第35話 幕間:エルシアという従者
「これは実験です」
エメラルドの如き瞳をこちらに向けて、エルシアちゃんは真顔で告げた。
その手には、赤、青、緑と三色の魔結晶が存在している。
「復習。魔物が生じる異界の種類!」
「ええと、緑色が私たち日本人やアジア系に近しい『妖怪』やら『八百万の神々』、あるいは『仏教』関連のあれこれに関係している世界。青色が、いわゆる西洋ファンタジーに出てくるような『怪物』だったり『妖精』だったり、ギリシャ神話の神々とかにも関係している。そして、最後の赤色の異界に関しては、結構最近になってから発見された異界、だったかな? いわゆるエイリアンだったり、宇宙怪物だったり、SFチックな怪物が発見されることが多い異界だったと思うよ」
「ちっ、概ね正解です」
「ナチュラルに舌打ちしたよ、この子」
「最後の赤色に関しては、最近では『悍ましき外側の神々』に関連する存在も登場してきたりなど、一概に一括りに出来る世界観ではないのです。機関のログを漁ってみた所、人間に近しい形を持つ『別惑星での人類系統』みたいな侵略者もいやがるので、気を付けやがれなのです」
「うん、了解だよ」
現在、私とエルシアちゃんは珍しいことに二人きりだ。
しかも、場所はいつもの事務所ではない。機関が、所属する退魔師に対して貸し出している運動施設だ。普段ならば治明や彩月に頼んで『トレーニングルーム』を借りた方が手っ取り早いのだが、何やらエルシアちゃんに考えがあるらしく、こうして呼び出しを受けて二人きりというわけである。
「同じ魔物というカテゴリで括っていたとしても、この三つには……いえ、同じ色の魔結晶の魔物同士でも、まるっきり生態系が違うことが多々あるのです」
「ふむ、それで?」
「つまり――――お前がどうして、主様の式神も含めて、味方であるはずの魔物からも嫌われるのか? それが不思議なのです」
「ほほう」
仏頂面で告げるエルシアちゃんの言葉に、私は素直に感心した。
そういうものである、と思考停止して受け入れるという社会人にありがちな思考停止していた私であるが、確かにそれは気になる。
今ではもはや、修復不可能なほどに彩月の式神と殺し合う仲である私であるが、出会った当初から殺意満々だったわけではない。むしろ、私は出来る限り友好的に接しようとしたのだが、あちらが普通に殺しに来たので、仕方なく殺していたのだ。正当防衛なのである。
というか、えっと、主様……治明の式神って?
「…………あの、エルシアちゃん。私、治明の式神ってみたことが無いのだけれど?」
「主様の式神に至っては、お前を視界に入れたくすらないということで、お前が居る時は違う場所に転移するようになってやがるのです」
「ガチの嫌われ方じゃん、それ」
憎悪ならばともかく、嫌悪となると、その究極系が相手の存在を認識すらしたくないというスタイルだ。排除するにしても、対象と関わることすら本当に嫌なので、出来る限り対象と会わずに、脳内からも速やかに記憶を排除して『存在していない』ということにする。
こうすることによって、自分の精神状態を最大限守るという方法なのだが、まさか、それを魔物からされるとは思っていなかった。奴ら、基本的に私を殺しに来るのに、こういう嫌われ方は新鮮ですらあるね。
「いつもは、ワタクシや彩月姉さまの前に現れては、意味深な言葉で人をからかったり、煙に巻くお方なのですが、その反応だと一度たりとも会っていやがらないみたいです?」
「その話題すら、治明から聞いていない」
「主様は気遣いの方です。めっちゃ嫌われていると知らせないように配慮したのです。とても感謝しなさい」
「ありがとう、治明。今度、大人の力で好きなエロ本を買ってきてあげよう」
「死ねっ!」
エルシアちゃんが罵倒と共に、私の腰に蹴りを入れるのだが、次の瞬間、涙目になってこちらを睨む。どうやら、私の肉体が無意識に生じさせる魔力障壁が堅かったらしく、蹴った足がダメージを受けたらしい。
うん、ごめんね?
「とーもーかーく! なんで、お前がそこまで魔物に嫌われるのか! どうせ、人格とか、漂う怪しいオーラとかが原因だと思うのですが! 超優秀な召喚士であるワタクシが、検証してやろうとしているのです! 崇めやがれ!」
「ははぁ! ありがとうございます、エルシアさまぁー!」
「やめっ! 本当に崇めやがるな、です! ちがっ! 周囲の目ェ! 他の利用者から特殊な百合プレイだと見られるでしょう!?」
いや別に、普通に女子が戯れているだけの微笑ましいやり取りとしか思われていないと思うのが、エルシアちゃんはリアクションが面白いなぁ。
思わずからかいたくなる逸材だが、今日はわざわざエルシアちゃんが時間を割いて私の問題を検証してくれる場なのだ。社会人らしく、自重しよう、私。
「んもう! さっさと実験を始まるのですよ!」
「はぁい」
そして、私とエルシアちゃんの実験が始まった。
エルシアちゃんは、外見こそ中学生なのか小学生なのか判断に迷う美少女であるが、実力と才能は機関の中でも指折りの召喚士だ。彩月のように、少数精鋭の式神を使うのではなく、多種多様な魔物と契約して、あらゆる事態に対応できる万能型の召喚士である。
異界の色を問わず、多くの魔物と契約し、使役出来るその才能は天才という言葉では収められないほどに卓越しているのだ。加えて、自身も西洋に関係する魔術を扱うという、召喚士にありがちな『指示を出している術者が弱点』を解消するための戦闘力。
突出した攻撃力は無いものの、代わりに、どのような戦場でも腐ることが無い万能性こそ、最大の長所だろう。
そんなエルシアちゃんが、私の問題に関して実験を行ってくれるというのだから、頼もしいことこの上ない。
今まで、私は魔物との相性が最悪であり、出会えば殺し合う運命だと思っていたのだが、これだけ多種多様な魔物と交流を重ねれば、ひょっとすれば何かしらの法則性が見つかるのかもしれない。いや、さらには、仲良くとは言わないが、敵意を向けることが無い魔物の種類が見つかるかもしれないのだ。
見つけたところで、それがどうした? と思われるかもしれないが、例え、魔物使いになる予定はなくとも、魔物関係が全て私に殺意を抱くわけではないという事実を見つけられれば、少しは安心できる。気休めに過ぎないかもしれないが、私にとっては少なくない気休めとなることだろう。
「…………」
「…………はい」
まぁ、全滅したのだがね!
二時間ほどかけて、エルシアちゃんが所有している魔物たちと交流した結果、その七割から殺意を、三割から露骨な嫌悪を向けられたのだがね! 殺意を向けてきた奴は、エルシアちゃんが予め誓約で縛っておかなければ、私に襲い掛かる勢いだったのだがね!
…………うん、知ってた。
「お前、スポーツドリンク飲むですか?」
「あ、はい。いただきます」
実験の後、私はとても珍しいことにエルシアちゃんに憐れまれてしまったという。
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「さて、本題ですが」
「本題?」
「まさかワタクシが、お前のためにわざわざ、時間を割いて実験と検証をしてやったとでも? あれは建前です」
「悲しみ」
「本題も、ある意味、お前関連なので、悲しむ必要は無いのです」
「おっと、優しみ?」
「お前に与える優しさなんて、150円程度で充分です」
吐き捨てるように言うエルシアちゃんであるが、私からすれば、スポーツドリンク一本分ぐらいの優しさは普通にありがたい。
むしろ、初対面でアレだったのが、今では多少なりとも世間話ぐらい出来るようになったので、大きな進歩であると言えよう。
「それで、本題って何かな? 150円分の優しさに応じて、私も全面的に協力するよ?」
「…………照子は、その」
「うん」
「主様に惚れていますか?」
「うん?」
私は唐突に良く分からないことを言われたので、思わず疑問の声を上げた。
何をどうして、そういう思考に?
「惚れていないけど、一体、どうしたのさ、いきなり」
「………………確認」
「確認?」
「お前は、彩月姉さまが好きで、彩月姉さまもお前が好き。両想いということで、いいのですか?」
「ふむ」
おずおずと、こちらを伺う様に尋ねてくるエルシアちゃん。
その真意はさっぱり分からないが、同じ町を守る仲間だ。出来る限り、誠実に応えよう。
「彩月が私のことをどう思っているのかは、分からない。概ね、好かれているとは思うけれど、その好意には依存を含んでいるような気もする。私は出来る事なら、その依存が少しずつ良くなって、彼女が自分の判断で私を選んでくれたら、とても嬉しいことだと思っているよ」
「…………わざとややこしい言い方をしてやがるです?」
「いいや、言葉を簡単にしてしまうと、誤解が生じてしまうからね。これが、私の偽りない気持ちさ。期待外れだったら、申し訳ないけれど」
「つまり、お前は主様に惚れる可能性が無いということで、いいのですか?」
「そもそもなんで、私が治明に惚れるという話に?」
「…………」
「あ、凄く説明したくないという顔だ」
エルシアちゃんは唇を尖らせた後、「むむむー」という可愛らしい苦悶の声を出す。どうやら、何か葛藤しているようだ。
「…………まず、主様はモテます」
「だろうね。治明は私から見ても良い奴だし」
「やっぱり、惚れて?」
「中身はアラサーのオッサンだよ? ほら、私の以前の姿を思い出しながら、もう一度言ってみるかい?」
「そういう需要もあると、聞いたことがあります」
「そういう需要に応えるつもりは皆無だよ。それより、話を進めて?」
「……主様は、そのお力で沢山の人を救います。数多の邪悪なる魔物を退け、それ以上の多くの人々を救っています。ただ、そうなるとワタクシのように、主様の姿に感服を覚える者も少なくなく…………その中でも、恋慕の情を抱く方々も少なくありません」
「うん、知っているよ」
彩月から聞いた話では、ちょっと引くほどフラグを立てている美少女が居るのだとか。もっとも、治明は彩月に想いを寄せているので、その想いに応えていない様子だが、流石に周囲の好意自体に気づかないというわけでもないだろう。
「けれど、そういう方々も主様が彩月姉さんを一途に想っていることを知っています。なので、今までは主様の想いが遂げられるのを応援しながら、密かに想いが敗れた時に備えて、ある程度協定を作って、互いを牽制していたわけです」
「ああ、あのハーレム軍団とかいう、わけのわからない奴?」
「自虐と主様に対する当てつけも兼ねてのネーミングのようです。そんなハーレム軍団の方々なのですが、最近、主様が本格的に失恋したという情報を得まして」
「私と彩月の事かな?」
「そのようですね。つまり、協定が本格的に効果を発揮し始めて、いよいよ互いに牽制し合いながら、情け無用の恋愛バトルが始まるというところで、外見だけは美少女の貴方が現れたというわけです」
「なるほど…………私がこの肉体になったことは、ハーレム軍団とやらはいまいち理解していなかったからこその、あの襲撃で、この会話か」
「そのようです」
私は治明の風呂を借りていた時、よくわからない理論で風呂場に突撃してきた美少女たちのことを思い出す。
なるほど、つまり、彼女たちは心配なのだな。
私のことをさっぱり知らないからこそ、私のことを治明の周囲に現れた新しい女だと思い、そして、事情を知ってなお、よくわからない邪推をしているという。
まったく、どうせならばエルシアちゃんを挟まず、直接話を聞きに来ればいい物を。
「ならば、私はそういうことになる予定はないし、彩月とラブラブだから安心して欲しいと彼女たちに伝えてくれ」
「わかりました。その答えで、あの方々も満足するでしょう…………ちなみに、性別が変わって本当にこう、主様にドキドキすることもないのですか? 精神は肉体によって変容すると聞きますし、主様はその…………格好いいですし」
「ふむ」
ちょっと頬を赤く染めながら、私に尋ねてくるエルシアちゃん。
恐らく、ハーレム軍団とやらには入っていないだろうけれども、この子もまた、治明に恋心を抱いている。エルシアちゃんはそれを忠誠心だと思い込んで、治明に尽くしているようだけれども、うん…………これに関しては私が言えることは何もないか。
とりあえず、後々面倒ごとに成りそうなことだけはしっかりと対処しておくとしよう。
「あー、エルシアちゃん。それに対して誠実に、君が望む答えを出すことは出来るけれど、それをやるとセクハラとして怒られるから言わない」
「言いやがれです」
「怒らない?」
「怒る時は怒ります」
「理不尽な…………でもまぁ、うん。言っておくけれど、これはあくまで途中経過であって、私がずっとこのままというわけでもなく、むしろ、変化の途中で――」
「さっさと言いやがれです!」
「はい」
エルシアちゃんは気恥ずかしさを誤魔化すように怒鳴る。
まったく、微笑ましい先輩だ。こんな微笑ましい先輩に対して、こんなことを言っていいのか悩むが、いずれバレることだし、いつかは言わなければならないことだ。
「じゃあ言うけれどね、エルシアちゃん。実は私、この肉体になってから一度も生理が来ていないのだよ」
「…………えっ?」
「不思議に思って、機関に調べて診てもらったところ、どうやら私には性器の形はあったとしても、性器としての役割は果たさない物らしい。その証拠に、段々と私の精神からは性欲が消えている……無論、女性に対してというだけではなく、男性に対してそういう情欲を抱くように変化しているわけでもない。つまりは」
つまりは、何だろうか?
機関に言われたことをそのまま言うのは、どうにも不幸自慢の亜種みたいでつまらない。ならば、ここは一つ、さらりと冗談交じりに流してしまうのが社会人として正しいだろう。
「私はプラトニックラブで、愛しているのは彩月だけだから、心配しなくていいよ」
そう、心配なんてする必要が無い。
少しばかり、人間から外れ始めているだけだから、問題なんてない。
私の心が、人であり続ける限りは。
「………………少しだけ」
「ん?」
「少しだけ、主様にも彩月姉さまに対して、そういうことをちゃんと言えるところがあったら、こうはならなかったんじゃないか? なんて、不遜なことを考えたのです」
「仕方ないよ、思春期だもの」
どこか拗ねたように言うエルシアちゃんに、私は微笑んで告げる。
たった二文字の言葉を口に出すことが、何よりも難しいことが、この世界にはあるのだと。
ただ、思春期を過ぎ去った大人になったとしても、その難易度はまるで下がらないことは、大人になるまでの秘密として、伝えないでおこう。




