第115話 侵色同盟 7
姫路奈都は昔から、人間以外の動物に懐かれる性質を持っている。
それは特に、異能やら魔術とは関係なく、一種のカリスマのような物だった。だが、その性質は確固たる意志を持つ魔物にまで通じない。精々が、下級の魔物。あるいは、獣程度の意思しか存在しない相手を魅了する程度。意思がある魔物や、ランクの高い魔物に対しては精々が『第一印象が良い』程度の効果しか発揮しない。
故に、レオンハルトが奈都へと一目惚れしたのは、性質だけの理由ではない。魔獣王たるレオンハルトが理想とする伴侶の要素を、奈都の中に見たからだろう。
つまり、普通に人間が恋をするのと同じ理由で、奈都へと一目惚れしたのだ。
「我が姫よ。君に相応しいドレスを用意したのだが、着て見せてくれないだろうか?」
「これって、ドレスの上にウェディングが付く奴ですよね? あの、着るのも脱ぐのも面倒なので、嫌です」
「ふっ、つれない態度もまた美しい」
「何を言っても好感度が下がらない方ですか? ひょっとして」
一方、奈都としては内心、複雑な物があった。
レオンハルトのことは嫌っていない。むしろ、魔獣の中でも王に位置する者への敬意すらある。平時であれば、頭を下げて軍門に下るぐらいはしたかもしれない。けれども今、奈都の心を占めているのは、リースが死んでしまったという悲しみだ。
リースは奈都にとって、獣以外で初めての友達であり、頼れる保護者だったのだ。第二の母親と呼んでも過言でないほど懐いていた。そんな相手が死去してから一週間も経たないうちに、色恋に頭を悩ませられるほど、奈都の精神は図太くなかった。
「お気持ちはありがたいですが、レオンハルト様」
「どうか、気軽にレオと呼んでくれたまえ」
「…………レオ様。私はリースさんが死んで間もない内に、そういうことを考えている余裕なんてないです。それは、レオ様も同じではないですか?」
「ふむ」
自分よりも一回り以上も大きなレオンハルトへ、じとりと抗議の視線を向ける奈都。
その抗議を受けて、レオンハルトは一度口元に手を当てて思案した後、逆に問い返す。
「リースからは、何も聞いていなかったのかね?」
「はい? 何がでしょうか?」
「…………眷属ども。何故、我が姫に知らせていなかった?」
首を傾げる奈都の隣。小柄なメイドたちへと視線を向けて、レオンハルトとは問う。奈都への親しげな声とは異なり、王者としての覇気が籠った問いかけだ。
「なぜといわれてもー」
「そういういいつけだしー」
「だいたい、おしえてきがぬかれても?」
「ぜったい、はやまるよねー」
ただし、レオンハルトの覇気を受けても、メイドたち――夜鷹たちは動じない。平然と、微風でも顔に受けたかの如き口調で答えを返す。
「なるほど。あのリースが考えたことならば、間違いないだろう。誰よりも先を見据えていた奴の計画は、下手に我が手を出しても良いことは無い」
レオンハルトは夜鷹たちの言葉を受けて、納得したように頷いた。
侵色同盟が参謀、リース。既に死去した幹部なれども、その信頼性は揺らぐことは無い。何故ならば、リースは自分が死んだ場合のことも常に考えて策を練っており、奈都のことも含めて計画の範疇にあるのだから。
「わかった、特に口出しはせん。好きにするがいい……どの道、もう『時間稼ぎ』も終わりなのだ」
「そろそろなー」
「どうなることかー」
「もんだいがあるとすればー、いれぎゅらーだけ」
「むずかしいなー」
ただ、奈都としては自分を挟んで勝手に納得されても訳が分からない。リースが凄いことは知っているし、実際にリースの計画通りに進むのならば、それに沿って動いた方が良いのは事実だ。けれども、窮地に立たされている組織の一員としては、少しぐらいは説明が欲しいところである。
「レオ様、勝手に納得されても困ります。今回の戦い、正直に言ってレオ様は劣勢じゃないですか。もちろん、レオ様が弱いなんて思わない。でも、レオ様とあの女……殲滅者とは相性が悪すぎる。このままだと……多分、一週間も経たずに私たちは全滅だ」
「ほう、中々良い戦略眼だがね、我が姫よ。正確には、一週間も持たない。精々、後五日ほど凌ぎ続けるのが限度だろう」
「駄目じゃないですか」
堂々とした物言いで、自らの敗北を予想するレオンハルト。
それに対して、奈都はむっと怒りを込めた視線を向けるのだが、すぐにその怒りは消沈してしまう。
「…………こうやって、居候しているだけで何も出来ていない私が言えた義理じゃないですけど。戦うのが怖くなった癖に、他人の戦況に文句を言うのは最低ですよね、すみません」
戦わない者が、戦っている者に対して文句を言うのは筋違いであると気づいたからだ。今責められるべき存在が居るとすれば、それは何も出来ていない自分自身であると。
「嘆くな、我が姫よ。君の苦悩は無意味ではない。いずれ、きっと前に進ませる糧となるはずだ」
「ですが、今、戦えなければ、私たちに未来は――」
――――PRRRRR!
奈都のネガティブな言葉を遮るように、着信音が室内に響く。
音源はレオンハルトのポケットに入ってある携帯端末だ。
「失礼」
レオンハルトは奈都に対して断りを入れると、通話を始める。
「ああ、我だ。ふん、そうか……わかった。ご苦労だった。何? 偉そう? ふん、あくまでも我と貴様の立場は対等だ。他の信奉者どもと一緒にするな……だが、今ばかりは素直に称えよう。貴様は今、有史以来、誰も成し遂げられなかった偉業を成し遂げようとしているのだからな」
その通話の時間は短かった。ほんの数分間、言葉を交わしていただけ。しかし、その様子を眺めていた奈都には確かに、レオンハルトの変化を感じ取ることができた。
そう、『安堵』したのだ。
余裕ぶった大仰な態度の中にもあった、緊張感がレオンハルトの中から解けて行ったのである。まるで、『もう何も心配することはない』と言わんばかりに。
「すぐに来るのか? ああ、いいとも。貴様と我の仲だ。精々、歓迎してやろう。その時、我が姫を紹介してやる……ん? ほら、前にリースの奴が……そう、そのウルトラキュートな中学生が我が姫……犯罪? 魔神に対して何を言っているのだ、貴様は。まったく、では、またすぐに会おう」
さながら、親しい友達に向けるような口調で通話を終えると、レオンハルトはゆっくりと奈都へと視線を戻した。
「我が姫よ、朗報だ」
そして、未だに疑問の中に居る奈都へと告げる。
「我々の勝利が確定したぞ。さぁ、宴の準備をしよう」
「…………はい?」
侵色同盟の勝利を。
その本懐を果たす時が来たという、決定的な言葉を。
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「朗報ですよ、芦屋さん。貴方の恋人――天宮照子さんの所在が分かりました」
戦乱渦巻く関東から遠く離れた、東北地方。
既に、大部分を機関によって平定され、結界による守護を終えた土地。
その多くある街の内の一つで、彩月は思わぬ朗報を、同僚である薬樹からもたらされたのだった。
「本当ですか? 薬樹さん」
「ええ! 今度こそ本当です! いやぁ、あれだけ大言を吐いた癖に、結局、数日かかってしまって申し訳ないです」
「いえ、古峰さんが謝らずとも。だって、テルさんは…………なんかこう、関西の方まで魔神を殺し続けていたら、いつの間にか迷子になっていたという、ウルトラミラクル馬鹿をやらかしていたのでしょう?」
「…………あの、仕事に忠実だったということで、再会した時にはあまり怒らないであげてくださいね?」
「もちろん。ちょっと押し倒すだけで許してあげる予定です」
「すみません、自重してください、未成年」
二人が話しているのは、修復が終わったとある飲食店の一角だ。
神代回帰の被害によって、多くの街では人や物に多大な影響を受けた。そのため、結界による安全圏を確保した後は、機関のエージェントたちによる復興作業が行われていたのである。
本来ならば、人類の正しい文化を破壊する恐れがあるので、使用されない数多の医療、建築技術などを駆使した復興。それは、僅か一日程度で多くの負傷者を治療し、建物を修復し、かつての平和だった街の面影を取り戻すまでに至ったのだった。
「薬樹さん、こんなご時世です。恋人たちが愛し合うのを止める法など、もはやないにも等しいのでは?」
「確かに、この神代回帰の前と後では、社会のルールは大きく変わるでしょう。しかし、だからと言って今、それが適用されていない時点での行為を認めるわけにはいきません。なので、そういうのは大人の居ないところで発言するようにしてください」
「むぅ。まるで、テルさんみたいな叱り方をしますね?」
「恋人に叱られるようなことをやらかそうとしていたのですか?」
「薬樹さん、考えてもみてください。そういうモラルがきちんとした人だからこそ、弱みを握った時に、徹底的につけ込まなければ、ラブラブイチャイチャなんて夢のまた夢です」
「…………まぁ、お互いに愛し合っているのであれば、うるさくは言いません」
そして、東北地方の平定に多大なる貢献を為した結界術師。
芦屋彩月という女子高校生は、今、ようやく全ての仕事を終えて、気が抜けている状態だった。何せ、彩月が機関からの要請で働き始めた時から、ほとんど休みは無く。朝起きてからずっと、結界を張り続けて。結界術を習いに来た者たちへは、マニュアル化した技術書を片手に、きちんと教え込んで。仕事着を脱いだら、後は風呂に入って寝間着へ。そのまま、ベッドに直行というハードスケジュールだったのだ。
そう、寝間着と仕事着のローテーションという、ブラック企業さながらの仕事をようやく終えて、東北地方で多くの安全圏を確保できたのだから、彩月の気が緩むのも仕方のないことだろう。
「ふふふっ、そうです。私とテルさんはラブラブなのです……この戦いが終わったらきっと、私のプロポーズを受けてくれて、そのまま結婚式……」
「死亡フラグとツッコミどころしかない発言はおやめください、芦屋さん」
そこに、今まで気にかかっていた照子の所在を知らされれば、気が緩むのを通り越して、多少頭のネジが緩むのも仕方のないことだ。それほどまでに、彩月は死に物狂いの働きで、多くの人々を救っていたのだった。
「それで、薬樹さん。いつ頃、テルさんと連絡が取れそうですか?」
「連絡、と言うよりは関東の方へと暴風の如く進撃している姿が確認されたので。ええ、そちらの方へと共に、出向してもらおうかな、と」
「…………ここでまだ仕事が残っているのならば、それを優先しますが?」
事実、緩み切っていた表情も、いざ仕事に関わる話が出れば、退魔師の物へ早変わりする。そう、恋人に会えることは嬉しい。だが、彩月にとって肝心なのは、誇れる自分として在ることだ。自分が誇らしいからこそ、照子へ堂々と愛の言葉を向けることができる。自分を肯定できるからこその、恋愛なのだ。だからこそ、彩月は退魔師として揺るがない。こういう時であっても、私情よりも公務を優先させる。
「問題ありませんよ。芦屋さんのお陰で、ここはもう大丈夫です。後は、機関のエージェントたちに仕事を引き継いでもらいましょう」
薬樹は、彩月のそういう部分を知っているからこそ、安心させるように微笑んだ。
今まで十分過ぎるほどに仕事を頑張って来た少女へと、正当なる報酬を渡すために。
「いえ、むしろ、未だ戦闘が継続されている関東地方にこそ、芦屋さんは向かうべきでしょう。ええ、なので、これは機関からの合理的な命令でもあります」
「ふふふっ、大分優しいメッセンジャーですね? 薬樹さんは」
彩月は薬樹の気遣いに対して、微笑を返す。
どうやら、ここ数日共に仕事をしていたこともあって、彩月は薬樹に対してある程度、気を許しているようだった。
「ははは、そうでもありませんよ。本当に優しい人間は、未成年の少女を働かせようとなんてしませんから…………ええ、優しくなんてありません」
「そういう、自分を卑下するところ、私の恋人に似ていますよ、薬樹さん。直した方が良いと思います」
「…………金髪美少女に似ていると呼ばれるアラサーの気持ちにもなってください」
「えっと、嬉しい?」
「悲しい」
故に、彩月は楽しみだった。
照子と薬樹を会わせて、共に言葉を交わせる、その時が。
「ともあれ、後山町に所属していた他の方々にも、連絡は入れています。彼らも関東の方に出向するみたいなので、あちらで合流できるように取り計らいましょう」
「ありがとうございます、薬樹さん。その時は、貴方も一緒ですからね?」
「…………やれやれ、困った人だ」
仲間たちと再会して、一緒に困難を打ち破る、その時を。
きっと、皆が揃えば何もかもが上手くいく。
そんな想いを抱けるほど、この時の彩月には余裕があったのである。
――――運命の分岐点に立つ、その時までは。




