第34話 幕間:土御門の特異点
最近、めきめきと力を付けてきて、ついに魔物からも怪物呼ばわりされるようになった私であるが、それでも、己の力を危惧することは無かった。
理由は二つある。
一つは、どれだけ短期間で耐性を付けて変化しようとも、私は即座にその力に適応できてしまうということだ。
例えば、鋼鉄の塊を、以前は全力を込めなければ殴り砕けなかったのが、魔物との戦いを経て、数分の間に鋼鉄を軽く力を込めただけで砕けるようになったとしよう。
普通であれば、力の差異に戸惑い、かつての私のように日常的に使う物を破壊してしまうはずだ。力加減が分からず、慣れるまでとてつもなく苦労するはずだ。
けれども、私にはそれが無い。
会得した力に戸惑うというか、「え? また腕力上がったの?」とうんざりすることはあるが、それも一瞬の出来事だ。私は、外部からの干渉に対しての耐性を持つが、どうやら、【不死なる金糸雀】を用いて獲得した力の変化に関しては、外部からのそれと比にならないほど早く適応するらしいのだ。
うん。そりゃあ、魔物どもが怪物呼ばわりするのも納得の有様だが、とにかく、手加減出来るというのはとてつもない利点だ。これで、日常的に誰かをうっかり殺してしまう、ということが無くなるのだから。
そして、もう一つの理由であるが、どちらかと言えばこちらの理由の方が、危惧する必要が無いと安心できる物だった。
「ほい、ここまで。ありがとうございました」
「…………ぐぐぐぐ、ありがとうございました」
身近に、私よりも強い存在が居る。
それこそが、私が安心できる理由の大部分だった。
まぁ、それはそれとして、組手でも負ければそれなりに悔しいのだけれどね? いや、本当に悔しい。社会人になってクソみたいな仕事を何度もこなした結果、その手の悔しさは消え去ったかと思ったのだが、どうやらまだ残っていたようだ。
あるいは、かつてのふらふらと惰性のまま仕事をこなす日々よりも精神が健全化してきたということなのかもしれないね。
「なんというかさ、照子は雑なんだよ。ああ、力任せが駄目だってことじゃないぜ? 時に、力任せのごり押しは、百年の修練を超えるからな。でも、アンタのそれは雑なだけだ。集中力にムラがあり過ぎる」
「はい」
「魔物を討伐する時や、魔人との戦いで死線を潜る時は恐ろしいほど集中力を発揮するみたいだが、出来れば、意識的にその切り替えを出来るようになった方が良い。言いたくは無いが、俺たちの仕事は時に、人間を相手にする。その時、捕縛にした方が良いか、殺害した方が良いか、現場の判断を任せられる時もあるだろうよ。そんな時、アンタの集中力が乱れていたら、どちらに転んでも碌なことにならねぇ」
「……はい」
私と治明の修練は日常的に行われている。
討伐の後。
討伐の仕事が無い、放課後。
週末の休日。
そういう、ちょっと空いた時間に私は、治明と連絡を取り合って、土御門家の『トレーニングルーム』を借りることにしているのである。
戦う度に、強靱に心身が変化していく異能を持つ私ならば、修練など不用と思うかもしれないが、とんでもない。先ほどの治明の言葉の通り、私は雑なのだ。これが、周辺被害を考えず、相手を殺すだけならばともかく、退魔の仕事はそんな分かりやすい物ばかりではないだろう。
今は、新米として分かりやすい仕事ばかり回してもらっているが、その内、治明や彩月がこなしている『現場判断が求められる複雑な仕事』も割り当てられるようになるかもしれない。その時、何も分かりません、では話にならないのだ。
そう、強いのと仕事が出来るのは別なのだ。この退魔の仕事であったとしても。
「だが、正直に言えば、アンタの成長は異能云々を抜きにして、驚愕だ。なんというか、そう、センスがあるんだよ、アンタは。元が一般人だから、集中力にムラがあるんだが、肝心な時に判断を間違わない。ビビらない。相手の考えを読み取って、それを上回る動きを、時に、その通りに動いて油断を誘う。こういう、『誰でも考えつくが、それが出来れば苦労しない』みたいなことをさらりとやってのける。これは、紛れもなくアンタの長所だ」
「おお!」
「要するにあれだ、筋は悪くないから、とにかく練習と実戦を繰り返すことだな。なんつーか、身もふたもないことを言えば、結局、強くなって仕事が出来るようになるやり方は、俺はこれしか知らねぇんだ」
なので、私は治明に頼み込んで、教えを乞うている。
年下だろうが、私よりも強く、私を確実に殺してくれる力を持った退魔師なのだ。芦屋家に並び立つほどの退魔の家、土御門家に生まれて、幼少のころから退魔に携わってきたプロの退魔師なのだ。
敬意を持って、教えを乞うのは当然のことだろう。
「わかったよ、ありがとう、治明。これからも修練を欠かさず、そして、集中力を常日頃意識してみようと思う。いざという時、疲れ果てて雑な動きにならないよう、気を付けるよ」
「お、おう…………なんか、その、あれだな?」
「なんだい?」
当然のことなのだが、私が素直にお礼を言うと、治明が微妙な顔をする。
微妙な顔といっても、嫌がっているという顔ではない。どちらかと言えば、喜んでいいのか、と戸惑っている顔だ。
「照子は本当に、そういうの気にしないんだな」
「ああ、年功序列とかかい? いや、意外と気にするタイプだよ」
「マジで?」
「うん。年取った人間の方が、若い人間よりも先に死ぬべきだと思う。もちろん、人間の価値は年取った年数だけじゃないから、そういう価値観の前提の下、ケースバイケースがあると思ってくれていいけれど」
「や、そういうことじゃなくて…………あー、その、なんだ」
道着姿で、己の頬を掻くと、治明は私の目を見据えて問いかけてきた。
「アンタは本当に、高校生のガキにこんな偉そうなことを言われて腹が立たないのか? 俺が知っている限り、大抵の大人って奴は、年を取るごとに無駄なプライドばかり肥大していくんだが?」
「それはね、治明。君が大人の悪いところを見過ぎたのかもしれないよ。もちろん、大抵の場合はそうだよ。私だって、何も知らないアラサーだった時に、見知らぬ高校生から敬語も無しに声をかけられれば、少しムッとするさ。君だって、小学校低学年の男子に『おい、お前!』なんて言われれば、イラっと来るだろ?」
「ああ、泣かせたくなるな」
「本当に泣かせないでね? ともあれ、それは仕方ないのさ。人間はお釈迦様じゃないからね、無意識に自分とその他の誰かの位置を決めているのだよ。でも、それは悪いことじゃあない。そういう心の動きが無い人間は、聖人か、あるいは世界に何の価値も見いだせない狂人だと思うし…………あー、話が長くなっているね。まったく、これだから精神アラサーは……つまり、簡単にまとめると、だ」
年を取ると話が長くなって困る。
やれやれ、必要なことを言うためにぐだぐだと前置きするのが、私の悪い癖だな。
「治明、私は君を尊敬しているし、信頼している。だから、細かいことはいいのだよ。それに、どちらかと言えば、頼っているのは私の方さ」
「………………おう」
治明がどのような結論を出したのか、私には分からない。
ただ、治明がぶっきらぼうに立ち上がり、背を向けて歩き出した姿は、どこか嬉しそうに見えた。
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私は随分と恵まれている。
組手の終わりに、土御門家でお風呂を頂いている時は、それを特に実感する。
「あー」
無駄に蕩けた美声を吐き出しながら、私はヒノキが香る浴槽に身を沈めた。じんわりとした、お湯の温かさが体に染み渡り、疲れを解してくれるようだ。
「ふぃー…………なんか、退魔師になってからの方が人生充実しているよなぁ」
サラリーマン時代。
職を転々としながら、無為に人生を送っていたあの時よりも、確実に私は己の人生を楽しんでいる気がする。それは単に、命のやり取りを経て、平穏のありがたみを知ったというだけのことではない。
頼りになる先輩が二人も居る。
年下だけれども、きちんとした判断を下してくれる優秀な上司が居る。
良い職場だ。数多の職場を経験してきた私だからこそ、分かるのだ。この職場を逃せば、私に二度と、このような待遇の充実した日々は来ないのだと。
「まー、退社しようと思っても出来ないのですけどねー」
しかし、今のところ私が辞める予定も無いし、辞められるとも思わない。それだけの戦力を私は保有しているし、退魔機関という世界規模の組織は私を逃がさないだろう。
人によってはこの境遇を、生死を賭けた戦場に居続けることを強制される職場だと思うかもしれないが、それこそが望みだった。
私は薄情な人間なので、基本的に他人はどうでもいい。
顔の知らない人間や、行ったこともない国々の悲劇なんてどうでもいいし、『恵まれない子供たちになんとやら』という言葉に心を動かされた時なんてない。
モニター越しの悲劇なんて、あくび交じりに噛み殺せる。
けれども、どうにも私は直接それを見てしまうと、社会人としての常識に則って行動してしまう人間だったのだ。
即ち、視界に入る悲劇を砕かなければ気が済まない。
善人なのではない。
ただの我が侭であり、自分が不快になるのが嫌なだけの浅い考えでの行動だ。
ひょっとしたら、そんな私が退魔師なんて仕事に就くのは何かの間違いかもしれない。力は有用かもしれないが、心構えとしては落第も良いところだろう。先輩たちのように、美しくは在れない。
しかし、そうだとしても、だ。
この身が削れることで、そういう美しい物を守れるのならば本望である。
…………気軽に命を賭けると凄く怒られて、悲しませてしまう相手がいるので、最近はもっぱら、そういう信条をどうかと思うようになったのだが。
ともあれ、だ。
「今、出来ることを精一杯やるしかない、か。私の内心がどうであれ、せめて、先輩たちに恥ずかしくない大人としての、行動を――」
「お邪魔しまぁーす!」
「ま、まーすぅ……」
「ハレルヤ!」
「ここが、あのおんなの、はうすね!!」
それは私が風呂場で思考に耽っていた時に起こった出来事だった。
油断があったかもしれない。ここが土御門家の浴槽であるということを前提として、安全地帯だと考えていたので、気を抜いていたのが悪かったのかもしれない。
治明の言った通り、集中力にムラがある所為でこうなったのかもしれない。
でも、でもね? 普通は思わないじゃないか…………のんびり風呂に入っていたら、急に、色んな姿形の美少女が五人ぐらいまとめて、浴室に入って来るなんて。
とりあえず、私は念には念を入れて、即座に戦闘態勢を取るが、美少女たちは一糸まとわぬ裸体で、私の過剰反応をおかしそうに笑った。
「きみぃ! そんなに怯えなくても心配無用だ!」
「わた、私たちはその、志を、同じくするもの、です……」
「ハレルヤ!」
「しんいりに、ごあいさつなのだよ!」
美少女たちは、一人を除いて自らの美貌を見せつけるように、裸体を隠すことなく告げてきた。
『私たちは治明のハーレム軍団!』
「ハレルヤ!!」
『今日は裸の付き合いをしながら、お互いの本音をぶつけるために来た!』
「ハレルヤァ!!!」
ハレルヤ娘うっせぇ。
なんであの娘だけ、白目向きながら絶叫しているの? 怖いのだけど。
「…………え、ええと」
私はそっと、彼女たちから目を背けて言葉を返した。
「まず、私の中身がアラサーのオッサンだということは知っているかい?」
『…………???』
数秒後、悲鳴の合唱と共に、土御門家の風呂場が破壊されることになるのだが、この件に関して、私はあまり悪く無かったということだけは明言しておく。




