第33話 幕間:芦屋家の式神たち
私は、彩月の式神たちと仲が悪い。
鴉天狗のクラマとだけではなく、彩月が所有する四体の魔物全てに嫌われている。付け加えるのならば、エルシアが使役する魔物にも嫌われている。
もはや、魔物全体との折り合いが悪いとしか思えない。
何せ、一目見た瞬間に嫌われるのだ。人間がゴキブリを見つけた時に感じるような、生理的嫌悪感を私に対して持ち合わせているのだろう。
大体の魔物とは顔を合わせた瞬間、殺し合いが始まるので、私は魔物と人間の異種交流を諦めていた。うん、基本的にあいつら人間を殺しに来るしね。異能者はただでさえ、我が強く魔物使いの適性が皆無なので、これで良いと思っている。
「まーた、御主人の下に来たのかニャ!? この、怪人!」
「またも何も、君の御主人に招かれたんだよ、クソ猫。分かったら、さっさと身の程を弁えて退きなさい。邪魔だよ?」
ただ、私が芦屋家の敷居を跨ごうとするたびに、彩月の式神が殺意を向けて来るのは勘弁してほしいところだ。
「御主人……男……? 女……? の趣味が悪すぎるニャ! ぶっちゃけ、我々式神衆一同、貴様を殺した方が、御主人のためになるんじゃにゃいかと悩む日々ニャ!」
ちなみに、現在、私を玄関前で止めているのは猫又であるコマだ。
容姿としては、茶髪のおかっぱに、同色の猫耳が頭に生えている、割烹姿の娘である。外見年齢はおおよそ中学生ぐらい。臀部から三つに分かれた尻尾が、うねうねと動いていなければ、ただのコスプレ娘に見えるぐらいの獣具合である。
「あっはっは、畜生の分際で余計なことを考えない方が良いよ? 畜生の浅知恵っていうのは大抵、飼い主を困らせる物だからさ。ほら、鼠の死骸とか飼い主にあげても、喜ばないものだよ? 知っていたかな?」
「にゃっはっはっは! 殺す」
そして、当然の如く私との仲が悪い。
前に一度、彩月を迎えに芦屋家に行った時は、的確に首の頸動脈を狙って爪を振るってきたぐらいだ。
まぁ、その時は普通に敵対者だと思って肉片にしてやったわけだけれども、今もこうして元気に私へ殺意を向けているのには理由がある。
式神。
それは、千年以上前にとある陰陽師が確立した、魔物を使役するための術だ。
ただし、それは単に契約で魔物の動きを縛り、労働の対価として魔力を与えるというだけの雇用関係ではない。
式神という技術は、契約した魔物に対して、疑似的に器を与えるということも含まれている。
魔物の魔結晶を抜き出し、それを魔道具として加工。それをリモコンとして、術者が作り上げた肉体を、式神が操作する。
これにより、術者に生殺与奪を握られる代わりに、疑似的な不死の肉体を持つことが出来るのだ。
「しゃおらっ!」
なので、こうして遠慮なくコマの頭部を殴り砕いても問題ないのだ。
きっちりと玄関の外で殴り砕き、返り血にも気を付けたので何も問題ない。そう、式神の肉体を再構成するのには、それなりの手間とお金がかかるという点を除けば。
「あーあー、何をやってんっすか、アンタ?」
「やぁ、クラマ。ここの死体片付けてくれる?」
「なんでぇ、同僚の式神を爽やかな笑顔で殺してんですかぁ」
「それはね? 隙あらば君たちが私を殺そうとするからだよ?」
私は騒ぎを聞きつけて玄関から顔を出したクラマに、コマの死体を片付けておくことを命じる。もちろん、私の命令なんて聞くわけが無いが、ナチュラルに死体を玄関前に置いておくと外聞が悪すぎるので、クラマは片付けてくれるだろう。
「少なくとも俺は、今はアンタを殺そうとは思ってないんっすけど?」
「君は小賢しいからね。どうせ、私が弱っているところを狙っているのだろうけれど、最近の私は、死に近ければ近いほど強くなるよ?」
「クソッタレ」
クラマはとても嫌そうな顔をしながらも、渋々と死体の片づけを始めた。
以前、背後から私を暗殺しようとした時に、眼球から唐辛子を食べさせてやったことを今でも忘れられないのだろうね? うん、その恐怖が薄れた瞬間が、君がもう一度死ぬ時だよ、クラマ。
「ところで、オウマは? 屋内で相手するには面倒だから、今のうちに殺そうと思うんだけど」
「その台詞で同僚を売る馬鹿がどこに居るので? …………アンタが来ると知らされた時から、ちょっと遠出しているよ」
「よかった。やっぱり、麒麟に屋内で暴れられると絶対に物が壊れて悲惨なことになるから、その前に殺しておきたかったのだけど、うん。ちゃんと仲が悪いなりの折り合いが付けられているようで何より」
「…………言っておくが、オウマは俺たちの仲では一番アンタに対して穏健派だぞ? 主が悪い男? に引っかかるのも、尽くすのも自由って方針だからな」
「でも、前に一度、雷速で殺しに来たよね?」
「それはあれだ。アンタはこう、生理的に無理だもん、魔物は。そりゃあ、とりあえず殺そうとするよ。格下でも、ワンチャン、アンタと刺し違えようとするよ」
「どれだけ嫌われているのだ、私は?」
いや、薄々感じてはいたが、私は魔物との相性が最悪のようだった。
ということは逆説的に、私は常に容赦なく魔物を正当防衛でぶち殺せることだと思い、無理やり利点を見つける。
社会人として上手くやっていくコツはね? 理不尽に遭っても、頑張って良いところ探しをすることだよ。それでも駄目だった場合は、余計なストレスをためる前に行動あるのみだね。具体的に言えば、私は手加減抜きで彩月の式神を一通り殺している。
「まぁ、いいや。君たちに関しては、その場で殺せばいいし」
「ぽんぽん殺すのは止めてくれませんかね? うちの主が、俺たちの器を作り直すの、金も手間もかかるじゃないっすか」
「君たちが殺しに来なければいいだけの話だぜ? そんなことよりも、アズマは? あのクソ蛇女はどこに居る?」
「退魔師の中でも、龍神を蛇女扱いはアンタぐらいっすねぇ、マジで」
「奴との戦いは死闘になるから、居るなら気を引き締めないと」
「…………アンタがぶち殺してから、まだ肉体の再構成が間に合ってないっすよ。彩月からも灸を据えられた所為で拗ねて、最近は滅多に姿を現しませんぜ?」
「やったぜ」
「嫌いな奴が強いほど嫌なことはないっすわ、マジで」
龍神アズマ。
彩月が持つ式神の中でも、最も強く、最も気高く、そして、最も制御不能な魔物。
いいや、魔物というカテゴリを超える魔神という存在だ。
脅威度ランクA。
彼女が本気で猛威を振るえば、国家の存亡を揺るがすほどの大惨事になるという存在。
もはや、生きている大災害と呼んだ方が良いほどに、生物としての規格が違うのだ。
ただ、流石の機関もどれだけ信用があったとしても、一人の人間に国家の存亡を揺るがすほどの力を大人しく持たせているわけがない。
一時的にその力の一端は扱えるものの、龍神アズマは現在、己の核たる魔結晶を幾つも分けられており、力が分割されているのだ。彩月が持っている式神も、その内の一つ。
「それに関しては同意するよ、本当に」
魔人の集団を退けた後、私とアズマは死闘を演じた。
理由は些細なことだったと思う。
いや、マジで『その顔が気に食わない』程度の理由で殺しに来られたのだから、マジで困る。あの時ばかりは、『きっちり躾けておけよ、彩月ぃ!』と絶叫したものだ。まぁ、その絶叫の所為で余計にアズマからの殺意を受けたのだが。
アズマは強かった。
力を分割され、式神として枠を設けられた状態で、それでも強い。
マジギレした彩月から魔力の供給を切られても、私を一撃で屠るのには十分な実力を持っていたし、実際に私は死の直前まで追い詰められた。
【栄光なる螺旋階段】の必殺攻撃を受けて、半死半生になってもなお、私を殺しに来るあたり、ただの気まぐれのような動機ではなさそうだが、いい迷惑だ。
そのおかげで結局、私の【不死なる金糸雀】の段階が上がってしまったのだから、本当に困ったぜ、うん。
「おかげでもう、心臓を貫かれたぐらいじゃあ、死なない体になってしまった」
「…………アンタ、もうそこら辺の魔物よりも怪物っすよ?」
「彩月にはオフレコだぜ? 言ったら、お前の魔結晶を割る」
「言うわけねぇっすよ……主が悲しむ」
アズマが展開した閉鎖領域での死闘は、私の勝利で幕を閉じた。
戦闘開始直前は、私はアズマの攻撃がかすっただけで瀕死になるような有様だったというのに、僅かな死闘の中で暴走する異能が成長してしまったのである。
もはや、私の肉体は戦闘タイプのランクBのそれと遜色がない。手足がもげたぐらいならば、気合を入れれば再生できるだろう。
うん、控えめに言っても怪物だなぁ、私。
けれども、怪物と化したからこそ、あの恐ろしい龍神の肉体をバラバラに砕き、死闘を超えることが出来たのだから、異能に対して文句は言えない。
「とりあえず、私としても君の主を泣かせるつもりは無いから、安心して欲しいな?」
「…………それが本当に厄介というか、うちの主は男を見る目がないっすねぇ。どうせなら、治明にすればいいのに」
「本人に言ってみれば?」
「冗談。式神懲罰用の術式って、とてつもなく苦しいんっすよ?」
例え、魔物から怪物と呼ばれる何かに成り果てようとも、私は決めたのだ。
彩月の隣に居ると。
この決意は、たかが彩月の式神に否定された程度で、揺るぐものではない。
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「んもう、テルさん! 来るたびにうちの式神を殺さないで欲しいですよ!」
「だったら、殺しに来るのを止めるように」
「コマにはしばらく、マタタビ抜きの処罰にしたので反省するかと!」
「反省するの? それで?」
「アル中が、酒を取り上げられたみたいなノリで反省しますよ」
「ねぇ、君たちの式神本当に大丈夫? 今のところ、まともに学習行動しているのがクラマとオウマぐらいだよ? そして、片方は魔獣タイプだよ?」
「まー、魔獣と言っても麒麟なので! 縁起物で賢い奴なのですよ?」
「確かに賢いが…………あいつら、私が芦屋家に来る度に警戒するからなぁ」
「だったら、ボクがテルさんのところに行きましょう!」
「同居している真面目な上司が怒るから駄目」
「毎回思うのですが、同居ずるい! ボクも同居したい!」
「君がきちんと、自分の式神を制御できるようになったらね?」
「ううむ…………普段、皆良い奴なのですけれどねー? なーんで、テルさんにあんな殺意剥き出しなのでしょう?」
「さぁ? 生理的に無理とか、そういうあれじゃない?」
私は軽快なトークを交わしながら、居間で待ち構えていた彩月の隣に座る。
ただそれだけのことで、彩月は、ぱあっと花咲く笑顔で笑うのだから性質が悪い。いや、本当に困る。今まで誰かにそんなに慕われたことが無いから、戸惑うのだ。
一体、どうやって接すればいいのか、時々、迷ってしまうことがあるほどに。
「ま、そんなことはさておき、早速遊ぼうじゃないか。今日はちゃんと一対一のシナリオを作って来たから、楽しむといい。オフセだから、推定三時間ぐらいで終わる予定だけど」
「わぁい! グレさんのシナリオ! グレさんのシナリオ! ボク、大好きぃ!」
「楽しんでいただければ何より」
「ねぇねぇ、グレさん! 折角、リアルで会ったんだから、一緒に同人誌作ろう!? シナリオ本作ろう!? グレさん、結構界隈で名前が売れているから、本も売れるよ!」
「えぇ? でも、私のシナリオはほとんどフリーだから遊んで貰えるのであって、それが有料になってでも買うという人は少ない――」
「ボクだったら買うし! それにほら、グレさんは隠れファンが多いから」
「なにそれ知らない」
けれど、私が迷ったところで、彩月は一生懸命に手を引いていくのだから、仕方ない。
仕方ないから、もうしばらく付き合おう。
いつか君が、私と違う道を歩む、その時まで。




