらを静かにして!」
「山田ぁー、お腹すいたー。夜食作ってよー」
「ヨシ君、暇? 一緒に麻雀しようぜ、麻雀。いやぁ、最近、麻雀漫画に嵌ってさぁ」
そこには、子供たちの保護者と成り果てた私が居た。
あるぇー?