第2話 美少女に至るまでの前日譚 2
さて、どうしてこんなことになったのか? そもそも、これは一体、どういうルートで手に入れたのか? と険しい目つきで優秀そうな医者――時岡さんに問われたので、私は出来る限りのことを思い出しながら、説明することにした。
そう、あれはついこの間の出張帰りのことである。
私はこれでも営業職のような、雑務のような、良く分からないジェネラリストとして働いていたのだが、その業務の一環として、少し遠出していたのだ。他県の、とあるお得意さんの所へご挨拶。そこでまぁ、やりたくもない接待をした後、やれやれと国道で営業車を走らせていた時に、ふと、頭の中に思い浮かんだことがあった。
あ、蕎麦が食べたい、と。
おっと、時岡さん。勘違いはしないで欲しい。これはサボりじゃない。帰社途中の食事ぐらいは自由に認められているのでね。蕎麦を食べようと思ったんだ。
でも、折角遠出をしたのだから、道路沿いにある有名店やチェーン店ではなく、知る人ぞ知る、みたいな名店へ行ってみたい。そうだね、典型的な失敗する人の思考だね。けれど、その時の私の脳内には既に、良い感じに寂れた名店で、渋く蕎麦を啜る姿を鮮明に思い描けていたんだよ。
その結果、どうなったと思う?
そう、迷ったんだ。カーナビも付属されていない営業車だからね。そりゃあ、国道ならともかく、地元の複雑な道を通れば、普通に迷う。おまけに、ちょっとした山中に入り込んだ所為で携帯は圏外になっているし。
自業自得、ここに極まるみたいな状況だった。
ただ、これでも私はそれなりに職を転々としてきた柔軟性溢れる社会人。こういうトラブルは一度や二度じゃあない。こういう時は素直に、近場の家を探して、訪問。礼儀正しく頭を下げて、道を尋ねるのが最善だと知っていた。
うん、長くなって申し訳ない。
いよいよ本番だ。
私は、道を尋ねようと辺りを軽く探したけれど、中々建物は見つからない。山中だから当然だと思っていたが、その内霧も出てきて、流石にまずいと思ってね。とりあえず、どこでもいいから人気のある場所を探して、車を走らせたんだよ。
そこでようやく、私はある建物を見つけた。大きな日本屋敷だった。古風で、そのまま、時代を百年さかのぼっても、普通に存在していそうな建物だった。
幸いなことにインターホンはあったからね。それを鳴らしてみると、屋敷の中から美女が現れた。
「おやおや、珍しい。こんなところに、こんな人が来るとはねぇ。くくく、何にせよ、久しぶりの逢瀬だ、歓迎しよう。我がマヨイガへ、ようこそ、お客人」
屋敷が古風であるなら、出迎えてくれた美女も古風だったね。
まるで花魁の如く、鮮やかな着物を纏った麗人。ああ、現実離れした美人さんだった。何のコスプレか分からなかったけど、頭に角があったからね。そうそう、鬼の角みたいな奴。
さぁ、ここからは怪しい美女とこの私の、一晩の逢瀬が始まる…………と言いたいところだけど、何もなかった。普通に屋敷の中に入れて貰って、お茶を飲みながら帰り道を教えてもらって、それで終わり。
大した話はしていなかったよ。身の上話を軽く、上っ面の社交辞令。愛想笑いを浮かべながら、適当な話をしたさ。
そして、お礼を述べて、お邪魔しましたと帰る段階になった時に、怪しい美女は私に言ったんだよ。
「ほう、もう帰るのかい? なら、この屋敷から好きな物を持って行きな? そうとも、なんでもいい。ただし、何かを持ち帰るまでは、お客人は帰れない」
今から思えば、意味不明な言葉だったけれど、その時はそれが当然に思えた。
私は、何かを持ち帰らなければ、帰れない。そういう認識があったと思う。でも、社会人としての常識も働いていたんだ。下手に高級な物を持ち帰って、後からトラブルになるのは避けたい。私が持ち帰ったと、証拠が残る物もまずい。理想は消え物だった。後からしらばっくれることが出来るからね。
故に、私は屋敷の庭に生えている大きな木。それに成っていた果実を求めたんだ。
「く、くくくく! そうかい、そうかい!」
怪しい美女は、何故か愉快そうにしていた。
その理由は、私にはよくわからない。
そして、この後の結末は、御存じの通りだと思う。ん? 果実の効能? ああ、多分、説明してくれたはずだけど、覚えていないな。
理由? うん、果実の説明をしてくれる時、怪しい美女はかつてなく私の近くに、寄り添いながら、上機嫌で説明してくれてね? おまけに、適度に着崩れた着物の胸元が、こう……はい、そうです。
私はおっぱいを見ていて、肝心なことを聞き逃しました。
●●●
「マヨイガの帰還者である上に、オオカムズミの亜種を摂取した患者。ああ、何をどうすれば、ここまで酷いことが重なっているのでしょうか? 正直、山田さんが生きているという事実が信じられません。まず、マヨイガからの帰還者の八割は死に、残りの二割は発狂します。その上、オオカムズミは摂取した者に健康長寿と怪力を与えますが、一個でも量が多すぎます。九割の人間はそこで、過剰な魔力の摂取に耐え切れずに死にます」
わぁ、医者にここまで『死ぬ死ぬ』言われるとは思わなかった。
どうやら、私がやらかしたことは相当アレな出来事だったらしい。
「ならば何故、私は生きているのでしょうね?」
「…………荒唐無稽な話でありますが、一応の説明は出来ます。通常、一個でも量が多く、膨大な魔力に耐え切れず、人間は肉体が破壊されます。ですが、貴方が過剰摂取することにより、オオカムズミの修復効果が発揮され、過剰な魔力による破壊と再生が繰り返されたのです」
「細胞分裂的に考えて、寿命がかなり減りそう」
「実際、かなり減っていたでしょう。一歩間違えれば、急激な老化で『老衰』していたかもしれません。ですが、貴方の肉体はそれを乗り越えた。生物としてのステージを上げることにより、適応したのです。もっとも、その結果、異なる能力を得てしまい、異能者としてカテゴライズしなければならないことになってしまったのですが」
「つまり、寿命は?」
「不明です」
「不明?」
「身体能力の基礎が上がるのは、どの異能者にも共通することです。ですが、異能者は扱う異能によって、寿命が異なることが多いのです。数百年以上生きる者も居れば、己の身を焼くような強力な異能を得て、僅か一年で死ぬ者も居ます」
「なるほど」
私はとりあえず、分かったふりをして頷いておいた。
異能やら、魔力やら、正直さっぱりであるが、何事も分からなくても、分かったふりをして頷くことも社会人としての必須スキルだ。無論、時と場合にもよるのだが、こういうことが円滑な会話の流れを途切れさせないために必要だったりする。
「そして、異能者は大概、覚醒時の出来事によって得る異能が異なります。燃え盛る炎の中で覚醒したのならば、炎を扱う異能を。水の中で溺れている時に覚醒したのならば、水を操る異能を。より、過酷な状況で得た能力の方が、異能は強力になる傾向があります。また、レアな覚醒方法であればあるほどに、異能を扱うための魔力を豊富に生み出す傾向も」
「…………ええと」
「山田さん。貴方はとてつもなく過酷で、とてつもなくレアな覚醒を果たしました」
「具体的に言えば、どれくらいですか?」
「地雷原でマラソン大会を開くほど過酷で、マラソン大会が終わった後に、誰一人として地雷を踏むことがなかったぐらいレアな覚醒です」
「無理じゃあないですか、それ」
「ええ、机上の空論にもならない無理無茶無謀…………それを果たしたのが、貴方です」
何故だろう? 褒められている気がしない。
いや、実際褒められていないな、これは。ダーヴィン賞を受賞するレベルの愚かさを発揮した癖に、覚醒して無事に生き延びたことに呆れているというのが妥当だろう。
「山田さん、落ち着いて聞いてください」
「はい。落ち着きますが、ところで、さっきから会話の途中で、看護師さんたちが地味に拘束具というか、謎のネックレスとか、腕輪とか、指輪とか装備させてくるのはどうしてですか? 物凄く危険物っぽい取り扱いをされている気分なのですが?」
気分はニトロ! と自虐ネタを挟んでみたものの、誰も笑わない。
社会人として少なくない時間を過ごして来たアラサーの私にはわかる。
これは駄目な空気だ。
「貴方はとてつもなく強力で、命を削る異能を得てしまった可能性があります」
「はい」
「我々――『機関』は、貴方の身柄を拘束し、場合によっては封印処理を施さなければいけない可能性があります。抵抗はお勧めしません。恨み言は、いつでも受け付けています」
「はい」
「………………詳しくは、貴方の異能がどのような物なのか、それが判明してからお話します。どうか、落ち着いて……無理を言っているのは分かっていますが、くれぐれも落ち着いて行動してください」
「はい」
「………………本当分かっています?」
「いえ、実は半分以上さっぱりですね!」
あっはっは! と元気に笑うと、時岡さんから気の毒な生物を見るような目で見られた。
おっと、憐みぃー!
「結果が出るのは、明日の朝です。本日は、当施設でお泊りください」
丁寧に「お泊りください」と言われたのだが、実際は有無を言わさぬ拘束である。両サイドを屈強な看護師さんたちに固められて、なんだかよく分からないアクセサリーをじゃらじゃら付けたまま、私はストレッチャーに乗せられて病室に移動させられた。
なんと、個室じゃあないか。
おまけに、鍵付き。ただし、外側からしか鍵はかからない。ドアが物凄い分厚い。真っ白な壁の所々に、やけにお札が張ってあるが、きちんとトイレもあるし、区切られてある。エアコンもある。冷蔵庫もある。テレビもある。下手をすれば、私が住むアパートの一室よりも設備が豪勢な可能性があるね、これは。
「ま、なるようにしかならないさ」
私は適当な言葉を慰めのように呟くと、そのままベッドに倒れ込んだ。
ベッドはふわふわで。清潔な匂いがして、とても気分が良い。
これで、翌朝、私が死ぬとしてもいい夢が見られそうだ。
●●●
ここまで来れば、薄々分かっているかもしれないが、私は薄情で空虚な人間である。体を構成する八割以上の要素が、虚勢と愛想で出来ていると言ってもいい。
社会人になってから友人と呼べる人間は、ほぼ皆無。知人という関係すら、その場しのぎ。環境が変われば、誰ともすぐに連絡も取らなくなり、また新しい人間関係の中で平然と暮らしていく。
基本的に、誰かと心の底から本音で言葉を交わすことなどは無い。
当然、彼女なんて出来た覚えもない。
私は28歳独身男性であり、また、童貞でもある。風俗は怖いので行ったことが無い。知らない人と抱き合うとか、とても怖すぎる。
ただ、そんな薄情な私にも、冷静に思い出してみれば心残りという物が一つぐらいあった。
それは、リアルではなく、ネット上で知り合った友人のこと。
そう、こんな私にでも、例外的に友人が出来ることもあるのだ。
最初はTRPGのオンラインセッションで知り合ったのだが、その後、気が合い、チャットを通じて五年間ほど交流を重ねている。
ネット上とは言え、私の人間関係の中では最長の友人だ。
ちょっと精神的に不安定で、アレな部分が多く、一時期は私のネットストーカーみたいになっていた友人であるが、今は大分落ち着いていた。
故に、あの友人に黙って死ぬのは流石に忍びない。
出来るのならば、死ぬ前にネットを使わせて貰って、チャットで上手い具合に別れの挨拶を言いたいところだが、さて、どうなることやら。
「物凄い異能とやらよりも、私はもう一度、友人と遊ぶための力が欲しいね、まったく」
そして、夜が明けた。
葛藤と後悔を乗り越えて、安眠を経た私はいざ、時岡さんと向き合うことになる。
大丈夫、心の準備と覚悟は出来ていた。
例え、どのような言葉を告げられようとも、無様に動揺することは無い…………のだけれども、ええと?
「時岡さん?」
「はい、なんでしょうか? 山田さん」
「物凄い笑顔ですが?」
「ええ!」
笑顔で、力強い肯定をする時岡さん。その顔は、例えるのならば、一週間の便秘から解放されたような清々しさを伴っていたという。
え? 何なの? この人、笑顔で人を処理しちゃうタイプの人だったの?
「おめでとうございます、山田さん」
お前のくだらない人生が、今日終わるぜぇ!! という遠回しな死刑宣告?
「奇跡が起きました」
「奇跡?」
「ええ、本当に在り得ない確率だったのですが……厳重に、厳重に検査を重ねた結果、貴方の異能がどのような物か、判明したのです。そう―――」
笑顔のまま、時岡さんは私の肩に手を置く。
けれども、それはサイコパス染みた死刑宣告というわけでもなく。むしろ逆。医者の本懐を果たすかのように、私を言祝ぐような物だった。
「貴方が覚醒した異能は、クソしょぼくて無害です! おめでとうございます、山田さん! 貴方に封印処理は必要ありません!」
「…………えぇ」
それは、私の不安と覚悟も置き去りにして。
しかし、私が昨晩に願った通りの力を与えてくれる宣告だった。
どうやら、私の虚勢に満ちた薄っぺらな人生は、まだまだ終わらないらしい。