第16話 美少女に至るまでの前日譚 16
まず、私は現状を把握する。
手足の感覚がある。胸に穴が空いていない。思考が出来ている。五体満足どころか、スーツに傷一つすら無い。けれど、ずっと奇妙な浮遊感が付きまとっているところを考えると、私は『死にぞこなっている』が、完全に魂が黄泉路に旅立っているというわけでは無いのかもしれないね。
実際、ここは――この日本屋敷の内装には見覚えがあり過ぎる。
「くくく、ご名答だよ、お客人。お前さんは今、魂だけの状態でこのマヨイガに存在している。肉体があるように見えるのは、ただの錯覚さ。安心して欲しい。お前さんの肉体はきっちりと、あの特異点の坊やに焼却されたよ」
ああ、そうなのですね、と言葉を紡ごうとして、声が出ないことに気づく。
ふむ。どうやら、完全に何もかもが生前のまま、とはいかないらしい。
「そこら辺は勘弁しておくれ。何せ、こういうケースは中々なくてね? お前さんをここに留めている時点で、破格の待遇だと思って欲しい」
なるほど、そりゃあどうも。
何やらよくわからないが、とりあえず、心を読まれているのならば、意思疎通にさほどの面倒は無いだろうさ。
「へぇ、肝が据わっているねぇ? それに理解も早い。流石は、退魔師として期待の新人だったお方だ」
くくく、と含み笑いながらマヨイガの主――謎の美女は私を称賛する。
わざとらしいこと、この上ない表情で。
一体、どこまでこの人は私のことを知っているのだろうか?
「何、さほど多くは知らないさ。けれど、この場に於いて大切なことは知っているよ」
頭部から鬼のそれにも似た角を生やす美女。
艶やかに着物を纏う何か。
マヨイガの主。
明らかに、通常の魔人……いや、魔物のカテゴリを超越しているような存在は、何もかもお見通しという顔で告げてくる。
「お前さんが、やろうと思えば、再び現世へと戻れるってことを」
…………今更、どうしてそれを!? などとは思わない。ただ、やはりそうなのだな、と思った。なんとなく、出来るかもしれないと思ったが、本当に出来てしまうのか、私は。
「タイミングが良い。そう、タイミングが良かった。まるで、深淵なる謀のように、何もかも繋がっているのかもしれないねぇ。けれど、そう、最初から最後まで全てが決まっているわけでは無い。お前さんなんて、特に顕著な例なんだよ? お前さんの登板なんて、誰も分からなかったさ。完全なるイレギュラーって奴。ただ、イレギュラーにしては上手く嵌り過ぎたのが悪かったのかもしれないねぇ。流れに組み込まれてしまった、もう、戻れない」
うーん、楽しそうなところ悪いのだが、半分以上意味が分からない。
ただ、私はあるがままに動いて、結果、こうなっただけだ。これが運命だったと言われても、それは違うと否定するだろう。
「くくく、違うよ、お客人。そうじゃあない。運命なんてこの世には存在しない。運命のような出来事はあるかもしれないが。宿命と呼ばれる物はあるかもしれないが。絶対に変えられないことなどは何もなく、絶対の規則も、全知全能の神も存在しない。あるのはただ、役割を割り振られた者たちの即興劇さ」
やれ、話がややこしくなって来たね?
そろそろ面倒になって来たから、私はもう、先に行くよ。いや、逝くよ、かな? なんとなく、黄泉路がどちらも分かるし。私はもう土産を持ち帰っているし、ここを出る資格はあるはずだ。
「おっと、これはいけない。やぁ、すまない、すまない。年寄りは話が長くていけないね? それじゃあ、今度は単刀直入に――――お前さん、生き返ったらどうだい?」
断る。
死人は大人しく死ぬべきだ。
「くくく、はっきり言うねぇ?」
それに、今更戻ったところで、どうせろくなことにならない。
私の異能、【不死なる金糸雀】は危険だ。明らかに、説明を受けたこと以上の力を有している。そもそも、私の意志に関わらず、常時発動しているから、止めることも出来ない。
そう、今だって、ずっと発動したままだ。
暴走している。
早く黄泉路を進んで、この魂をあるべき場所に納めなければ、ひょっとしたらもう、人間の範疇を超えた何かに成り果ててしまう可能性があるのだ。
その時、私の精神が、私のままでいられる保証なんてない。
…………いや、死に際で妙に落ち着いている時点で、私はもう、一般人であった時の私とは別人になってしまったのかもしれないが。
「変わらない人間なんてないさ。肝心なのは何を為すか、だろう? お客人」
生憎、禅問答をするつもりはなくてね。
用事があるのならば、さっさと言ってくれ。
「そうかい、じゃあ、言うが。お前さん、『未練』があるだろう?」
…………………………そりゃあ、まぁ。私だって、色々と思うところはあるし、出来れば死にたくはないが、このまま生き返ったら間違いなく問題がある。下手をすれば、機関に追われる存在になるかもしれない。
自分の欲望のために、社会に迷惑をかけてまで生き返ろうと思わないよ。
「ほうほう。研修で一緒だった子供たちは悲しむだろうねぇ」
そうかもしれない。
でも、よくあることだ。こんなこと、その内、忘れて生きていくだろう。
「同僚たちが気落ちするだろうねぇ? 生き返ったら、さぞ喜ばれるだろうに」
そうかもしれない。
だが、所詮は二か月にも満たない短い付き合いだ。退魔師ならば、同僚の死も珍しくはない。きっと、私の死なんて、一年もすれば乗り越えた過去になるだろうよ。
「両親を悲しませるんじゃあないかな?」
どうだろう?
いや、どうだろう? あの両親は悲しむだろうか? まぁ、うん。保険には入っているから、いいんじゃないかな?
「くくく、そこで疑問に思うのかい! とことん、お前さんは変だねぇ」
謎の美女に言われたくないです。
まぁ、薄情な人間だからね、私は。こんなもんさ。未練なんて多少はあっても、いざ、死んでみれば、そこまで引っかかるものじゃあない。
「――――じゃあ、ツッキーとの約束はどうするんだい?」
そう告げられて、私は思わず舌打ちした。
社会人として失格であるが、態度が悪いことこの上ないが、どうか許して欲しい。折角、意図的に忘れて、なんとか押しとどめようとしたものを、平然と胸の内から引っ張り出してくるのだから、本当に質が悪い。
まったく、どこまで人の心を読んでいるのやら。
「約束を守らないのは、社会人としてどうかと思うよ、お客人」
はいはい、そうですね。
ああもう、本当に…………格好付かない。なんて人間だ、私は。さっきまで散々、潔く死ぬ! みたいなことを言っていた癖に、思い出してしまえば、これだ。なんて、情けない。格好悪い。最悪だ。
今更、『死ぬわけにはいかない、何をしても』なんて、自分勝手が過ぎる。それでも、やめようと思えないのだから、私という奴は本当にさぁ。
「くくく、そんなに自分を責める必要なんてないさぁ。何せ、私はマヨイガの主人。『私のマヨイガ』は、迷う人々の前に現れる怪異。お前さんがここに来られた時点で、本当は死にたくないってことぐらい、分かり切っていたとも」
誰だって死にたくないさ。
でも、このまま死んだ方がマシという状況だってある。必ずしも、生きることは幸福じゃあないからね。
実際、思い出せなければ死んでもいいとは思っていたさ。
そう、思い出せなければ。
思い出してしまったのならば、もう、駄目だ。私の迷いは祓われ、既に決意が固められてしまっている。
あーあ、薄情な人間だと思って、今まで生きてきたんだけれどなぁ。
「そうかい。じゃあ、教えてあげよう、お客人。お前さんは、実は、とびっきりの馬鹿だよ。そう、馬鹿が付くほどの『お人よし』さ」
私は謎の美女に背を向けて、マヨイガの外へ歩き出す。
道は選ぶ必要は無い。
もう迷いは晴れたのだから、自然と足が進む方向に歩いて行けばいいのだ。
『ピピピィ!』
ふと、耳元から甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。
視線を移す間もなく、その鳴き声は私を先導するように、前へ飛んでいく。
黄色い小鳥。
金糸雀。
私の異能の象徴。
さぁ、早く来い! とばかりに急かして鳴くそれに、私は苦笑しながらついていく。
「行ってらっしゃい、山田吉次。心優しき異常者よ。お前さんの優しさでしか救えない人が、きっとどこかに居るだろうさ」
行ってきます、良く分からない誰かさん。
そんな人が果たして、現世に居るかどうかは不明だけれども、まぁ、上手くやるさ。
例え、生き返った私が、よくわからない何かに変わり果てたとしても。
■■■
『懐古主義』と呼ばれる組織がある。
本人たちが名乗る正式名称としては、『神話回帰主義』なのだが、その考え方が余りにも古臭く、また、投げやりなので『懐古主義』と笑われているのだ。
無理もない。何故ならば、彼らの主義主張は笑ってしまうほど荒唐無稽な物なのだから。
そう、この世界を、神話の時代まで逆行させて、神々によって人類を管理してもらおう、なんて。自分勝手で、投げやりな夢想ならば、笑われて当然だ。
「諸君……よくぞ、今まで耐えてくれた」
けれども、確かにその組織はあった。
狂人の集団なのか? それとも、建前を掲げて何かしらの利益を貪るためか? あるいは、人類に心底愛想を尽かした者たちが集まったのか、相応の規模の組織となっていたのである。
ただ、世界規模の組織である機関に比肩するほどではない。
精々が、日本のとある地方でひっそりと生き延び続けるだけの、老害、狂人、駄目人間の集まり。中には泥中の蓮のように、恐るべき才能を持った魔術師も存在するが、ほんの一部だけ。
到底、脅威度ランクBの封印を解ける戦力を持つ組織では無かったはずなのだ。
「長い間、衆愚の無理解に苦しめられただろう。『懐古主義』などと笑われ、馬鹿にされてきただろう。どれだけ、真摯に話を説いても、理解されなかっただろう。しかし! 我々はついに成し遂げたのだ!!!」
だが、実際に『懐古主義』と呼ばれた者たちは成し遂げた。
『刀食らいの鬼』と呼ばれる魔人の封印を解き放ち、大いに機関の一部を混乱させて。
――――大願成就のための、囮として機能させることに。
「既に御神体は用意出来た! 『門』を開く準備も万端だ! 術式も、『協力者』によってより洗練され、必ずや、彼のお方を召喚できるだろう」
『懐古主義』の構成員たちは現在、夜明け前の山頂に居た。
さほど高い山ではない。後山町に存在する、普通の山だ。そう、登山コースのある、比較的登りやすい山ではあるが、彼らは登山服ではなく、それぞれ儀礼用の狩衣やら、白衣などを纏い、その時を待っていた。
「愚かな機関は気付くまい! あの襲撃が陽動であったことを! そして、もう手遅れだということに! ははははっ! 巨大な力を持つ者を新たに召喚するのであれば、境界でなければ不可能! そんな理論は既に時代遅れよ! この通り、充分な魔結晶で作られた魔道具と、莫大な魔力さえあれば! そうとも! 元来、山とは異界の一部だったのだ! それを、我々人類が、愚かしい思想で削り取り、奪い取った! だから、神々は人類を見捨てたのだ!」
高々と山頂で声を張り上げるのは、上等な着物を纏った、白髪の老人だった。
年のころは七十を過ぎた頃だろうか? 肌のハリつやは良い物の、目は血走り、光悦に浸りながら演説する姿は、周囲に狂気すら感じさせるものだった。
だが、それも当然だろう。
彼は少なくない時間をこの時のために捧げ続け、ようやくその願いが叶うのだから。
そう、例えその過程の大半が、『協力者』から提供された技術による物だったとしても。
明らかに、実験扱いされていたとしても。
彼にはもはや、どうでもよかった。
「故に呼び戻す! 偉大なるお方! 機関ですら、この大和では平伏せずにはいられぬ、絶大なる力をもつ大神! そう!! 三貴神が一柱っ! 天照大御神を! この混迷する現世へ呼び戻し! 統治していただくのだ! 遍く光によって!!」
つばを飛ばしながら、大仰に腕を開き、高らかに宣言する瞬間、彼は確かに幸福だった。
彼の脳内には、妄想と快楽物質が渦巻き、正気など一片も残っていないが、幸福だった。例え、召喚した直後に、不遜で目障りだと消し飛ばされても、その幸福は揺るがないだろう。
「さぁさぁさぁ! 今こそ、ゆくぞぉ!! 尊いお方を! お呼びするのだぁ!! 魔力注入開始ぃ!!」
『『『了解』』』
そして、彼の号令の下、様々な思惑を持った構成員たちは行動を起こした。
天照大御神。
かつて、主神として大和という名前だった国に君臨した偉大なる神。
しかし、科学が満ちるこの現世に於いては、その存在は脅威でしかない。力の一部ならばともかく、その本体となれば、脅威度ランクはAに値する。
本来、この脅威度ランクAに値する力を持つ者は、軽々と現世へ入り込むことは出来ない。力の強い者ほど、境界を超えるための魔力は膨大となり、境界を超えたところで、存在を維持するための魔力消費が凄まじいため、仮に、偶然、召喚に成功したとしても一瞬で消え去ってしまうからだ。
「おぉおおっ! 我が神よ! 我らの神よ! 矮小なる器なれど、どうか! どうか! 尊い御身を、宿したまえ! かしこみかしこみもおす!」
その問題点を、『懐古主義』は二つの物によって解消した。
一つは、緑色の魔結晶を加工して作り上げた、巨大な鏡のような物体だった。これは、太陽光を吸い込み、召喚の触媒とする効果を持つ、天照大御神専用に造られた召喚補助具である。
もう一つは、巫女服を着させられた『少女の肉体』だった。
肉の器。
あらゆる禁忌の技術を用いて作り上げた、魂なきヒトガタだ。
白髪の老人の傍らに、魔道具と共に鎮座するヒトガタ。それは一見すると、十代半ばの少女が眠っているようにも見える。だが、実際は生命活動をしていたとしても、精神的な活動は一切為されていない。
まさしく、魔物が乗っ取るのには絶好の器と言えるだろう。姿かたちも尋常ではなく美しく調整され、目を閉じた姿でも、絶世の美少女だ。
ただし、何故か金色の長髪である。構成員たちや、老人もその点に限っては正気のまま「え? なんで金髪? 日本の神様よ?」と真顔で尋ねたのだが、『協力者』からは「製造者の趣味です」としか言われなかったらしい。
ともあれ、肝心なのは召喚して、存在を器に定着させることだ。
「おぉおおおおおおおっ! 来たぞぉ! 尊いお方が! 偉大なる神気が! 来る! 来る! 来る! なんて威圧感! なんて神々しさ! まるで、太陽が落ちてきたかの様!!」
儀式は、夜明けの光と共に完了した。
山頂から眺める夜明けの光は、空を瞬く間に焼き上げて、朝の色へと染めていく。
同時に、膨大な魔力が魔道具を通して、ヒトガタへと注ぎ込まれて。
何かが。
偉大なる何かが今、魔力の奔流に乗ってヒトガタに入り込む―――その直前だった。
「あっ」
『『『あっ?』』』
白髪の老人は、思わず、といった様子で声を漏らした。
次いで、構成員たちも疑問の声を上げる。
「い、いいや、なんでもない! ほれ、見ろ……成功だ!」
しかし、白髪の老人は誤魔化すように隣の人型へ視線を向ける。
そこでは、ゆっくりと、金髪の少女が目を開き、美しき碧眼を覗かせている途中だった。
『『『おぉおおおおっ』』』
構成員たちの間から、感激の言葉が次々と漏れていく。
様々な思惑を持っていようとも、やはり、神が降臨した姿には何かしらの感動があったのか、それぞれの理由で心を震わせていた。
一方、あれほど狂喜乱舞していた白髪の老人であるが、今、彼の中には喜びよりも、不安と疑問が渦巻いている。
感じたのだ。
儀式の中心として動いていた白髪の老人だけが。偉大なる何かがヒトガタに入る直前、横からなんか変なのに蹴飛ばされたように送還されてしまった、妙な手ごたえを。
「違うはず……そんなはずはない……儂の勘違いだ……」
ぶつぶつと、周囲の声にかき消されるような小さな声で、白髪の老人は祈るように呟く。
どうか、どうか、何事もなく成功してくれ、と。
「…………ふむ」
そして、その時は来た。
両目をしっかりと開いたヒトガタ――金髪碧眼の美少女は、まず声を発した。
何かを納得したように。
次に、周囲を見回して「ふむむ」と頷いた。この状況を一瞬で理解したかのように。
『『『…………』』』
先ほどまで声を発していた者たちは全て、静かに黙り込む。
ごくりと喉を鳴らし、緊張を保ったまま、召喚された神の言葉を待った。
やがて、金髪の美少女は柔らかく微笑み、言葉を紡ぐためにその口を開く。
「なんで女の子なんだよ、ごるぅらああああああああああああああっ!!?」
『『『えぇえええええええええええっ!!?』』』
金髪の美少女――もとい、現世に帰還した山田吉次、渾身の雄叫びだった。
ちなみに、その後、吉次の理不尽な八つ当たりによって、『懐古主義』と呼ばれた組織は、甚大なダメージを受けて壊滅することになったという。




