第15話 美少女に至るまでの前日譚 15
私は薄情な人間だ。
良き社会人であることを心掛けているものの、こればかりはどうしようもない。
なんと言えばいいのだろうか? 生来、私は絆や友情、愛情という物に疎い人間なのだ。その所為で、幼少時は苦労した記憶がある。
人間、誰しも社会とのズレは感じる定めであるが、私という人間はその差異が少しばかり大きい人間だったらしい。
だからこそ、私は規則やマナーを良く学び、それに従うことを心掛けた。
社会に属する人間。
社会人。
そうであれ、と望まれるままの人間を装うことが出来れば、少しはまともな人間になれると思ったのだが、さて、実際はどうだったのやら?
学生時代、友達に困ることは無かったけれども、ほとんどが上辺だけの付き合い。社会人になってから連絡を取り合った相手なんて居ない。同窓会の連絡は何度か受けたが、その時の私は、懐旧に浸るよりも仕事を選んだ。
当然、こんな人間が社会に出て、親しい人間関係を作れるわけがない。
上辺だけの付き合い。
社交辞令。
薄っぺらな情を纏い、私はそれなりに上手く行っていたと思う。いや、どうだろうか? ただ漠然と生きて、偽善を為して、職を転々と変えていくだけの人生。
無為に生きていくだけの人生。
それは果たして、真っ当な人間の生活だろうか?
いや、それを言い出したらキリが無い。
きっと、私程度の感傷や悩みなどは、世界中の誰しも抱えている物であり、それでも、人は主観的にしか自分を見ることが出来ないから、勘違いしてしまうのかもしれない。
自分は特別なのだと。
何かを為せる人間なのだと。
社会に出て、そういう麻疹みたいな誰しも抱える病気は鳴りを潜めたけれど、どうやら、退魔師として働くようになって、そういうのがまた顔を出してしまったらしい。
でも、まさかこうなるとは思わないだろう?
――――自分が、悪い意味での特別だと、思い知ることになるなんてさ。
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あ、やっべ、やらかした。
私は胸を貫かれた瞬間、思いのほか軽い感想が脳裏を過った。これは、かつて社会人一年生だった頃、仕事で大きなミスをした時に感じた焦りと諦観に似ている。
その時は、直属の上司にしこたま怒られた物であるが、大抵の仕事の場合、挽回できないミスはそんなにない。特に、新人にはミスっても良い仕事しか与えられないし、怒られるのなんて日常茶飯事。肝心なのは、失敗を繰り返さない注意力と、失敗を恐れない勇気だ。矛盾しているかもしれないが、社会人一年生なんてどうせ何をやっても怒られるので、むしろ『さっさと怒ってこいや』くらいの気持ちが肝心だぞぉ。
「な、何をやっているのですか!? 山田さん!!」
まぁ、今回のミスは取り返しがつかない奴なんですけどね! 主に、生命的な意味で。
っべーなぁ。心臓を貫かれたよ、多分。胸を貫かれてから、露骨に体の動きが悪くなったもん。むしろ、なんで死んでないんだろうね、私。
「ひひひっ! さぁ、次は誰だぁ!? まずはこいつを食らってから、テメェらを確実に一人ずつ、食らってや…………あん? なん、で、腕が抜けな――」
「オラぁ!!」
「ごぶっ!!?」
しかし、死んでいないのならば、仕事続行だ。
私は胸を貫く魔人の腕を左手で掴む。全力で。ぼきぼきぃ、と骨が折れる感触が手に伝わるが、遠慮なしの最大出力の魔力強化で掴み、離さない。そして、残りの右手でひたすら魔人の顔面を連打する。
「ごっ!? おま、なん、死んで!? 普通! 死ぬ……この!」
「オラぁ! しゃっ! 死ね! 死ねやぁ!!」
「だっ! がっ! ぐごっ!? こ、このっ! お前こそ死ね! 心臓を貫かれたら、死んでおけよ、おい! 人間としてェ!!」
「安心しろ、流石に致命傷だ。もうすぐ死ぬ。お前と一緒になぁ!!」
「く、狂ってやがる……っ!」
失礼な。
私ほどまともであろうとする社会人は早々居ないと思うぜ?
…………っと、流石に辛くなって来たな。即死しなかったのは、異能である【不死なる金糸雀】の効果によるもので、今、動けているのは無理やり魔力で体を動かしているだけの話だ。
がりがりと残り少ない生命力を薪として、ガンガン無理をしているからこそ、出来る荒行だ。流石に、ここまで来たら死ぬ…………死ぬよな?
「ふ、ふざけるなぁ! オレはテメェみたいな雑魚と心中するつもりは――」
「お静かに。まったく、死に際の人間が居るんだから、遺言タイムとかのために自主的に静かになるとか、気を遣って欲しいよね」
これで死ななかったら、それはそれで人間としてヤバいので、素直に死んでおくことにしよう…………いや、違うか。余裕ぶって魔人の顔面を殴り砕いてはいるものの、こいつは強敵だ。私が今、圧倒しているように見えるのは、即死しない私の言動に驚いているからに他ならない。死にかけている私には、こいつにとどめを刺すだけの力は残ってないだろうし、冷静にさせてしまえば、こちらが不利になる。
「治明」
故に、仕方ない。
本当はとてつもなく嫌なのだが、仕方ない。
「お、おう! 大丈夫だ、吉次! 大丈夫だからな!」
「あのね、頼みたいことがあるのだよ」
「待ってろ! 今、彩月とエルシアが、出来る限り最大の回復魔術を――」
「私ごと、こいつを焼き殺して欲しい」
恐らく、千載一遇の好機は今しか無いのだ。
だから私は、残酷な願いを同僚に託す。例え、治明が見たことのない蒼白とした顔で、こちらを睨んでいたとしても。
「ふっ、ざけんなぁ!! 俺に! 俺に、仲間を焼き殺せって言うのか!? つーか、勝手に諦めているんじゃねーよ! 俺たちにかかればなぁ! そいつをぶち殺して、アンタを助ける事なんて、余裕なんだよ! 勝手に諦めるなよ!」
「聞いて欲しい。こいつはまだ、余力を残している。今は、こうして、私が即座に頭部を殴り砕いて動きを止めているが…………確実に離脱出来る機会を狙っている。そして、このまま私が力尽きれば、それを為すだろう。あるいは、事の経緯から、『第三者』がこいつを確保する機会を狙っているかもしれない」
「だったら! アンタを避けて、そいつだけ焼き殺す! うだうだ言っているアンタを治す! それでいいだろうが!」
「駄目だ。私だって可能な限り死にたくないが…………流石に、心臓を貫かれたら死ぬよ。それにね? この魔人は動けない振りをしているが、実際、いざという時になれば私に抱き着いて、とっさに盾にするぐらいはやるだろう。なぁ、そうだよな?」
私の声に反応するようにして、じたばたと暴れ出す魔人。
はっはっは、やっぱりそうだな、こいつ。魔結晶の状態でも、ある程度、周囲を感知できるし、脳を通さずに体を動かせる類の怪物だ。
とりあえず、何かの足しにはなるだろうと眼窩から指を突っ込んで、魔人の脳を傷つけておく。びくびくと反射で手足が痙攣するところを見ると、完全に魔力のみで動いているというわけでは無いらしい。
「ほら、この通りだ。私が抑えている間に、しっかりとやってくれ」
「うるせぇ! うるせぇ、うるせぇ!! いいか!? アンタは、今、そこで生きて、話している! そいつを助けられないで、仲間を助けられないで、何が退魔師だ!?」
「いいや、私は死んでいるよ。手遅れだ。わかるだろう? 今の私はちょっと、死体が動いているだけの余分だよ。その内、死ぬ。それは避けられない」
「…………っ! くそ、が!」
苦悶の表情を浮かべる治明。
さて、そんな彼には悪いのだが、とても悪いと思うのだが、先ほどの言葉には半分ほど嘘がある。真実は、私が手遅れであるということ。嘘は私の死が避けられないということ。
恐ろしいことに、最初は致命傷だと思っていたのだが、なんとなくこの状態に『慣れて』しまっている自分が居る。
異能の効果にしても、明らかにおかしい。
もしも、これが『死』に慣れてしまっているのだとしたら…………私は、私が思っているよりも最悪な事態へ足を踏み入れているのかもしれないね。
だからこそ、治明の炎が必要なのだ。
彼の炎ならばきっと、何の憂いも無く私を送ってくれる。
「治明! 早く、早く山田さんをこっちに持ってきて! 『刀食らいの鬼』は後で良いから、早く!」
「彩月姉さん! 駄目です! 落ち着いてください! 結界が乱れています!」
…………芦屋には、悪いことをしてしまったなぁ。
ほとんど無表情で、いつもクールな彼女がここまで取り乱すとは思わなかった。両目からは涙がとめどなくあふれ出しながらも、必死に何らかの魔法陣を床に書き込んでいる。
何も思わないわけでは無い。
自分を生かそうとしてくれる仲間の意志を退けて、死ぬのは心が痛い。薄情な私でも、心が痛い。元々、下手くそな庇い方をしてしまったから、私が致命傷を受けたのが悪いというのに。
うーん、なんとか生き抜く目を考えてみようか? 魔人を確実に仕留めて、この状況を仕組んだであろう何者かの干渉を退けながら、既に八割方死に絶えている私の肉体を蘇生させる。
物凄く頑張れば成功するかもしれないが、それでも可能性は極端に低い。
何よりも――――生き残ってしまった場合、私が私で居られる保証などはどこにもないのだ。まったく、『異能が精神にまで影響を及ぼす』なんて、聞いてないのですが?
「頼むよ、治明。最悪なのは、手遅れの私をどうにかしようとして、他の死者が出てしまうことだ。頼むよ…………この私に、最後ぐらい、良い格好させてくれないか?」
「――――クソッタレの、世界が! この世界は、クソッタレだ! ちくしょう! ちくしょう! いつだって、俺は『手遅れ』かよ! くそが、くそが、くそがぁあああああああ!!」
喚き、叫びながらも、治明は覚悟を決めてくれたようだ。
刀身に真っ白な炎ではなく、煌々と燃え上がる、まばゆいほどの鮮やかな赤い炎が収束していく。
なんて、綺麗な炎なのだろうか?
ああ、死ぬ前に良い物が見られた。
「待って。ねぇ、待って、治明……駄目よ、まだ、まだ何か方法が――」
「葬炎散花」
私は死に際にかつてない抵抗を見せる魔人を、きっちりと掴みながらそれを見る。
真っ赤な炎が。
一輪の花の如く、花弁を象って私たちの周りに咲いて。
「――――曼珠沙華」
赤。
赤、赤、赤、赤。
眼前が真っ赤に染まって、息も止まるほどの美しさが私の体を飲み込んで。
そして、熱を感じる間もなく、私は焼却された。
「待ってよ…………もう、誰かを失うのは嫌なの……っ!」
最後の最後。
意識が完全に消え去る前に、芦屋の声が聞こえた気がした。
…………やっぱり、私は薄情者だよ。最低の、薄情者だ。
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「やぁやぁ、お客人。また会ったね?」
などと、感傷に浸って死のうと思っていたのだが、どうやら私は現在進行形で死にぞこなっているらしい。
やれやれ、とことん格好付かないなぁ、もう。




