第113話 侵色同盟 5
神代回帰から数日経った、関東地方のとある街。
『グゥルルル』
そこには、低い唸り声を上げる三頭の狼が居た。周囲には人の気配はなく、がらんどうとなった街を闊歩している。
もちろん、その狼たちは普通の野生動物ではない。
彼らは脅威度ランクDに値する魔獣だ。本来であれば、受肉していなければ三日も経たないうちに消え去る程度の魔力量しか持たない存在であるが、現在は神代回帰の真っ最中。空気中にはマナが溢れて、ランクの低い魔物であっても自然消滅することは無い。
加えて、魔物たちは神域となった日本各地から、いくらでも発生する。結界術で境界を閉じなければ、ほぼ無制限に出現し続けることになるのだ。
そのため、神代回帰から数日経った現在では、この街のように人間が居住区を放棄するというパターンもそれなりに発生していた。
『ウゥルルルウ』
『グルルル』
されど、無人の街を闊歩しているはずの狼たちから、警戒が失われることは無い。
これが『通常の魔獣』であったのならば、何も考えずに、姿形通りの野生を発揮して、適当に食料物でも食い漁っていただろう。しかし、彼らはとある魔神の影響下にある魔獣だ。その性能は本来のランク以上に引き上げられて、同時に、知性すらも付与されている。
故に、その魔獣たちの行動はただの徘徊ではない。
明らかに外敵を意識した『見回り』だった。
『――――グ』
その証拠に、三体の内、一体が狙撃によって沈黙する。
たぁん、という乾いた銃声が聞こえて来たのは数秒後。明らかに遠距離からの狙撃。しかも、警戒中の魔獣たちに殺意も察知させずに、一撃で仕留める技量。残りの二体は、仲間を弔うよりも先に、敵対者に対して迎撃行動を取った。
『ウォウ! ウォッ!』
『グウアウッ!』
一頭は、規則性のある奇妙な遠吠えを繰り返して。
もう一頭は、疾風の如く駆け出した。
即ち、『警報』と『迎撃』の二種類の行動を迅速に行ったのである。無論、姿を見せない狙撃手が優先させたのは、警報役の排除だ。
『ウォッ――』
沈黙の数秒後、再び『たぁん』と乾いた銃声が鳴る。
二度の銃声。それにより、残り一頭の狼は既に、狙撃手の居場所を把握していた。
『グルゥ!』
短い唸り声と共に、灰色の狼はアスファルトの路面を蹴り――飛ぶ。
そう、跳躍ではない、飛翔だ。灰が混じったような色の風を纏い、一発の弾丸になったかのように、一目散へと狙撃手の下へと飛んでいく。
――体内の魔力を暴走させながら。
『――――』
これはいわゆる自爆突撃だった。
狙撃手の脅威度を理解し、その上で、魔獣は己の生存よりも『群れ』の安全を優先したのである。この場で外敵を排除することこそが、『群れ』のためになると判断し、自爆という手段すらも使ったのだ。
この判断は明らかに、知性があるだけの魔獣とは違っていた。
人間の集団。それも訓練を受けた集団の思考である。本来、神代回帰に於いて、そこまで重要視されることのない低ランクの魔獣は、たった一体の魔神の影響を受けることによって、ここまで強化されていたのだ。
『ギャンッ』
もっとも、そこまで強化されようとも所詮は低ランクの魔獣だ。
狙撃手は迫りくる狼の突撃など、毛ほども気にしていないように、冷静に次の弾丸を装填。きっちりと狙いを付けてから、風を纏う狼を狙撃。特別製の魔弾は、風の抵抗など何の意味も無いように貫き、きっちりと狼の命を刈り取る。
当然、命を賭けた突撃は欠片も狙撃手へと届かない。
『カァカァッ!』
『グァッ!』
『カァ!』
だが、それでも間に合っていた。
警報役が発した遠吠えを聞きつけた仲間――鴉の魔獣たちが、応援へと駆け付けたのである。
その足には、人間が扱うような爆弾が括り付けられており、既に、彼らは狙撃手の上空へと辿り着いていた。
狙撃手が居るのは、とある高層ビルの屋上。逃げ場は無い。後は、この高層ビルの上層ごと吹き飛ばす威力の爆弾を次々と投下すればいい。例え、迎撃されても問題ない。何故ならば、撃ち殺されようとも爆弾は実物。消えることなくそのまま落下する。結果として、投下される未来は変わらない。
「【当たり前の幸せ(エア・ハピネス)】」
異能によって、鴉の魔獣たちが空中で固定されなければ。
『『『――――っ』』』
魔獣の群れはもはや、鳴き声を発することも出来ない。
固められた『空気』の中、身じろぎ一つすることもなく、ただ静止して。
「潰れろ」
短い一言共に、爆弾ごと圧壊された。
もちろん、爆風は狙撃手に及ばない。その範囲の空気――否、空間を支配する異能者が、狙撃手の近くに潜んでいたが故に。
「…………ふぅ。ナイスキル」
やがて、狙撃手――犬飼銀治は周囲に魔獣の気配が無いことを確認すると、ゆっくりと息を吐き、相棒である異能者へと声をかける。
「まぁ、害獣駆除ぐらい余裕じゃん?」
「油断するな、馬鹿」
「ははは、片腕がぶっ壊れているのに、今更油断するかよ。今のはただの軽口」
「…………まぁ、時と場合を選んでいるから、別にいいか」
異能者――山口太河はけらけらと笑いながら、銀治へと言葉を返す。その態度は軽薄なれども、緊張感が途切れているわけでもない。
「じゃあ、そろそろ飯にするかぁ」
「お、いいねぇ。今日の飯は何かな!?」
「コンビニの冷凍食品」
「出たぁ! そろそろ飽きて来たぜ、それ!」
「ま、腐らせるよりはマシだろ?」
神代回帰より数日経った現在。
カンパニーに所属する猟師、銀治は相棒と共に、元気に魔獣を狩っていた。
●●●
牛丼。豚汁。野菜スティック。お茶のペットボトル。
これが銀治と太河の昼食だ。主に、冷凍庫に入りきらない冷凍食品から先に消費しており、野菜スティックなどは、二人が助けた農家から貰った野菜を刻んだものである。お茶のペットボトルだけは異様にたくさんあるので、いち早い消費をカンパニーから望まれていた。
「あ、犬飼。牛丼の七味使わないならくれ」
「別にいいけど、辛くない?」
「最近はこれくらいじゃないと、辛みを感じなくなってさぁ」
「ストレスによって、味覚が狂い始めているじゃねーか。んもう、帰ったら亜鉛サプリを飲めよ、亜鉛サプリを」
「…………いや、残念ながら俺はそれを飲むことが出来ない。何故なら、それを飲んじゃったら、俺の下半身も凄く元気になって、色々と不味くなるからだ!」
「まず飯を不味くするのを止めろ。食事中だぞ」
高層ビルの屋上。そこに備え付けられたベンチに座り、男子高校生二人は、だらだらと言葉を交わしながら食事をしている。
傍から見れば、完全に気を抜いているようにしか見えないが、この二人はどちらとも死線を乗り越えた一級の戦士だ。体を緊張させないように配慮しているものの、最低限の警戒を怠ることはない。
「いやだって、もう二日目だぜ? そろそろ、どっかで抜いておかないとヤバいって。その上、ここで亜鉛サプリとか……あれだぜ? 確実にハニトラに引っかかるフラグじゃん!」
「引っかかるなよ、ハニトラに。というか、つい最近、女性関係でひどい目に遭ったばかりだろうが!?」
「うん! だから俺は諦めたね! まともな恋愛は諦めたね! 俺はもう、これを機にたくさん金を稼いで、美人のお姉ちゃんが居る高級風俗に行くね!」
なので、男二人で馬鹿話をしているのにも、それなりに意味がある。
体の緊張は、技術と経験によって緩くすることも可能だ。しかし、心の緊張は訓練を受けた軍人であっても、中々ほぐすことは難しい。よって、この神代回帰という大災害の中、男子高校生二人は己の中の日常を失わないよう、あえて馬鹿話をしているのである。
そう、そういう建前を用意しておけば、後々、叱られずに済むのだ。
「まぁ、頑張れ。僕はしばらく、女性関係はいいや」
「えー、ノリ悪いぜ、犬飼ぃ。あれか? もしかして、気になっている女の子が、実は変身能力を持った別人だったことがそんなにショックだったのか?」
「…………」
「あ、これは露骨に凹んでる奴だ。んんー、でも、さぁ? ほら? あれじゃん、『ネームレス』さんだっけ? 機関の上位エージェント。その人自体には結構ほら、気に入られているし? これを機に、こう、ね? 仲良くしてみたらどう?」
「………………その人、男か女か分からないじゃん」
「ん、あ、あー…………別の話にしようぜ! 真面目な話にしよう!」
「ああ、そうだな。ということで、右腕は大丈夫?」
「この流れ!? この流れで心配するの!? いや、気遣いはありがたいけどさぁ!」
けらけらと笑いながらも、太河は右腕を挙げて、手を握ったり開いたりして見せる。
その動作に淀みは無く、一見すると何の変哲もない、ただの素手に見えるだろう。しかし、それはカンパニーが作り上げた特注の義手である。
「ちょいと感覚が鈍い気がするけど、でも誤差みたいなもんだし。何より、拒絶反応が無いのが嬉しいな! つーか、あの右腕を一度経験すると、どんな義手でも天国に思えるわ!」
「おい。一応、上の方に使用感のレポートとか提出しないといけないんだから、真面目に答えろよ…………ったく、割とマジでお前の立場は危ないんだからな?」
「ん、それに関してはマジで感謝しているぜ、犬飼」
へらり、と気の抜けた笑みで言葉を返しつつも、太河は己の状況をよくわかっていた。
いくら情状酌量の余地があるからと言っても、カンパニーの人間を襲い、殺したのは事実。黒幕である魔人集団は機関の手によって全滅させられたものの、太河を無罪放免にすることは出来ないというのが、カンパニー側からの意見だ。
ただし、優秀な猟師である銀治の友人であること。機関上位エージェントである『ネームレス』からの要請もあり、太河に対してあまり重すぎる罰は与えられなかった。その代わり、神代回帰と化した現代に於いて、貴重な戦力として馬車馬の如く働かされているというのが、太河の現状である。
そして、戦力として扱うのであれば、きちんと整備するのがカンパニーだ。失った右腕を補充したのも、有能な異能者としての働きを期待されているが故の待遇だろう。
もっとも、贈与ではなく貸与であるので、壊したら弁償。さらに、維持費なども自分で稼がないといけないあたり、決して甘い待遇ではないのだが。
「実力者の犬飼が隣に居てくれるから、俺も安心して魔物退治に動いていられるし」
「いや、僕としてはお前一人でも十分過ぎるほど強いと思うけどな? なんなんだ、あの攻防一体の異能は? おまけに、魔力の燃費も良いとか……これが才能か……」
「才能で言うなら、犬飼は猟師の天才じゃん? それに、どうせ才能が貰えるのなら、女子にモテる才能…………いや、ラノベ主人公みたいに美少女ヒロインとラブラブになれる才能が良かった。あ、単独ヒロイン派なので、一人で結構です」
「都会に出てきたら、そういう生活を送れると思っていた僕が居るぞ」
「俺も犬飼も、設定的にはこう、美少女ヒロインが居てもおかしくない立場なのになぁ。ふふふふっ、うん、この話止めようか!」
「そうだな。この世界に、美少女を侍らせるハーレム系の主人公なんて居ないんだ」
だらだらと、二人の男子高校生はくだらない会話をしながら食事を済ませる。
それはまるで、学校の教室で交わされるような男子の会話で。世界が変わり果て、無人の街の中だったとしても、確かに日常を感じさせるものだった。
「ご馳走様でした……さて、行こうか、太河」
「うい、了解。この後は何だっけ?」
「機関から来た助っ人と共同任務だよ。多分、殲滅戦」
「うげぇ、きつい奴?」
「いや、その助っ人って言うのが、美作和可菜っていう凄腕の人でさぁ。なんと、例の魔神が所有していた戦力の約八割を、単独で殲滅したって噂で」
「かなりヤベー奴じゃん」
そして、再び男子高校生二人は非日常へと戻っていく。
もはやこの世界の日常が戻ることは無いと知りつつも。決定的に変わってしまった世界の中で、なおも男子高校生二人は日常を手放さない。
例え、その手にある異能と銃が日常の一部となったとしても、彼らの青春は確かに、そこに存在するのだろう。




