第38話 銀弾よ、常冬を穿て 3
「あっはっはっは! いやぁ、助かったよ! ありがとう、銀治君! おかしいなぁ、とは思っていたのだよ! 季節は夏だったはずなのに、ここは冬だったし! なるほど、魔獣が展開した領域ねぇ……そんなところまで、私は戦場を移していたのか」
金髪碧眼の美少女は、自らを天宮照子と名乗った。
どこの学校の物か知らないが、制服はボロボロとなっており、控えめに言ってもこの極寒の領域で着るような服装では無い。したがって、銀治は仕方なく自らの服を貸していた。
「あー、えっとぉ? 大変でしたね?」
「あっはっは! 最近、こんなことばっかりだよ!」
それだけでなく、銀治は自らの住処であるログハウスに案内して、とっておきの高級ミルクを使ったココアを御馳走しているのだから、この極寒の領域では最上級に値するもてなしである。
もちろん、銀治が照子に対して、良い待遇でもてなしているのには、理由があった。
「それで、ええと、天宮さん」
「照子でいいよ、銀治君」
「…………て、照子さん。その、貴方が戦っていた相手、というのは?」
「うん。脅威度ランクにすると、Cの上位からBの下位ぐらいの強さの魔人。神父服に、スキンヘッドの浅黒い肌の男。能力は推定だけど……」
現在、銀治は『常冬の王』討伐に向けて、万全の準備を整えていたところ。
そんな最中、不確定要素の塊である来訪者が現れれば、警戒するのは当然。本来であれば、即座に排除か追い出したいところなのだが、銀治は慎重な人間だ。故に、敵対する可能性が低いと判断したならば、まず歓待する。その後、口を軽くしてからより多く情報を得るのだ。
「うわぁ、そんな相手と戦っていたのですか?」
「あははは、敬語なんて良いよ、別に。それに、負け惜しみかもしれないけれど、一対一なら何とか倒せたと思うのだけど、ちょっと罠に嵌められてね? 流石に、正面衝突すると負ける可能性もあるから、仲間を呼んだり、戦場を移しながら戦ったり…………そんなことを繰り返していたら、いつの間にかね?」
「うわぁ、そんな戦闘力の持ち主なんです……なのか? その、照子さんって」
「おうとも! これでも、結構強いのだぜ?」
にぱっ、と太陽の如き笑みを見せる照子。
銀治はその笑みを受けて、胸を抑えながら内心でにやりと笑う。
くくく、やはり情報を漏らしてくれた。なるほど、脅威度ランクBの魔人と、その仲間と思しき奴らとゲリラ的な戦闘を何時間も行う体力と実力の持ち主だと。うん、死ぬなぁ。まともに戦ったら死ぬなぁ。近距離では勝ち目がないかもしれないなぁ。倒せるとしても、不意打ちの一撃だろうなぁ。
ぐちゃぐちゃの内心を押し殺しつつ、銀治はさらに照子から情報を引き出そうとする。
「ええと、ちなみに照子さん。所属はどこなんだ?」
「機関。退魔機関のしがないエージェントだよ」
「退魔機関」
引き出そうとした結果、中々有意義で、悪い知らせが手に入った。
この業界に於いて、退魔機関とはいわゆる『御上』のような存在である。絶対的な力を用いて、秩序に反する輩を処罰する。世界の裏側を、実質的に支配していると言っても過言ではない巨大な勢力の一つ。
そして、銀治がお世話になっているカンパニーとは、犬猿の仲であり、冷戦状態でもある組織なのだ。
まだ、カンパニーの正式な構成員ではないにせよ、かなりバックアップを受けているので、実質的に構成員の一人のようなもの。
そう、敵対している組織の凄腕エージェントが目の前に居るという事実に、銀治は少なからず肝を冷やした。
「ちなみに、君もご同業っぽいけれど、どこの所属なのかな?」
「僕は一応、ギルドに登録はしているけど」
「ギルド。おお、確か、フリーランス同士の組合だったかな?」
「ああ、うん。そんな感じ」
けれども、銀治は慌てない。
一流の猟師はどんなトラブルに見舞われても、慌てない。
思考の回転を速めて、銀治は当たり障りのない答えを照子に返していた。当たり障りなく、虚偽ではない答えを。
ギルド。
それはその名の通り、組合であり、一定の組織に属さない、あるいは所属することが出来ない訳ありのフリーランスたちが集まって、互いに仕事の情報を共有するための組織だ。
事実、銀治もカンパニーからの薦めでそのギルドに登録だけはしてあった。
銀治が狩った獲物はほとんど、カンパニーが独占しているものの、たまにギルドに貸しを作るという意味合いで、ギルドに素材を流すときに便利だからである。
これは、カンパニーが親切だから、というわけでもなく、単に、ギルドにある程度影響を持った存在を手近に置いておきたいという、思惑からによるもの。銀治としても、カンパニーは信用しているが、信頼しきっているわけではない。そのため、こういう別組織への伝手はありがたいので、素直に所属しているのだ。
まさか、こんな時に役立つとは思いもしなかったのだけれども。
「見た感じ、若そうなのに大変だねぇ」
「いえ、これでも僕、十六歳なので」
「ほう! なら、同い年かな?」
ナチュラルにサバを読む銀治であったが、これは単に見栄を張るためだけのものではない。
自分の情報を出来るだけ相手に漏らさず、己の情報を得る。これは、カンパニーの世話係から口を酸っぱくして言われた教訓だ。いくら、隔絶した領域に引きこもっている猟師だからといって、カンパニーを通じて外と交流しているのだから、社交と無関係では居られない。
もしも、カンパニーに所属する悪意ある誰かが、銀治を騙そうとした時、易々と罠にかけられないように、銀治の中には対人に対する警戒心がきちんと存在していた。
「高校に通いながら、ハンティングとか大変じゃない?」
「あー、僕の場合は定時制高校なんだよ。仕事が忙しくてさ。これでも僕、凄腕猟師なんだぜ? この領域に泊まり込みしているのも、高ランクの魔獣を狩るためだし」
「へぇ、その年で手に職付けているとは素晴らしいね」
なので、銀治は真実を語らない。
己の一族がこの領域に閉じ込められて、外のことなんて全然知らないということも。
これから、『常冬の王』を狩るということも。
とにかく、当たり障りなく、出来るだけ早く、突然の来訪者を外に追い出そうとしていた。
銀治自身は領域の外に出ることは出来ないのだが、逆に言えば、銀治以外であれば、領域の外に出すことは可能である。
この隔絶された領域は、入り込むのは至難であり、カンパニーの一部の専門家しか入り込む入り口を作れない。『常冬の王』が外部の存在を拒絶しているからだ。だが、だからこそ、イレギュラーな侵入者を外に出すことは比較的簡単に可能なのだ。
「や、君も凄くない? 照子だって、同い年だろう?」
「あははは、私にはちょっと事情があってね…………さて、それじゃあ、悪いけれど、銀治君。この装備を少し借りてもいいかな?」
「え、あ……うん、良いけれど、なんで?」
「君にはとても申し訳ないことに、私と戦っていた魔人がどうやら、私同様にこの領域に落ちていくのを見たのだよ。私はあいつを排除……少なくとも、君の仕事場から叩き出さないといけない義務がある。だからまぁ、流石にあの格好で外を出歩くのは寒くてね。その内慣れるだろうけど」
「いや、慣れない。慣れない。死ぬ、死ぬ」
「あはははは、とまぁ、そういうわけで、気にせず。それと、仕事が終わったらこのお礼はきちんとさせて貰うよ」
加えて言えば、外部からの来訪者など、敵対組織のエージェントなどこの場から消えて貰った方が銀治にとって益があるはずなのだが、言葉は勝手に口から出ていた。
「待ってくれ。慣れていない物では、この冬山は危険だ。せめて、ちゃんと休息をとって、きちんとしたガイドを付けるべきだ」
「ん? ああいや、気遣いなんて――」
「冬山を舐めるな。そして、僕を見くびらないで欲しい…………女の子を一人で危険な場所に送るほど、僕は卑劣じゃない」
言葉を紡いだ瞬間、即座に銀治は後悔した。
これ、ライトノベルに書いてあった台詞じゃん! なんで僕、こんな台詞をすらすらと口から出しているの!? 馬鹿じゃないの!? 主人公気取りなの!? と。
しかし、照子は言われた時、きょとんと目を丸くしたものの、直ぐに愉快そうに微笑んで、銀治へ言葉を返したのだ。
「ありがとう。格好良かったぜ、銀治君」
「…………んぐっ」
笑みと共に告げられた言葉に、再度、銀治は己の胸を抑える。
何かを言わなければならないのに、言葉が詰まる。
銀治は、己の制御出来ない体の動きに、戸惑い始めていた。
●●●
極寒の領域の中で、一番の贅沢と言えば、銀治が考えるのは沢山のお湯にたっぷりと浸かることだ。
何せ、かかる経費が洒落になっていない。
浴槽をなみなみと満たすだけの水。
水をちょうどいい温度のお湯に変えるために必要な電力。
特注の発電機に、込めなければならない魔力の量。
それを考えれば、たっぷりのお湯に浸かって疲れを癒すのは三日に一度程度。普段は諸々節約するために、シャワーを用いて体の汚れを落とす程度だ。
だからこそ、銀治は己が何をしているのか、さっぱり分からなくなっていた。
「本当にいいのかい? こんなに手間暇をかけてお風呂を用意して貰って? ご飯も食べさせて、寝床も用意して貰ったのに? 大変じゃあないかな?」
「いやもう、余裕だから。これでも僕、凄腕の猟師だし。魔獣とか沢山狩って、たくわえには自信があるし」
「そうかい。じゃあ、いずれお礼はきちんとするとして、今は君の好意に甘えるとするよ」
用意してしまった。
銀治は照子のために、態々お風呂の準備をしてしまったのである。
食事と寝床の準備はまだいい。そんなに手間暇かからない。けれど、お風呂は流石にやり過ぎだ。やり過ぎであるが、銀治は何故か、馬鹿なことをやらかしてしまったという後悔よりも、謎の達成感が上回っていた。
「ごめんね。下着も新しいのを買って返すよ」
「…………ん、ああ、うん」
それどころか、奇妙な胸の高鳴りが銀治を襲っていた。
照子は突然のトラブルで常冬の領域にやってきたため、当然、着替えなどは無い。よって、銀治が新品のボクサータイプの下着やら温かな肌着を用意したのだが、ただ、それだけのことで銀治の胸は早鐘を打っていた。
美少女が。
それも、金髪碧眼の超絶美少女が。
自分の用意した下着を着る。
平然と、お風呂場に行く。
ただそれだけのことに、銀治は何故か、緊張してしまっていた。
「落ち着け、落ち着くんだ、僕…………女の人が家に泊まるなんて初めてじゃないだろ? そうとも、世話役の人なんてよく、泊まっていたし……美人さんと話したこともある……なのに、一体、どうして……」
銀治は己の有様に混乱する。
命のやり取りの場面でも、驚くほど平常と平静で獲物の急所を撃ち抜く猟師である銀治が、たった一人の美少女の所作に戸惑い、緊張していた。
「む、むむむぅ」
浴室から聞こえる水音から意識を逸らすようにして、唸り、銀治の思考はさらに加速する。
緊張の理由。
機関? 敵対組織のエージェントだから?
強い気配を持った存在だから? 命の危機を感じている? それほどまでに、強い相手? いや、どれだけ相手が強くとも、ここまで狼狽するなんて明らかに異常。
攻撃? 攻撃を受けている? だが、魔力による干渉も気配はない。ログハウスに敷かれた結界は、主である自分の害となる行動に対してアラームとジャマーで対応するはず。攻撃を受けているならば、気付かないわけがない。気づかないほどの見事な攻撃を受けていた場合、既に手遅れなので考慮に値しない。
ならば、何故?
「落ち着け……父さんの教えを思い出せ……混乱し、窮地に陥った時こそ……自分との対話をするんだ……内なる声を聞け」
銀治は深く、深く、己の中に問いかけた。
何故、自分はここまで緊張してしまっているのか、と。
虚飾も、見栄も、恥じも、全部余計な物を避けて、内なる声を聞く。
それは誰にでも出来る思考法では無かったが、極寒の領域で常に一人で過ごす銀治だからこそ、若くしてその技術を会得していた。
故に、銀治の問いかけに対して、内なる声は偽りなき真実によって応えた。
『同世代の金髪美少女、めっちゃ綺麗。めっちゃ可愛い。はぁー、来たわぁ。僕の時代来たぜ、これぇ。完全に始まったじゃん、僕の物語。完全にヒロイン枠じゃん、一緒の学校に通って、青春したいわぁ』
そう、銀治が同世代の女の子に対して、まったく免疫のないクソ童貞野郎という真実を、容赦なく突き付けたのだった。
「こ、こんなの嘘だぁ!?」
「…………うん? よくわからないけれど、お風呂あがったよ」
真実を否定する銀治だったが、この後、照子の湯上り姿の色っぽさに打ちのめされてしまい、余計に苦しむ羽目になってしまったという。




