第106話 荒れ狂う龍 6
この世界では、魔力を巧みに扱える者ほど強者だ。
魔力というリソースは、物理現象すら覆し、不可能を可能とする。
五歳に満たない幼子だろうとも、魔力を扱えるだけの素質があれば、鍛え上げたプロの格闘家を一方的に殺せるぐらいの戦力差を生み出すことも可能だ。
故に、魔力を焼き払う炎を扱える治明は、この世界に於いて強者の部類に入る。
相手がどれだけ魔力で自身を強化しようとも、その強化自体を焼き払い、無効化してしまえるのであれば、それは圧倒的なアドバンテージとなるだろう。
しかし、それもある一定レベルの敵までの話だ。
魔神クラスや、戦闘特化の脅威度ランクB以上であれば、膨大な魔力を使って治明の炎を相殺させることも可能だろう。あるいは凝縮した魔力の塊ならば、炎に触れても、逆にその炎を吹き飛ばすほどの衝撃を発生させるぐらいの余地は残る。
そして、大山や武神ほどの相手となれば、魔力を焼く炎への対処はさほど難しいことではない。圧倒的な脅威としてではなく、単なる手札の一つとして淡々と処理されるだろう。
治明の異能は、魔神クラスの相手には決定打にならない。
それでも、魔力を焼く炎があるからこそ戦える。理不尽な速度の攻撃にも、訳の分からない初見殺しだろうとも、炎を纏っていれば、ある程度防げる。
だからこそ、今まで治明は気付かなかったのだ。
常に、炎で防ぐという意識が頭にあったが故に。
魔力を扱う者同士の戦いとして、相手とのリソースの削り合いこそが肝心なのだと、ずっと思い込んでいたが故に。
それ以外の可能性には、辿り着けなかったのだ。
『弱い、弱いなぁ、土御門のクソガキ。相手は、圧倒的なアドバンテージを捨てた状態での戦いだってのに。どうして巻き藁の如く、切り刻まれているかねぇ?』
修行中。治明は以前、ミカンから小馬鹿にされるような声をかけられていた。
お前は弱い、と。
この骸骨剣士の生前は、もっと強かったのだと。
その罵倒に対して、治明はこのように考えていたのである。生前の剣士はもっと強靱で、魔力による強化も凄まじいのだろう。それが無くなった現状でもこんなに強いのだから、生前はどれだけ強かったんだ? と。
だが、治明はここに至って、その勘違いに気づいていた。
魔力を使わないから、生前よりも弱いのではない。
単に、骸骨になった所為で、武術としての術理が相手に対して丸裸になるから、ミカンは弱くなっていたと称していたのだと。
剣術家が袴によって、足の動きを隠すように。
生前の骸骨剣士も、本来は甲冑などではなく、布の服こそが本領を発揮する。甲冑を身に付けさせたこと自体が、制限となって戦闘力を貶めているのだ。動くごとに音をならさざるを得ない、骸骨の体に甲冑。それにより、治明は相手の武術を学び取ることが出来たのだが、本来ならば、その機会すらなく――――否、物音すら立てずに相手を殺すのが魔神殺しの戦い方なのだろう。
つまり、魔神殺しは魔力を扱えるから強いのではない。
魔力を扱う者とは別の強さに到達したからこそ、魔神を殺すことが出来たのだと、治明は理解していた。
そして、治明もまた到達する。
魔ではなく、技を極めた末に到達する、理外の領域へと。
●●●
武神は己の腕が斬り落とされた時、確かに驚愕した。
その身を雷へと変えて、反応すら許さないほどの速度で接近、霊剣で治明を切り伏せるはずだった。だというのに、気付けば己の右腕が斬り落とされている。
魔力の起こりすら感じなかったというのに、斬られている。
「――――はっ!」
この不可解に対して、武神が得た感情は『歓喜』だった。
腕を斬られながらも、即座に左腕での攻撃に変更。雷を掌から放ち、魔力による強化も、炎による防御も無い治明の肉体を焼き焦がそうとして。
「――――――っ!!!」
直前に止めた。それだけではない。治明が武神に対して視線を向けた瞬間、脳裏に過ったのは明確な死のイメージ。先ほどまで勝利を目前にしていたはずの武神は、退いた。治明から離れるように、雷の速度で引いた――否、逃げたのだ。
このままだとあっけなく死ぬ、と武神の直感が叫んだが故に。
そして、それは間違いでは無いのだろう。現に、武神は己の身に起こった奇怪な現象を理解できていない。
雷と化した肉体が、何らかの方法によって斬られるのは良い。何かしらの手段を用いて、攻撃を与えたということだ。しかし、その斬り落とされた右腕が、いつまで経っても再構築できないのは奇怪を通り越して理不尽だ。
本来、魔神が備えている周囲のマナを吸収し、肉体へと還元する機能を用いても、右腕は復活できない。『斬られた物は治らない』とでも、呪縛が掛かっているかのように。
されども、やはり傷口からも、治明からも魔力の気配は感じられない。
あるのは、濃厚な死の予感だけだ。
「武神タケミカヅチ。これから俺は、テメェを斬る」
退魔刀を正眼に構える治明。
普通の武術としての構え。特別なことなど何もない。あの構えになった時点で、本来ならば武神の速度にはついていけない。人間の反射速度では、雷を超えられない。魔力を使って、異能を用いて、初めて対抗できる相手というのが魔物。その中でも、極まった魔力の使い手だけが、魔神に対して戦う資格を得られるのだ。
だというのに、治明はその資格を投げ捨てていた。
完全なる人間として、武神に相対している。
そして、雷となった武神の腕を斬った。
「がはっ」
そのあまりの理不尽さ、不可解さに、武神は笑った。
狂ったわけでもない。諦めたわけでもない。目の前にある死の予感に恐れを為したわけでもない。そもそも、先ほど抱いた歓喜は萎えるどころか、これ以上なく燃え上がっていた。
「がはははははっ! いいぜ! いいぜぇ、若造! いや、剣士よ! 馬鹿は俺の方だった! お前の術理を何も見抜けず、俺は今、不可解の中にいる――だが、それがいい! それでいい! 殺し合いなんざ、これでいい!」
武神は足元に転がる霊剣を、左手で拾うと構えを取った。
右腕を失ったはずなのに、武神の構えは堂に入っており、少なくとも付け焼刃ではないと感じさせるだけの貫禄があった。
「殺せるかわからねぇ! 殺されるかもしれねぇ! この状況が、不利か有利なのかもわからねぇ! 次の瞬間、無様に死んでいるかもしれねぇ! それが戦いだ! 殺し合いだ! 俺が求めていた『生きている実感』だ!」
武神は豪快に笑いながらも、感覚はどこまでも研ぎ澄まされていく。
死への相対が、武神をさらなる高みへと導く。
雷による移動は行わない。左手に携えた霊剣と、白衣の装束、それと己の武のみを頼りにして、一歩、死地へと踏み出した。
「こぉっ!」
奇妙な呼吸音と共に、武神の肉体は滑らかに駆動する。
目を凝らしながら。治明から集中を途切れさせないように。なおかつ、全体を見失わないように、俯瞰しながら動く。
すると、武神の目に奇妙な物が映った。
それは、イメージだった。
治明の殺意が、斬撃となって空間に漂っているイメージ。
魔力を用いず、けれど、そこに踏み込んだのならば死ぬと、はっきりわかる殺意の軌跡が、武神には見えていた。
「これ、か」
武神は直感する。
先ほどの自分は、『これ』が視えなかったからこそ、斬られたのだと。
そのイメージは常に移り変わり、武神の肉体を捉えようと変化を繰り返す。
不可解ではあるが、そのイメージに触れてしまえば、容赦なき死が己に待ち構えていることを武神は直感していた。
だからこそ、武神は止まることなく踏み出していく。
「お、おおおおおおおおおおっ!」
治明と視線を合わせながら、体の動き、体重移動、呼吸。それらの要素が、視える殺意のイメージに影響を及ぼしている。
脳裏で死闘を描きながら、一秒先の死を乗り越えるために、武神は霊剣を構えた。
武神のイメージでは、機会が訪れる瞬間は一瞬。
霊剣を携えて、間合いに入った瞬間こそが、最大にして最後の好機。
人間よりも各段に素早い速度で。
雷に比べれば、鈍間が過ぎるような速度で。
武神の足は治明の間合いに踏み込み、瞬間、目の前に溢れる死のイメージが増大した。まるで、治明を中心に花が描かれたかの如く。それらの軌跡は咲き誇るように、武神の命を奪わんとする。
「こ、れ、だぁ!」
だからこそ、武神が踏み込んだ瞬間、行ったのは『投擲』だった。
自身の力の象徴でもある霊剣を、治明に向かって投げつけたのである。
それは、賭けだ。この敵対者に対して、魔力の有意や、装備の特殊性で戦えば戦うほど、ドツボに嵌ると感じた武神の賭けだ。
相手は魔力を使っていない。ならば、過剰な攻撃力など不要。霊剣という見せ札を使い、人間よりも圧倒的に優れた腕力により、治明の肉体を破壊する。
だが、武神は気付いていない。
勝利に執着しているが故に、命懸けの殺し合いを楽しんでいるが故に、気付かない。
剣を投げ捨てた時点で、剣では治明に敵わないと、無意識で認めてしまっていたことを。それを意識的に理解していれば、あるいは、結末は違っていたかもしれない。
「――――は?」
武神は霊剣を投げた直後、思わず疑問の声を上げた。
何故ならば、居ないからだ。投げた先には、治明が居らず、投じられた霊剣は虚しく空を行くのみ。されど、何処にも姿は見えない。
右にも、左にも、上にも。
ならば、後ろ? 否。違う。魔力を使おうとも、武神を完全に出し抜いて背後に回ることなどは不可能。
従って、残る一つの視点こそが、正解にして、武神が最後に見た治明の姿だった。
「しぃっ!」
足元。
武神の足元に、治明は居た。
それは、意識の間隙を縫う動き。速度ではなく、動作の早さをもって制する移動術。殺意によって行動を誘導し、目線を合わせたことにより、呼吸を盗んだ一瞬のペテン。
前のめりに倒れ込むようにして沈んだ治明には、投擲された霊剣は当たらない。
武神の意識から外れた治明は、そのまま、両足から腰までを酷使。脱力しての移動からの、倒れ込む寸前で姿勢を維持。刃を降る前の『溜め』を作った。
そして、鋭い呼気と共に、振るわれた剣閃が一つ。
「ああ、くそ」
治明が振るう剣は、当たり前に白衣を斬る。
雲すら切り裂くように、白衣を真っ赤に染め上げて。
「ようやく、楽しくなってきたと思ったら、これだ。まったく、何時の世も、人間は、つくづく、思い通りにならねぇ……でも、それが、おも、しろ……い…………」
その刃は、武神の肉体を切り裂き、核である魔結晶をも切断していた。
つまり、土御門治明はこの瞬間、単独での魔神殺しを成し遂げたのだった。
●●●
この世界では、魔力を巧みに扱える者が強者だ。
けれども、それはあくまでも『この世界』の話である。
異なる場所。異なる法則。異なる世界ならば、また話は違ってくるだろう。
その理の中で戦っている限り、越えられない一線という物が存在する。だが、それを超えることが出来たのならば、それは即ち、『己の理』を持つ権利を得たことに他ならない。
例えば、保有魔力が僅かな剣士が、かつて『斬撃概念』を用いて、魔神を斬り殺したのと同じように。
世界の壁を認識し、それを超えうる素質を持つ者が、相応の修練を重ねれば到達するのだ。
――――超越者とも呼ぶべき存在へと。
「………………はぁっ、はぁ、はぁ……っ! あぶ、なかった」
されど、『超える』ことは出来たとしても、その力を持ちながら長生きできた者は少ない。
いくら『全てを切り裂く』という理を得たとしても、その力を使っている間の代償は大きい。既存の理の象徴である魔力による強化は、最低限でなければならない。あるいは、先ほどの治明のように、まったく使わないという状態でなければ、逆に、自らが至った理は、自分自身を傷つけ始めるだろう。
最後の一撃を放つため、僅かに両足へ魔力を巡らせた代償として、治明の右足の腱が切り裂かれてしまったように。
そして当然、代償は簡単には癒えない。
魔力で止血して、辛うじて腱の動きを代替させることで動けるが、その間、絶えず緩和できぬ痛みが治明を襲い続けるだろう。
「少し、何か少し違っただけで、俺は即死していた……それでも、勝てた。勝ったのは、俺だ。俺が…………いや、余韻に浸るのは早すぎる」
苦痛に顔を歪め、額から流れる嫌な汗を拭う。
武神との死闘に勝利しながらも、治明は休まない。
新たに得た力は強力であるが故に、無視できない弱点も存在する。これから、簡単に無双などと暴れまわることは出来ない。
全て承知の上で、治明は再び戦いへと身を投じようとする。
「休むのは、全部が終わって……全員揃ってからだ」
こうして、土御門治明――――『特異点』は、世界を変えうる理を得る。
その力を誰に向けるのか? 選択が迫られる時は、そう遠くない。




