第103話 荒れ狂う龍 3
芦屋彩月にとって、魔力とは即ち、リソースだった。
己が魔術を行使するためのリソース。大抵、己の内側で練り上げた物を、術式によって形を整えて起動させる。イメージとしては、『水をこねて粘土にする』という言葉が一番近しい。
形無き水流に触れて、形を与える。
それが、術式を付与するということ。
形作った術式を、最後は己の意思によって点火させることによって、その粘土は爆薬となって己の外側へと放たれる。
当然、原料である魔力が尽きたのならば、何もできない。
周囲に満ちるマナを扱う技術もあるのだが、照子のように、『周囲の物体をマナに還元する』なんて荒業を使うことはできない。そもそも、自分の外側にある魔力を使うという時点で、水道水を自分の血液にぶち込むような違和感があるのだ。簡単に出来るという話ではない。
『駄目だな、全然なってねぇ。もっと発想を広げろ。解釈を飛躍させろ。才能の無い術師がそんなことをすれば、そりゃあ、自爆して死ぬのがオチだが、テメェは違うだろ? オレの子孫って言うなら、もっと自由に動いてみな! かかかか!』
だからこそ、彩月はまず、己のイメージから見つめ直すことにした。
己の内側から魔力を練り上げるのではなく、外側も含めた『世界』を己自身と定義する。
裸で荒野を放浪したことにより、彩月の中にあった自他の境界が曖昧となり、そのような解釈が可能となったのである。
これにより、まず、彩月は自身の内側から生まれた魔力――オドよりも効率が劣るが、周囲のマナを扱うことを覚えた。今まではかなり面倒な術式を経由しなければ、扱うことが不可能だったのだが、平然と自分のリソースとして扱うことが可能となった。
さらに、彩月はイメージを広げる……否、飛躍させる。
形無き水流に触れて、形を与えるのではなく、形無きままに扱う。水流から掬い上げるのではなく、己もその水流に飛び込んで、その一部として扱う。
奇しくもそれは、相方である照子とは真逆の発想であった。
周囲から略奪するではなく、自分と周囲を同一化させる。この発想により、彩月はさらに魔力の効率化を可能としたのだが、それでも、まだ足りない部分があると思っていた。
自他との境界を薄めるが故に、下手をすると余計な情報が彩月に流れ込み、自我を保てなくなり、最悪、廃人となる可能性があったのだ。故に、彩月にはまだ踏み込みが足りなかった。古代の魔術師であるミカンとは違い、死生観がまともな術師は死ににくいが、飛びぬけて成長しにくい。
従って、彩月はまだ修行を終えていない。
魔神器官の討伐には連れて行けず、地元の町で留守番することになったのである。
だが、リースの死亡によって、神代回帰が発動し、日本という国は神域へと押し上げられた。国土全域が、全て魔神を召喚可能な境界へと変貌してしまったのだ。
当然、これには彩月も含めた機関のエージェントたちは驚愕により、混乱が生じてしまったのだが。
「あ、そっか。こうすればよかったのか」
この時、彩月の中で何かが弾けた。
それは変化というよりは革命。革命というよりは再誕となる気づきだった。
周囲に過剰なほどマナが満ちる領域へと変貌してしまったからこそ、魔力という形無き水流の中で、自分を保つイメージを獲得することができたのだ。
――――この瞬間から、彩月は超級の術者として覚醒を始める。
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「大結界内部の魔物の駆逐を完了。これより、作戦を第二段階へと移行する」
彩月は街を守護する結界の起点となる場所――即ち、屋敷の修練場にて胡坐をかいていた。身に纏う装束は、狩衣に近しい芦屋家の正装。
周囲には、同様の服装を身にまとった芦屋家傘下の術師たちと、己の式神たち。
混沌とした世界情勢と反して、彼らは畳の上に座り込み、静かに彩月の行動を見守っている。
「魔結晶へのマーキング……結界内部のマナを用いた仮想肉体を構築……召喚術式と混合……指定ランクはDからCで。知能は必要ない。術式で縛って、こちらの道具とする」
彩月が虚空へと視線を向けながら、何かと呟く度に、町全てへの影響が切り替わっていく。
第一段階は、結界強化による領域掌握。これにより、新たなる魔物は彩月の許可なく、町から現れることは無い。
第二段階は、領域内の魔物の駆逐。
彩月によって強化された結界は、非常に強い退魔の属性を帯びる。これにより、領域内の魔物は全て駆逐された。脅威度ランクなど関係ない。駆逐された中には、ランクB上位や、ランクAに位置する魔物も居たのだが、場と相性が悪かった。
元々敷いていた芦屋の結界内部で、覚醒した彩月の術式に抗うというのは、肺呼吸をする生命体を深海に叩き込み、今すぐ鰓呼吸を習得するぐらいの無理難題だったのだ。
そして、第三段階。
「術式完成――【傀儡・百鬼夜行】」
彩月は領域内に散らばった魔物の魔結晶を媒体として、魔物を式神として召喚した。マナは神代回帰のおかげで過剰すぎるほどあるので、それを用いて仮想の肉体を構成。能力だけは残して、知性などは全て消し去った状態で召喚。つまり、彩月の意のままに動く端末として、式神を大量に作り上げたのだった。
「足りない手を埋めるための手段は用意しました。皆さん、これから私が指示しますので、それに従って動いてください。まず優先すべきは、民間人の救護。第二に、ライフラインの確保。手が空いた者から、機関への連絡を試し始めること。私の許可が無い限り、町からは外に出ないように。隣町への応援は、こちらが全てを終えてから行います」
静かに、けれど有無を言わせぬ口調で命じると、芦屋の術者たちは無駄口一つも叩かずに、命令を実行するために動き出す。さながら、絶対王者に傅く家臣たちのように。
いや、実際に芦屋の領域内に於いては、今の彩月は絶対なる力を所有していた。
卵の殻を破るように。
あるいは、雛鳥が飛翔するように。
滝を登る鯉が、龍へと変じるように。
芦屋彩月という少女は、一時間ほど前とは比べ物にならない力を持った術師へと再誕していたのである。
しかも、急速な覚醒に関して彩月は、違和感すらない。むしろ、どうして今まで気づかなかったのか、と不思議になるような想いだった。
「救護担当は、結界内部で通じるように術式トランシーバーを渡します。使用方法は、私が脳に刷り込みますので、抵抗しないように。百鬼夜行の式神たちへの操作権限もそれぞれ付与しますから、上手く使ってください」
今の彩月にとって、芦屋の結界内部の出来事は手に取るようにわかる。
何故ならば、もはや結界内部の領域は彩月の手足と延長線にあるからだ。その代わりに、膨大な情報が常に脳内へと流れ込んでくるのだが、今の彩月にとっては些事だ。
己の手足を動かすために、混乱する人間などは居ない。
同様に、結界内部の情報を習得することに、今の彩月が苦労することは無かった。
「さて、町のことはこれでいいでしょう」
従って、彩月が問題とすることがあるのならば、町の外に関することだ。
「クラマ。隣町での任務に就いていた、治明とエルシアちゃんの捜索をお願い。肉体はいつもよりも強化してあるけれど、戦闘は非推奨。発見と合流を優先して」
「あいよ、了解したぜ、我が主」
手持ちの式神の中で、柔軟な対応が可能な鞍馬天狗のクラマへと指示を飛ばす。
後山町の守護は、芦屋と土御門の一族だけで十分に足りるのだが、運悪く、神代回帰が起こった瞬間、治明は隣町へと出向していたのだ。
治明ならば、例え魔神相手でも後れを取ることはないと信じている彩月であったが、現状は何が起こるか分からない混沌としたもの。出来る限りの戦力を集中させておくに越したことはない。よって、彩月は隠密行動を得意とするクラマに捜索を任せたのだ。
「コマはこの拠点を守護すること」
「はいニャ!」
猫又のコマへの指示は、拠点となる芦屋の屋敷の守護。
それは即ち、彩月自身がこの場から離れなければならない用事が出来たことに他ならない。
「オウマは私の足になって。アズマは封印を解除するから。準備しておいて」
「くふふふ、おうさ。久しぶりに全力で体を動かせそうじゃのう」
麒麟のオウマへの指示が意味することは、彩月の移動手段の確保。
龍神のアズマへの指示が意味することは、対魔神規模の戦闘を準備だ。
「分かっておるな? 我が主」
「ええ、わかっているわ、アズマ。今の私は絶好調だけれども、厄介なことに、そいつと戦う場所は町の外に…………いいえ、遥か上空になりそうなのだから」
アズマの問いかけに頷くと、彩月はオウマの背に乗る。
騎乗のための鞍も手綱も必要ない。
麒麟たるオウマは、認めた相手を背に乗せるのであれば、例え、雷の速度で動いたとしても、全く風や衝撃を与えことなく移動することが可能なのだから。
加えて、主たる彩月が覚醒した今ならば、周囲にマナが満ち足りたこの条件ならば、空間転移すら可能とするだろう。
「行きましょうか。ここが踏ん張りどころよ」
されど、彩月の表情に油断は無い。
二体の式神を引き連れて、遥か上空に座する敵の下へ、転移を開始した。
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――――それは『怒り』だった。
空の青と、虚空の黒が混じり合う空間に、それは発生した。
惑星規模の龍脈の変則接続。本来であれば、龍脈一つずらすだけでも、大規模な異変が周囲に起こってもおかしくないというのに、世界中の龍脈を極東の島国へと繋げる。そんな前代未聞の荒行を成し遂げてしまったのだから、当然、反動も相応の物になる。
惑星に感情という物はない。
自然の総意は、本来、数千年程度の規模で発生した万物の霊長などに、意識を向けない。
されども、そんな取るに足らない何かに内臓を掻きまわされたのであれば、怒りのような反応が生まれても無理はないだろう。
例えば、大地震。
例えば、大噴火、
例えば、氷河期。
その他、天罰を下すための手段は、数多に存在する。
『怒り』はその中でも、もっとも状況に適した物を選んだ。
あらゆる災害を起したとしても、惑星規模の龍脈への干渉の反動足り得ない。仮に、大陸が沈むほどの津波が起ころうとも、惑星に住まう人類には、それをどうにか出来るほどの力が存在しているのだから。
故に、自然の総意は『怒り』として、それを生み出した。
『――――――ォオオオッ!!!』
雷鳴の如く吠えたける声。
稲光を纏う、黄金の鱗。
全長は日本列島の最北端から、最南端まで。
巨大という言葉を使っても、まだ足りないほどの大きさのそれ。
そう、それは龍であった。
黄金の龍――黄龍と呼ばれし、自然の化身であった。
魔物と呼ばれる、異界の侵略者ではない。
正しく、自然から生まれた『天罰現象』だ。本来であれば、リースを中心とした侵色同盟によって、この『天罰現象』を発生させずにことを為すつもりだったのだが、リースの死亡によって、完全な形で顕現してしまったのである。
『URRRRRRRR』
薄い空気を鳴動させて、それは静かに眼下へと視線を向けた。
その身は全て、圧縮された高純度の魔力で構成されている。物理現象なども、自然の『怒り』を体現するために歪曲させる権限を持つ個体だ。
それは、『怒り』が消え去るまで……即ち、己が魔力を使い果たして消え去るまで、惑星の生命体を焼き続けるだろう。
善も悪も関係なく。
道徳や倫理などと言った、人間が定めたルールなど意にも介せず。
自然の体現者は、脅威度ランクA最上位に近しい力を持って、天上から裁きの雷を降らせようとする。
「間に合ったみたいね。さぁ、同じ龍としての意見をどうぞ、アズマ」
「ふくくくっ! これは、死体が欠片でも残れば上々じゃのう!」
「なるほど。それは、面白くなってきたわね」
その眼前に立ち塞がるのは、黄龍と比べてあまりにも小さな者たち。
麒麟に乗った術者、芦屋彩月。
龍神の権能を持つ魔神、アズマ。
一人と二体の矮小なる者たちは、あまりにも巨大な自然の怒りへと立ち向かう。
例え、相手が魔物ではなく、自分よりも遥かに巨大な相手だろうとも、撤退はしない。
「さぁ、手早く終わらせて、テルさんを迎えに行きましょうか」
人類を害する脅威を退ける事こそが、退魔師の仕事なのだから。




