第102話 荒れ狂う龍 2
「あれ? やらかしてしまったかな?」
魔神器官を全滅させた後、謎の地鳴りが起こり、周囲のマナが異常に濃くなったことを理解すると、私は密かに冷や汗を流した。
手向けの意味もあったが、リースを生け捕りにせずに殺したのは、最後の抵抗を恐れたからだ。正直、私が何故、リースにとってイレギュラーなのかは理解できない。なので、いつ何時、奴が私を克服して、恐るべき智謀で手玉に取って来るのかわからなかったのだ。
だからまぁ、さっくりと殺したわけだが……うーん、自身の死をトリガーにして発動する術式でも仕込んでいたのか?
「ともあれ、状況を判断するには情報が足りない、と」
私は怪現象が収まると、即座に、地下空洞から地上へと駆けあがった。
そして、すぐさま微弱な魔力を波として、周囲へと放つ。すると、しばらくして、美作支部長の反応が返って来る。うん、初めてやってみた魔力式のレーダーだが、思いのほか上手くいってよかった。
「――――美作支部長、状況を!」
「……急に雷速で近づかないでください、天宮さん。思わず、迎撃術式を打ちそうになったではありませんか」
「あ、すみません」
発見した上司の下へ、急いで駆け付けたのだが、どうにも急ぎ過ぎて怒られてしまった。確かに、雷の速度で迫って来る物体なんて、反射的に敵と判断して攻撃しても仕方ないよな、反省せねば。
…………いや、我ながらちょっと、色々とおかしい気がするが、今は気にしない。些末な事よりも、今は退魔師として状況把握を優先しなければ。
「あの、美作支部長。私がリースを倒して、魔神器官を全滅させた直後から、謎の怪現象が起こったのですが、それに関して情報はありますか?」
「…………ええ、魔力の奔流が強すぎて、ろくに電話も繋がらない状況でしたが、つい先ほど、
機関本部からの暗号通信によって、情報が来たところです」
美作支部長は無表情ながらも、緊張が分かる固い声で説明を始める。
「冷静になって、聞いてください。まず、先ほどの現象は、世界中の龍脈が変動して、この日本へと全て接合された時の余波です」
「…………は?」
「その結果、日本全土は全て境界となり、マナが過剰なほどに充満しています。そう、特殊な召喚術式を用いなくとも、異界側から魔神たちがやって来られるほどに」
淡々と紡がれる美作支部長の言葉に、私は一瞬、頭が空白になったが、呆けている暇すらも無いことを思い出して、すぐに立て直す。
正直、質の悪い冗談だと思いたいところだが、事は一刻を争う。
「恐らく、現世に出現する魔神たちのほとんどは、脅威度ランクB上位から、ランクAに位置するものばかりでしょう。しかも、それが一地方、都市規模で起こっている。まさしく、八百万の神々というわけです。神代への逆戻り……回帰してしまったのです、この国は」
「機関の対応は?」
「既に上位エージェントが編成を組んで、出現した魔神たちの対処に当たっていますが、正直、手が足りなさすぎます。下手に戦力を動かし過ぎれば、機関……いえ、人間の組織は魔神たちが跋扈するこの状況に押しつぶされてしまうでしょう」
苦々しく告げられる言葉に、私は拳を固めた。
恐らくは、私の所為だ。最善を尽くしたつもりだったのだが、何かが足りずに、こんな有様になってしまったのだ。ならば、責任は取らなければならない。
「天宮さん、冷静になって聞きなさいと言ったでしょう?」
「あいったぁ!?」
などと、我ながら思い詰めた考えをしていると、頭部辺りで魔力が弾けた。
とても痛い。なんかこう、私でなければ、頭が『パァンッ!』って弾ける一撃だったのだが、これはパワハラなのでは?
「タイミングから考えて、魔神器官の全滅がこの現象のトリガーになったことは間違いありません。ですが、恐らく……天宮さんが最善を尽くしたからこそ、この規模で済んでいる、と考えて方がよろしいかと」
「は、はい? いや、でも、世界規模の異変ですよね?」
「神算鬼謀のリース。その権能を用いた行動は、幾度も、我々機関を上回る物でした。まるで、未来を見通しているかの如き知略に、何度も辛酸を舐めさせられた経験があります。ですが、奴の策は本来、『気づいたら全てが手遅れ』という物が多いです。なので、この混沌とした状況は違和感があります」
「違和感、ですか?」
「はい。奴が世界規模の異変を起すのであれば、我々に抵抗の余地を残さないはずです。発動した瞬間、こちらの負けが確定するような隙の無い物であるはずです。ですが、現実は我々が足掻ける余地が……いいえ、リース自身が嫌う不確定要素がたっぷりの混沌とした状況となっているのです」
美作支部長の言葉に、私は納得した。
魔神器官というのは、リースにとっての身内だ。リース自身も含めて、身内が全て滅んだ時のために、あの異変を用意していたとしたら、それは自暴自棄で世界を滅ぼそうとする物だったのかもしれない。
だが、私たちは知っている。
魔神器官とは別に、リースが所属しているらしき組織が存在することを。その組織には、大山や芦屋陽介といった規格外の戦力があり、機関と敵対する物であると。
ならば、世界を滅ぼすための策というよりは、仲間の行動を助けるために、最後に遺した策略の一つ、と考えた方が妥当だろう。
「恐らく、奴にとっても今回の異変は苦渋の物だったのでしょう。最善ではなく、次善策。あるいは、最悪を避けるための予備プランだったのかもしれません。ならば、そこまでリースを追い詰めた天宮さんを褒めることはしても、責めたりはしません」
「美作支部長……」
「というか、貴方はメンタルを崩している暇すらありませんので。もはや、機関の中で特記戦力の一つなのですから、しゃんとして働いてください」
「あ、はい」
久々に、真面目に上司から怒られて、私は少し凹む。しかし、美人の上司から真っ当な理由で怒られるのは、よくわからない理由で、駄目な上司から怒られるよりも随分と気分が良い物だ。むしろ、怒られて精神が回復するまである。
だから、回復した分、きちんと働かないといけない。私は退魔師なのだから、こういう時に働かなければ。
「今後の第一目標は、市民の安全領域を作ること。そのためにまず、付近に降臨した魔神たちの討伐が優先事項です。より多くの魔神を駆逐し、龍脈を確保して、人間の安全圏を広げて行きましょう。その後、機関のエージェント同士で連絡を取り合い、合流をします。芦屋さんと土御門さんにも、同様の連絡は済ませていますから……ええ、大人らしく、彼らが余裕をもって動けるように、真っ先に手本を見せてあげましょう」
「了解です、美作支部長……ちなみに、封印はどうします?」
「…………私の権限で、一時解放します。ミカンに連絡して、封印を解除。貴方の全力を持って、この混沌を駆逐してください」
ああ、私は本当に上司に恵まれていると思う。
本当は駄目なはずだ。私という怪物を解き放つことを、機関の上層部……その内の一派は許容しないはずだ。それでも、私を信じて、この混沌とした状況で頼りにしてくれたのだ。ならば、期待に応えなければならない。
後で彩月と会う時に、大人として胸を張るために。
「了解です。私の全身全霊を持って、魔を退けましょう」
私はまた一つ、人間の領域から遠ざかる。
●●●
世界が変わるのなんて、一瞬だ。
少年がそのことを思い知ったのは、地面から雷鳴の如き地響きが聞こえて来てからだ。
「お、おおおあぁああ!?」
少年はとっさに、地面にしゃがみこんで体勢を保つ。
周囲には倒れてくる電柱も、ひび割れそうな窓ガラスなんてない。田舎町であることが幸いとしたのか、周囲にあるのは一面の田んぼだけだった。
「な、なんだったんだ? 地震?」
少年は混乱しながらも、何が起こったのかと、周囲を見回していた。
体中が震えてしまいそうな音の割には、地面から伝わる揺れは少なかった。少なくとも、深度三以上ではない。どちらかと言えば、地震の揺れ方というよりは、近くで何か大きな衝撃が起こって、その余波で地面が震えたような、そんな感覚だったことを少年は思い出す。
「と、とりあえず、余震かもしれないから、このまま待って、しばらく情報を……あ?」
人は思わぬ出来事にあった場合、他者の判断を知りたがる。
自分の決断をするための参考材料が欲しいのだ。特に、情報化社会では、まず検索だ。あるいは、SNSを通じて他の人の意見を集めたりする。
これは決して、間違いではない。むしろ、知識も何もなく行動するよりも、自分で調べようと行動できたことは褒められるべきだろう。
『――――ぐるぅるるるる』
だから、眼前から近寄って来る魔物に気づくのが遅れたのは、少年が悪いというわけではない。強いて言うのであれば、運が悪かったのだ。
「ったく、圏外? おかしいな、携帯の基地局でも壊れ、て……え?」
されど、運が悪くとも、悪運は強かった。
突如として起こった災害の所為で、携帯電話がろくに使えなかったからこそ、少年は目の前に迫る魔物に、ギリギリのところで気づいたのだ。
「…………は、はは、あれ? 仮装、っす、か? 夏、なのに、暑く、ない、ですかねぇ?」
『ぐるぐるるっ』
じりじりと少年に近づく魔物は、人狼と呼ばれる存在だった。
身の丈は二メートルほど。全身が狼の毛皮に覆われて、顔も巨大な狼のそれに近しい。しかし、四肢は狼よりも、人間のそれに近づいた形をしていて。なおかつ、大型ナイフのような鋭い爪があるのだ。
そんな化物が、口元から粘着質な涎を垂らしながら、自分に対して『食欲』を向けている。
「――――ひっ」
少年が思わず、喉を引き攣らせて、後ずさったのも無理はないだろう。
普段、少年は男子高校生として、一般的にアニメやら、映画なども嗜んだりする。すると当然、化け物や怪物、あるいは野生動物に襲われる一般人のシーンも見たりしていた。
そんな時に、少年はふと思うのだ。実際に、こういう場面になったのならば、自分ならばもっと動けるかもしれない、と。もちろん、友達などには『いやぁ、絶対に無理だわ。怖くて動けないわぁ』などとうそぶきながらも、自分なら出来る、という根拠の無い自信があった。
運動部だし、いざとなったら逃げることぐらいは出来る、と。
「…………っ、あ、あぁ」
しかし、現実にそういう場面が来てしまった今は、もう何も考えられずにいた。
背を向けて逃げ出すわけでもなく、拳を振るって立ち向かうわけでもない。ただ、怯えるだけの一般市民として、少年はそこにあった。
既に、根拠の無い自信などは微塵に砕けた。
アニメや、映画の一般市民みたいに『誰か、助けてくれ!』などと叫ぶ余裕すらない。そう、フィクションの中で馬鹿にしていた一般市民よりも、少年は動けずにいた。
『……ぐ、ぐぐぐっ……ぐらぁう』
蛇に睨まれた蛙のように、動けない少年の周りを、人狼がうろうろと歩く。
本能のままに飛び掛かりたい要求を、何かに考慮して抑えながら、周囲の安全を確認しているような動作だ。
『――――ぐるるぁあっ!』
やがて、周囲に邪魔な同胞は存在せず、自分一人でこの獲物を食えると確認した人狼は、勢いよく少年の首元へと噛みつこうとした。
だが、少年はその時になっても、動くことができない。
じっと、スローモーションとなった視界の中で、襲い掛かる人狼を、ただ、眺めていることしかできなかった。
『【芦屋の名に於いて、告げる――――我らが領域に踏み込む愚か者どもよ、潰れろ】』
ただ、それでよかった。
仮に、悲鳴を上げたり、慌てて逃げようとしたり、立ち向かう選択肢を選んでいたのならば、間に合わなかっただろう。食べやすい獲物としての振る舞いだったからこそ、結果的に少年は命を長引かせる結末を得られたのだ。
そう、突如として人狼の肉体が、潰れることによって。
「…………なん、だよ、これ?」
少年は、目の前に起こった出来事を、最後まで何もできずに呆然と見ていた。
恐れる時も、襲い掛かった人狼が、透明なハンマーに潰されように、血肉を地面にまき散らした時も。最後、その死体が消えて、曇ったガラスのような鉱物が残されようとも。
そして、この騒動が終わるその時まで、少年は何も知らずに生きていくことになる。
そう、後山町に住む者たちは概ね、この少年のように、一変した世界の中でも、無知に生きることを許されていたのだ。
世界が一変しても、日本が神の国となっても、芦屋と土御門の一族が揃っている田舎町では、ほとんど一般人に被害が出なかったという。




