第121話 終わる世界 4
本日2回目の更新です。読み飛ばしにお気を付けくださいませ。
芦屋陽介は天才だ。
だからこそ、一度消え去った悪魔を復活させるというのは、とても困難だと理解していた。だが、到底止められるものではなく、賽の河原で天へと伸びる塔を作るが如き暴挙に挑んでいたのである。
芦屋家へと転生したのも、その一環だった。
千年以上の歴史を持つ、退魔の名家。
卓越したその結界術は、悪魔を復活させるための糧になるだろうと考えての転生だった。その時すでに、準備を重ねれば、ある程度狙った血筋へと転生することは可能だったが故に。
そして、陽介は生まれて、いつも通り神童として、周囲から慕われながら過ごして。
「やぁ、君が輪廻を跨ぐ大魔術師だね? 良ければ、私の理想に力を貸してほしいんだ」
古峰薬樹という、救世主と出会った。
彼は、魔導の天才と自負する陽介でさえ、足元にも及ばぬほどのバケモノで。けれども、彼が抱く理想はどこまでも優しい物だった。
「この世界を終わらせて、新世界を築こうと思う。ただし、私が望むのは、矛盾すら許容するあらゆる可能性を内包した、無限にして夢幻の世界。幾重にも世界が分かれながら、それぞれの人間が幸福に人生を終わらせるための――『主人公』になる。それが、私の創世計画さ。といっても、本音を言えばただ、『これ以上誰かの死を経験するのは御免だ』という我が侭に過ぎないのだけれどね?」
薬樹が陽介の告げた計画は、常軌を逸していた。
簡単に言えば、それは『全人類ハッピーエンド』計画だ。
一人一人の人間に、世界一つほどのリソースを与えて、それを用いて幸福になる様に導く。幸福が分からない者ならば、膨大なリソースの中で何度も繰り返して、己の答えを見つける。そして、新世界の管理者となった薬樹は、人類の救世主という苦役から解放されて、全ての人類が幸福に終わっていく姿を眺めるのだ。
途方もない計画だった。
全人類を幸福にするという、矛盾に満ちた願いを、力技で無理やり押し通すような計画。しかも、それを実際に可能とするだけの能力が薬樹にあるのだから、性質が悪い。
「わかったよ、君の提案に乗ろう。人類に幸福をもたらす、終わりの救世主よ」
かくして、陽介は侵色同盟の幹部である《人形師》となった。
姉である彩月との別れは名残惜しいけれども、全ては大儀のため。何より、愛おしい悪魔を復活させるため。
陽介は世界を敵に回し、勝利するための覚悟を決めたのだった。
――――もっとも、その計画も覚悟も、今となっては全てが無駄になってしまったのだが。
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「無理だ、勝てない」
芦屋陽介は天才だ。
生まれながらに約束された神童であり、悪魔との契約によって、その魂には千年以上の経験が蓄えられている。
輪廻を跨ぐ大魔術師であり、悪魔の王ですら支配して、特殊条件下ならば、魔神すらも多数使役することが可能な存在である。
加えて、陽介には揺るがぬモチベーションがあった。それは、最愛である悪魔、リリスの復活である。そのために、陽介は侵色同盟へと加入し、世界を敵に回そうとも抗うことを決意していたのだ。
「僕たち人類は……いや、この世界は滅ぶよ。間違いなく」
そんな陽介の心が、完全に折れていた。
東北地方における、機関の拠点の一つ。彩月が住まいとしていた部屋で、陽介は偽りなき真実を語っている。
「滅ぶ……ねぇ? 俺としては、そこら辺の理由をきっちりと聞きたいんだがな、陽介。こちとら、よくわからん奴が現れて、ヤバい術式を発動させたと思いきや、空間転移で飛ばされて。この拠点で奴を討つための戦力を集めていたら……獅子の魔神と、大山がズタボロの状態で転移されてきた。正直、訳が分からん」
ベッドに腰かけ、力なく語る陽介の前に立つのは、治明だ。
退魔刀を腰に下げたままの状態で、警戒心を隠さず、陽介と相対していた。
「ははは、そうだね。ハル兄さん。僕も可能なら、現状の理解を拒みたい気分だよ」
「そんな、諦めたみたいな顔で笑うんじゃねぇ、胸糞悪い。それよりも、あの魔神どもが意識を失う前に報告したことに関して、詳しく俺たちに説明しろ……いい加減、思考停止しているこいつも、動かさないといけないからな」
「…………て、テルさんが、二人? いや、グレさん? 吉次さん?」
そして、ため息を吐く治明の視線の先には、首を傾げる彩月の姿がある。
どうやら、そこそこ信頼していた同僚である薬樹が、侵色同盟の盟主だったこと。照子がその盟主と戦った末に、何故かその肉体を奪っている状態であること。しかも、その状態の照子は『山田吉次』を名乗っており、世界を破壊しようとしていること。さらには、そこから分かたれた状態の『天宮照子』が居るらしきこと。
これらの情報が一気に彩月の脳に押し寄せた所為で、一旦、思考が止まってしまったのである。特に、照子の恋人である彩月にとっては、情報量だけではなく精神的なショックも大きかったのだろう。少し前までは、東北地方で大活躍していた彩月は、すっかりとポンコツ状態に成り果ててしまっていたのだ。
同僚である治明としては、それだけでも十分頭が痛い出来事だというのに、その上、敵の幹部である陽介が、唐突に絶望を吐き出しているのだから、悪態の一つでも吐きたくなる。
「お前が諦めるのは勝手だが、俺には守るべき人たちがいる。同僚が馬鹿をやっているなら、殴って正気に戻さないといけない責任がある。絶望している暇があったのなら、まず、俺に分かりやすく状況を教えろ」
「…………はははっ、懐かしいね。そうだね、そうだった。ハル兄さんという人は、こういう人だった」
治明の言葉に励まされたのか、陽介は一度大きく息を吐くと、口調を整えて説明を始めた。
「それじゃあ、機関側にも分かるように、状況を整理しようか。まず、大きな問題として、僕たちが発動させる予定だった【創世術式】が改竄されて【終焉術式】になってしまっていることから」
「見るからにヤバい名前だが、具体的にはどういうことが起きるんだ?」
「三日後に世界が滅びます」
「おい」
「しかも、三日後に一気に滅びるわけじゃなくて、三日の間にどんどんと闇が世界を浸食して行って、何もかもを消し去っていく術式だろうから…………うん、今の速度だと、もう関東の八割は飲み込まれたんじゃないかな?」
淡々と告げられた事実に、顔を青くしながらも、治明は俯く間もなく問いかける。
「対処の方法は?」
「本来の【創世術式】だと、例え、術者を倒そうが、何をしようが無意味。全ては新世界創造のための『卵』に取り込まれる……という予定だったんだけど、【終焉術式】はどうだろうね? 極論、世界を滅ぼすことだけを目的とするなら、そんな面倒なことをする必要も無いんだ。だって、今のあいつだったら、その気になれば惑星を砕ける力を持っているんだからさ」
説明しながら幾分か冷静さを取り戻したのか、陽介の口調は段々と落ち着きのある物へと変わっていった。だからこそ、陽介の抱く疑問は絶望であり、また希望の欠片だった。
「だから、都合の良い妄想かもしれないけれど、【終焉術式】を発動させている術者、山田吉次を殺せば、術式は止まると仮定しよう……もっとも、この時点で既に、日本という国家は終わっているかもしれないけど、そこは一旦、考えないようにして、推論を進めよう」
「…………」
「さて、ここで問題の二つ目だよ」
苦々しい顔つきの治明をあえてスルーして、陽介は言葉を続ける。
「僕たち人類では、術者である山田吉次には勝てない。恐らく、絶対に」
陽介自身が心折れる原因となった、絶望を示すための言葉を。
「そもそも、僕には薬樹が敗北して、体を乗っ取られたという事実が信じられないのだけれど、事実なのだから、そうだとして扱おう。そして、彼の権能【終わりの救世主】を乗っ取ったというのならば、その時点で勝ち目はほとんどない。何故なら、あの権能は万能の力。人類が過去に得た、全ての力、経験、技術を再現するものだからね。しかも、薬樹はただの再現だけではなく、己の才覚によってそれらを束ねて、間違いなく『最強の人間』として存在していた。ただ、機関側もどんなジョーカーを隠しているのか不明だから、念には念を入れて、今まで姿を隠しながら暗躍してもらっていたんだけど」
「そこまでの存在なのか?」
「少なくとも、抵抗する間もなく空間転移を受けた、ハル兄さんと美作さんでは無理だよ。薬樹はあれを、即死攻撃に変えることなんて朝飯前なんだから」
陽介が告げた事実を、治明もまた痛感していた。
魔神との戦いの最中、突如として現れた薬樹に対して、治明と和可菜はまるで抵抗することも出来ずに退場させられたということはつまり、相手にもされていなかったのだ。最初から、照子以外の相手は戦うまでもない存在として認識されていたのだろう。
そして、その認識は正しい。
機関の中で破壊者の異名を持つ、美作和可菜でも。
神殺しの剣士と同じ領域へと至った、土御門治明でも。
古峰薬樹という救世主の前では、戦いにすらならない。
「でも、薬樹は負けた。敗北して、体を乗っ取られた。無抵抗だったとは思えないから、【終わりの救世主】という権能を最大限にまで使って、抗って……それでも、負けた」
そして、その救世主さえも凌駕したのが、天宮照子――否、世界破壊者である山田吉次だ。
「つまりね? あいつの異能……【不死なる金糸雀】だっけ? その耐性は、これ以上無く極まっていると言っても良い。万能に近い攻撃を全て耐えきって生き延びたのなら、僕にはもう、どうやってあいつを殺せばいいのか、見当すらつかない。そもそも、仮に殺せたとしても復活してくる相手だ。そんな相手が【終わりの救世主】という万能の権能すら手中に収めているのだとしたら、もう、駄目だ。勝てないよ、何をやっても」
冷静に現状を把握して、陽介は淡々と諦めの言葉を口にする。
もはや、その顔には笑みすら浮かんでいるのだが、それも無理はないだろう。輪廻を跨ぐ大魔術師がようやく、現代でその悲願が叶う瞬間に、酷いどんでん返しを食らったのだから。
絶大なる理不尽の権化に、膝を屈してしまったのだから。
「なるほど、確かに絶体絶命。まさしく詰んでる状況ってわけか」
陽介の説明を受けて、治明は納得したように頷く。
治明の知る限り、陽介は天才であり、幼少時からどれだけの困難も鼻歌交じりにこなして見せた存在だ。まさしく、神童。かつての自分では手の届かない相手。そんな陽介ですら、抵抗する気力さえも萎えてしまう状況。
それは、世界の終わりと呼ぶにふさわしい物だった。
「気持ちは分かるぜ、陽介。俺だって、こんなのは不可能だって思う。理不尽だって思う。必死に強くなったってのに、まるでそれを歯牙にもかけない相手が居て。しかも、肝心のラスボスはそれよりも強いって状況だ。諦めたくなっちまうよな?」
しかし、それでも治明は笑った。
青白い顔色で。引きつった笑みで。明らかに強がっているのがバレバレな笑い方で。それでも、治明の心は折れていない。
「でも、まだ希望がある。情けないことだが、俺はあいつが――」
「あ、来たっ!」
「はい?」
そんな治明の言葉を遮ったのは、正気が戻った彩月の声だ。
今から決め台詞を言ってやるぜ、と意気込んでいた治明はその声に肩透かしを食らってしまうが、やがて、紡がれた言葉の意味を知ると笑みを深めた。
今度は、強がりではなく、力ある笑みだった。
「ああ、そうか。タイミングが良いんだか、悪いんだが。というか、探査術式でもなく、近付いてくる気配でわかるんだから、凹むのを通り越してちょっと引くぜ」
やがて、三人が居る部屋のドアへと、ノックが数回。
それに応えるように、彩月が輝く笑みと共に、愛しい者の名を呼んだ。
「―――テルさんっ!」
「やぁ、久しぶりだね、二人とも」
そして、ドアは開かれる。
彩月と酷似した制服姿の少女――ミカンに肩を貸してもらいながら、それでも、何とか四肢がきっちりと正常な状態まで修復された状態で。
天宮照子という名の運命は、飄然とした笑みと共に、姿を現したのだった。