第36話 銀弾よ、常冬を穿て 1
昔々、あるところに一人の猟師が居ました。
猟師は村で一番の猟師で、その弓矢は、獲物が豆粒ほどにしか見えないほど離れた場所から、見事に射止めて見せるほどです。
獲物がどれだけ、速く逃げようとも、突風の如く放たれた猟師の矢は、決して獲物を逃がしません。
村人はいつも、多くの獲物を狩ってくれる猟師に感謝しており、猟師もまた、そんな自分を誇らしく思っていました。
そんな猟師に、試練が訪れたのは、とある冬のこと。
恐ろしく寒く、とてつもなく多くの雪が降る冬でした。
村人たちはろくに外に出ることも出来ず、日々、爪に火を点すように、ため込んでおいた備蓄を減らしていくだけの日々。
猟師もまた、酷い吹雪の中では、自分とその家族を養うだけの獲物を獲るだけで精いっぱいだったのです。
そんなある日のことでした。
余りに酷い冬でしたので、外から様子を見に来ていた高名なお坊さんが、村人たちへ告げたのです。
「恐るべき魔物によって、この土地は冬に閉ざされておる。その魔物を討たない限り、この土地に春が来ることは無いだろう」
村人たちはお坊さんの言葉を信じ、畏れました。
そして、村一番の猟師へ、頼みごとをしたのです。
「どうか、どうか、恐ろしい魔物を狩ってきておくれ」
「おお、任せておけ!」
猟師は村人の頼みへ、自信満々に頷きました。
相手が自然ならばともかく、原因が魔物とやらならば、それを狩ってやればいい。どれだけ恐ろしい魔物が相手でも、猟師は自分が失敗する姿なんて想像も出来ませんでした。
その自信に、村人たちも一安心です。
ああ、これできっと大丈夫だ、と村人たちは猟師を快く送り出しました。
けれども、猟師は帰って来ませんでした。
いくら待っても。
他の土地が春になっても。
猟師は戻って来ませんでした。
やがて、村人たちは顔を俯かせながら、その土地を離れていきます。当然でしょう。一年中冬に閉ざされた場所なんて、とても、人が生きていける場所ではありません。
村は、誰も住まない常冬の場所となりました。
しかも、その冬は時間が経つにつれて、段々と周りの土地を飲み込むようになっていきます。高名なお坊さんは、恐るべき魔物が力を付けて、周りの土地を自分の物にしようとしているのだと、思いました。
恐るべき魔物を討たなければ、このままでは、国が冬に閉ざされてしまう。
けれど、自然の化身ともいうべき強大なる力を持った魔物をどうやって討てばいいのか、お坊さんにもさっぱり分かりませんでした。
そんな時です。
「お坊様! この俺が、あの恐るべき魔物を討ちます! 父の仇を、この手で取りたいのです!」
とある若者が、お坊さんを訪ねてきました。
若者は、その目に怒りの炎を燃やしていました。無理もない。何故ならば、若者はかつて、恐るべき魔物に敗れた猟師の息子だったのです。
復讐を誓う若者は、お坊さんに頼み込みます。
「どうか、どうか、この俺に力添えを!」
若者の頼みに、お坊さんは悩みました。
父親も死なせてしまったというのに、その息子もむざむざ死地へ向かわせてもいいのか? しかし、猟師の息子以外に、常冬の山に住まう魔物を討ち滅ぼす力を持った者が、他に居るのだろうか?
悩むお坊さんへ、若者は続けて言います。
「怒りに駆られて、無謀な突撃などしません。俺は、必ずやあの魔物を討ちます。俺が駄目でも、俺の息子が、そのまた息子が、俺の一族が、いずれ必ず、あの魔物を討つでしょう。だから、あの魔物を逃げられないようにして欲しいのです」
若者の言葉に、お坊さんは答えました。
「そうすることは出来る。魔物の力を削ぎ、あの冬がこれ以上広がらないように留めることも。しかし、それをするためには、お主の一族が犠牲にならねばならん。本当に、魔物を滅ぼさない限り、お主の一族は冬から出ることは叶わん」
お坊さんの言葉に、若者はたっぷりと悩みました。
悩んで、悩んで、陽が暮れる程に悩んだ末に、言います。
「望むところだ!」
かくして、常冬に住む魔物と、猟師一族との長い戦いが始まったのです。
●●●
犬飼 銀治の朝は、薪を納屋へ取りに行くことから始まる。
骨身を刺すような極寒の外気に身を震わせながら、納屋から薪をいくつか手にして、寒さが比較的マシな室内へ。
薪ストーブに薪をぶち込み、着火剤をライターで炙った後は、良く燃え広がるように工夫して薪の中に置く。よく乾燥させた薪は燃えやすいが、それでも、ファンヒーターの様に、直ぐに部屋を暖めてくれる熱風を吐き出してくれるわけではない。
薪ストーブが本格稼働するまでに、寝間着に分厚いコートを羽織った状態から、きちんとした服へと着替える。例え、自分以外誰もこの家には存在しないとしても、銀治はそういうことを疎かにしない。
「ふぃー」
本格稼働し始めた薪ストーブで、手足を炙って、銀治は、何度も指先を動かす。これを忘れると最悪、気付かないうちに手足の指を何本か失っても気づかないことがあるのだと、両親からの教えだった。今のところ、銀治は指を失うような間抜けをしたことは無いが、だからと言って油断は出来ない。
失ってから、後悔するよりも、先人の習いに従うことが賢いと銀治は知っているのだから。
「…………よし」
かんかんと熱を持ち始めた薪ストーブには、多くの役割がある。
まずは、外から持ってきた氷のブロックを溶かして、湯水を確保すること。湯水を使って、手洗いした服を乾かすこと。フライパンを熱して、ベーコンと卵を焼くこと。ひんやりと冷えた食パンを炙り、その上に乗せたバターを溶かすこと。
とにかく、銀治が住む場所では熱量こそが必要とされていた。
外は常冬。
常に吹雪が周囲を覆い、一日にまともに陽が差す時間なんて一時間もあればいい方だ。加えて、そこには四季が無い。夏になれば多少、寒さは緩むがそれだけ。変わらず、雪は降り、大地は白く覆われている。
恐らく、銀治が住まう場所では、大地が地表を晒すことなど滅多にないだろう。
けれども、全てが真っ白な雪に覆われて、埋もれてしまわないのは全て、それらの環境を操作する存在が居るからだった。
「ふんふんふん。最近のヤングに人気なファッションは……」
控えめに言っても、銀治が住まう場所は地獄だ。
極寒地獄だ。
生きとし生けるものに、過酷な冷たさを与える地獄だった。まともな生き物なんて存在しない。この地獄で生きていけるのは、過酷な寒さに耐えられる存在だけ。
だが、そんな場所に住んでいるというのに、銀治の顔に憂鬱な色は見当たらない。むしろ、薪ストーブの近くで、ブラックコーヒーを飲みながらチョコレートを齧る銀治の表情は暢気そのもの。
のんびりとファッション誌を眺める姿などは、まるで年若い少年のようにすら見える。
いいや、見えるのではなく、実際そうなのだ。
犬飼銀治。
常冬の山に住まう彼の年齢は、僅か十五。
未成年だ。本来であれば、庇護されるべき立場の人間だ。それ以前に、学校に通うべき年齢の少年だろう。
そんな少年が、深い雪によって閉ざされた冬山のログハウスに、一人で住んでいる。
人権主義を謳う集団が見れば、ヒステリックに喚き散らす状況であるが、生憎、この状況は誰に何を言おうがどうにもならない。
全ては、彼の一族ととある魔物との、長い因縁による物なのだから。
「さて、と」
朝の食事とリラックスを終えて、心身が充実したことを確認した銀治が次に取った行動は、装備の点検だった。
「魔銃…………よし。弾薬、よし。ギリースーツ、よし。断熱服、よし。ブーツ、よし。下履き、よし。靴下、よし。断熱クリーム、よし。保存食、よし。ふんふん、概ねよし、と」
銀治が木目調の床に並べたのは、全部、猟をするための装備だった。
そして、その中の一つに、ひと際異質な物が存在する。いいや、猟をするならば当然であるが、十五歳の少年が持つには場違い……あるいは、法が許さない物のはずだった。
銃器。
それも、エアガンや『一般の猟師』に所持を許される類のものではなく、明らかに軍用とも呼ぶべき無骨で長大な狙撃銃。加えて、リボルバーと呼ばれる拳銃。それらが一丁ずつではなく、何種類か並べられてある。
全て、実銃だ。
いいや、ある意味、実銃よりも恐ろしい威力を秘めた銃器たちなのだ、これらは。
何せ、これらの銃器は形状こそ、かつて歴史に登場し、今もなお高い信頼性を持つ名銃の構造を踏襲してはいるものの、使われている素材は異質な物だった。
そこに込められる弾薬も。
銃口を向けるべき存在も、異質。
よって当然、異質な銃を持つ銀治もまた、ただの人間では無かった。
「んじゃあ、行きますかぁ」
銀治は誰に言うでもなく呟き、ログハウスを後にする。
真っ白なギリースーツに、肩に担ぐのは無骨な狙撃銃。腰には、サイドアームであるリボルバーが下げられており、足元には特注のスノーブーツ。加えて、大型獣すらもすっぽり入りそうなソリを引きずっているのだから、相当の重量が銀治にかかっているはずだというのに、まるで意にも介していない。
長年、踏み固められた雪道を進む姿は、まるで散歩でもしているかのように軽い。軽く、けれど、隙が無い。気配が薄いというのに、銀治が歩く姿には一片の隙も見当たらず、仮に、その姿を狙うスナイパーが居たとしても、引き金に指をかけた時点でその視界から消えてしまうだろう。
「…………」
歩くこと十分。
銀治は六百メートル先に居る獲物を見つけた。
獲物は、白銀の平原に僅かに出た新芽を食む、二頭の鹿。雄と雌で一頭ずつ。エゾシカに似た毛皮の個体であるが、その脅威は全く異なる。
銀治が住まう常冬の山に存在する生命は全て、魔物だ。
植物から、虫、獣に至るまで全て、器を持った魔物なのだ。故に、二頭の鹿もまた、肉を得た魔獣であり、脅威度をランクとして表すならばDに相当する存在だった。
即ち、まともな重火器では対抗不可能。
間違っても、銀治が持つような狙撃銃の口径では殺しきれないはずの魔獣である。
しかし、銀治はそんなことぐらい百も承知。
むしろ、だからこそ狙っていると言っても良い。
脅威度ランクD相当の魔獣ならば、日々の練習用の的ぐらいにはなるだろう、と。
「あむっ」
銀治は獲物を定めると、まずは新雪を無造作に口の中に放り込んだ。
冷たさが舌を痺れさせて、頬を突き刺すが、もはや慣れ切った物。もちろん、雪を食べるためにこうしたわけではない。理由は口内に冷たい物を入れることにある。
そう、口から漏れる白い吐息を誤魔化すための行動。
「…………」
雪を口に入れてからの銀治の行動は早く、加えて、静かだった。
銀治がソリを手放し、そのまま雪の中に倒れ込んだかと思えば、一瞬にして周囲の景色と同化。仮に、最初から最後まで銀治の姿を見ていた者が居たとしても、突然、銀治が雪の中に消えたとしか思えないだろう。
そして、銀治が姿を消してから三秒後。
二頭の鹿の内、片方が体を震わせたと思えば、鮮血をまき散らしてその場に倒れた。倒れた鹿は、頭部が半分以上消し飛んでおり、即死であることが分かる。
たーん。
銃声が鳴ったのは、鹿が倒れるのと同時だったかもしれない。
番いであったのか、片方の鹿が倒れたことに戸惑う雌鹿だが、そこは野生にして魔獣。直ぐに切り替えて、瞬く間にその場から遠ざかろうと脚部に力を入れて。
たーん。
無慈悲に銃声が鳴った時、片割れと同様に頭部を吹き飛ばされて死んでいた。
魔力を持ち、並大抵の銃弾では傷一つ付かないはずの魔獣たちは、一方的に、あまりにもあっさりと命を刈り取られたのである。
「んべっ」
狙撃を終えた銀治は、それを誇るでもなく、まず、雪を含んだ唾液を吐き出す。
立ち上がり、予めソリに乗せておいた解体道具を準備。速やかに、仕留めた獲物の下に駆け寄ると、解体用のナイフを用いて素早く、血抜きと内臓抜き、『魔結晶の切除』を行った。
ただ、獲物を仕留めるだけでは二流以下。
仕留めた獲物を素早く、処理できるのが一流の猟師であると、銀治は考えていた。
故に、肉を切る動作も、内臓を引きずる動きも、魔結晶を刳り貫く腕の動きも、淀みがない。迷わない。最初からどこをどう切ればいいのか分かっている動きだ。
「……よし」
銀治は一通りの処理を終えたのか、獲物の肉を近場の木に吊るすと、一息吐く。
『ガァアウ!!』
そこで、ひと際大きな叫び声が銀治の耳朶を打つ。
銀治が獲物の肉を処理する場所から、百メートルも離れていない木々の中から、白い巨体が姿を現す。巨体の主は、全長三メートルを超える巨体の白熊だった。
全身から魔力を漲らせて、咆哮する白熊は明らかに、血の匂いを漂わせる銀治から獲物を奪い、よしんば、銀治さえも殺して喰らおうとしていたのである。
巨体で、なおかつ魔力が充実した魔獣だ。
固有能力が無くとも、戦車ぐらいは突進で破壊してしまう怪力の持ち主だろう。
「お前は要らない」
もっとも、その事実が、獲物の立場から脱するということには繋がるとは限らない。
むしろ、獲物としてすら、銀治はカウントしなかったようだ。
無造作に腰に下げたリボルバーを抜くと、視線すら向けずに発砲。銃口から放たれた弾丸は、赤い軌跡を描きながらも音速で白熊の頭部に命中し――弾けて、燃えた。
半径五メートルほどの範囲を焼き尽くす火炎によって、白熊は内部まで燃え焦げて、苦悶の中で死んだ。
「…………ふん」
襲撃者の迎撃を終えた銀治。
ただ、銀治が視線を向けるのは魔獣の死体ではない。それよりも遥か後方から、姿を見せずに、視線だけを送って来る『親玉』に対して、視線を返したのだ。
「待っていろよ、『常冬の王』――――もうすぐ、お前も狩ってやる」
『常冬の王』という二つ名を持つ魔物と、冬に閉じ込められた猟師の一族。
その戦いは、三百年以上前から、途切れることなく続いている。
犬飼銀治という少年もまた、冬に閉じ込められ、使命を帯びた猟師の一人だ。
銀治は、山奥に住まう『常冬の王』に対して、鋭い殺意を向ける。
それは、先祖代々から受け継いだ使命による物かもしれない。
それは、かつて両親を『常冬の王』に奪われた憎悪かもしれない。
ただ、銀治の胸の中にある、必ず『常冬の王』を討つという決意と覚悟は、一つの想いによって支えられているのは間違いなかった。
例え、極寒の冬山に閉じ込められても、なお、熱を帯びた銀治の想い。
「そして、僕は都会の学校に行って、ハイカラなスクールライフを満喫するんだ」
概ねそれは、都会に憧れる若者の純粋な欲望によって構成されていた。
 




