第105話 荒れ狂う龍 5
治明は未だ、骸骨剣士を修行の内に切り伏せてはいない。
七百にも及ぶ戦いを経ても、治明の刃は骸骨剣士に届かない。いや、片腕程度は切り落とすぐらいの戦果は挙げているのだが、それも、相手の策略の内。骸骨剣士は片腕というリソースを最大限に使い、治明の攻撃を誘導し、あっさりとその首を断ち切っている。
治明にはそれが不思議だった。
骸骨剣士の性能自体は、最下級の魔物と同等程度。普通の成人男性の方が、あるいは力があるのではないかと疑うほど、貧弱だ。速度だってそれほどではない。百メートル走をすれば、治明が間違いなく勝利する。肉体的強度は比べる事すらおこがましい。強化された治明ならば、機関銃の掃射を受けても無傷。炎を纏えば、大砲やミサイルを撃ち込まれても何一つ問題としないほどの強度がある。
一方で、骸骨剣士はトンカチで殴られれば、普通に砕けるほどに脆い。
それだけのハンディを貰いながら、治明は未だ、骸骨剣士を切り伏せられない。
――――何故、負ける?
何度も敗北を刻まれながら、治明は疑問を重ねていた。
技の練度が違うのは分かる。だが、あくまでも技とは、『多少の力量差』を補う程度の物に過ぎないはず。どれだけ武術を極めた者だろうが、一般人ではゴリラや熊と戦えば、あっさり死んでしまうのと同じように。
基本的に、圧倒的な性能差は技を凌駕する。
そもそも、技が肉体の性能差を覆すというのならば、飛び道具や火器の類は誕生しなかっただろう。夢も浪漫も無いことだが、基本的に剣よりも銃の方が強いのだ。無論、武術の類が無意味というわけでは無いが、それでも、一人の達人を育て上げるよりも、一丁の拳銃を買う方が圧倒的にコストパフォーマンスは安い。
――――何故、届かない?
されど、骸骨剣士の剣技は、そんな現実を切り裂いている。
魔力もろくに込められていないはずの剣技。見えているはずの剣技。止められるはずの一刀。それらはまるで、本当の魔法のように治明の防御を切り裂く。
治明は何度も戦うごとに、うっすらとその正体に気づきつつあった。
骸骨剣士の武術を真似ることによって、段々と不可解を解消しつつあった。
例えば、それは眼球運動の盲点を突く一撃だったり。例えば、意識の間隙を突くための動きだったり。しかし、それでも、最後の最後、どうしても分からない物が一つ。
――――何故、この剣は自分を斬れるのだろう?
強度で劣る剣で、強度で勝る肉体を切り裂く方法。
魔力で強化された退魔刀すらも切断する、謎の一撃。
その謎だけが、未だ、治明は掴めていない。故に、骸骨剣士を超えられずにいる。
魔神殺しの絶技。
そこに到達しない限り、越えられない相手というのは存在する。
骸骨剣士だけではない――――タケミカヅチという武神もまた、その内の一つだった。
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「がははは! 良いぞ、良いぞぉ! 俺の速度について来られる強者は、一握りだ! そこは誇っていい!」
視界の中で稲光を知覚した時点で、既に一撃は振るわれている。
治明の退魔刀は、辛うじてその太刀を防ぐが、明らかに遅い。タイミングが合わず、勢いに押し込まれて、たたらを踏む。そこを狙いすませたかのように、豪快な動きで、けれど、繊細な技を絡めた剣技で、治明の体勢を崩そうとしている。
「くそ、がぁ!」
悪態を吐く治明は、その崩しに対して、刀を離すことで対応した。
武器を手放すという行動。それは、まともな戦闘では悪手かもしれないが、治明に限っては必ずしもそうではない。退魔刀が無くとも、治明は既に、その手の中に炎の刃を具現化させるほど、異能を極めている。従って、退魔刀を媒体する時よりも劣るが、武器を捨てても、いつでも武器は作ることが可能なのだ。
「思い切りがいいなぁ! だがぁ!」
退魔刀を離したことにより、武神の崩しの動きは逆に、武神自身の動きが止まる隙を生む。そこに、すかさず治明は炎の剣を振るうのだが……手ごたえは無い。まるで、雲でも斬るかのように、炎の剣は武神の肉体をすり抜けた。
「雲を斬れなければ、俺は殺せぬぞ? 若造」
「――――っ!!」
炎の剣を振り切った直後、治明の体が吹き飛び、路地の壁すらも破壊して転がっていく。
打撃。太刀を持たぬ手を用いた、牽制程度の技。その程度の技でも、人間である治明では防御を集中していなければ、死にかけない一撃だ。
されど、治明は転がりながらも体勢を戻して、すぐに立ち上がり、炎の刃を振るう。一見、攻撃を受けた素人によるがむしゃらな防御反応に見えるが、振るわれた炎の刃は、稲光と共に襲来した武神を捉えていた。
「がはははは! 雷に対応するか! 面白いなぁ、現代の剣士よ! かつて、蹂躙されるだけであった人間が、ここまで成長するとは! 面白い! 面白い! さぁ、そのままこの俺を殺して見せろ!」
「て、めぇ」
「殺せぬのならば、貴様が死ねぇい!!」
炎の刃は確かに、武神を捉えていた。
しかし、武神が気合の一声と共に振るった太刀によって、吹き飛ばされてしまう。魔物を焼き殺す炎で作られた刃が、まるで蝋燭の火のように消される様は、まさしく絶望的だ。
治明の推測では、武神タケミカヅチが振るう太刀は、霊剣。しかも、神話に登場する類の物だ。かつて、まつろわぬ者を平定し、斬り殺すために使われた剣。
神が振るう、神すら殺す剣。
それに掛かれば、即興で作り出した炎の刃は分が悪い。
「うるせぇ、んだよっ! テメェは!!」
「うおっと! それは、少々熱いなぁ!! がはははは!!!」
そのため、治明が選んだのは収束ではなく、拡散だ。
魔物殺しの炎を高密度で振るい、渦の結界を作り出す。これにより、魔力で具現化した肉体を持つ武神は、一時的に下がらざるを得ない。そう、本来は一撃必殺の技ですら、武神に対しては『とりあえず様子見しておくか』程度の防御にしかならない。魔力を湯水のように使って、仕切り直しと、思考時間を得るぐらいの効果にしかならない。
それこそが、武神。
脅威度ランクAの最高位。
理不尽が何重にも重なった理不尽。
かつて、人が畏れることしかできなかった存在だ。
「考えろ……考えろ、勝機はある……こちらの攻撃は、まだ通じる」
全力全開で纏う炎の渦。甚大な消耗と引き換えに得られる思考時間は、僅か数秒だ。しかし、今の治明にとっては、それだけで十分。
魔力で強化された思考速度が、速やかに状況を把握し、か細い勝機を探す。
タケミカヅチを名乗る武神の攻撃方法は二つ。
一つは雷撃。脅威度ランクB上位程度ならば、一撃で滅却する神罰の雷。
これの対処は難しくない。魔力を用いて引き起こした現象ならば、魔物殺しの炎による相殺が可能だ。常に炎を身に纏えば、奇襲を受けてもすぐに対応できる。
もう一つは、霊剣を用いた直接攻撃だ。
この霊剣の強度は恐らく、世界有数。斬れぬ物などほとんどなく、治明も炎を収束させていなければ、実体を持つ退魔刀を媒体にした状態でも、受けることがやっとだ。加えて、タケミカヅチという武神を名乗っているだけはあって、相応の剣術も使ってくる。力任せの棒振りではない。術理を用いた剣の軌跡は、一瞬でも気を抜けば致命に繋がる。
それでも、剣術に関しては治明の方が上手だ。古代の武神であるが故に、武術の重ねが足りない。古代ならば極意とされる情報も、現代、しかも機関に所属する治明ならば、何の苦労もなく閲覧が可能だ。実戦経験ならば、骸骨剣士と刃を交わした訓練で、既に十分過ぎるほどに得られている。
だから、問題は『どうやって武神に攻撃を通すか?』に集約されるのだ。
「やってやる」
小さく呟いて、治明は自ら炎の渦を飛び出す。
それは、武神の虚を衝いた疾走。速さではなく、早さを求める肉薄の方法。事実、武神は治明が剣を振るうタイミングになってようやく、その攻撃を知覚する。
「―――愉快っ!」
しかし、本来であれば確実に刃が通るタイミングであっても、武神は捉えられない。稲光と共に、武神の心身は雷となって、治明の刃を潜り抜ける――否、それだけではない。雷の速度というのは、人間の知覚速度を圧倒的に凌駕する速度だ。故に、治明が検討違いのところに刃を振るっている間に、武神はがら空きの胴体へと太刀を振るうことも可能となる。
もっとも、それは既に治明も知っている。
雷の速度で攻撃してくる規格外への対抗策は、鬼神との戦いで学んでいた。
「うおうっ!?」
武神の振るった太刀が空を切る。治明の肉体だと思っていたそれは、幻術で作り出した炎の人型だ。炎の渦から飛び出したのは偽物であり、本物はさらに炎の熱で空気を捻じ曲げて、姿を隠しながら移動していたのだ。
そして、治明はこの戦いで学んでいる。
タケミカヅチという武神が、霊剣を振るうには実体化しなければならない。雷のままでは、恐らく『装備』の効果は発揮できないのだ。さらには、雷のまま治明に突っ込めば、常に魔物殺しの炎を纏う治明に対しては不利だと理解している。従って、武神は攻撃時には実体化して、剣を振るう。逆に言えば、剣を振るっている間は、雷の速度で動けない。
「しぃっ!」
鋭い呼気と共に振るわれた一刀は、見事な物だった。
治明がありったけの炎を収束させて象った、炎の剣。直撃すれば、鬼神である大山すらも手痛いダメージを追わざるを得ない一撃。
その一撃が、やはり『雲を斬るように』透かされる。
「見事ぉ! だが、悲しいかな! 装備の差が大きいなぁ! がははは!」
前回の意趣返しのように、武神は周囲へと雷撃を放つ。
牽制と呼ぶには余りにも強力な雷の嵐を受けて、治明はとっさに距離を取った。もう既に、雷を全て焼いて相殺するだけの魔力は無い。距離を取った際に、転がっていた退魔刀を拾えたが、刀身は既に、相手の霊剣との剣戟で刃こぼれが幾つもあった。
「やはり、一時的な無敵状態か」
装備の差。
武神の言葉の意味を、治明は痛感していた。
特別な物は、霊剣だけではない。身に纏う雲の如き白衣の装束。それが、治明の渾身の一刀を透かしていたのだ。
「ご名答ぉ! だが、安心しろ! 常に無敵ってわけじゃあない!」
「だろうな。出来て数秒……違うか?」
「おうとも! そして、それだけで十分! 違うかァ!?」
「…………クソが」
図星を突かれたように、治明は苦々しく顔を歪める。
雷の速度での移動。霊剣での剣術。その二つだけならば、治明は紙一重の実力差で、武神に勝利することが出来ただろう。
しかし、そこに防具による無敵化が加われば、力関係は逆転する。
たった数秒間の無敵。連続発動は恐らく不可能。けれども、渾身の一撃を透かさせる力を持つ防具は、決定的なまでに武神と治明の力量差を示していた。
一撃で良いのだ。
連続で無くともいいのだ。
治明がリソースを消費しながら放つ一撃を、透かす程度で良い。それだけで、天秤は大きく武神へと傾くのだから。
「さぁ! さぁさぁさぁ! どうする、若造!? この窮地! 決定的な戦力差! それを覆せるだけの器はあるか!?」
武神は太刀の切っ先を治明に向けると、豪快に笑った。
心底、戦いが楽しくて仕方ないという笑い方だった。
まさしく、武神と呼ぶにふさわしい笑い方だった。
「何度も言うが、うるせぇよ」
それが治明には気に入らない。
何やら人語を介する高位の神だろうが、結局は『魔物』だ。魔に属する物だ。武神という型に嵌った思考で、人類へと身勝手な試練を与える厄介な存在だ。
もっと真っ当に現世に召喚されていたのならば、無辜の民を守る神になっていたのかもしれない。けれど今、この場に現れた武神は、戦乱の気配に惹かれただけの魔物だ。
戦いに酔いしれている。
ならば、治明は退けなければならない。
退魔師として、戦乱の種は退ける。例え、神だろうが切り伏せる。
リソースの有無など関係ない。
今、ここでぽっと出の武神ぐらい倒せなければ、到底、同僚たちと肩を並べられない。
「…………ふぅー」
武神を睨みながら、治明は緩やかに息を吐いた。
気を抜いたわけではない。ただ、覚悟を決める事と、余分に力を入れることは別だと今更ながらに気づいたからだ。
――――思い出せ、あの骸骨剣士はどうしていた?
治明が当初、想定していた勝機とは、数秒間の無敵時間を塞ぐように、魔物殺しの炎で焼き続けるということだった。何を犠牲にしてでも。一時的にでも奴の雷を圧倒し、焼き尽くす。あくまでも剣術は相手の攻撃を防ぐための布石、その予定だった。
「はっ、そうか。そりゃそうか。当たり前だ。こんな無様で、奴に勝てるわけが無かった」
しかし、治明は現在、その勝機を一切合切投げ捨てた。
常に纏っていた炎を消して。いや、魔力すらも抑えて。ただの一般人と相違ない状態で、一本の刀を構えている。
「おいおい、自殺願望かよ? 俺ァ、そういうの面白くないんだがねぇ?」
当然、そんな真似をすれば死ぬ。
雷の速度に対応できない。
あるいは、適当に放った雷すらも防げずに死ぬだろう。
人間の反射速度では、狙いを定めた雷撃は避けられない。魔力で強化して、策を巡らせて、初めて戦いになるのが魔神という相手だ。
どれだけ武術を極めようとも、そこは変わらない。
戦う前提にすら辿り着けない。
「…………」
だというのに、治明は沈黙を保ったまま、刀を構えていた。
戦いへの高揚も、死への恐怖も、気負いもなく。ただ、あるがままに構えている。
荒々しく騒がしい武神とは、まるで対極にあるような構えだ。
「そうかい。じゃあ、死ねよ、馬鹿が」
故に、武神は気付かなかった。
気づかないまま雷の速度で接近し、反応すらできない治明を正面から切り伏せようとして。
「…………あ?」
霊剣を携えていた自らの右腕が、斬り落とされていたことに。
「まったく、阿呆らしい」
一方で、治明は刀を構えたまま笑った。
武神ではなく、今まで気づかなかった自分自身に呆れるような笑みを浮かべて、一歩、踏み出した。まるで、散歩にでも向かうかのように気軽に。自然体に。
「こんなにも簡単なことだったなんて」
治明は魔力も使わず、刀を振るった。
ただそれだけの、何の変哲もないはずの動きから、治明の反撃は始まった。




