第1話 美少女に至るまでの前日譚 1
物事には順序という物が存在する。
当然、この私も28歳独身男性を自称する、精神異常美少女であったというオチとかではない。だからそう、説明するには、私が退魔師になる前……ごく普通のサラリーマンだった時の話から始めるのが分かりやすいだろう。
「うごごごご…………死ぬ、死んでしまう……」
その時、私はアパートの一室で死にかけていた。
胃の辺りを中心として、燃え上がるような灼熱の痛みが全身を襲い、脳みそに釘を叩き込まれたみたいな頭痛が断続的に繰り返されていたのである。
控えめに言っても、気を抜けば死ぬような痛みがあった。
「…………やはり、怪しい果物を食べるべきでは、無かったか…………まさか、食中毒がこんなに辛いなんて」
後から振り返れば、愚かしい限りであるが、その当時の私はこれを食中毒と考えていた。何せ、最近、健康診断で十代後半の内臓の若々しさと告げられて、鼻高々だった頃の話だ。
まさか、健康診断を終えた後に、突然、末期の重病で死ぬとは考えない。
故に、考えたのが食中毒である。
これには、心当たりがあった。具体的に言えば、怪しい美女に貰った謎の果物をたらふく食べた心当たりが。
「くそ、やはり……やはり、怪しい美女の忠告には従っておくべき、だったか……」
私は苦痛にあえぎながら、その時の出来事をざっくりと思い出した。
『くくく、お客人。こいつをお望みかい。いいよ、けち臭いことなんて言わない。全部、七つとも持って行きな? でも、ご注意。一日に食べるのは一つだけにした方が良い。え? 銀杏的な? ああ、うん、そんな感じ……中毒? というよりは普通に命の危機が。それで、効能だが、一つ食べれば―――』
ざっくりと思い出したのだが、頭痛と元々の記憶力の無さで肝心なところは思い出せなかった。くそ、胸元から零れるおっぱいの映像だけは鮮明に脳裏に焼き付いているのに。
ちなみに、一日に一つにしておけと言われた食べ物を、私はついつい手が進んで、七つ全部食べてしまいました。見た目は林檎っぽいのに、味はライチに似ていましたね、ええ。
「し、死んでたまるものか……」
完全に自業自得の現状であるが、人間とは生き汚いもの。
私は救急車を呼ぼうと、何度かもたつきつつも、なんとかスマートフォンを手に取る。
べきり。
「…………えっ?」
見ると、多少力を込めて握ってしまった所為か、スマートフォンが悲惨なことになっていた。画面がひび割れ、歪み、おかしな音を立てて電源も切れた。どうやら、火事場の馬鹿力という奴が発動し、私は自らのスマートフォンを握り壊してしまったらしい。
いや、そんなことある? あるんだから仕方ないか。
「死ぬのか、私は……」
スマートフォンの破壊という、思わぬ事態に、いよいよもって私の精神は限界に達していた。もはや、痛みは佳境。体中を火あぶりにしていると言われても過言ではないレベルの苦痛だ。とりあえず、熱を測ろうとしたが、体温計には触った時点でエラーが出たのでヤバい。ついでに言えば、せめて氷枕を作ろうと思って、冷凍庫の氷を取り出そうとしたら、それらが指に触れると一瞬で融けた。
ヤバいな、食中毒……まさか、人体がここまで熱を持つとは。
「…………もはや、これまで」
ここに来て、私は死を覚悟した。
流石に、ここまで痛くて、人体から熱が発すれば、人は死ぬ。先ほどから走馬灯が、アニソンと上手く組み合わさったMAD風に、脳裏に流れ始めているので、いよいよもって死ぬ。
だが、私には死ぬ前にやらなければいけないことがある。
「…………お、おっ……」
これは尊厳の問題だった。
どのように死ぬにしても、最低限、人としてやらなければならないことがある。
その意地が、ちっぽけな男としての意地が、苦痛を凌駕し、私を立ち上がらせた。
「お、おおおおおおっ……」
呻き声を上げながら、ふらふらと目的のブツがある場所へ。
大丈夫、そんなに遠くない。
一歩……二歩……三歩…………届いた。
「おぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」
そして私は――――――雄叫びを上げながら、ノートパソコンに向けて拳を振り下ろした。
ごぉん、と豪快な破砕音が一つ。
火事場の馬鹿力に覚醒した私ならば、出来るかもしれないと思ったが、やはり、出来た。私は、ノートパソコンを砕き、物理的にハードディスクのデータを消し去ることに成功したのだった。
「これで、もう……思い、残すことは……無い……っ!」
急速に体から力が失われていく。
気づけば、視界は暗転し、意識が段々と遠のいていった。
「グッバイ、現世」
私は、人生の最後に小さな満足感を抱えたまま、静かに意識を手放した。
後から思えば、これこそがきっかけ。
私が退魔師にならざるを得なかった要因だったのである。
●●●
「君、専門の病院へ行くことになるから」
「え? マジですか?」
「マジだよ」
死ぬ死ぬ言っていた私であるが、翌朝、目が覚めると体調は完全に戻っていた。いや、戻っていたどころではない。まるで、一度生まれ変わったかのような清々しい気分だった。体の隅々まで力が行き渡るというか、そろそろ衰えを感じ始めていたインドア系アラサーの体に、再び、十代の体力が戻ったかの様。
なのでまぁ、病院へ行く時も気楽な物だった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
あれほど死を覚悟した痛みだったというのに、過ぎ去ってみれば超楽観。もしかしたら、ちょっとした食中毒だったのかもなー? ぐらいのノリで、私は近場の病院で内科を受診し、結果、もっと専門の病院で診てもらえ、とのお言葉を貰った。
しかも、県の大きな病院とかではなく、都心にあるという医療の最先端な病院である。
正直、もう体調も回復して元気になったので、クソ高い交通費を支払って病院に行く気はなかったのだが、『じゃあ、搬送するから』という問答無用の医師の言葉と共に、私は自由を失った。
有給が溜まっていて良かったと思う。
私は、職場に事情を説明すると、ストレッチャーに乗せられたまま移動することになった。
しかも、なんか分厚い拘束具で身動きが取れない状態にある。
ええと、お医者さん?
「大丈夫、安静にしているように」
なんか、ドクターヘリが来ていますけど、私、あれに乗って搬送されるんですかね?
「そうだよ」
…………え? 死ぬの?
「死なないよ」
白髪交じりの医者は、苦笑と共に頭を掻いた。
「死んでいないのが、問題なんだ」
小さく呟かれたその言葉は、控えめに言っても医者失格だったかもしれないが、この場でそれを非難するほど子供ではない。
呟かれた言葉の意味を知らずに、文句を言ってはならない。言葉の裏に、何を隠しているのか分からないのならば、沈黙は金だ。
私はとりあえず、人生初めてのヘリコプターを堪能しながら、大人しくしておくことに。
「お手数ですが、いくつか検査に付き合っていただきます。貴方のためでもあるのです。どうか、ご協力を」
「あ、はい」
搬送された病院は、清潔な匂いが隅々まで行き渡っているかのような場所だった。
白い。真っ白だ。ありとあらゆる汚れを許さず、不気味なほどに白い場所。
私はそこで、二時間ほどかけてたっぷりと検査を行うことになった。
血液を採られた。唾液も。視力検査も行い、普段、健康診断で行わないであろう、数多の項目もやった。後半からは握力検査や、シャトルランなど、体力測定の項目が入っていたのが不思議だったが、私はこれでも良き社会人。医者の言うことにはとりあえず従う。
「…………お待たせしました」
長い長い検査を終えた後、私は医者と対面した。
白髪交じりの医者ではない。若々しい黒髪の青年である。けれど、態々搬送されるような病院に務めているのだから、優秀なのだろうと推測した。
その優秀そうな医者が、私に語り掛ける。
「まず、山田さん。長々と検査にお付き合いいただき、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそなんかすみません」
「…………それで、確認なのですが、貴方が食べたのはこの果物ですか?」
「ああ、はい、そうですね。その果物です。インターネットで調べても品種が出てこなかったんですけど、どんな食べ物何ですかね、これ?」
「オオカムヅミの一種です。本来は桃の形状を取るのですが、これは品種改良された代物のようですね」
「なるほど。流石、博識ですね」
「これを、何個食べましたか?」
「七個です」
「どれだけの期間を開けましたか?」
「大体……こう……一個目と二個目のインターバルは十分ぐらいで……」
「一日で何個食べましたか?」
「七個です」
「…………」
優秀そうな医者が、耐え難い馬鹿を見たような顔を作った。
ごめんなさい。私、お医者さんの忠告はきちんと聞くタイプだけれど、その前に、馬鹿をやらかすタイプでもあるのです。イエス、複合タイプ。
「山田さん。山田 吉次さん。落ち着いて聞いてください」
「はい」
しばらく頭痛を抑えるように額に手をやっていた優秀そうな医者であるが、やがて、意を決したように私へ言葉を告げた。
「貴方は異能者へと覚醒しました」
「…………へっ?」
「もう、貴方はかつての日常に戻ることは出来ません」
優秀そうな医者が、まるで冗談みたいな内容を、けれど、とてつもなく沈痛な面持ちで私に告げてくれた。
これが、私、山田吉次の日常の終わり。
そして、美少女に至るまでの、非日常の始まりだった。