第32話 美少女転校生 14
魔が住まう場所は、概ね、闇の中と相場が決まっている。
何故か? 闇の中こそが、魔物たちがその本領を発揮し、原初の恐怖の中から人を恐れさせることが出来るからである。
だが、逆に言えば、照らされてしまった魔物たちは弱い。
どれほど強大な力を持っていようが、全貌が明かされ、隅々まで解明されてしまった魔物は、弱いのだ。そこに脅威としての恐怖はあったとしても、畏れは少ない。
もちろん、例外は常に存在するが、例外足り得るのは最低でランクA、神と呼ばれし脅威でなければ成り立たない。
故に、神ならざる魔物たちは隠れ住む。
そう、例えば、人里離れた山奥、そこに建てられた洋館などに。
「た、ただいま……」
「…………我が神よ……今、身許に……」
「馬鹿どもを回収してきたわ」
洋館の正面入り口に、ランクCからBに相当する魔人たちが三体存在している。
三体の高位魔人が存在しているとなれば、国家規模の脅威だ。しかし、現在、三体の魔人の内、既に二体ほどは戦闘不能となっていた。
「は、ははは、僕、なんとか生きてる……」
「………………」
「グーラ、グーラ? 僕たち、頑張ってここまで耐えきったんだから、折角だから生き抜こう? また復活するにせよ、時間がかかるから迷惑になるよ?」
一体は、優男の魔人、ペイン。
肉体は腰から下が存在せず、内臓は真っ赤な髪の束で縛り付けられて、辛うじて零れることを防いでいる。
もう一体は、神父の魔人、グーラ。
二メートル近い偉丈夫の肉体は、その両腕が既に焼却され、顔面も含めた体の半分の表面が炭化してしまっている。
二体とも、尋常ならざる固有能力――権能を持つ恐るべき魔人であったが、退魔師たちとの戦闘から離脱するために、かなりのダメージを負ってしまっていた。
「既に、美しい私に迷惑をかけているのですから、手遅れなのでは?」
そして、戦闘不能、いいや、まともに動くことすら不可能な二体の魔人を、『真っ赤な長髪』を動かして引きずっているのが、三体目の魔人だ。
腰どころか、足元を過ぎ去って周囲に広がるほどの膨大な髪を持つ、女性。そこだけが異様で、残りの部位は服装も含めて普通だった。他の魔人のように美貌を持っているわけでもなく、服装もおしゃれな初夏のコーディネートをしているが、普通。スタイルもモデル並というわけでもない普通の女性に見える。
ただ、どこまでも伸び、自在に動くその赤髪の美しさだけは、世界中どこを探しても見つからないほどの唯一無二だ。
「ははは、ごめんよ、フォル。最終的には、君まで巻き込んでしまって」
「…………ふん」
フォルと呼ばれた赤髪の魔人は、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、そっぽを向く。
「ペイン。貴方が迷惑だとは言っていません。元々は、あの馬鹿な双子が仕事外で遊び過ぎたのが原因です。まったく、テイムまで呼び出したと思えば、あの体たらく。貴方が助けに入らなければ、復活出来なかったのに」
「まぁまぁ、そこら辺は仕方ないじゃないか。僕たちは所詮、偉大なる我が神の躯に過ぎないんだよ。それに、あの子たちが担当しているのは眼球だ。あの子たちが見た光景はさぞかし、人間が恨めしいんだと思う」
「貴方は、甘すぎますよ、ペイン。復活したらがっつりと説教すべきです。ただでさえ、美しいこの私に労働させることは重罪なのですから」
「えー、そっかぁ。じゃあ、僕が罪を被るから何とかならない?」
「………………ふん。ならば、買い物に付き合いなさい。馬車馬の如く、美しい私のために働いたら、許してあげます」
そっぽを向きながらも、親しげな口調で言葉を紡ぐフォルに、それに苦笑交じりで応えるペイン。一見するとそれは、和やかな男女のやり取りに見えるかもしれないが、片方は下半身が吹き飛んでいるし、傍らにはもうそろそろ死にそうなグーラの姿があるのだからシュールだ。
「おいおい、君たち。仲間の絆を育むのも大事だけれど、仲間たちを回復、復活させてやるのが先じゃあないかな?」
そんな二人へ、声をかける者が一人……否、一体。
こつ、こつ、と足音を響かせながら階段から降りてくるのは、真っ赤なスーツに身を包んだ成人女性だった。
「あ、そうだね、ごめん、リース」
「…………むぅ」
リースと呼ばれた、赤いスーツ姿の魔人は、一見するとごく普通の日本人の成人女性に見えた。
ややぼさぼさになった黒髪のボブカット。美形ではあるものの、野暮ったい黒縁眼鏡と、草臥れた愛想笑いが顔に張り付き、常に『疲れていそう』という印象を抱かせる所作の女性だ。
疲れたOLというよりは、新進気鋭の起業家として、常に最前線を駆け抜け続けた結果、もはや止まることが出来ず、過労と共に仕事を恋人としている二十代後半という雰囲気がある。
「はいはい、むくれない、フォル。さっさと、双子の残骸とそこの二人をシェルの回復浴槽へ突っ込んでくる。いくら、復活すると言っても、魔力はただじゃないんだよ? ワタシ、とてつもなく頑張って、魔力を稼いでいるんだよ?」
「でも、美しい私とその仲間たちはシェルのおかげで肉の器を保っています」
「そのシェルは魔力を糧に動くんだよー? 龍脈からマナをかすめ取らないと瞬く間に枯れるんだよー? ほら、さっさと行く! なんなら、ペインと一緒に浸かってきても――」
「リースのばかっ!」
「みぎゃっ!?」
べしーんと、赤い髪の毛の束で顔面を叩かれるリース。
その衝撃で眼鏡が外れて、地味にショックを受けるリース。伊達眼鏡ではあるが、特注品でフレームも合わせると全部で二十万円ほどの品なのだ。そりゃあ、叩かれればショックを受ける。
「うう、ワタシたち魔人がまともな生活をしているのはワタシのおかげなのに。一家の大黒柱なのに」
「いつもありがございます、でもばぁーか!」
嘆くリースへ、「ばーか、ばーか」と子供じみた罵倒を送りながら、フォルは死にぞこないたちを引っ張って洋館の奥へと歩いていく。
「…………ふぅ。随分と『人間らしい』感情を出せるようになったもんだね。ううむ、感慨深い、感慨深い」
そんな彼女を見送った後、リースは眼鏡をかけ直し、一息つく。
「さて、整理しよう。我々の陣営は半壊も良いところ。復活するといっても、リソースは限られている。『太陽堕とし』は失敗し、同志からもたらされた肉体も敵の手中。おまけに、我らは欠けており、到底、我が神に至るまでにはならない」
一息吐き、草臥れた愛想笑いを歪め、悪魔のように言葉を紡ぐ。
「――――何の問題も無い、ああ、そうだとも。既に種は撒いた。準備は万端。例え、ワタシが、ワタシたちが朽ちても、計画の実行には何の問題も無い」
『魔神器官』が頭領、聡明なる権能を持つ魔人、リースは笑みと共に独り言を呟く。
「芦屋の少女は強いが、単独ならば我々の方が上。恐るべき龍神の分霊も使いこなせていない。使いこなせていたら、今頃、フォルはともかく、他の四人は帰ってこられなかっただろう。それに、特異点である土御門の少年も、結局は『終わった後の救世主』に過ぎない。我々の計画自体は、彼の活躍の前段階。そう、運命の介入などは起きない。よしんば、何かを感知し、我々を皆殺しにしたところで、同志には絶対に届かない。例え、忌まわしき退魔機関がその全霊を尽くしたとしても、届かない」
まるで、世界全てを思うがままに操る黒幕の如く、一人語りをしていたリースはけれど、ふとした瞬間、ぴたりと止まった。
笑みがすっと消え去り、言葉も止まり、茫然と洋館の窓から空を仰ぐ。
リースの視線の先には、晴れ晴れとした青空が広がっており、目を背けたくなるほど太陽が輝いていた。
「なのに、何故、ワタシは不安なのだろうね?」
空虚に投げかけられる自問自答。
それはまさしく愚問だ。
何故なら、答えは既に分かっている。
「山田吉次……いいや、天宮照子。お前は、お前は一体、『何』なんだ?」
ラプラスの悪魔の如く、世界を見通す魔人の、聡明たる権能。
されど、悪魔の力を持ってしても、未来は見通せず。
突如として盤上に現れた、イレギュラーに対して、頭を悩ませ続けるのであった。
●●●
滝藤瑞奈の日々に劇的な変化なんて訪れない。
「幸運だね、滝藤さん。君は治明の『魔を焼き尽くす炎』で一度清められた。だからこそ、即席の異能なんて欠片も残らなかった。うん、それでいいと思うよ。君に、怪物を作る異能なんて似合わない。君に似合っているのは……おっと、これは野暮という奴だね?」
魔人に干渉され、強制的に目覚めた異能も既に焼き払われた。
魔力を操る力なんて、欠片も残されていない。
あるのはただ、絵を描くための力のみ。
故に、機関は過度な干渉を控えたのだろう。無力である少女に口止めはしつつも、監視は最低限に。
そもそも、滝藤瑞奈の保護は別組織が担当しているので、そこまで率先して手を出そうとは考えなかったのかもしれない。
だからこそ、瑞奈はいつも通り、自宅のベッドで目を覚ます。
「…………ふあああ、ん?」
いつも通りの目覚め。
いつも通りの私室。
絵具の匂いが残り、煩雑に私物が散らばる部屋。汚物は無いけれども、その代わり、本と描き終わったスケッチブックの山にベッドが囲まれている。
そのベッドの中で、もぞりと、瑞奈の意識に関わらず動くふくらみがあった。
「…………えっ?」
「むにゃあ」
ちょうど、人ひとり分ぐらいあるふくらみ。
瑞奈は恐る恐る、ベッドの掛布団をめくると――そこには、パジャマ姿の池内亜季が居た。
「えへへ、みじゅなぁ……」
「みゃんっ!?」
しかも、がっしりと下腹部に頭部が埋まる形で抱き着いており、もぞもぞと動く度、くすぐったいやら、恥ずかしいやらで眠気は一瞬で消し飛ぶ。
「こ、こらっ! 起きて、起きて、亜季!」
「…………んあ? おはよう、瑞奈」
「うん。おはよう、亜季。えっとね? 起きたなら、その、ね? 早く、ベッドから出て行って欲しい―――」
「ああ、朝の瑞奈ぁー」
「ひゃぁあああああ! どこの匂いを嗅いでいるのさぁ!?」
己の下腹部にしがみ付く亜季を、か弱い力で叩く瑞奈。
この二人が、どうして床を共にしているのかと言えば、答えは簡単。
様々な軋轢を乗り越えて、様々な苦難を抱えながらも、二人は仲直りをして、共に手を繋ぐことにしたのである。
ただ、その代償として、少しばかり亜季の瑞奈信仰が、瑞奈フェチというより変態的な物へと変わってしまったのだが。
「ヨシ! 気合十分! 血液上がって来たわぁ!! 瑞奈、アタシと一緒に朝風呂に行くわよ! 丸洗いしてあげる!」
「昨日の夜、お風呂に入ったばっかりだよぉ!!」
「ばっか! 乙女たる者、常にいい匂いをさせてないと! あ、獣の匂いがするアンタもアタシは好きよ!? ただ、ちょっとフェロモンが優先されるから、襲っちゃうかもだけど」
「一人でめっちゃ洗ってきますぅ!」
非日常的な事件の後、二人は仲直りをした。
けれども、元通りの関係に戻るということではない。
亜季はもう、瑞奈のことを庇護すべき物だとは思っていない。ちゃんと、瑞奈の強さを理解している。というか、強い思いでアタックすればするほど、良い声で対応してくれる相手だと分かったので、今度は全身全霊の欲望とか、ちょっとした変態性もぶつけていくつもりらしい。
そのため、色々と容赦が無くなったし、遠慮も無い。
喧嘩の回数はとても多くなるだろう。
もっとも、喧嘩をしてようが、変わらず隣に居るだろうが。
「…………ふぃー、のぼせたぁー」
「瑞奈。着替えてご飯を食べて、学校に行くわよ。いつまでも伸びていると、そのまま手足を縛ってインモラルタイムね?」
「親友が! 親友が最近、私を動かすのにえぐいセクハラしてくるよぉ!」
そして、変わったのは亜季だけではない。
「そりゃあ、もちろん。アンタに一番効くのはこれだって分かったし。その上、アタシも気持ちがいい。締め切りもきちんと守る。うん、最高じゃない?」
「最低の方法だよぉ!」
瑞奈は自らの絵を発表するようになった。
今はまだ、小さなコンクールや、デジタルで絵を描くことを勉強している程度だが、やがて、自分のアカウントを持ち、様々な媒体で絵を発表していくことだろう。
しかし、瑞奈の考えが変わったわけではない。
相変わらず、絵を描くことに格別の楽しみを見出すことは無いし、なんなら、前よりも苦しいまである。有象無象の周囲から褒められても、まるで嬉しくない。
秋絵に対する実績として便利だから。
亜季が喜んでくれるから、絵を描く。
これが動機の大半であることは変わっていない。
ただ、新たに一つ、動機が加わっただけの話だ。
「ああもう、亜季が絡むからご飯を食べる時間がー!」
「こんなこともあろうかと、特製お茶漬けにしておいたわ。さぁ、ささっと流し込んで学校に行きましょう」
「くそう、美味しいのが逆に腹立つぅ!」
少女たちはドタバタと駆けていく。
まるで、普通の女子高生のように。
いいや、当然のように、普通で、当たり前の日常を過ごしていくのだ。
これから先、数多の困難はあるだろうが、きっと、もう二度と彼女たちが魔に刺されることは無いだろう。
「さぁ、走るわよ、瑞奈! 途中で遅れる度にお尻を触っていくわ!」
「いじめっ子だった時よりも、亜季の行動が悪質になってない!?」
瑞奈が、描くことを止めないことと、同じように。
白紙の未来に、己の現在を描き続けていく限り、彼女たちはもう、闇に惑わない。
●●●
とある絵描きのスケッチブック。
その中の一ページには、数多の色鉛筆で彩られた作品が一つ。
金髪碧眼の少女や、茶髪の少女と視線が合う様に描かれた絵。けれど、少女たちの背後には、まったく視線が合わない様子の群衆も、鮮やかに描かれた少女二人と対比になるように、あえて薄く描かれていて。
――――タイトルは『自画像』。
絵描きは、鏡に映った己ではなく、己の眼球に移った世界を『自身』と定義した。
故に、絵描きは――彼女は描き、彩っていくだろう。
己の生の、証明を。




