第27話 美少女転校生 9
「ご息女。もう猶予はありませんよ」
瑞奈が照子と出会ってから一週間ほど経った時のことだった。
「中学時代は、池内亜季さんとの交流があり、彼女が居れば放置しても大丈夫だと認識されていたからこそ、自由を得られていたのです。私が代理の保護者として、最低限の干渉と警護のみで自立できるか試していたのです。ですが、最近の生活状況が続くのであれば、もはや猶予はないと思ってください」
現在、瑞奈はごく普通のアパートの一室に暮らしている。
それも、叔母である秋絵とではなく、秋絵の部下である水無月という女性と暮らしているのだ。理由としては、まず、秋絵が瑞奈の中学校生活後半から忙しくなったこと。加えて、瑞奈の中学校生活が、秋絵の目から見ても充実していたからだ。
二つ、破天荒の化身である秋絵を認めさせる点があったからこそ、『多少放置しても問題ないな』と判断され、高校生になってからは僅かばかりの自由を得ていたのである。
「み、水無月しゃん! それだけは、それだけは勘弁を……っ! 死んじゃう! 今度こそ、私、魂が死んじゃうからぁ!」
「私は秋絵様から科せられた仕事をこなすのみです。申し訳ありませんが、言い訳でしたなら、直接秋絵様ご本人へお願いします」
「ひぃいいいい……」
水無月という女性は、まるで機械のような存在だった。
年齢は三十代前半に見えるのだが、まったく表情に人間味が感じられない。四季に応じて、服装の変化はあるもの、一つの季節にはほぼ一種類のパターンの装いしか見せないのだ。完全に、瑞奈との生活を仕事の一部と割り切っている思考回路の人間である。
そのため、どれだけ瑞奈が懇願しようが、水無月は容赦しない。
例え、その結果、瑞奈が蛮族二号と成り果てようとも、躊躇わないのだ。いや、むしろ、それを望ましいとさえ考えているような容赦のなさだった。
「ですが、ご息女。私の業務には、貴方へのアドバイスも含まれています。貴方が望むのであれば、秋絵様の降臨を防ぐ方法も無くはありません」
ただし、あくまでも水無月は仕事人間。
仕事の範疇であり、そうした方が仕事の効率がいいと考えれば、こういう手助けを惜しむことはしない。
「ほっ、本当ですかぁー!? 是非ぃ! 是非とも、お願いしますぅ! 私に希望を与えてくださいませぇ!」
「これが希望となるかはご息女次第です」
そして、水無月が瑞奈に提示した条件は三つ。
一つ、現在の生活環境を改善し、人間らしい真っ当な生活を行うこと。
一つ、現在の劣悪な学校環境を改善し、池内亜季を主体とする問題を解決すること。
一つ、秋絵が認めざるを得ない明確な実績を積むこと。
「秋絵様は、脳みそがニトロで出来ているような破天荒の化身で、理不尽を体現する迷惑人間でございますが」
「叔母さん、部下の人にすっげー、容赦なく言われるよね。叔母さんの方が、数倍容赦ない罵倒をかますけど」
「ごほん…………ですが、秋絵様は力を持つ者に関しては、割と寛容です。中学時代の貴方に対して一定の評価があったからこそ、貴方は自由を手に入れられたのですよ? ご息女。例えそれが、一人の御友人から与えられた物であったとしても」
「…………うううっ」
池内亜季。
その名前を思い出す度、瑞奈の胸はじくじくと痛む。
だが、それは決していじめを苦にした痛みではない。あんなものは、最低最悪の過去に比べれば、全然何も、苦にならない。比べ物にならない程度の温さだ。
そんなことよりも、瑞奈は池内亜季と共に居られないことが辛かった。
唯一の友達だった人と、ずれてしまったことが、何よりも苦しい。
「自由を維持したくば、力を示しなさい、ご息女。未来は常に、力ある物に示される。力が無ければ、自由なんて求める資格はありません」
けれど、水無月は一切の容赦をしない。
苦しんでいようが、悲しんでいようが、やるべきことをやらない限りは、評価が覆ることは無いのだから。
「タイムリミットは一か月です。それを過ぎてしまえば、いつ何時、貴方が拉致されてもおかしくない状況であるとだけは伝えておきましょう」
つまり、再び試練の時がやって来たのだ。
間に合わなければ、瑞奈はきっと、もっとも不本意な形で池内亜季と別れることになるだろう。
●●●
瑞奈は虐められている今でも、亜季のことが好きだ。
そりゃあ、イラっと来ることも何度かはあるが、それでも、好きだ。むしろ、イラっと来るのは虐められている時よりも、一緒に居る時の方が多かったぐらいである。
何せ、瑞奈は生粋の社会不適合者。
無意識で人を苛つかせる。
空気を読まない。
空気を読めているのに、無視する。
他者との常識のズレが大きいので、他人にとってどうでもいいことを、妙に重んじるような変なこだわりも持ち、中学校時代は何度も亜季と喧嘩を重ねた。
「アンタが大部分悪いけれど、大人のアタシが先に謝ってあげる! ごめんなさい!」
ただ、そういう時はいつも、亜季の方が先に瑞奈へ謝っていた。
どちらが悪いとか、どちらも悪いとか、色々な状況があったが、大抵、先に謝るのは亜季だ。もっとも、亜季の方が十割悪い場合でもこのように謝罪するので良し悪しはあるが、それでも、亜季は多くのことを自分に譲っていたのだと、瑞奈は気付いていた。
皮肉なことに、絶交とまで言われて、離れるようになってからそれを度々痛感している。
「ねぇ、瑞奈はさぁ……自分の絵を、どこかに発表とかしないの?」
一番、瑞奈が亜季と喧嘩することが多かったのは、絵についてだった。
亜季が自分の絵に心酔していることは、瑞奈も理解していた。というより、大体周りの人間は、自分の絵を褒めてくれるというのは、なんとなく理解している。他者にとって、自分の絵はなんか凄い物なのだろう。時に、感動を誘う物なのだろう、と。
しかし、瑞奈本人にとってはただの暇つぶしの産物であり、便利な武器に過ぎない。
好悪すらも、瑞奈にとってはよくわからないのだ。
気づけば、いつの間にか絵を描いている。ずっと、絵を描いていられる。それが心地良いと思ったことはあまりない。絵を完成した時も、達成感なんてほとんどない。
あるべき物を、あるべき姿に戻しているだけ。
そのような感覚が瑞奈の中にあり、故に、瑞奈は己の才能を客観視出来ない。
それが、他者から見れば、目が眩むほどの才能であることを、実感できないのだ。
「瑞奈は! 瑞奈は…………ずるいよ。アタシが欲しい物を全部持っているのに、どうして、どうしてそれを誇ろうとしないの?」
関係破綻のきっかけは、明らかにそれだった。
自分が大して価値が無いと思う物を、唯一の友達がとてつもなく好んでいる。いいや、どちらかと言えば、亜季にとっては瑞奈の才能こそが本命であり、瑞奈の人格なんてどうでもいいと考えているのかもしれない。
きっと、才能が無ければ、自分と亜季は出会わなかった。言葉を交わすことなんて、在り得なかった。
才能が目当てであって、それ以外なんてどうでもよかったのではないか?
疑い始めれば、瑞奈の疑心は尽きることはない。何せ、自分こそが最も自分自身を嫌っているのだから。むしろ、自分が好かれるわけがないと思い始めれば、それが正しい考えに思えて仕方がない。
「絶交だよ…………絶交。ううん、嫌がらせもしてやる。アンタが、アンタ自身を誇らしく思えるまで、アタシはアンタの敵になってやる」
こうして、瑞奈と亜季の関係は破綻し、決裂した。
その後、瑞奈がいくら謝っても関係は修復されなかったし、面倒だけれども『亜季の言うとおり』に様々な媒体で絵を発表しても良いとも言った。
けれども、その提案すら拒絶されている。
「…………駄目、それじゃあ、駄目なの。それじゃあ、何も変わらない」
そう告げて、じっと、見つめてくる亜季の目が、瑞奈は怖かった。
だから、逃げて…………それっきり、亜季とまともに言葉を交わしたことは無い。
たった数か月。
時間にすれば、それだけの離別だというのに、瑞奈はまるで世界の半分が欠けてしまったような気持ちになってしまって。
「室内なのに、雨にでも降られたような有様だね?」
そして、瑞奈は天宮照子と出会ったのだった。
●●●
天宮照子は、その名の通り、曙光の如き少女だった。
金髪碧眼。
常に悠然と浮かべる笑み。
堂々とした立ち振る舞い。
どれを取っても常軌を逸していて、まるで、異世界からやってきたお姫様のような存在である。そんな彼女が、ゴミ屑の如き自分に優しくしてくれるのはきっと、望外の奇跡が起こっているのだろうと、瑞奈は考えていた。
照子の中に、何かしらの思惑があったとしても。
「ごめんね、滝藤さん。私の力じゃあ、ここまでのようだ。なんとか、彼女以外の嫌がらせは止められたけれど、きっと、彼女は私の言葉では止まらないだろう。伝言の通り、決着を付けるのは君だと思うよ」
「は、はひ……」
照子は、瑞奈が何も言っていないのに、さらりと周囲の問題を片付けていく。
本来であれば、自分自身で何とかしなければいけない問題だったのだが、瑞奈はタイムリミットもあるので、卑怯だと思いながらも、照子の好意に乗っかったままになっていた。
それはまるで、かつての再現の様。
自分の駄目さ加減を思い知るように、嫌がらせをしてきた人物が、あっさりと謝ってくる。今まで見て見ぬふりをしていたクラスメイトも。
唐突に夜明けが訪れたように、世界が明るくなっていく感覚。
「そして、決着を付けるのなら、早い方が良い。何故なら、私の根回しの所為で、恐らく、今度は池内さんが虐められる側に回ってしまうかもしれないからね」
「……えっ?」
けれどそれは、ただ一点、亜季を除いての話だ。
「簡単な話だよ、滝藤さん。今まで虐めていたということは、『罰していい悪』と周囲は見るだろう。大多数をこちら側に引っこ抜いてしまったから、空気はもう変わらない。最初は、軽い注意や無視からだろうが、やがて、いじめの規模が大きくなるかもしれないね」
どんな内心があろうとも、周囲は考慮しない。
罪には罰を。
誰しも胸に秘める正義感は、いつも鎌首をもたげる機会を狙っているのだから、性質が悪い。
「あうあ……それは、その、どうにか……」
「無論、私もどうにかしようとは手を尽くそう。でも、駄目だね。彼女自身が自分を悪だと定めてしまっているのだから、最終的にはどうにもならなくなるだろう。次第に状況は悪くなり、私が何を言おうともどうにもならない」
「そん、な……」
「うん。どうにもならない…………君たち二人が仲直りする以外の結末では、ね?」
天宮照子は曙光の如き少女だと、瑞奈は思っていた。
第一印象は綺麗な人で、雨雲の中から差し込む一筋の陽光にも感じていた。
けれど、言葉を交わし、次第に距離を詰めていくと瑞奈は気付く。
この光は人々を照らす物であるが、場合によっては、人を滅ぼす恐るべき破滅の光になるのではないか、と。
だからこそ、瑞奈は問わなければならない。
「あ、天宮、さん」
「なんだい? ああ、言っておくけれど、私もきちんと君が決断するまで手伝う予定だよ? 結果的に、余計なお節介を働いてしまった結果になり、申し訳なく思って――」
「貴方はどうして、私に、ここまでしてくれるの、ですか?」
空気が読めなくとも、問わなければならないのだ。
ずっと目を逸らすことによって破綻してしまった経験があるからこそ、瑞奈は、こういう時に怯えてしまう心こそ、大切な物を逃してしまう要因だと知っていたから。
「ふむ。そうだね、まず、理由の半分を上げるとすれば、それは私が社会人であるからだよ。社会に属そうと心掛ける人間。だから、倫理や道徳、常識に則れば、こういう行動を取るのが正しいだろう?」
そして、瑞奈は己の考えが間違っていないことを確信する。
やはり、天宮照子という人は、こういう存在なのだと。薄々実感していたが、この人は優しさやそういう情は存在するかもしれないが、薄い。太陽の如き笑みを浮かべていても、内面はまるで荒涼とした大地のような人だと、考えていた。
「それで、理由の残り半分は単なる同類意識だよ」
「えっ?」
だから、天宮から同類と告げられた時、二つの心の動きがあった。
一つは驚愕。
触るのを躊躇うような美しい人と、同類として括られた驚き。
もう一つは納得。
ずっと靄がかかって見えなかった何かが、一気に視界が晴れて、視認出来たような納得。
「君も私も同じような社会不適合者だからね。だったら、敵対していなければ、可能な限り助け合うのが渡世の情って奴さ」
「…………で、でも、私なんて、貴方と違って、その」
「同じだよ。私が上手くやれているというのは、自分に社会人であれ、とルールを定めているに過ぎない。それが無ければ、私なんてただの外れ者。概ね、『大体のことがどうでもいい』と考えてしまう、どこにでも居る不適合者だよ。君と同じく、ね?」
さながら、誰も居ない道端を歩いていたら、スポットライトに照らされた気分。
まさか、という気持ちと、もう逃げられないという覚悟が瑞奈の中で混ざり合って、自然と笑みが浮かんだ。
「同じ、ですか?」
「ああ、同じさ」
「こんなに、違うのに」
「人間なんて、一皮むけば、誰だって大差ないよ」
「…………そうかも、そうかもしれないですね」
「でも、その僅かな違いこそが、全てだ。君に出来ないことが私には出来るかもしれないが、私に出来ないことを、君は出来る。その違いに意味を見出すかどうかは、君次第だよ」
やけっぱちだったのかもしれない。
追い詰められて、頭がおかしくなったのかもしれない。
それでもいい、と瑞奈は己の正気すら興味の外側へと追いやった。
「天宮さん」
「うん。なんだい?」
「――――私は、私しか出来ないことをやろうと思います。考えるのは後で、まず、それをやってから、答えを出します」
これを決断と呼べる物なのか、瑞奈は知らない。
今までの人生で、決断できたことなんてほとんど無いのだから。
それでも、瑞奈は決断したのだろう。
「天宮さん、貴方を描けば…………きっと、私の答えが出ると思うんです」
生まれて初めて同じだと言ってくれた人が居るから。
手を伸ばしたいと思う、違う人が居るから。
滝藤瑞奈は筆を取る。
暇つぶしなんかではなく。
白紙の未来に、己の答えを描くために。
●●●
少女の覚悟と決断は、やがて、歪んだ関係性を更新することだろう。
『きゃはっ♪』
『はぁーあ』
二つの赤き眼光が介入し、一枚の絵(答え)が破かれていなければ。




