第125話 終わる世界 8
山田吉次は的確に、己の現状を把握した。
【惑星は終わりを否定する】による【終わりの救世主】の停止。獲得した権能はほぼ使用不可能となり、無尽蔵な魔力供給も不可能となった。
【始まりの愚者】という即席の異能による効果は、【不死なる金糸雀】によって得た耐性のリセット。あちらの天宮照子も含めて、【不死なる金糸雀】によって強化された状態を解除し、始まりの無強化状態へと戻すという物。
無論、効果が及んでいる時間内では、【不死なる金糸雀】の影響は止まる。つまり、この状態で殺されれば、吉次はあっさりと死ぬ。生き返ることはない。
効果の発動時間は、三十分にも満たない。けれども短い物、一つの戦闘が終わるには十分すぎるほどの猶予がある時間だ。
「なるほど」
アカリと照子の異能を叩き込まれた状態で、吉次は朗らかに微笑みを浮かべる。
確かに、これは形勢逆転と呼んでも過言ではない戦況だろう。
「――――ああ、面白くなってきた」
吉次が、古峰薬樹の肉体を得る前の段階であったのならば。
「んぎっ!?」
「くそっ!」
一呼吸と共に、吉次はアカリと照子をそれぞれ叩き飛ばす。
身体能力で圧倒し、速度で上回るのではなく、体術による早さの産物。アカリと照子が、それぞれバラバラに攻撃しようとした隙を突き、体を滑らかに回転させながら、まずはアカリの胸を打ち抜くように蹴りを放った。次いで、照子の鋭い拳を、猫のようにしなやかな体重移動で身をよじり、回避。踊り子のようなステップを体に刻んだ後、鋭い呼気と共に魔力を練り込んだ拳を、照子の脇腹に叩き込む。
「ふぅ――――術式・解」
「「―――っ!?」」
二人を蹴り飛ばした後は、ミカンと彩月が発動しようとしていた空間束縛の魔術を解体する。一呼吸すれば、失った魔力は直ぐに充実し、魔術を散らす程度は問題ない。
何故ならば、ここは吉次の拠点。薬樹が仲間たちのために作り上げた、空飛ぶ古城なのだから。この古城に満ちる魔力は全て薬樹によってコントロールされていた物。
即ち、古城の内部であれば、魔力の操作権は吉次が優先される。
超級術師の魔術を、短い呪文で散らすことが可能なほどに。
「しっ!」
しかし、この程度では退魔師たちは怯まない。
退魔刀を抜刀しつつ、吉次の間合いに踏み込むのは、土御門治明。
特異点にして、成人にも満たない年で剣の理を得た、天才退魔師だ。かつては、吉次がボロボロに敗北した同僚だ。
「へぇ、悪くない太刀筋だ」
そんな同僚が放つ刃を、吉次は蠅でも払うかのように掌で弾く。
「だけどね、治明。先代の魔神殺しに比べたら、まだまだ甘いよ」
「ぐ、がっ」
武神ですらも両断され、権能すらも切り裂く剣の理。
それを行使する治明の剣術は、吉次を圧倒するはずだった。戦闘経験が一年にも満たない吉次では、異能と身体強化でゴリ押しする戦法では、勝てるはずが無かった。
けれども、結果は吉次が治明の退魔刀を弾き折り、胸部へと掌圧を叩き込んでいる。内部の骨を砕き、肉を潰し、甚大なダメージを与えている。
「人類史が積み上げた研鑽には、まだまだ及ばない……なんて、俺の技術も所詮は、借り物なのだけれどね? やれやれ、借り物の体と力ではしゃぐなんて恥ずかしい――なっ!」
治明が吐血しながら倒れ伏すと、間を置かずにアカリと照子の二人が攻撃を仕掛けた。
共に、魔力を最大限にまで魔力で強化した一撃。
経験不足とはいえ、アカリが放つ拳の威力は大地を割るだろう。
異能による変化がゼロになったとはいえ、数多の魔神を倒した照子の拳は、的確に対象の魔力を阻害する場所を打ち抜くだろう。
牽制するように放たれた、魔力の塊によって行動を止められなければ。
「でもまぁ、これぐらいじゃないと、クライマックス戦闘は盛り上がらない。そうだろう? 天宮照子」
「…………戦闘データ盛り過ぎのボスは、萎えるぜ、山田吉次」
結果、二人の動きが止まった僅かの間に、吉次は既に迎撃態勢を整えていた。
まるで隙が無く、踏み込めば容易く返り討ちに遭うと確信するほど、今の吉次は底知れぬ威圧感がある。
さながら、何度も死線を潜り抜けた歴戦の達人のように。
「くくく、こりゃやばい。お客人、アンタひょっとして、古峰薬樹自身が戦うよりも強かったりするんじゃないか?」
「ははは、まさか。盗人猛々しいような発言をするつもりはないよ。だけどね、薬樹は優し過ぎたんだ。その性根が戦いに向いていない。だから…………俺のような怪物である方が、実戦ではうまくことを進められるのさ」
「なぁるほど。それは確かに、道理さね」
アカリは劣勢だというのに、けらけらと愉快そうに笑う。
余裕があるわけではない。元々、こういう生物なのだ。
惑星の滅びを止めるという使命はあれども、そこまで真剣ではない。仮に、滅んだら滅んだで、アカリは笑いながらその結末を受け入れるだろう。何故ならば、アカリという惑星の化身にとって、この戦い自体は単なる娯楽や暇つぶしに過ぎないのだから。
例え、その結果、自分が死ぬことになるとも。
「おいおい、笑っている場合じゃねーだろ、アカリ。こういう時はさ、もっとキリっとした表情で戦いに挑むもんだぜ?」
同じく、後方で彩月と共に術を組み立てているミカンも、態度に必死さを感じられない。全力の動きをしているが、本気ではない。まるで、どちらが勝とうが自分にとってはどうでもいい、と割り切っているように。
「やれやれ、底知れぬというか、享楽的というか」
故に、吉次はアカリとミカンの二人は『問題ない』と判断した。
紛れもない実力者であり、何を企んでいるのか分からぬ点は多いが、こと戦闘に於いて、本気で戦おうと思わない相手に、吉次は負けるつもりは微塵も無かった。
それは精神論という意味もあるが、純粋に、時間稼ぎが通用しそうな相手だと判断したからである。吉次は時間さえ稼げば、異能の制限から解放されて、この場に居る存在全てを一瞬の内に倒すことも可能となるのだ。だから、倒そうとして来ない相手は問題ない。
吉次にとって、問題があるのは学生退魔師の二人だ。
「そこの二人はお気楽で困るね。そう思わないかな? 治明」
「言っておくが、吉次。俺はテメェのやり口を知っている。その上、照子がテメェの思考を先回りして、奇襲の間合いを崩しているぜ。俺から潰そうと思っても、そうはいかねぇ。俺は、油断せず、テメェを必ず打ち倒す」
「…………君は君で、困るね。真面目過ぎて、本気で殺し合いをしなければいけなくなる」
まず、治明。
油断すれば即死する、剣の理も厄介であるが、本当に問題なのは吉次の戦い方を知っているということ。
吉次の戦いは意識の間隙を突くものだ。勘が鋭く、相手の虚を突いた一瞬で勝敗を覆して。逆転の猶予を残さないように、徹底的に相手を壊す。言動ではわざと油断を誘うようにして、自らを低く見せつつも、心構えは常に暗殺者のそれに近しい。
だからこそ、油断を意識的に潰し、本気で立ち向かってくる治明は、今の吉次にとって紛れもない強敵である。
「馬鹿言え、テメェは最初から本気だろうが――吉次ぅ!」
「ああ、そう答えてくれる君だからこそ、本当に困る。厄介だ」
吠えるように叫びながらも、治明の太刀筋は流麗だ。
薬樹の肉体を乗っ取ったことにより、吉次は肉体に刻まれた過去の武術。剣の理。様々な戦いの記憶を理解し、実践することが可能だ。
もちろん、【終わりの救世主】を使っていた頃に比べると、精度が落ちるが、それでも十分過ぎるほどの力を発揮するはずだった。いや、事実、つい先ほどの戦いでは退魔師たちを圧倒していたのだから、その推測に間違いはない。
だから、問題なのは治明の成長速度だった。
「戦い方が、しゃらくせぇんだよぉ!」
「むぅ」
一太刀を振るう間に、治明は成長していく。
後方から術師の付与術式による強化を受けている、そんな当たり前の理由では納得できないほどの速度で、成長していく。
剣の理と、魔力強化の切り替え。
相反する二つの戦闘スタイルを交互に切り替えながらも、時折、白色の炎で吉次の視界を塞ぐという、小技を挟むのも忘れない。
吉次のような異能による変化ではなく、正当なる成長。
戦いの中で、才能を開花させて、強くなっていく。
それこそが、土御門治明という天才なのだ。このまま戦っていけば、やがて吉次すらも凌駕するほど強くなるのではないか、と周囲に期待を抱かせ、希望を見せる。
そんな英雄の如き戦いをするのが、治明だ。
「じゃあ、戦い方を変えようか」
そして、そんな英雄を転ばして、あっさりと倒してしまうのが山田吉次の悪辣さだ。
「――――ご、が」
吉次の戦いに慣れて来たはずの治明は、突如として、その攻撃をまともに受けてしまう。みしみしと内臓が悲鳴を上げるほどの拳を腹部に受けて、そのまま奥の壁へと叩きつけられてしまうほどのクリーンヒットである。
無論、これは治明がミスをした結果ではなく、吉次が悪辣に策を弄したが故の結果だ。
「俺の戦い方や癖を知っていたとしても、古峰薬樹の戦闘スタイルは知らないだろう?」
今まで吉次は、薬樹の肉体に残る戦闘の記憶を利用して戦っていた。独自にアレンジし、自身の性に合ったやり方として馴染ませながら、戦っていたのである。
そのアレンジを一切なくして。薬樹そのままの動きとして出力することによって、吉次は治明の虚を突くことに成功したのだ。しかも、前回と合わせれば確実に深手を負わせており、回復魔術を使ったとしても簡単には、先ほどのように戦闘をこなすことは出来ない。
これで、治明という問題にはある程度対処したことになる。油断は禁物であるが、警戒していれば吉次にとっては問題ないのだ。
従って、残る問題は一つ。
感情を切り捨ててもなお、どうしても殺そうと思えない彩月への対処だ。
「あー、彩月? その、あれだよ。あの、俺を奇襲しようと思っているんだろうけど、生憎、前衛なしだと死んでしまうよ? いくら君でも、俺の拳よりも魔術の発動は早くない」
「…………くっ。グレさんが、イケメンになったら急に強くなってる!」
「いや、別に顔面偏差値は戦闘力に関係は――ごふっ!?」
彩月へと攻撃しない理由を作るため、牽制として語りかけていた吉次であるが、突如としてその体が蹴り飛ばされる衝撃を得た。
攻撃の主はもちろん、今まで気配を押し殺して勝機を窺っていた照子だ。どうやら、吉次が彩月と会話している時に隙を晒すだろうとスタンバイしており、実際、その通りに隙が生まれた瞬間、渾身の蹴りを叩き込んだらしい。
「ごほ、げほっ……あー、これだから、もう」
蹴り飛ばされた吉次は、宙に浮いた僅かな時間で体勢を整えて、すぐに照子たちと向かい合う。顔には先ほどまでの余裕はなく、明らかに焦りが顔に滲んでいた。
「彩月との会話は楽しくて、困る。つい、君以外が見えなくなるほどに」
ならばと、吉次はこの状況を逆手に取って彩月の行動を阻害しようともくろむ。彩月への攻撃が出来ないのはもう仕方ないので、逆に、場で彩月が自分へと攻撃出来ないように、情緒を乱そうと言葉を紡いだのだ。
「なるほど! つまり、グレさんは初めて会った時から、私に夢中だったと?」
「いや、初めての時は正直、ストーカーっぽくてこわ――しまったごぶぁあ!?」
なお、その小細工は彩月の天然発言によって覆されて、再び、大きな隙を生んでしまう事になったのだが。
「くくくっ、やっぱりお客人の弱点はこの人だねぇ」
「男は女に弱い。昔から、この理は変わらねぇな」
好き勝手言うアカリとミカンのコンビネーション攻撃。それは、吉次が魔力で防御していた肉体を傷つけて、少なくない出血を強いる。
「…………グレさ――――っ!」
そんな吉次の姿を見て、悲痛そうに声を押し殺すのが彩月だ。
故に、そんな彩月の姿を見てしまえば、もう吉次は駄目だった。彩月が居る限り、世界を破壊することは出来ない。彩月を殺すことはおろか、傷つけることも不可能だ。
ならば、何もかもを辞めればいいのだろうけれども、そこまで都合よく愛は何もかもを解決してくれない。山田吉次という世界破壊者は、存在している限り、世界の破壊を諦められない。何故ならば、そうであれと望まれて誕生した存在なのだから。
「……ああ、これは仕方ない」
従って、追い詰められた吉次が選んだのは、ただの破壊者では選ぶことの出来ない非合理的な方法だった。
「【終焉術式】解除――――変転・模造・疑似再現――――【異世界転移術式】」
薬樹の肉体は、一度使った権能の記憶を特に、活性化させる。即ち、異世界へと移動する手段を持つ魔女の記憶を鮮明に読み取ることが可能となる。使用していた権能の仕組みを理解できるほどに。
そのため、【終わりの救世主】が封じられた状態でも――世界を滅ぼすほどの膨大なリソースが存在するのであれば、疑似的にその権能は再現可能となるのだ。
「例え、どれだけ不利な状況でも、俺は諦めない。必ず、彩月を別の世界へと飛ばす。そして、残った奴らを皆殺しにする。世界を滅ぼす。どれだけ、この肉体に致命傷を受けようとも、俺は成し遂げるまで止まらない」
既に、吉次の目から迷いが消え去っていた。
愛しい物を異世界へと、逃がす。世界を滅ぼす。矛盾しない行動計画により、吉次の精神は揺るがぬ安定を得たのだ。その過程が例え、どれほど不合理で余計な浪費を強いられるとしても、もはや吉次はそれを躊躇いはしない。
そして、この場に居る全員は既に、理解していた。
どれだけ不利な状況に陥ろうとも、覚悟を決めた時の山田吉次こそが、一番強いのだと。