第21話 美少女転校生 3
静寂が在った。
耳が痛くなる静寂の中で、秒針が刻まれる音だけがやけに大きく聞こえてくる。
「「…………」」
眼前には、道着姿の治明。
彼の正面に、向かい合うように座って相対しているのは、同じく道着姿の私だ。
周囲には、障害物は無い。
ただ、板張りの冷たい床が広がっているのみ。
「――――ふっ」
最初に動いたのは、治明だった。
吐息を漏らしたかと思えば、私の眼前から霞の如く消え去ってしまう。
特殊な歩法? あるいは、居合の立ち回りの応用? 否、これは『蜃気楼』の一種だ。
「しゃあっ!」
「ビンゴ」
とっさの判断で右手を掲げると、何もなかったはずの空間から、治明の拳が振りぬかれた瞬間だった。
私の強化された右手が、それを弾くと、お返しとばかりに大仰に左腕を振るう。
ごうっ! と空間を薙ぐ音が聞こえたが、手ごたえは無い。けれども、予定通り。
「はぁっ!!」
空気を振動させる声と共に、私の腹部に衝撃。
治明が、私の左腕を掻い潜った直後に、正拳突きでも叩き込んできたのだろう。
予定通り。
私の予定通りだ、ここまでは。
「…………ちっ!」
私の腹部に拳を叩き込んだ治明はしかし、顔を顰めて飛び退こうとする。
だが、遅い。空振りした左腕ではなく、右手でがっしりと治明の道着を掴んだ。ぎぎぎ、という道着が軋む音がするが、これは治明曰く、特別製だ。私たちの力で引っ張り合おうが、少しの間ならば生地は裂けないだろう。
「つかまえ、たぁ!!」
「――――っぐ」
捕まえたならば、もう離さない。
魔力強化を全開にして、体中の力を用い、散々治明の肉体を振り回す。
ぐるぐる、ぐるぐると、足指すらも床に触れさせぬように、ひたすら高速回転を繰り返したり、力任せに振り回して、徐々にダメージを与えていった。
「なん、て……馬鹿力……だ、くそったれ」
振り回されながら悪態を吐く治明。
ぐるぐると回されながらも、懸命に私の右手を外そうとするが、その度に床に叩きつけて行動キャンセル。相手のターンにはもう回さない。
ひたすら、お気に入りの玩具で遊ぶ子供のように、治明の力が枯渇するまで振り回す……その予定だったのだが。
「獄炎開花・紅蓮――――火遊び」
「うわっちぃ!?」
右手が急速に発生した熱源によって炙られたので、私は慌てて治明を投げ捨てる。
投げ捨てられた治明は当然のように空中で一回転。さらりと着地し、こちら側を睨み、口を開いた。
「おめでとう。よくぞ、俺に術を使わせた。これで、組手の難易度を一つ上げられる」
「そりゃあ、よかった。でも、お手柔らかにね?」
「それじゃあ、組手にならないだろ―――っと!」
睨みながら、獰猛な笑みを浮かべる治明。
以前までの私であったのならば、治明が固有魔術を使う前の段階。身体能力だけの組手の状態で、ボコボコにされただろうが、今は違う。
曲がりなりにも、ランクBの魔人に相当する性能を持った私の肉体は、ただの力任せと勘だけで、治明の組手の段階を上げることに成功させていた。
第一段階は素手だけの組手。
そして、第二段階からは、治明は己の固有魔術…………魔を焼く炎を扱ってくる。
「そらっ! 俺の炎に当たれば、その時点で不利だぜ!?」
魔に属するあらゆるものを焼き滅ぼす炎。
術者の魔力の他に、他者の魔力も燃料として燃え上がる炎。
つまり、敵が膨大な魔力を抱えていればいる程、その効果が上がる攻撃だ。
もっとも、対処法が無いわけではない。
「さて、それはどうだろうね?」
ゆらゆらと――わざと避け易いように――紅蓮の炎は私を取り囲もうとする。けれど、私は炎に恐れることなく踏み入った。
「うげっ! おい、そりゃあ……まさか?」
「ああ、そのまさかだよ」
じりじりと私の肉体を焼き焦がすはずの炎はけれど、踏み込んだ一瞬で消し飛ばされる。まるで、爆薬で周囲の空気ごと吹き飛ばされたかの如く。
「あの時、ランクBの魔人は、君の炎を受けても燃えていなかった。だから、こういうことも不可能じゃないかと思ったんだけど、やはり可能だったみたいだね」
魔力を燃料として燃えるのならば、その燃料ごと吹き飛ばせばいい。
過剰すぎる程に詰め込んだ、密度の高い魔力をぶち込むことによって、治明の炎の延焼速度を上回る。要するに、爆薬で山火事の一部を抑えるみたいなやり方だ。一つ間違えれば、大延焼間違いなしの技だが、今の私ならば出来ると思って、実行した。
「燃費の悪い戦い方だが、この私もようやく魔力の使い方に慣れて――」
「いや、違う」
「えっ?」
「あいつがやっていたのは、こちらの能力に対する魔力の不燃性を高めていただけ。多少燃えていたが、燃えにくくなっていただけ。アンタみたいに焚火にニトロをぶち込むような危なっかしい真似してないぞ」
「…………マジで?」
「魔人ですらやらない、危ないから」
この後、私はしばらくの間、魔力の扱いについて、治明から説教を受けることになる。
しかも正座だった。正座で、高校生に説教されるアラサーのオッサンの姿が、そこにはあった。ただし、外見は美少女なので、一見するとそれらしく見えるかもしれないが。私の心の中は結構な凹み具合である。
「いいか? いくら、アンタの魔力が潤沢にあるからって、大雑把に使うな。魔力ってのは、便利なエネルギーだが、間違っても万能じゃねぇ。魔力を過信していると、思わぬしっぺ返しに遭う。だから、魔力でごり押し解決の前に、まず、回避。相手の能力を受けない。アンタの異能の性質上、受け身に回ることは多いと思うが、それが一撃必殺の能力だった場合、取り返しがつかない可能性があるんだからな? 分かった?」
「はい、分かりました」
あーあ。転生したところで、私は相変わらず私だ。
まったく、安心するぐらい駄目な大人だぜ、私という奴は。
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何故、私と治明が組手をしているかと言えば、そこに特別な理由などはない。
どれだけ強靱な肉体を得て復活したとはいえ、私はまだまだ新人。退魔歴は先輩二人にまるで及ばないのだ。故に、日々精進が肝心。治明以外の二人は主に後衛と支援担当なので、必然と前衛を担当する治明が組手の相手となっているというわけだ。
つまり、私と治明にとっては組手など日常的なルーチンワーク。ちょっと組手一本やっとく? みたいなノリでやることが多い。
しかし、いつもは事務所で彩月に頼み込んで組手をしていたのだが、ふむ。
これはどうにも、何か私に話があるようだな。
「ところで治明、私に何か話したいことがあるのだろう? 言いたいことがあるのならば、出来る限り改善するから言ってくれ。私としても、戦場を共にする君と不和は起こしたくない」
なので、さっくりとストレートに聞くことにした。
組手終わりの風呂上り。豪勢な檜風呂を楽しみ、きっちりと汗を流した後のことだ。
「…………分かるか?」
「分かるさ、そりゃあ。だって、さっきからちらちらと私の方に視線を寄こしてくるもの」
「それはアンタが薄着だからだ。早急にきっちりと服を着てくれ」
「風呂上がりだから大目に見てくれ。スーツで来たから、きっちりとボタンを締めると暑いのだよ」
「うるせぇ。それは思春期の男子の性癖を捻じ曲げてまで通すべきことか?」
「大人になれば、そんな性癖なんて些細なことになるさ」
「そんな大人になりたくなんてねぇよ!」
私は現在、土御門家の居間に通されて、冷たい麦茶を御馳走になっている。
元々のアラサーな肉体だったら、下さえきっちりとして居れば上着はTシャツでもよかったはずなのに。こんな時に、不自由さを思い知るとは。
いや、親しき中にも礼儀あり。
自宅に招待されているのだ。家人の意見には従うべきだろう。私はスーツの上着を羽織り、ぐいっと麦茶を飲み干した。
「…………で? 私に何か言いたいことが?」
「色々と言いたいことは山ほどあるが、その、大切なことを一つだけ聞く。それ以外はどうでもいい。だから、それだけはきちんと答えてくれ」
ほほう。
治明の目がきちんと私を見据えて、視線が定まった。
なるほど。思春期の少年のような初心な反応を見せつつも、締めるところはきっちりと締める。流石、学生ながらも歴戦の退魔師だ。
しかし、私自身のことならば概ね答えてあげられるのだが、特命のこととなると難しい。別に、治明をスパイだと疑っているわけでは無いのだが、余計な負担はかけたくないのだ。
何せ、治明は退魔師であったとしても、学生……子供だ。ならば、大人の事情に巻き込まれて、学校でも心休まらぬ日々を送るのはよろしくないと思う。
だから、出来る限りのことは答えられるけれども、答えられないことは素直に、答えられないと言うしかない。
私は治明の勘を潜り抜けられるほどの詐欺師ではないのだから、余計な疑心を招くぐらいであれば、私は正直であろうと思うのだ。
「吉次」
「照子」
「照子…………アンタさ、その」
「何だい? 私は外見こそこんな有様になったけれども、中身は大人さ。君からすれば頼りない奴にしか見えないかもしれないが、精一杯、微力を尽くして質問に答えさせてもらうよ」
「…………じゃあ、あのさ」
珍しく言いよどんだ後、治明は震える唇で言葉を紡いだ。
「アンタは、彩月と付き合っているのか?」
どんな質問だろうと誠実に受け止めよう、と思っていたはずの私は即座に目を逸らした。
「何のことやら」
「キス、したんだって?」
「…………ナンノコトヤラ」
「本人から直接聞いたぞ」
「あの馬鹿娘ェ!!」
「やっぱり、キスしたんだぁ!!? ディープなキスしたんだぁ!!? お、大人の、大人の関係になったのか!? よりにもよって、女子になった後に!? 意味がわからねぇ! まるで意味が分からねぇ!!」
目を逸らす私の胸倉を掴み、涙目で縋りついてくる治明。
やめなさい、やめなさい。感情的になっている所為で、若干、魔術が漏れているじゃないか。危ないなぁ、もう。
私は治明のお漏らしを処理しつつ、出来る限り平静を装って言葉を取り繕う。
「待って、落ち着こう。まず、状況を整理しよう。君は何をどれだけ、誰から話を聞いているのだい?」
「概ね大体の馴れ初めから現在に至るまでを、惚気話として彩月本人から聞いている」
「あの馬鹿娘ェ!!」
「やっぱりマジなんだぁ!!? 俺に、俺に『大人は女子高校生と付き合わないよ』とか言っておいて、いざ、女の子になれば、普通に女子高校生と付き合うんだ!? 大人はやっぱり汚い!」
「うっさい! 女の子になるとは、私も思っていなかったわ!!」
「じゃあ、オッサンのままだったらどうなってたんだよ!? そ、そのまま……うっ、頭が!」
「自分の妄想で脳をやられてんじゃねーよ! この思春期ボーイが! つーか、オッサンのままだったら、成人するまで手を出さねぇよ、私は!」
「でも、キスしたんだろぉ!? ディープな奴ぅ!」
「されたんだよ! いきなり襲われたんだよ! 私は被害者だぞ!?」
「そ、そんな積極的に……うううっ、頭がっ!」
「自滅してんじゃねぇ!!」
ぎゃあぎゃあと、喧しく取っ組み合う私と治明。
しばしの間、互いの主張を拳と共に叩きつけ合っていたのだが、ここはいつもの事務所ではない。土御門家だ。即ち、治明以外の家人が居ることを私はすっかりと忘れていた。
「あらあら、元気がいいのですね? けれど、元気が良すぎるのも考え物ですよ、お二人さん。羊羹でも食べながら、少し落ち着いて…………あら?」
私たちが取っ組み合っている最中に、居間の引き戸が開かれる。
扉から顔をのぞかせたのは、お盆に羊羹とお茶を載せた和風美人――治明の母親だ。黒髪ロングで着物姿の女性で、とても三十代に見えない美貌の持ち主である。
そんな和風美人が、私たちの取っ組み合いを…………タイミング悪く、治明が私を押し倒す形になっている瞬間を見てしまい、すっと目からハイライトが消えた。
「ちがっ! おふくろ! これは違うんだ――」
「少し待っていなさい、治明さん」
ぴしゃり、と戸が閉じられてからきっちり五秒後。
「よそ様の大切な娘さんを押し倒すような男に育てた覚えは、ありません。しかも、無理やりなんて…………貴方の首を落として、母も腹を切りましょう」
目からハイライトが消えたまま、抜身の小太刀を携える和風美人が、突入してきた。治明のそれに負けず劣らずの、瞬時の間合いの詰め方である。
何この人、怖い。
「うおおおおぉおおおおおっ!!? あぶなぁ!! おふくろぉ! ブチ切れるとすぐに魔剣を持ち出す悪癖を何とかしろって親父に言われていただろうがぁ!!」
「来世でも家族になりましょうね? 治明」
「ちっくしょう! こうなったら話にならねぇ! 誤解を解くのを手伝ってくれ、照子!」
「ええと、治明のお母さん。違うのですよ」
「…………何が違うのですか?」
怖いが、流石に常に急所を狙う一撃を放つ切れ方をしている人を放置するわけにはいかない。治明が必死に母親の攻撃を避けている間に、説得してみよう。
「こんな外見ですから、勘違いされているかもしれません。ですが、ご安心ください」
私は暇つぶしに鏡の前で練習していた、美少女スマイルを決めて、言葉を告げた。
「私は元アラサーのオッサンです。純粋な女の子ではないのでセーフでしょう、きっと」
「治明さぁああああああああん!! 貴方、いつの間にそんな性癖を拗らせた上に、変態行為に及ぶ子になって……っ!」
「そっちの誤解を解く前に言うことがあるだろうがぁあああああああああ!!」
ん? 間違ったかな?
私は内心でほくそえみながら、壮絶なる親子喧嘩を羊羹片手に観覧する。
うん。いざという時は止める心構えをしつつも、出来る限り親子の問題には関わらないようにしておこう。
それに、私としてもきちんと答えを出すのには心の準備が必要なのだ。
私と彩月の関係をなんと呼ぶのかは、私自身もまだ迷っているのだから。




