エピローグ サイコロを振るまでもない
連続更新の二回目です。
最終回です。
「結局、神代回帰とやらは無かったことになったのですかー?」
私がファミレスで苦悩していると、隣の席で美形のカップルが興味深い会話をしていた。
「うん、そうだね。時間が巻き戻ったかのように、あれだけの変革が無かったことになっている。ただ、どちらかと言えば時間逆行ではなくて、造り上げたもう一つの歴史で、世界を上書きしたようなイメージかな?」
黒髪の短髪で、Tシャツとジーンズ姿の少年が彼氏だろう。年は大体、私と同じぐらいで、高校生に見える。しかも、イケメンだ。ぼんやりと気の抜けた表情ではあるが、端正な顔立ちで、紛れもなく美形である。
「あははは! 何が何やらさっぱりですね!」
そんな少年の向かいに座るのが、金髪碧眼の美少女だ。人形のような整った顔立ちに、真っ白な肌で、美少女にしか許されない純白のワンピース姿である。向日葵畑で見かけたら、何かの妖精か、あるいは化物の類に見えてしまうほどに美しい。
まぁ、そんな美しさを持っている割に、彼氏に向かって浮かべている表情は、柴犬みたいな無邪気な笑顔だったのだけれども。
「君は悪魔王の配下だった癖に、こういう話はさっぱりだよね?」
「まー、所詮は木っ端悪魔でしたのでー。ああ、でも、死人が蘇った理由は分かりますよ? 神代回帰とやらは日本中を覆うような巨大な力場だったのでしょう。なので、普通に魂が輪廻へ向かうことが出来ずに、そこら辺に滞留していた。なので、世界改変の時に、『魂の無い代役』が生まれることはなく、きっちりと蘇生したというわけです」
「大分部の魔神や魔物には適用されなかったようだけどね」
「我々魔物はまた、別の世界の存在なのでー。こっちの改変には引っかかりにくかったのでしょう!」
「世界改変の際に、生き残っていた魔物はほとんど送還されてしまったのも、そういう関係かな?」
「そうかもしれませんねー」
美形カップルは、互いに大盛りのフライドポテトを摘まみながら、よくわからない話をしている。何だろう? 何かのネットゲームの話かな? まるで、世界を賭けた戦いが終わった後みたいな会話内容だったけれど。
「でも、リリス。まさか、改変後の世界に君が居るとは思わなかったよ」
「嫌でしたかー?」
「まさか……まさか。でも、ちょっと肩透かしだったね。あれだよ? 君を蘇らせるために、結構な覚悟を決めていたところで、ひょっこりと現れたんだ。うん、正直幻覚の類じゃないかと疑ったよ」
「私も驚きでしたよー。なんか覚悟を決めて死んだかと思ったら、いつの間にか生き返っていて、凄く時間が経っていて。しかも、目の前に転生した貴方が居たんですもん」
「恐らく、世界改変の際に、彼女がやったことだろうね。彼女の関係者は、改変後には概ね、幸運とも呼べる出来事が訪れるようになっているらしく、僕はそのおこぼれを預かれる立場に居た、そういう訳さ」
「つまり、棚ぼたの奇跡ってわけですがー。ええと、空気を読んでまた消えておきます?」
「馬鹿、怒るよ?」
「…………えへへ、嘘ですよーっ!」
おっと、会話内容はともかく、何やらいい雰囲気である。
このまま聞き耳を立てるのは流石に、下世話という物だ。私は素早く荷物を纏めて、席から立ち上がる。
やれやれ、結局、TRPGのシナリオ制作は進まなかったし。家に帰って、課題を終えてから続きをやろうかな。
「ご、ごほんっ。まったく、この小悪魔は……ともかく! 僕は彼女にでっかい借りが出来てしまったわけ。後、もう一年近くも姉さんが落ち込んでいるわけだし。いい加減、彼女を見つけ出しておきたいんだよ」
「でも、姿形も分からないんですよねー?」
「なんとなく魂は覚えているから、少しでも魔力を使えば察知できる……ただ、一般人とかの中に紛れていると、とても厄介だな」
「まー、砂漠の中に落とした宝石を見つけるようなものですからー。気長に探しましょう。あ、ちなみにその人のお名前は?」
「ああ、流石に同じ名前ではないと思うけれど、そいつは――――」
最後に何か、私と似た誰かの名前を言っていたような気がするけれども。
まぁ、あんな美形な人たちと、平々凡々な私が関係しているわけがないし。きっと、人生の中で何度か起こる、奇妙なすれ違いだったんだろうさ。
●●●
私の名前は、山田照子。
東北地方のとある田舎町で暮らす、ごく普通の女子高生だ。
父親は早くに亡くなったらしく、家族は母親と姉の二人だけ。女三人の家族だけれども、それなりに平穏で裕福な暮らしを堪能させて貰っている。
「照子。テメェ、平日に夜更かしはするなって言ってんだろうが! ああん? 授業中では居眠りしてないからオッケー? 馬鹿が、健康の心配してんだよ、アタシは!」
母親の山田美柑は、口は悪いが家族思いのキャリアウーマンだ。
結構な大企業の敏腕秘書をやっているらしく、家族三人を余裕で養えるぐらいの給料をもらっているようだ。
借家ではあるが、庭付きで立派な一軒家で家族が生活できているのは、この母親の――母さんのお陰である。なので、扶養家族である身の上からすれば、このように母さんから心配されてしまえば、思春期らしい犯行をするまでもなく反省をするしかない。
仕方ない。深夜までTRPGのセッションをするのは、翌日が休みの時だけにしようか。
「照子ぉ……お水とってぇ……うっぶぅ。昨日、ちょっと飲み過ぎ……あー、しんどい。この二日酔いが無ければ、お酒は世界で一番素晴らしい発明なのにねぇ」
三つ上の姉の名前は、山田灯里。
既に成人済みの大学生であり、お酒が合法的に飲めるようになってからは、次々と飲み会へと参加して荒らしまわっている酒豪だ。
思わず健康の心配をしたくなるほどの飲み会の日々であるが、へこたれた姿を見せるのは二日酔いの時だけであり、それ以外の時は超が付くほどの健康児なので、平気なのだろう。
かつて、私と母さんが牡蛎に当たって地獄を見ていた時に、けろりとカップラーメンを食べていたこともあるので、恐らくはアルコール程度で死ぬ肝臓の持ち主ではない。
以上、二人の家族と共に私は暮らしている。
特に不満は感じない。反抗期とやらも、私には来てないらしく、家族仲は良好だ。毎日のご飯は美味しいし、月末には皆で揃って服を買いに行く。私の趣味であるTRPGのお高いルールブックだって、きちんと買えるぐらいのお小遣いは貰えているし。概ね、私としてはこれ以上無いぐらい平穏な日常だと思っているのだ。
学校の同級生とかが、よく家族の文句を言っている姿を見かけるが、私はあまり共感できない。それぐらい、満たされた日々を送っているという自覚がある。
ただ、一つだけ不安があるとすれば。
「…………私は、一体何を忘れているのだろうね?」
ふとした瞬間に、脳裏へと描かれる誰かの面影。
黒髪で、美しい少女の姿。
見知らぬはずの彼女のことを思い出す度に、私の心は痛みを覚えてしまう。
心が痛む、その理由も分からないというのに。
●●●
全身鏡に映った、私を眺める。
ぼさぼさの癖毛を無理やりまとめた、ポニーテイル。色はくすんだ黒。鴉の濡れ羽色みたいな綺麗な色じゃない。複数の絵具で汚れた水みたいな、髪の色をしている。
顔つきはまぁ、平凡。友達からは『プレーン味、ただし最高品質』みたいな言い方をされたけれども、決して美人と呼ばれないのがミソだ。
「…………ん、よし」
制服に皺が付いていないのを確認。今日は服装点検があるので、スカートの長さもきっちりして。靴下は紺色の目立たない奴。
どこからどう見ても、普通の女の子。
時折、この姿に違和感を覚えることはあるけれども、何がおかしいのかはさっぱり分からない。別に、スカートを履きたくないとか、そういうわけではないのだけれども。
まぁ、いつものことだ。特に気にせず、学校に向かうとしよう。
「行ってきます」
二日酔いでくたばっている姉さんと、床を掃除している母さんに挨拶をして、玄関から出ていく。もちろん、お弁当も忘れない。口は悪くて、仕事も忙しい人だが、毎朝弁当を作ってくれる当たり、あの人なりの愛情を感じられる。そして、私も年頃の乙女にしては落ち着いているとか、賢しいとか言われる人間なので、今のところ反抗期の予定はない。
恐らく、このまま私は普通の人生を過ごしていくのだろう。
高校を卒業して。大学で勉強をして。彼氏とかを作ったりして。普通の企業に就職して。社会に対する愚痴を言いながら、誰かと結婚をして。子供を作って。
いや、テンプレートな人生観だけども、これを普通にするのは幸福のハードルが高すぎるだろうか? うん、ちょっとレベル高い幸福だな。とりあえず、家族が元気で過ごして、私が毎日趣味に興じられる程度の余裕があればいい。
後は、日常の中にちょっとした刺激が感じられるイベントでもあれば、もう言うことなしの人生なのだけれども。
『『『バウワウ!!』』』
「にっげろー!」
「めんどうなのとそうぐうしたー」
「んもー、ゆだんするからー」
…………などと、贅沢な願いを思ったから、罰が当たったのだろうか?
通学路の途中。ちょうど、三差路に差し掛かったところで、急に奇妙な集団が私の目の前を通り過ぎていったのだ。
そう、小柄で可愛らしいメイド服姿の少女たちが、何やら巨大な犬っぽい生物に跨って移動している光景が見えたのだ。しかも、速度は自動車みたいな感じだった。
「ちょっと、夜鷹さんたちぃ! なんで、先に逃げるんですかァ!?」
さらに、その後を追うように駆けて……いや、空を飛んで行ったのはさらに珍妙な存在だった。飛竜だった。ファンタジー漫画に出てくるようなワイバーンに跨った、ベリーショートの少女が、あっという間に目の前を通り過ぎていったのである。
「…………は?」
不思議な光景を目撃した後、私はしばしの間、目をぱちくりと瞬かせる。
おかしい。何か、こう、おかしい。私が望む、日常のちょっとした刺激というのは、あくまでも青春ドラマのワンシーンのような物であって。こんな、突然ファンタジー要素が目の前に現れても困る。
いや、これはひょっとして幻覚なのでは? TRPGのシナリオを制作しすぎて、ちょっとした白昼夢が目の前に現れたとしか、思えな――
「そこの貴方」
「ひゃぅあ!?」
などと、現実逃避をしていたら、突然、涼やかな声に不意を打たれた。
声の方を向くと、そこにはいつの間にか美少女が居た。銀色のロングヘアーに、エメラルドの瞳を持つ、西洋人形みたいな美少女だ。小柄で、多分、小学生ぐらいの女の子だろう。
「ここには人払いの結界が敷かれているはずですが、何故、ここに? 関係者以外、立ち入れないようになっているはずですが?」
「す、すみません! すみません! 今すぐ、出ていきますぅ!」
「あ、ちょっと」
私は流暢な日本語で紡がれた言葉の中でも、『関係者以外立ち入り禁止』みたいなニュアンスをピックアップして、慌て始める。
ああ、やはり何かしらの撮影だったのだ。ドラマとか、イベントとか。そこに私が入り込んでしまって、大変迷惑を掛けてしまっていたのだろう。そう考えれば、あの奇妙な生物も、この奇妙な美少女も納得がいく。
ならば、これ以上迷惑を掛ける前に、早急に立ち去るべきだ。私は、無駄に俊足と噂される脚力を発揮しようと、勢いよく足を踏み出して。
「申し訳ございませんでしたぶみゃぁ!?」
「おっと」
どん、と人にぶつかってしまう。
今日はこんなことばっかりなのだろうか? と嘆きつつも、私はぶつかった人物へと「すみません」と謝罪しようとして、「すみま」の時点で固まってしまった。
「気にしないでくれ、こっちも不注意だった」
何故ならば、私がぶつかってしまった人は、明らかにただならぬ気配を持つ不良……否、戦士みたいな人だったのだから。
灰色の短髪に、焦げ茶色の瞳。引き締まった肉体と、やや擦り切れた学生服。そして何より、片手に日本刀のような物を携えているので、私としてはもう、恐怖しかない。偽物とか、本物とか関係なく、武器を持った強面の男子……しかも、ダークヒーロー系のイケメンとなれば、威圧されて当然だと思う。
「つーか、エルシア。これはどういうことだ? 姫路奈都は?」
「申し訳ございません、主様。姫路奈都には逃げられてしまいました。それと、この人はどうやら、何かの手違いで結界の内側に迷い込んでしまったようで」
「そうか。彩月の結界に不備があるのは珍しい――んっ? いや、待て。アンタのその気配、ひょっとして……」
しかも、その相手が訝しむように私を見つめてくるのだから、その場から私が逃げ出してしまったのは仕方ない。
「ちょっと待て――ああ、くそ!」
悪態を吐かれても、私は止まらない。
思いっきり路面を蹴り出して、走り出していた。
「ひぃ、あ、あ、あああっ!?」
そう、全力で走り出したのだが、ここから私の体はおかしくなったのである。
確かに、全力で思いっきり走り出した。かつてない火事場の馬鹿力が発揮されて、私の肉体が限界を超えたのかもしれない。でも、だからってこれはおかしい。
「あ、お、と、んで――――跳んでる!?」
私の肉体は、たった一足で物凄い跳躍をしていた。
一メートルや二メートルなんて話じゃない。明らかに、三十メートル以上の高さまで、ぐんと急加速して、跳躍したのである。いや、あるいは、飛翔なのだろうか?
「あ、え、あお、ああ、と、め、かたっ、止め方っ! わからなっ!」
じたばたと足を動かしていたら、いつの間にか私は空を駆けていた。
何もないはずの宙を蹴り、ぐんぐんと速度が加速していく。どこまでも、どこまでも、果ての無い蒼穹へと吸い込まれるように。
「ひ、は、あ、お……お?」
ただ、そんな奇跡みたいな出来事はいつまでも続かない。
私は虚空を踏み外して、くるんと、バナナの皮でも踏んだかのように転倒。そのまま、頭から真っ直ぐ地面へと落ちていく。
これは死ぬな、と人間としての理性が告げてくるが、私の本能は『いや、この程度で死ねたら苦労はしなかった』と笑い飛ばす。
そんな矛盾が私の思考を混乱させながらも、重力は相変わらず仕事熱心だ。どんどんと、現実という名の路面が加速しながら近づいて行って。
「一年ぶりですね、テルさん」
その時、私は運命の声を聞いた。
柔らかな感触に抱き留められて。どこまでも澄んだ蒼穹を背後に、私は彼女の顔を見上げる。
鴉の濡れ羽色の、綺麗な黒の短髪。
日本人形のように整った、けれども、凛々しい顔立ち。
そう、脳裏に思い描いていた通りの少女が、私を抱き留めている。
鮮やかな、目の覚めるような笑顔で私を見ている。
――――だから、何も心配する必要なんてなかった。
「久しぶりだね、彩月」
記憶の濁流が脳内を駆け巡っている中、私の口はこれ以上無くスムーズに言葉を返す。
それも当然だろう。何故なら、会えなかった一年間。私はずっと、この言葉を告げるためだけに生きて来たのだから。
「不安でしたか?」
「いいや、まったく。君たちが見つけてくれると思っていたから」
少し大人びた笑みで訊ねる彩月へ、私は苦笑で応える。
そうだ、この再会はきっと偶然なんかじゃない。まるで、運命のように決まっていたことだ。神様がサイコロを振るまでもなく、決定的な成功が約束された再会だ。
「寂しかったですか?」
「ああ、心が痛くなるほどに」
何故なら、私は――天宮照子は、芦屋彩月に愛されているから。
説明すべき理屈はこれだけで、後は何も要らない。
「えへへ……ねぇ、テルさん?」
「何かな?」
「今度は、貴方からして欲しいです」
「…………絶対に、治明やエルシアも見ているよね?」
「見せつけてやりましょう」
「そういうところ、一年間で成長しなかったの? まったく……」
だから、これで私の物語は終わりだ。
破滅の運命に勝利して、世界を救う退魔師の物語は幕引きである。
これからは、愛しい人と共に歩むための物語を始めよう。
「大好きだよ、彩月」
そして、私は彩月へ、そっと触れ合うようなキスをした。
気恥ずかしくて、震える唇を誤魔化しながらのキスだけれども。
天宮照子が、芦屋彩月を愛しているという証明には、これで十分だと思うから。
●●●
「えへへ、テルさん……そういう地味っ子バージョンも味わいが深いですよぉ……」
「脱がすな、脱がすな! 人前で脱がすな、お馬鹿!」
「うおっ!? 彩月の理性が崩壊した! 一年間っていうインターバルが長すぎたんだ! いくぞ、エルシア! 照子の尊厳が保たれている内に、あの馬鹿を止めるぞ!」
「人払いの結界をしているとはいえ、屋外なのですがぁ!?」
………………まぁ、愛され過ぎて蛇足みたいなオチがついちゃうのも、それはそれで私たちらしいよね。
これにて、破滅の運命に勝利した退魔の物語はおしまいです。
彼女たちの賑やかな日常はこれからも続くでしょうが、それはきっと、平穏で楽しい物になるでしょう。
では、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
この物語が、少しでも貴方の糧になっているのならば幸いです。