第107話 荒れ狂う龍 7
巨大であることは、それだけで強い。
よくバトル漫画などでは、体の大きい敵対者などは『かませ役』として登場することが多いのは、分りやすいからだ。
説明する必要などが無いほどに、一目でわかるからだ。
デカい奴は強いのだと、見た瞬間の本能が理解するのだ。
だからこそ、そんなデカくて強そうな奴に、華奢な体の奴が勝てば、爽快感を得られる。只者ではないのだと。単なる肉体の大きさだけで、勝敗が決まるような単純な法則の世界では無いのだと、理解させられる。
しかし、それにも程度があるのだ。
例えば、特撮映画に出てくるような巨大な怪獣が、あっさりと人間大の大きさしかないキャラクターに倒されれば、相応の説明が無ければ荒唐無稽に見えるだろう。
戦隊モノの怪人が巨大化すれば、ヒーローたちも巨大な乗り物を操って戦うように。
大きい敵と戦う時は、それを倒しうるほど巨大な何かを使うのが定石だ。
――――だからこそ、これは荒唐無稽が過ぎる戦いだ。
特撮映画に出てくるような巨大な怪獣でさえ、一飲みしてしまえる龍。そんな神にも等しい相手へ、豆粒大の比較にもならない小さな人間が挑む戦いだ。
後に、現代の神話の一つとして語り継がれる、物語の始まりである。
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もはや、そこには正常な空気など存在しない。
呼吸は即ち、肺を焼く自殺行為だ。
稲光を纏う龍――黄龍が身じろぎするだけで、空気が弾けて変質していく。たった一秒で、途方もない範囲と雷が奔って行く。仮に、このまま黄龍が日本列島へと突っ込むだけで、一部の絶対強者以外の人間は、全て死滅するだろう。
ましてや、黄龍が本気で雷を落とそうとすれば、それだけで国家が滅びる。脅威度ランクとして推定するのも馬鹿らしい。世界を変えうる、自然の猛威。
それこそが、芦屋彩月が相対している、惑星の化身だった。
「神鳴る龍よ。怒りの体現者よ」
されど、麒麟――オウマに乗り、龍神――アズマを従える彩月に動揺の色は無い。
視界全部を埋め尽くす、稲光に目が眩むこともなく、呪文を唱える。
「五行の理に従い、鎮まり給え」
そして、「ふぅ」と大きく息を吹きつけた。
呼吸するだけで死に至る空間も、今の彩月にとっては『多少息苦しい』程度の害にしかならない。呪文を唱えるのも、息を吹きかけるのにも苦にならないだろう。
しかし、当然、呪文も息吹も黄龍には届かない。
巨大な力の塊である黄龍は常に、強力な雷を纏う。少女の吐息など、掻き消すまでもなく届かない。ましてや、黄龍の実体とは数十キロほど離れた位置での行動である。
蟷螂の斧にもならない、無意味な抵抗だ。
「ふくくくっ!」
彩月が従える式神が、『龍神』というカテゴリーに属していなければ。
――――ぱぁんっ。
空砲が鳴ったかの如き、快音が一つ。
その直後、黄龍は感じた。己の体、その三分の一が消し飛んでしまったことを。
「ああ、美味い! 美味いぞぉ、彩月! 流石は我が主。このような上物を我に食わせて貰えるとは!」
己に満ちていた魔力というリソースが、自身と似て非なる存在に奪われたことを。
類感魔術。
対象との共通性を用いて、影響を及ぼす魔術。
例えるのならば、相手の髪を巻き付けた人型に釘を打つように。
『雷を扱う龍』という共通点を用いて、彩月は黄龍のリソースを奪い、アズマへと与える魔術を行使していたのだ。
「ふくくくっ! 我は気分が良いぞ! 明らかに、全盛期以上の力じゃ!」
「あっちとは縁が繋がっているから、怒りに飲み込まれず、上手くこっちの感情に引っ張って鎮めるようにね? つまり、テンションを下げなさい」
「おうよぉ! わかったぁ!」
「わかってない」
付け加えるのならば、黄龍は自然の猛威に近しい存在。
魔神ならざる魔力の塊。
存在を認知されていない時点ならば、陰陽師として卓越した技術を会得した彩月ならば、黄龍自体を魔力リソースとして定めることもできるのだ。
もっとも、それはこの時点までの話であるが。
『「――――――――――ッ!!!!!」』
絶叫と呼ぶには、あまりにも騒々しい雷鳴が世界に響き渡る。
日本全土に届かんばかりの雷鳴は、既にそれ自体が音響兵器のような有様だ。まともな生命体であれば、耐えられないほどの音量。
されど、彩月は揺るがない。
鼓膜の一つも破れず、衣服の袖すら揺れない。
余波程度であれば、周囲のマナと同化している彩月には、影響を及ぼさない。
無論、そんなことは黄龍と戦うための、前提条件に過ぎないのだが。
――――――ジジジジッ!
怒り狂う黄龍が放ったのは、全方位に向けた雷撃だ。
同じものを眼下に撃てば、日本列島が沈みかねないほどの一撃。
「アズマ」
「任せい」
その一撃を、彩月の支援を受けたアズマが宙域へと逸らす。
暗く、遠い宙の向こう側へと、雷を誘導する。その特性上、黄龍の力は同族の術によって導かれやすい。曇天から落ちる雷が、避雷針に当たるように。いかに巨大な力だったとしても、自然に近しい性質を持つのならば、誘導は容易だ。
しかし、この一撃は黄龍にとって攻撃を目的とした物ではない。
「次が本番よ……出来る?」
「くふふ、誰に物を言っておる?」
黄龍の放った雷撃は、単なるエコーロケーションに過ぎなかった。
イルカが超音波で、海中の様子を探るように。黄龍は雷を全方位に放ち、敵対者の居場所を探っていただけなのである。
『「――――――ォッ!!!!」』
黄龍の体が液体の如く波打ち、変形する。身じろぎではなく、自身を構成し直すことが、最善最速の移動方法だとプログラムされているが故に。
そして、ついに黄龍の両眼は彩月の姿を捉える。
どれだけ大きな山であろうとも、一飲み出来そうな大きな口が開く。
「…………ぐっ」
黄龍から向けられる怒りに、彩月は思わず身じろいだ。
単なる生命体ではない。惑星の化身とも呼ぶべき存在が、怒りを個人に向けるということは、それだけで魂が壊れても仕方がないほどの威圧があった。
それでも、彩月は目を逸らさない。
黄龍の口内から、恐るべき息吹が放たれようとしても、退かない。
むしろ、笑みすら浮かべて対峙する。
愛おしい恋人の姿を思い描くだけで、彩月の心には威圧に負けないほどの勇気が宿る。
例え、それが蛮勇と笑われる物だったとしても、彩月はこの瞬間、間違いなく、惑星が向ける『怒り』と確かに向き合っていた。
「来なさい、でくの坊。ろくな魂も持たないお前と、私たちとの違いを教えてあげるわ」
啖呵を切った彩月の下に、空間を焼き焦がすほどの『龍の息吹』が放たれる。
現行人類の科学では、到底及びつかないほどの破壊力を持つ一撃。
最古の鬼神ですら、まともに受ければ消滅を避けられぬ雷。
それが雷の速度で、逃がすことなく、彩月へと直撃した。
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光の奔流が体を貫く頃には、死の自覚すら無く焼け焦げている。
それが、雷だ。人の反射速度を優に超える自然現象だ。
されども、対処方法が無いわけでは無い。
一つは、雷に対抗できる防御術式で身を守ること。
だが、黄龍が放った一撃は明らかに、人間が扱える魔力を超えた物。神ならぬ身の上では受け切れない、恐るべき龍の息吹。
故に、普通に考えるならば、防ぐのではなく、避けることに徹するべきだ。事実、今の彩月ならば、オウマの空間転移によって致命となる一撃を避けることは可能だろう。
けれども、やはりそれでも先が無い。相手の供給源は惑星。どれだけ魔力を使おうとも、惑星からほぼ無限の魔力が供給される。怒りが発散されるまで、黄龍は消え去ることは無い。持久戦では不利極まりないのだ。
だからこそ、彩月が選んだ手法は『罠』だった。
「お前に人並の知性があるのならば、こんな見え見えの誘いには引っかからなかったでしょうにね」
龍の息吹は確かに、彩月へと直撃していた。
それでも、彩月の肉体は四肢を保っている。致命傷も受けていない。
多少なりとも服は焦げているが、口元に浮かぶ笑みは勝利を確信する物だ。
「お前が普通の魔物であるのならば、私は間に合わず、焼け焦げていたでしょうに」
黄龍が存在を構成する要素は、全てマナだ。自然由来の魔力だ。当然、放つ技もそれに準じた物になる。どれだけ強力で、空間を焼き尽くす威力を持とうとも、全ては『自分の力へと変換可能なリソース』に過ぎない。
もちろん、これは仙境にも近しい境地に辿り着いた彩月だからこそ出来た荒行だった。さながら溶岩の中に飛び込んで、その熱を奪い取るかの如く。
予め、周囲の空域に仕掛けていた術式により、黄龍が放った一撃は彩月に辿り着く頃には既に、彩月自身のリソースと加工されていたのだ。
当然、空間など焼かない。
過剰なほどの魔力によって、多少反動は起きたが、それだけだ。
そして何より、身が弾けそうな魔力量でさえも、許容可能なアズマと縁を結んでいたが故に、超過した分の魔力は全てアズマへと受け流して。
「さぁ、食らおうか」
稲光とは違う、鮮やかな青の閃光に身を包んだアズマが、黄龍の下へと飛び込んだ。
最大の攻撃を終えて、隙だらけの黄龍の下に。
『「――――――!!?」』
「ふはははははははっ!! 無駄じゃ、無駄じゃあ! 懸念材料は唯一、貴様の魔力量によるごり押しのみ! じゃが! 先ほどの略奪で、既に、ごり押しされぬほどの魔力は得た! 後は、急造のプログラムでこしらえられた、貴様というリソースを食い荒らすのみ!」
アズマが纏う光はやがて、青い龍の形を取って黄龍に絡みつく。
喉元に噛みつき、血を啜るように魔力を奪う。
当初、黄龍にとって小枝程度の大きさのそれは、瞬く間に大きさを増して。
「生後一日にも満たぬ赤ん坊に、自我の引っ張り合いで我が魂が負ける道理は無い」
ついには、黄龍を食らい尽くした。
惑星の意思を、怒りすらも全てを食らい、飲み干して鎮める。
自然による猛威に怯え、敬うのではなく、それすらも超えていくのが人間の業なのだと言わんばかりに。
「無から生まれし者よ、無に還るがいい」
かくして、神代回帰によるペナルティーは消え去った。
惑星が吐き出したリソースでさえも、人間が己の式神の糧とすることによって。
まさしく、完全勝利に近しい結末だっただろう。
「ふく、くくくっ! いやぁ、今の我、格好良かった! のう、彩月? 今の我、超格好良かっただろう? これは、クラマやコマにも見せてやりたかった……ん?」
ただし、魔力が充実し、肉体的に問題なかったとしても、既に彩月の精神は限界に近しい状況にあった。
それもそのはず。神代回帰という、世界規模の大災害。その中で、覚醒した勢いのまま、一つ間違えれば、顔見知りやその周囲の命が消えていくという苦境を乗り越えて。拠点である後山町へと、魔物を寄せ付けぬ大結界を張り直して。
更には、巨大すぎる惑星の化身と渡り合ったのである。
いくら彩月が超級の術者になったからといって、物事には限度があるのだ。
「うぉおおおおおおっ、彩月ぃ!?」
故に、黄龍の討伐という偉業を成し遂げた彩月は、ふっと気を抜いた途端、前身が脱力してしまい、そのまま自由落下を楽しんでいる最中だった。
なお、オウマは先ほどの戦いの余波を、辛うじて彩月が肉体を再構成して維持していたので、気が抜けてしまった今では、肉体は霧散。意識は芦屋家の魔結晶へと戻されている。
「あー、自由落下気持ちいいー」
ふわふわとした言動のまま、超高度からの落下風景を眺める彩月。
その目に焦りの色が無いのは偏に、彼女は既に、肉体が四散した程度では、死なない領域にまで踏み込んでしまったからこそ。仮に、魔力の強化無しで地面に突っ込み、赤い染みになった状態でも、次の瞬間には服ごと再構成することは可能だろう。
ただ、その自由落下に巻き込まれて、一般人の誰かが死ぬのは御免である。
なので、彩月は落下速度がそこまで加速しない内に、アズマに回収されるか、それとも、術を使って勢いを殺して、空を飛んでみようかと考えていた。
そんな最中の出来事だった。
「危ないっ!」
「えっ?」
自由落下の勢いを巧みに殺し、優しく受け止められた感触が彩月にあった。
一体、誰? 気配がまるで感じられなかった。そのような様々な思考が駆け巡るも、彩月の中にある直感が、自然と言葉を導く。
「……テルさん?」
やがて、彩月は希望と期待に満ちた瞳で、自らを抱き留めた人を見上げて。
「……………………あ、いや、違いますけど」
「えっ?」
「機関から派遣されたメッセンジャーですけど」
「あるぇー?」
彩月を受け止めた青年――機関からのメッセンジャーは、とても気まずそうに目を背けたのだった。




