第17話 美少女に至るまでの前日譚 17
芦屋彩月は、己を才能の無い人間だと思っている。
無論、そんなことを口に出せば、過ぎた謙遜だと眉を顰められることは理解しているので、心の内で、戒めるように、己を罵倒する。
「…………私は無能……私は役立たず……私は……」
しかし、この時ばかりは、彩月は己の罵倒を声に出し、何度も己を戒めていた。
感情的に荒れたため、あらゆる書物と小物が散乱し、酷い有様となった私室で。布団を被って、ぶつぶつと罵倒を繰り返す。
彩月の行動を知れば、「なんて、陰気で自虐的な行為だろう」と目を背ける者は多く居るだろう。彩月にとって、その行為こそが己の精神を安定させるために必要なことだとも知らずに。
「ごめん、ごめんね……無能なお姉ちゃんでごめんね……」
繰り返される罵倒は次第に、何者かへの謝罪へ変わった。
謝罪の相手は、彩月よりも一つ下の弟である。
そう、六年前に出現した『巨大な鬼』によって攫われ、姿を消した弟だ。
「陽介……ごめん、守れなくて、ごめんね……」
芦屋陽介。
かつて、芦屋の一族に生まれ、稀代の神童として持て囃された、彩月の弟。
彼は幼くして、ほぼすべての芦屋家に伝わる術を全て会得し、結界術も、八つの頃には、当時の当主と比肩するほどの凄まじい技量の持ち主だった。
まるで、生まれながらにして完成された一つの神格が宿っているかのような、そんな存在だったと彩月は記憶している。
姉であるはずの彩月の方が、いつも、いつも、弟である陽介を困らせて。泣くのは彩月。それを眺めて、我が侭を聞いてあげるのが陽介の役割。
幼い頃の彩月は、今を知る者からは信じられないほど活発で、元気な少女だった。
故に、良く芦屋の術の会得をサボりがちで、弟との才能の差を周囲からとやかく言われることも多く、良くボイコットを行う反抗的な性格をしていたのである。
けれども、弟の早熟した人格の所為か? あるいは、二人の相性が良かったのか? 姉弟仲はそんなに悪くはなかったようだ。
「約束、守れなくてごめんね……」
いいや、むしろ、良い方だったのかもしれない。
姉である彩月が常々、陽介に対して「お姉ちゃんは弟を守る物なの!」と、偉ぶっていたのは、嫉妬心やマウントを取りたいという気持ちもあったかもしれないが、確かに親愛の情は有っただろう。
そんな姉に対して、陽介がどのような感情を抱いていたのかを知る者はいない。
鬱陶しく思っていたのかもしれないし、あるいは、同じような親愛の情を抱いていたのかもしれなかった。
それを知るための術は、もう存在しない。
神童と持て囃された陽介はしかし、脅威度ランクAの魔人によって攫われ、当時の退魔師たちの必死の捜索も届かず、消息を絶ったのだから。
「もっと、もっと強くならなきゃ……」
彩月は布団の中で、ぎゅっと己の胸へ強く五指を突き立て、過去を思い出す。
普段はトラウマとして押しとどめている記憶。
一面の赤。
山を崩して現れた、怪獣みたいな鬼。
微笑んで、自分の傍から離れる弟の姿。
慌てて引き留めようとする自分の意識が遠のき、空を切るちっぽけな手。
「強く、あらなければ、ならなかったのに……っ!」
ぎちり、と皮膚が裂けてしまうほどの強さで、彩月は己に痛みを刻む。
過去の記憶を経て、彩月の意識はようやく現在へと戻って来た。
罵倒も、謝罪も、悔恨も済ませた。
ならば、後はどうすればいい?
いなくなったものに対して出来ることなんて、何もないというのに、まだ自分は『可哀そうな私』と自虐に浸るのか?
それは、許されることではない。
断じて、許してはいけない。
「強くなれ、私。冷たく、強くなるんだ。そのためだったら、私の心なんて要らない。要らない。要らない……要らないっ!!」
彩月は考える。
あの時、あの瞬間、死ぬはずだったのは自分だったと。迂闊だったのは自分だったと。その迂闊の代償を自分が受けるならばともかく、新人が代わりに受けることになったのは、全て、己の怠慢と油断であったと。
ならば、いっそこの身が機械であればいい、と彩月は考え始めた。
冷たく、何事にも動じず、魔を討ち滅ぼす一体の機械。
そのイメージは彩月の心に怒りと共に刻まれて、後に、古今東西、あらゆる魔が恐れる退魔師が生まれるきっかけになる…………そんな、未来もあったかもしれない。
本当に、何もかもが手遅れだったのならば。
●●●
「改めて紹介しましょう。我々、機関に新しく入ることになった天宮 照子さんです。そして、旧名が山田吉次。本来、二日前の戦いで失われたはずの、我々の同胞です」
「ええと…………あははは、恥ずかしながら、生き返って参りました」
「「「――――はっ?」」」
自分たちの上司が告げた言葉に、学生退魔師三人は揃って疑問の声を上げた。
何言ってんだ、こいつ、と。
冗談にしても悪質だ。
けれど、学生退魔師たちは知っている。
美作 和可菜。
ぱりっとしたダークスーツを着こなす赤髪の女性。年齢は二十代前半。耳には多くの銀色のピアス。細長い指には、数多の指輪が収められている。控えめに言っても、パンクな格好の女性はしかし、頭にクソが付くほどの真面目な仕事人なのだと。
セミロングの赤髪は、生まれつき。髪を染めたことなど一切ない。
散々付けている銀のアクセサリーは、全て魔除けの魔道具。
常に鋭く絞られた眼光は、一切の不正を許さないとばかりに内外を問わずに向けられて。彩月以上の仏頂面で、部下たちに接する機関の上司。
若くして、後山町も含めた三つの支部を管理するやり手の退魔師だ。
このような冗談は、文字通り『口が裂けても』言葉にすることは無いだろう。
故に、必然と視線は和可菜から、隣に居る金髪碧眼の美少女へ向けられることになる。
「ううう……やめてくれないかな? そんな目で見るのは。いや、自分でも無茶苦茶言っているのは分かるのだけれどね? 生き返ってしまったんだから、仕方ないじゃないか」
視線を向けられた金髪碧眼の美少女――照子は気まずそうに目を背けた。
その口調と動作に、学生退魔師たちは既視感を覚える。
大人の癖に、子供に対してやけに丁寧で、けれども妙な馴れ馴れしさを感じる口調。小柄な体躯に真新しいスーツという組み合わせだというのに、奇妙に着こなしている雰囲気がある。まるで、日常的にスーツを着なれている者のように。
「貴方たちが疑問に思うのも当然です。よって、詳細を説明しましょう。質問は、全ての話が終わった後、照子さんが受け付けます」
「え? マジです?」
「貴方以外の誰が答えられるのですか? 完全死亡からの復活の詳細なんて。私でさえ、半信半疑なのですから……ともかく、私の説明の後に、きちんと自己証明をすることですね」
「はい、善処します」
和可菜は学生退魔師たちへ、説明を始める。
『刀食らいの鬼』という怪物を倒したその後から。
吉次が異能を得ることになった経緯。【不死なる金糸雀】という異能が、死を経てもなお、発動が続く物であったということを。
異能の効果により、魂だけの存在だった吉次が偶然、新しい器に入り込む、定着させることに成功したということも。
器を用意していたのは、後山町でランクAの魔物を召喚しようと企む懐古主義者たちであり、吉次は新たな肉体を得た直後、即座に戦闘を開始。機関が周囲の観測員から、膨大な魔力の動きを確認して、臨時の部隊が投入される頃には既に戦闘が終了されており、懐古主義者たちは重傷なれど、全員生存という状況で捕縛。
やれやれ、生き返った直後の戦闘は辛い物があるぜ、と肩を竦めて余裕ぶっていた吉次も、ついでに捕縛。
各自、事情を聴取して情報を照らし合わせた結果、吉次の『生き返った』という言葉が真実である可能性が浮上。その後、専門の調査施設に送られた美少女ボディの吉次を調べたところ、魂の波長が以前の物と完全一致してしまう。
そこからはもう、機関の上層部も巻き込んでのてんやわんやで大騒ぎだったのだが、和可菜はあえてそこは省略し、説明をまとめた。
「正直、機関の管理施設からしばらくの間、諸々の事情で出したくない人になってしまったのですが、貴方たちに会わなければならないと物凄く渋るので。ええ、仕方なく仮初の戸籍を用意して、ここに居るわけです」
「戸籍上では、ぶっちゃけ死んでいるみたいだからね、私」
あっはっは、と笑う照子であるが、学生退魔師たち三人は笑っていない。
真顔だ。
真顔のまま、静かに照子の周囲を取り囲むと、それぞれが質問をし始めた。
「私に買って来てくれた和菓子の商品名は?」
「素晴らしき水羊羹~疾風迅雷! 貫け、マイソウル~」
「例の件で落ち込む俺に対して、吉次がやらかした余計な気遣いは?」
「やれやれ、今日は特別だぜ? 何か好きなジャンルを言いなさい。悪い大人として、好きなエロ本を買ってきてあげるよ」
「合流した時、駄犬の如くワタクシに見せた物は?」
「ランクCの魔人の魔結晶。我ながら、童心に帰ったようなテンションだったと思うよ」
「こちとら、心配していたのに、物凄くイラっと来ましたよ、腐れチ〇コ野郎?」
「残念! もう無いんだよ、それ」
「「「「あっはっはっはっは!!」」」」
退魔師四人は質疑応答を終えると、乾いた笑い声を揃えた。
「山田さんのばかぁあああああああ!!」
「いたっ!? いたあぁ!? やめっ! 女の子! 女の子の体なのです! 前の体よりも丈夫だけれど、気遣って! 外聞!!」
「アンタさぁあああああ!! 俺が! この俺がぁ!? どれだけ夢でうなされたと思う? ああ!? ほぼ毎晩、アンタを焼き殺した瞬間が夢に出て来るんだぞ!? ああ!!? その体じゃなかったら、マジでボコボコにしてっからな!!?」
「ごめんて」
「死ねっ! 死ねっ! いいえ、死なせません! ずっと、ワタクシにこき使われて、心身共に疲弊しながらも、奴隷として末永く働きやがれです!!」
「え? いやだよ、そんなブラック企業みたいなの。ああでも、ブラック企業はマジでろくな大人が居ないから、君たちにこき使われた方がマジでマシかもしれないね」
その後、山田吉次こと天宮照子は、手荒い歓待を受けることになる。
誰しも、学生退魔師たちは目に涙を浮かべながら、ビシバシと照子を小突いていく。散々罵倒を浴びせながら、けれど、言葉も叩き込まれる打撃も、全部、喜びと怒りに満ちていて。
照子は少しだけ、心を痛めていた。
じくじくと痛む胸の痛みは、罪悪感の証拠。
流石の照子も、ここまで生き返ったことを喜ばれれば、胸が痛む。本来、戻って来る予定を入れていなかった自分自身の薄情さが嫌になる。
………………それでも、照子は理解していた。
己が現世に帰って来たのは、どうしても捨てきれなかった未練は結局、たった一人のためなのだと。
「………………死ななくて、良かったです……本当に……」
「うおあ!? 彩月の情緒がついに壊れた!?」
「殴りながら! 殴りながら、笑顔で涙を流しています! 怖い!」
彩月の拳と、涙を同時に受けながら、照子は小さく微笑む。
現世に戻ってきたのは、たった一人のためだけれど、もしも、これからそう在れるのならば、この可愛らしい退魔師たちのために戦えるのなら、それはどれだけ素敵なことだろう? と。
良き社会人としてではなく、自分自身の願望として、そう思える日が来ることはきっと、そう遠くではないことを、照子は予感していた。
●●●
グレ :久しぶり
ツッキー:お久しぶりです!
グレ :ごめんね? 仕事が立て込んでいてさ
ツッキー:いえいえ、お構いなく。私もちょっと大変なことがありましたから
グレ :大丈夫かい?
ツッキー:ええ、一時期はもう駄目かと思いましたけど、最終的に良い感じに落ち着きましたので! えへへ!
グレ :それはよかった。良ければ、仕事を頑張ったご褒美をあげようか? 現金がいい?
ツッキー:真っ先に思いつくのが冷たい答え! 流石、グレさん! ドライなんだから! もう! でもでも! 本当にご褒美が貰えるなら、貴方に会いたいな♪ なーんて!
グレ :いいよ
グレ :おおい?
グレ :生きているかい?
ツッキー:すみません、ちょっとびっくりしすぎて、お茶でキーボードがががが。
グレ :そっか。じゃあ、無理させるのも悪いから、今日はここまで
ツッキー:逃がさねぇ! ボク、逃がさねぇ!! ご褒美! 会いたいって! いいよって! ボク! グレさん!!
グレ :落ち着こう、別に撤回しやしないよ
ツッキー:ついに! ついに! ボクの求愛に応える気になってくれたんですね!?
グレ :オフ会するだけだよ、大げさな
ツッキー:絶対ですよ!? 約束ですよ!? 嘘ついたら、ヤンデレに戻りますからね!? 禁じ手を使いまくって、リアル凸しますからね!?
グレ :はいはい。ここまで来て、嘘吐かないよ
ツッキー:やったぁあああああああああ!! ふぅうううううう!! それでそれで! どうして、ボクと会おうと思ったんですか!? やっぱり、ボクの愛が通じた!?
グレ :別に大した理由なんてないよ。ただ、まぁ
ツッキー:何ですか!? 何ですか!?
グレ :もしも明日、世界が終わったりしたらさ。なんだかんだ理由を付けて会わなかったことを、後悔しそうだなって。そう、思っただけだよ
ツッキー:え? 告白ですか?
グレ :違う
ツッキー:結婚ですね!? やったぁ!!
グレ :ああもう…………好きにするといいよ




