第120話 終わる世界 3
本日二回更新です。その一回目です。
二回目は一時間後の19時付近になると思います。
昔々、とても大昔。
まだ、異界と現世の境界が曖昧であり、多くの人間が魔物と共に在る世界を過ごしていた時代。そんな時代のある国に、飢えた人間がいた。
男なのか、女なのか。
子供なのか、老人なのか。
それは大した問題ではない。ここで肝心なのは、その人間が死にかけていたということだ。
「…………いやだ、いやだ、しにたくない。こんなところで、しにたくない」
死にかけていた人間は、当然の如く、近付いてくる終わりの足音に怯えていた。
空腹でろくに回らない頭で、人間は考える。一体、自分は何のために生まれて来たのか、と。
生まれてから一度も、空腹を満たしたことなど無く。幸福という概念の意味すら知らないまま、やせ細った体を抱えて『動いているだけ』の日々。
その上、最後は飢饉によって食べる物も得られずに、空腹のまま死んでいく。
こんなのはあんまりだ、という思いはあったけれども、同時に納得もしていた.何故なら、その人間は知っていたからだ。その時代、飢えて死ぬ人間というのは大勢いて、自分もその中の一人に過ぎないということを。
「しに、たく……ない、しに、たく……」
故に、その人間は諦観が混じった絶望の中で死のうとしていた。
ずっと体中を満たしていた飢餓が、段々と遠のいていき、視界が霞む。冷たく恐ろしい闇が、臓腑から段々と頭まで浸していくような感覚の中――ふと、人間はその声を聞いた。
「どうせ死ぬのなら、私と契約して『次』の人生に賭けませんかー?」
これから死ぬというのに、場違いなほど明るい女……否、少女の声。
随分元気な死神も居る物だな、とその人間は死ぬ寸前に、口元を笑みの形に歪めて。
「すきに、してくれ」
「はーい、契約成立でーす♪」
とても長い『人生』の始まりとなる、契約を交わしたのだった。
●●●
「やぁやぁ、転生おめでとうございます! これこそが、私と契約した者に与えられる異能! 転生特権でございます! この力を使えば! なーんと、魂に記憶を引き継いだまま、輪廻転生を行えるという優れもの! これならば、誰でも神童になれたりするのです! などという説明をするつもりで、貴方の下にやって来たのですが、どうして、死にかけてらっしゃるのですかね?」
「色々と知るか、そんなもん」
その人間は、次の人生では『騎士』だった。
しかし、碌な土地も与えられていない、木っ端の騎士。鎧をまともに揃えることも出来ず、手には古びた剣が一振りだけ。従者だって、真っ当な奴ではなく、戦場に赴く道中でいつの間にか消えているような奴だった。
そして、その騎士は前世で契約した存在――『悪魔』と再会した時には既に、その腹に矢を受けており、一時間後には死に至るという有様だった。
「えぇと? 前世の記憶、ありましたよね? 他の方々よりも優れた子供だったと思われるのですが、どうしてそんな有様に?」
「環境を覆せるほどの知識なんて、前世が農民の奴にあるわけねぇだろうが。特に神童扱いもされずに、普通に生きて……この様だ」
「うーん、それは予想外でした」
「というか、お前は『悪魔』なんだろう? だったら、この状況から……ぐっ、おぶぇっ。お、俺を助ける方法を――」
「ああ、すみません。私、木っ端な悪魔なものでして。人を治すための魔術とか、使えないのですよねー?」
「くそ、が」
けらけらと笑う悪魔の前で、騎士は鮮やかな血の塊を吐き出す。それは、騎士の命が尽きる直前だという証拠だ。
「ですが、ご安心を! 貴方には次の人生がございます! ここで死んでも、次の人生に知識や記憶を残せるのです!」
「…………そう、か」
「ただし! もちろん、タダでこの素晴らしい異能を貸し与えているというわけではございません! 次の人生では、貴方にはちょっと協力してもらいたいことがあるのです!」
「…………」
「なぁに、さほど難しいことではありませんよ! この異能を持つ貴方ならば、何度目かの人生で必ずや――あの、聞いていますか?」
「……………………」
「あ、死んでいますね、これ」
薄れゆく意識の中、騎士が最後に聞いたのは、どこまでも間の抜けた悪魔の声だった。
●●●
「何故、貴方は私が会いに来た時には死にかけているのですかー?」
「そんなもん、私が知るかァ!」
次の人生は『魔女』だった。
もっとも、魔女と言っても魔術が使えるわけではない。
ただ、村はずれで細々と薬師の仕事をしていたら、『魔女狩り』という名の集団ヒステリーに巻き込まれ、処刑対象へと仕立て上げられてしまっただけの村娘である。
正確には、魔女かどうか判別する真っ最中というところだ。
適当な牢屋に閉じ込められた村娘は、夜が明ける頃には異端審問官の手によって、湖に沈められるだろう。水に沈めて、そのまま死んだら無罪という、明らかに処刑目的の判別方法によって。
「私は死にたくない! こんなクソみたいに辺鄙な村で終わってたまるかァ! 悪魔、私に力を貸しなさい! まずはここから抜け出すわ!」
「あー、すみませんが、私ですね、木っ端悪魔なもので。そういう物理的な魔術とかはちょっと無理ですね」
「前世でも思ったけど、だったらアンタは何ができるのよ!?」
「ええと、異能を与えて記憶を引き継ぎさせたり……後は、ああ、魔術を扱う手段を与えることは可能ですよ?」
「それよ! 今すぐ、それを私に与えなさい!」
牢屋の中で悪魔と取引する姿は、紛れもなく魔女そのものだったが、村娘にとってそんなことは大した問題ではない。前世の記憶を持つ村娘におって、信仰とはただの現実逃避に過ぎない。どれだけ祈ったところで、神様が自分を助けてくれることなんてない。
だからこそ、村娘は悪魔の力を得る道を選んだのだ。
「えー、でもですねー? 正直、与えたところで『初心者入門用』みたいな物でして。これを得たからと言って、すぐに攻撃的な魔術を使えるようになるとは――」
「おっらぁ!!」
そして、村娘は天才だった。
今まで知る機会は無かったのだが、村娘は魔術を扱うことに関しては、随一の才能を持っていたのである。一を聞いて十を知るように、村娘は瞬く間に魔力の使い方、己の肉体の強化方法を会得した。従って、辺鄙な村にある牢屋の柵など、壊すことは簡単だっただろう。
「さぁ、行くわよ、悪魔! この力で、私を陥れた村人や異端審問官どもを皆殺しにしてから、好き勝手生きてやるわ!」
「大丈夫? その台詞、これからエクソシストとかに討伐される予兆にしか聞こえないのですがー?」
「大丈夫! 私に任せなさい!」
無論、大丈夫ではなかった。
村娘から、正真正銘の魔女となった少女は、そのまま悪逆の限りを尽くし、自由気ままに過ごしていたのだが、ある時、退魔を生業とする者たちに討伐されたのである。
悪因悪果。
力を得たからといって、好き勝手に生きると報いを受ける。
これが、魔女と呼ばれた人生で得た教訓だった。
●●●
「あのですね、私も学習しまして。貴方のやることを眺めていると、用件を伝える前に死なれそうなので、はい。出会い頭に言いますね? 我らが悪魔の王を復活させてください。それこそが、この木っ端悪魔にとっての使命なのです」
「うぉおおおおおおっ!! 聖騎士共どもめぇ!」
「あの、もしもーし?」
「この俺の研究を、下らねぇ倫理観で邪魔しようとするんじゃねぇ! 人間ってのはなぁ! 体を切り開かなきゃ治らない病もあるんだよぉ!」
「あ、今度はお医者さんなのですね、貴方」
悪魔とその魂は、幾つもの人生を共に過ごすことになる。
その転生術は、記憶は引き継ぐものの、人格自体はその都度変わっていく物だ。そのため、悪魔との付き合いはその人生、それぞれ。
人を治すことに執着する医者である時は、彼の求道を見届けて。
路地裏から成り上がった画家である時は、彼女の栄光の日々と共に在った。
あらゆる美食を追求する料理人である時は、彼女が造り上げる料理に舌鼓を打った。
そして、何度目かの人生で、その魂は魔術師を生業とする者になった。
「そういえば、悪魔」
「はいはい、何でしょう?」
魔術師は、生まれながらの天才だった。
かつて、魔女だった人生でも及ばないほどの才能の持ち主。一を聞いて十を知るどころではなく、無から有を生み出して、それを幾百幾千へと変えていく、魔術の天才。
神話の世界でもそういない、世界の真理を読み解く権利を持った存在だった。
「君の名前を聞いたことがなかったな、と思ってさ」
「え、今更? 今更ですかー?」
「うん。数多の前世に比べて、僕の人生は余裕があるからね。今の内に、パートナーである君のことを良く知っておくことにしたんだよね」
そして、好奇心旺盛な少女でもあった。
知らないことは知りたい。出来ないことを出来るようにしたい。
未知を既知に変えて。困難を踏破して。あらゆる苦難の先にある、素晴らしい光景を見てみたいと願う、そんな少女だったのである。
故に、魔術師である少女はまず、一番身近な悪魔について知りたがったのだ。
「私の名前はリリスですよ。正確には、リリス4567ですがー」
「番号?」
「木っ端悪魔ですから、似たような者はたくさん居るのです……いえ、居たのです。今では、リリスという名を持つ眷属は私一人になってしまいました」
「逆に、君はよく生き延びたよね? 力とかあんまりないのに」
「弱すぎるから、見逃されたのですよ、逆に」
「ああ、なるほど」
魔術師は、今までの前世と比べても、多くの時間を悪魔と共に過ごした。
魔導を研究しながらも、悪魔と言葉を交わし、一緒に食事を取り、共に遊びに行って。そして、いつの間にか魔術師は、悪魔のことが好きになっていたらしい。
「リリス。悪魔の王を復活させたいんだよね?」
「あ、はい。そうですがー」
「準備ができたから、今からやる?」
「今から!?」
「忙しかったら、後でもいいけど」
「そんな『ちょっとパイを焼いたから、一緒に食べない?』みたいなノリで言われるようなレベルの話でしたっけ!?」
「僕は天才だからね。その気になれば、この程度は造作もないさ」
なので、魔術師は悪魔の喜ぶことをやろうとした。
悪魔の王の復活。それこそが、悪魔の悲願なのだから、これを成功させればきっと、悪魔は自分に対して好意を向けてくれるだろうと考えて。
「…………んー、そう、ですね。ええ、では、今からやりましょう。私も、随分と長いこと生きてしまいましたし」
けれども、魔術師から言葉を告げられた悪魔の表情は、あまり喜ばしい物では無かった。
この時、魔術師は物事楽観的に考えていた。
例えば、悪魔の王が悪魔に対して酷い仕打ちをするのならば、自分が守ってやろう。逆に、悪魔の王を排除してやれば、自分だけに忠誠も好意も捧げてくれるだろうと、そんな風に思っていたのである。
それが、自惚れだと気づいたのは、全てが手遅れになってから。
「私の使命を終わらせてくれて、ありがとうございます。長い人生……いえ、今代の貴方と過ごした時間は、私にとってかけがえのない物でした。この記憶を抱いて、私は懐かしい闇へと還るでしょう…………ばいばい、愛しい人」
悪魔――リリスが光の粒子となって消え去って後だった。
手遅れになった瞬間、魔術師はその才能故に理解する。これは、寿命だったのだと。元々、リリスという眷属は悪魔の王を復活させるためだけに存在していた魔物であって。そのため、使命を終えてしまえば、もう存在を保つことは出来ないのだと。
「なん、で?」
魔術師は苦悩する。
いくらでも手段はあった。消える前であれば、悪魔の王を召喚したとしても、存在を固定する術などはいくらでもあったのである。だが、消え去ってしまえばそれは難しい。魔神ほどの高位の存在であれば、復活させることも可能だろう。だが、木っ端悪魔であるリリスを復活させるには、大海に投じられた砂粒を探すよりも難しい。
それこそ、世界全てを手中に収めるほどの力がなければ、不可能だった。
「…………ああ、わかったよ。そっちが黙って……身勝手に消えるのならば、僕にも考えがある。例え、幾千の時が流れようとも、僕は君を取り戻して……散々、文句を言って……うん」
だからこそ、魔術師はその不可能に挑むことを己の使命とした。
復活させた悪魔の王を、軽々と支配して。
転生の異能を改造して、次の人生でも己の人格が残るようにして。
世界を材料にしてでも、最愛の悪魔に会うことを決意したのである。
「また会えたその時は、僕もきちんと君に想いを告げるよ」
これが、輪廻を跨ぐ大魔術師の始まり。
リリスという名の悪魔に――金髪碧眼の美少女に恋をして、その姿形を懐かしみながら、いつかの再会に備えて人形を造り続ける、未練がましい人形師。
今代では、芦屋陽介という名前の転生者が、世界を侵すと決めた始まりの物語だ。