第23話 美少女転校生 5
「室内なのに、雨にでも降られたような有様だね?」
正しい行いというのは、簡単なようで難しい。
目的。
過程。
結果。
この三つが矛盾しない行いこそが、『正しい行い』だ。
正しさとか、正義とか、そういう物が禅問答の水掛け論になりやすいのは、正しいことを善であると勘違いしていることが多い。
正しいとは、善悪の問題ではない。
例え、強盗として金を奪い、人を殺したとしても、それが手っ取り早く金を奪うという目的に対する行動ならば、間違ってはいない。ただし、強盗の成功率などたかが知れているし、成功したとしても、いちいち金を使うのに気を遣う日々を送ってしまうことには注意だ。故に、幸福な人生を送るために強盗を行うのは、正しい行いではない。間違っている可能性が高い。
もっとも、所詮はケースバイケース。
ここに『罪悪感を覚えない』だったり、『絶対に捕まらない強盗が出来る』だったり、『スリルのある人生こそが幸福』などと例外を示されてしまえば、正しさなんて完全に崩れさる。
……ええと、それで、何の話だっけ?
ああ、そうそう、正しい行いだ。
私は少年漫画の主人公の様に、脊髄反射で迷わず行動なんて出来ないから、ちゃんと悩んで考えて、正しい行いをすることにしたのさ。
「生憎、傘は無いけれど、着替えはある。ちょっと待っていなさい」
「…………え、あ、あの」
「それまで、ハンカチで悪いけれど、顔と髪を拭くといい」
「…………あ、あうっ」
目の前に、ずぶ濡れになった女の子がいる。
私は、女の子の悲しい姿は見たくない。なので、ずぶ濡れの女の子に声をかけて、着替えを貸す。これは間違っていない。正しい行いだ。
けれども、機関の潜入者としては、どうだろうか?
『女子トイレでずぶ濡れになっていた女の子』と関わるのはきっと、とてつもなく面倒である上に、かなりの労力と時間を使うことになるだろう。ひょっとしたら、その所為で本来の業務に支障が出るかもしれない。
それを考慮すると、私の行動は機関のエージェントとしては間違っている。
難しい物だね、世の中って。
「さてはて。午後に体育の授業があるのだけれど、それはどうした物か」
それでも、とりあえずは偽善者としては間違った行動ではないので、精々、上司から怒られた時は胸を張って反省することにしよう。
●●●
私が女子高校生として活動するようになってから、三週間ほどが経過した。
美人は三日で飽きるという言葉があるが、どうやら、それはケースバイケースになることが多い産物だったらしい。
「天宮さん、一緒にトイレに行こう?」
「天宮さん、天宮さん、今日の放課後、予定ある? えぇー、またバイトなの?」
「天宮さんって、治明君と仲いいよね? えっと、そういう関係?」
「天宮はさ、芦屋とどういう関係なの? 百合なの? モデルにして同人誌を描いてもいい?」
「今度の休みにさー、皆で一緒に遊ぶんだけど、天宮さんも来てよ!」
学校に転入してから、女子高生として馴染めることを不安視していた当時の自分を笑いたくなるほど、私は人気者……というか、客寄せパンダみたいな感じになっていた。
何だろう? 何故かは知らないけれど、忙しい。意味が分からない。私はただ、教室内に形成された緩いクラスカーストをガン無視して、色んな高校生たちと交流していただけなのに。
…………や、普通はこう、ね? クラス内のどのグループにも所属しないで、ふらふらと蝙蝠のように交流していたら、八方美人として嫌われるかと思っていたんだよ。
でもまぁ、私の仕事は学内での情報収集だし。多少嫌われても、いじめに発展しなければそれでもいいかな、と思っていたのだけれども。
なんかおかしくない?
「いや、アンタはほら…………真実を知らない奴から見ると、自分の美貌を鼻にかけず、どんな立場の人間相手でも一定の尊重を持って接するだろ? そういう、大人としての余裕? みたいなのが、妙に嵌っているというか。基本的に顔の良い奴に優しくされると、大邸の高校生は男女問わずに割とちょろいぞ」
なお、ちょっと心配になったのでこっそりと治明に相談すると、そのような答えが返って来た。ふーむ、なるほどなー。
いやはや、かつての高校生時代は、『悪い奴じゃないけれど、何考えているか分からない。唐突に殺人事件とか起こしそう』と言われていたこの私が、随分と人気になってしまったものである。
やれやれ、これが転生チートという奴か。
薄情な人間だったとしても、三十年近く人生経験を積み、美少女として戸籍転生すれば、こうもなろう! ふぅ、困っちゃうなー。私ってば、別に人気者になるつもりじゃあ、なかったのだけれどなー。
などと、少しばかり浮かれているところもある私であるが、無論、女子高生として生活する上で困難を感じる場面は少なくない。
「…………」
「ねー、天宮さん」
「な、なにかな? 橋階さん」
「皆、気になっているんだけど…………着替えの時になると、隅っこの方で急いで着替えるのって、なんで?」
そう、着替えに関しての諸々だ。
私は肉体的に女子高生として違和感は皆無なのだが、代わりに、中身がアラサーのオッサンである。つまり、体育の時間やら、女子トイレに行く時やら、そういう時、むずむずとした違和感を覚えてしまうのだ。
幸いなことに、この肉体となってから極端に性欲が薄くなったため、変な暴走をすることは無いとはいえ、やはり、年頃の女の子と一緒に着替えるのは辛いものがある。
控えめに言っても、犯罪者の気分だ。
一応、そこら辺の配慮に関しても、美作支部長にお伺いを立ててみたのだが、
「問題ありません。貴方は戸籍も肉体も女子高校生です。そんな貴方が、クラスメイトの女子と一緒に着替えて何が悪いというのでしょうか? ええ、どうせ、元の肉体はありませんし、そもそも、男に戻る方法が困難極まるので、貴方は確定的に女子です。その内、違和感もなくなってきますよ」
などという、身もふたもない答えが返ってきてしまったのだから、困る。超困る。
生憎、私には『よっしゃあ! だったら遠慮なく女子高校生の際どい姿を見てやるぜ!』という肝の据わったスケベ心も無い。かといって、自分が女子だと割り切るような切り替えの早さも無い。
よって、出来る限り着替えは素早く。そして、周囲に視線を向けないようにしようと心掛けていたのだが、普段、軽快にどんなトークでも付き合う私が着替えの時だけ愛想が悪くなるのだから、当然気づかれる。年頃の女子は意外としっかりと周りが見えているのだ。
…………ううむ。なんて答えればいいのか分からないが、とりあえず、困った時は素直が一番だ。下手に隠すと、余計に状況が悪化すると私は社会で学んだのさ。
「…………だってその、あの、皆に見られたり、皆のが見えたりするの、恥ずかしい……」
『『『なんだその、あざといリアクションはーっ! 誘ってんのかー!?』』』
「んぎゃう!?」
ただし、アラサーのオッサンが社会で学んだことが、必ずしも正しいわけではない。ケースバイケース。状況に応じた行動しよう。
私はそんな反省を、クラスメイトの女子たちにもみくちゃにされながら頭の中で繰り返していた。
「かーわーいーいー♪」
「なんだこの、こいつ……っ! 私たちの性癖を捻じ曲げるつもりかっ!」
「地味な下着をしているのも、シャイだからなの?」
「スポーツしないのに、スポーティな下着だよね?」
「じゃあ、今度、一緒に下着を買いに行こうよ!」
「なにそれ、名案!」
「天宮さんのシャイを治す手助けにもなるよね! 天宮さんのおしゃれな下着姿も見られるし、まさに一石二鳥!」
そして、私は薄情ではあるが、ツッキーとのやり取りで分かる通り、押しに弱い方の人間である。そのため、こういう精神異常状態に提案された約束は断りづらい。
…………結局、クラスの女子と週末にランジェリーショップを回るという、気恥ずかしさマックスの休日を過ごす羽目になるのだが、それはまた別の話だ。
●●●
さて、暢気に女子高校生ライフを満喫しているように見えるかもしれないが、当然、世の中には綺麗な部分と汚い部分が存在する。
程度の差はあれど、完全に綺麗な物など存在しない。
それは、高潔なる退魔師である彩月や、治明、エルシアちゃんとて同じことだ。人々のため、魔を退ける仕事を生業としていたとしても、日常のふとした面で弱さ、汚さを見せる時がある。
でも、それは決して悪いことではない。
清い川には魚は棲まないというし、そういう汚さを許容することが愛らしさに変わるのだ。
「室内なのに、雨にでも降られたような有様だね?」
ただ、私はこの汚さを許容出来なかった。
結局のところ、正しいとか、間違っているとかいうよりも、個人的な感情論に過ぎないのだろう。
珍しく、一人で女子トイレに行っていた時のことである。
肉体が変わった当初は戸惑いしか無かったトイレも、既にマスター済み。何も問題なく、用を済ませるようになっていた。だから、気を抜いている時にそれを見て、私はちょっと驚いたのだった。
ずぶ濡れの少女。
頭から冷水を被らされており、制服のスカートまでびしょびしょに濡れている。
けれども、濡れている少女はまるで、『それが当然』みたいな顔で、平然と廊下に出て行こうとして。
「…………ひゃうっ!?」
私に声を掛けられた時、初めて私の存在に気付いたみたいな、驚きようだった。先ほどの落ち着きようが嘘のように取り乱し、慌てて、顔を赤くしていくのだから困った物。
これではとても、見捨てられない。
かくして私は、次の授業をボイコットすることを決意して、濡れ鼠のような少女の世話をすることにしたのだった。
「そ、そそそ、そんな……悪い、です……わた、わたひ、なんかに、そんな……体操着、汚れます、汚れます、ううう……」
「体操着は汚れる物だよ。別に気にしない。それより、下着は大丈夫?」
「…………が、我慢できましゅ」
「無理そうだね。さくっと保健室に行って、予備の下着が無いか聞いてみようか」
「そ、そんにゃことをしていただくわけには……」
「いいから。いいから。じゃあ、保健室に取りに行ってくるから、ちょっと待ってて――」
「いえっ! 私が、直接ぅ! 私の、問題ですし!」
授業中なのが幸いしたようだ。
タオルで濡れ鼠の女の子を一生懸命拭いて、そして着替えの準備なんて手間のかかることをやっていれば、普通の休み時間ならばひと騒動になっているところだろう。
いや、実は問題があるのを分かっていて、騒動にしないようにしているだけかもしれないが。
とりあえず、濡れた服を脱がせなければならない。このままだと風邪をひく。保健室への説明など、適当でもいい。今は初夏の寒さにこの子が凍えないようにしないと。
などと保護者目線で世話していた時だった、何かに耐え切れなくなったような少女が、突然、顔を赤くしたまま服を脱ぎだしたのである。
そう、下着も。
「な、慣れていますので! 下着なんて水を絞って、その、後は下着を付けずに過ごせば……はっ! そうなると、貴方様の体操着が余計に汚れて!?」
「気にしないから! それは気にしないから! 早く着替えて!?」
「ご、ごめんなさ……洗って返します! クリーニング店に頼みます!」
「いや別に、そんなの全然―――というか、下着を脱いだ状態で固まらないで!?」
私としては体操着が汚れる事よりも、この少女の素っ裸を見てしまうのが駄目だった。かなりのアウトだった。予想していれば目を逸らすことが可能だったかもしれないが、完全に全部見てしまった。ええい、無駄に性能の良い我が両眼が!
「ご、ごめんなさい! 私の汚らわしい裸で、貴方様の視界を汚しましたっ!」
「謝らなくていいから。気にしなくていいから、服を着ろっ!」
「はひぃ!」
その後、この少女はどうにも幼児の如く落ち着きが無いので、服を着せるのに大分手間をかけてしまった。加えて、保健室前では『自分で説明できます!』と主張していたというのに、いざ、保健医の前だと黙り込むという始末。
まったく、私も人のことは言えないがこの子も大概、社会不適合者っぽいねぇ。
「ご、ごめ、ごめんなさい……私、ドジで、愚図で……手間をかけさせて不愉快に……」
おまけに、口を開くたびに自虐を言うものだから困る。
保健室から出てすぐの廊下で、いきなり頭を下げるから困る。場所的にも超困る。
こういう奴は本当に、『全然気にしてないよ』と言っても、ひたすら自虐的になっていくのだから、社会人の対策としては適当に流しておくのが一番だろう。
だが、今の私は女子高生。
ならば、多少気恥ずかしくても、女子高生として対応しなければ。
「ねぇ、君」
「は、はひぃ!?」
「名前は? 私は一年B組の天宮照子」
「し、知っています……あ、あの、有名な転校生の人……」
「そっか。なら話は早いね? じゃあ、君の名前を教えてよ」
「…………え、えっと、一年C組の、滝藤 瑞奈です……」
おどおど、こちらの様子を伺うようにして名乗る少女、滝藤さん。
大丈夫、心配しなくていい。
こういう時、どうすればいいのか私、きちんと彩月に聞いているからね。
「滝藤さん」
「はひ? あ、あの、何を――」
私は慈愛を込めて、滝藤さんを抱きしめる。
当然、いきなり抱き着かれた滝藤さんは心身共に硬直し、「あばばばば」と壊れ気味であるが、この対処で間違いないはず。
だって、落ち込んでいる女の子を慰める時、女の子同士はハグする物だって聞いたもの。
「き、汚いですよ! 私は、汚くて――」
「汚くないよ、別に。それに、不快じゃない」
「…………よ、よく、臭いって言われるし」
「それは確かに」
「はうっ!?」
ちょっと洗っていない犬の匂いがする系女子である滝藤だが、問題ない。社会人として生活していれば、オッサンの加齢臭を嫌というほど嗅ぐことになるので、この程度問題ないのだ、社会人ならば。
「だからさ、今から学校をさぼって、一緒に温泉にでも入りに行くかい? なんてね」
「…………ひゃわわわ……がくっ」
「あれ? もしもし、滝藤さん? 滝藤さぁん!!?」
どちらかと言うと、問題があるのは私だったらしく。
結局、私の腕の中で失神してしまった滝藤さんを寝かせるため、私は保健室へと逆戻りすることになったのだった。




