第126話 終わる世界 9
連続投稿の一回目です。読み飛ばしにご注意を。
三分間。
それが【異世界転移術式】が発動するまでのタイムリミットだ。
挑む方は短く、待つ方は長く感じるだろう三分間。
故に、吉次が選んだのは守勢ではなく、全力を賭した攻勢だった。
「るぅうううおおおおおおおおおおおおおっ!!」
吠えるような声は、相手を威圧するものでも、自らを鼓舞するものでもない。
吉次は『声という振動』を用いた、範囲攻撃を行ったのだ。無論、それは低ランクの魔物が行うような、相手を直接狙った攻撃ではない。そんなもの、ミカンと彩月が戦闘状態にある以上、音が届くよりも早く遮断してしまうだろう。
事実、彩月とミカンは思考よりも先に、自分たちを守護する結界を発動させて。
「違う! 俺たちじゃない――この城が対象だ!」
焦った治明の声が結界内に響いた瞬間、戦場となっていた古城が砕けた。
壁や床に、予め爆弾でも仕込んでおいたのかと疑うほど、周囲が突然、弾けて砕ける。それは、吉次が仕掛けた環境攻撃だ。周囲に満ちている魔力が、予め古城に浸透しており、合図一つで砕けるように細工されていたのである。
当然、これには如何に歴戦の退魔師たちでも動揺は避けられない。
天井が。床が。王座が。次々と連鎖的に弾けて、砕けていく。この自滅にも等しい攻撃の中で、されども、仕掛けた当人である吉次は止まらない。宙に浮く瓦礫や、崩れかけの足場を躊躇うことなく駆け抜けて、そのまま結界を殴り砕いた。
「まず、一つ」
「……ったく、これだからテメェは厄介なんだ」
そして、最初に犠牲になったのはミカンだった。
彩月に近づこうとする吉次へ、割り込むように体を入り込ませたことにより、近接戦闘の間合いに入ってしまったようだ。術を発動させると同時に腹を貫かれて、戦闘不能となる。
「―――ぐ、う……それは君も同じだよ、ミカン」
もっとも、超級の術師はタダではやられない。
悪態を吐きながら、道連れとばかりに放った術は、瞬時に構成したとは思えぬほど精緻な呪いだ。吉次の肉体の動きを鈍化させ、段々と石化させてしまう呪い。
薬樹の記憶を持つ吉次は、それを瞬時に看破したが、解呪している暇などないとは、目の前を見れば明白だった。
「さぁ、お客人。これはどうする?」
愉快そうに笑みを深めながらも、最高位の魔神に等しい動きで距離を詰めるアカリ。
周囲を飛ぶ瓦礫など、意にも介さず、真っ直ぐ。虚空すらも足場として、吉次の下へと駆け寄る姿はまさしく人外。人の理などに囚われぬとばかりに放った拳は、鈍化して動けぬ吉次の肉体を穿ち、貫く。
「それは、こうする」
「あ、まずっ」
けれども、吉次の肉体を貫いたアカリの腕は、動かない。否、動かせない。魔力を集中させて、肉体を最大限に強化した吉次は、貫かれたまま筋肉でアカリの腕を固定したのだ。
「まだまだ、甘い」
吉次は痛みにも構わず、魔力で強化した己の腕を振るう。
それは、どのような魔剣、聖剣よりも鋭い切れ味を発揮してアカリの肉体を、七つへと分割した。
人間ならば、即死。
魔物であっても、死は免れない損傷。
ただ、アカリは人間でもなければ、魔物でもない。その程度の損傷は死に至らず、一時的に行動を制限されるだけ。このような有様になっても、すぐに魔力が補給されて復活するだろう。
「しばらく、くたばっていてくれ」
――――周囲の空間が、吉次の魔力で満たされていなければ。
あるいは、ここが地上であったのならば、惑星の化身であるアカリはもっと活躍したのかもしれない。この時点で吉次を力づくに倒すことも可能だったのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
だからこそ、吉次はまだ倒れない。まだ動く。痛みを耐えて、不意を打とうとする剣士へ。剣の理を扱う治明へ、即座に対応してみせる。
「治明、君は優しすぎる」
「ちぃっ――」
ダメージが累積してもなお、治明が振るった一刀は剣の頂に近しい一撃だった。
事実、折れた刀であっても、吉次の左腕を骨から断ち切り、重傷を与えたのだ。その攻撃が温かったわけではないのだろう。
従って、問題は左腕を断ち切った後だった。
「敵を殺そうって時に、躊躇ったら駄目じゃないか」
僅かな、コンマ数秒にも満たない躊躇いが勝負を分けた。
無傷での勝利など目指していない吉次は、左腕を斬り落とされたところで止まらない。当たり前の動き、狙い、治明に生じた隙を穿ったのだ。
「…………っ、ぐ、が、あ……っ」
吉次の攻撃は入念だった。
利き腕を折り、両足を砕き、なおかつ肺が破けるほどの勢いで背中を強打した。治明ほどの退魔師であったとしても、治療に全力を割かなければ即座に死ぬ。そういう容赦のない攻撃で難敵を戦闘不能にしたのだ。
「グレさん」
そして、吉次は相対する。
感情を切り捨ててなお、どうしようもないほど殺せない存在へと。
「…………」
涙は流さず、精一杯にこちらを見つめる彩月へ、吉次は無言のままゆっくりと右腕を掲げる。既にタイムリミットは過ぎていた。超級の術師である彩月といえども、世界規模のリソースを注ぎ込まれた【異世界転移術式】に抗うことは出来ない。
故に、吉次はその術を発動させようと構えて。
「――――天宮照子、この瞬間を狙っていたんだろう?」
己の背中へと迫りくる、照子の腕を察知した。
それはかつて同じ存在だったからこそ、予想していたことである。自分ならば、途中から気配を消し去って、相手が勝利を確信した瞬間に全てを台無しにしてやるだろうと。
この術式を発動する瞬間を狙って、確実に殺しに来るのだろうと。
「だが、残念だったなぁ!」
例え死角からの攻撃だったとしても、予測していたのならば回避することは難しくない。
吉次は相手の攻撃を避けるように、ステップを踏みながら振り返る。直後、カウンターを決めるために、渾身の一撃を思いっきり振りぬいた。体のどこに当たろうとも、その衝撃の余波で、肉体はバラバラに千切れて破壊される。そういう威力の込められた拳だった。
「――――――?」
そして、その拳は――――虚空を切った。
空振りだった。
渾身の一撃は、何にも当たらない。
視線すらも標的を捉えられない。
視界の端に引っかかったのは、奇妙な物体。真っ白で美しい塊。マネキンの一部のようなそれが、鮮血をまき散らしながら、吉次の横を通り過ぎていく。
天宮照子の右腕が、既に切り離された状態で、飛んでいく。
「私は調子に乗ると、詰めを誤る。それは、よくわかっていたはずだろう?」
声が耳に届いた瞬間、吉次は己の敗北を知った。
何故ならば、わざわざ声をかけてから攻撃をするような優しさなど、自分たちには存在せず。つまり、吉次を死に至らせる一撃は既に放たれているということで。
そこでようやく、吉次は思い知った。
確かに、山田吉次は覚悟を決めて動いていたのだろう、世界破壊者として。
けれども、天宮照子はそれよりもずっと前から覚悟を決めていたのだ。守護者でも、退魔師としてでもなく、たった一人の人間として。
芦屋彩月という愛しい人間を、守り抜くと。
「勝てない、わけだ」
モチベーションが違うんだもんなぁ、と小さく笑って、吉次は死んだ。
頭部が消し飛んで。その肉片が一変も残らないように、嵐のような乱打が全てを食いつくして。世界の破壊者は、死んだ。
もう、【不死なる金糸雀】が羽ばたくことはない。
●●●
山田吉次の、もう一人の私の完全死亡を確認すると、私は大きく息を吐いた。
「おや?」
と、同時に足場にしていた瓦礫から落ちそうになってしまう。
ああ、どうやら私は大分無理をしていたらしい。それもそうだ。自ら右腕を切り落として、それを囮として投げ飛ばしたのだから。人間から半歩超えた身の上とはいえ、流石に累積したダメージに加えて、確実に殺すために魔力のほとんどを使い切ったのなら、こうなるだろう。
「テルさん!」
私の体が傾くのとほぼ同時に、彩月がこちらを抱きかかえてくれた。
しかも、壊れゆく足場を固定して、周囲の仲間たちも拾い上げるというファインプレーだ。素晴らしい。流石は私の相棒。うん、なんだかんだ言いつつ、最後には助けられてしまったようだね、彩月。
「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!? 待っていてください、今――」
私は彩月が青白い顔で、私へ回復魔術をかけようとするのを制して、無理やり立ち上がる。
そして、周囲を見渡して、同類であるミカンやアカリへと声をかけた。
「そこの二人。最終決戦で余力を残していたんだから、最後は手伝って欲しいのだけれど?」
「やれやれ、バレちまったか」
「くくくっ、お客人は人使い……いいや、人外使いが荒いねぇ」
すると、二人は先ほどまでの激闘が嘘のように、平然と立ち上がって見せる。先ほど、山田吉次から受けた負傷など、最初から無かったかのように。
いや、惑星の化身であるアカリはともかく、ミカンは本当にサボっていたな、これ? だって、貫かれた服すら修復しているのはつまり、そんな余分な修復を行えるほど余裕を残していたということだ。まったく、これで彩月を庇おうして倒れてなければ、こんな時でも説教の一つぐらいかましていたかもしれない。
「あ、あの、テルさん? 一体、どうしたのですか? あのですね、傷を早く治さないと……あの、吉次さんが、消えてしまって……でも、テルさんが、テルさんが居るなら、きっと私は大丈夫で」
「安心しなさい、彩月。私は死なないよ、約束しただろう?」
戸惑うように私を見つめる彩月に、私は安心させるように微笑みを返す。
大丈夫だよ、彩月。もう、私は山田吉次じゃない。死にたがりのアラサーじゃない。
君を愛しく思う美少女なのだから、潔く死んだりなんかしない。
「ミカン、アカリ。状況報告を」
「あいよ。この【異世界転移術式】ってのは、もう駄目だな。流石に、創世、終焉、転移と何度も用途を変えられた末に、制御が離れちまっている。このままだと、ため込まれたリソースを保持して居られず、術式が暴走するだろうな。その結果、新世界が創世するのか、世界が終焉するのか。あるいは、バラバラに散らばった世界が、異世界とやらに転移するのか。ともかく、ろくでもない結果にしかならなさそうなのは確かだぜ」
「惑星の意思も、ミカンの懸念に同意しているよ。何度も弄ったこの術式は、高い確率でこの惑星を滅ぼすだろうねぇ。この結末を回避する手段は、ただ一つだけ」
超越者の如き二人は、淡々と現実を突きつける。
予想はしていたが、どうやら本当にそれしか道が無いらしい。
「それは、私がこの術式の核となって制御し、リソースを全て使い切るように発動させる、というところかな?」
「くくくっ、ご名答。なぁに、お客人一人で負担はさせないさ。こういう時の我々さね。そうだろう? ミカン」
「おうとも。ようやく、千年越しに予知した未来に辿り着いたからな。ここで、芋を引くような真似はしねぇさ」
アカリとミカンの二人は共に笑って、私の後に続く決意を示す。
薄々察してはいたが、二人はこの時のために、私へ同行していたのだろう。私よりもずっと前から、このルートだけが世界が存続する未来だと知っていたのだ。
…………まぁ、釈然としない想いはあれども、二人とも滅私奉公の心づもりで手伝ってくれるのだろうし、ここで無粋な文句は言わないでおくとしようか。
「じゃあ、私が術式を飲み込んで制御するから、その後はよろしく」
「あいよ、お客人。惑星とのリンクは確保する、思う存分やってくれ」
「制御の補助ぐらいは出来るから、術式をある程度掌握したら、オレへアクセス権を寄越せよ?」
淡々と、物事は運んでいく。
私たちは恐らく、この時が来ることを知っていたが故に、淡々と進めていく。
「――――おい、馬鹿テル」
だが、それをよしとはしない者もいる。
「ごほ、げほっ……ぺっ! 嫌な予感がするぜ、おい。なぁ、間違えていたら殴ってくれても構わねぇからさ、教えてくれよ」
固定された瓦礫の足場。そこから立ち上がり、潰れた内臓も無理やり蘇生した治明は、血の塊を吐き捨てると、私に向かって問いかける。睨みつける。
「また、お前が犠牲になる奴じゃねーだろうな? あの時みたいに」
「…………っ! テルさん……そう、なの?」
睨みつける治明と、近くから私を覗き込む彩月。
ああ、まったく心が痛む。体の傷なんて些細なものだと思えるぐらいに、心が軋んで痛みを訴えてくる。この二人に、こんな顔をさせてしまうのはとても申し訳ない。
だが、状況は本当に切迫しているのだ。
「今、この術式に干渉できるのは、山田吉次と同一存在である私だけ。そして、暴走状態である術式を魔術の素人である私が制御するには、術式自体と同化して、中核にならなければならない。そうすることでようやく、この術式を再定義して、出来るだけ世界へ悪い影響が及ばない改変を行うように発動させられる。もっとも、少しばかり無理をする反動として、発動後に私たちに何が起こるのかは、さっぱり分からないんだけどね」
そう、本当に切迫しているのだ。
だからこそ、実はもう既に、私は術式を飲み込んである。二人に気づかれないよう、切断した右腕を中核として。私は既に、【世界改変術式】と呼ぶべき魔術を操作するための存在として変化を始めているのだ。
アカリは惑星と私を繋げて、可能な限り【世界改変術式】が無害に済むように計算している。
ミカンは私が及ばない部分を負担し、目まぐるしい情報を処理して発動へと備えている。
実際のところ、発動まではもうすぐだ。
治明と彩月の二人では、どう足掻いても止められない。
「でも、だからってなぁ!」
「そうですよ、テルさん! 私は! 私は最後まで諦めたくないです!」
必死な顔つきで、年相応の顔で私を引き留める二人に、私は思わず微笑んでしまう。
まったく、これで二度目だ。我ながらどうにも、同僚に……いや、仲間に恵まれたらしい。ここまで別れを惜しんでもらえるのは、とても嬉しいし、非常に心苦しい。
「ああ、そうだね。だから、私も、私たちも諦めない」
何故ならば、今生の別れみたいな顔をしている二人へと、これから、大人の往生際の悪さを教えなければいけないのだから。
「…………はっ?」
「…………えっ?」
私の言葉に呆ける二人へ、私はさらに説明を続ける。
綺麗なバッドエンドではなく、醜くも生き足掻くグッドエンドへの条件を。
「約束しただろう、死なないって。だから、私たちはまぁ、色々な仕掛けを今、施している。何が起こるか分からないけれども、それでも死なないように調整している。悪あがきをしている。うん、つまりはあれだよ、二人とも」
術式の調整は済んだ。
出来る限り良い方向へと世界を改変したいものだけれど、何か不都合があった場合は、きっと誰かがどうにかしてくれるだろうと信じる。世界の終焉を止めたのだから、流石に、後のことは機関やらカンパニーやら、他の人に任せてもいいだろう。
そう、今ぐらいは都合よく、ずるい大人らしく、誰かへと期待を向けてもいいだろう。
「何か問題が起こったら、助けて欲しい。多分、改変後の世界のどこかに居るはずだからさ、私たちを見つけて、迎えに来てくれると嬉しいな」
そして、私は、私たちは【世界改変術式】を発動させる。
膨大なリソースを消費して、可能な限り無害で、良い改変を行えるように。
願わくば、何事もなく、仲間たちと再会できるように。
「起動せよ、【世界改変術式――アマテラス】」
何もかもを飲み込んでしまうような闇とは異なる、遍く全てを照らす光。
思わず目を閉じてしまう程の白光に包まれて、私の意識は次第に薄れていく。
けれども、私の心に不安はなかった。
「――っ! 当たり前だ!」
「絶対に! 何があっても、見つけてみせますから!」
意識が消える瞬間、心強い二つの声が私の下に届いたから。
だから、私は眠るように安らかな気持ちで、この世界へと溶けていった。
後はエピローグを残すのみ。