第101話 荒れ狂う龍 1
世界の分岐点は、何時だって唐突に現れる物だ。
例えば、一発の弾丸が世界中を巻き込む紛争を生み出すこともある。
例えば、一発の爆弾が、戦争の在り方を変えてしまうこともある。
そして、たった一つの決着が、世界の在り方を――否、『世界観』を変えてしまうことすら、あり得るだろう。
「あ、リースさましんだー」
「…………えっ?」
リースが照子の拳によって消し飛ばされ、シェルも完全に焼き払われた同時刻。
決戦の場所から遠く離れた市街地の中で、『夜鷹』と名付けられた眷属の内の一体が、その異変を感知した。
「あの、夜鷹さん? そんな、悪い冗談――」
夜鷹と共に、市街地の中で潜伏していた少女――姫路奈都は、唐突に呟かれたその声に、戸惑いを示す。だが、その個体が奈都へと答えを返す前に、他の夜鷹たちも次々と、同様の報告を行っていく。
「ほんとうだー」
「しんだー」
「あやつのしわざかなー?」
「ありえるー」
「こまったものですなー」
それは、まるで近所のコンビニが潰れた、みたいな軽々とした口調だった。
従者が仮にも、主の死を感知した時の台詞といては、かなり不適格だろう。故に、奈都はその言葉を、悪い冗談だとしか思えなかったのだが、その真実を追求するよりも前に、夜鷹たちは行動を起こした。
「じゃあ、あれですな」
「あれだねぇ」
「ぜんたーい、めっちゃしゅごたいせいー!」
「「「おういえー!」」」
「おわぁ!? あの、夜鷹さんたち!?」
戸惑う奈都には構わず、夜鷹という群体生物は次々と、奈都の体に飛びついて、ぎゅっと抱きしめていく――――まるで、何かからその身を挺して守るように。
「やおよろずけいかくのはつどうをかくにん」
「さん、にー、いちー」
「しゅごけっかい、さいだいしゅつりょくー」
「やれやれだぜー」
「でも、これがおしごとなのでー」
そして、異変は起きた。
地面の下から鳴り響く雷鳴。
その予兆の音を例えるのならば、この表現が一番的確だろう。だが、問題はその鳴り響く雷鳴の音が、世界中の地下深くから同時に聞こえているということだ。
この時点で、まず、強烈な音の振動で多くのガラス窓が破砕し、建物の一部がひび割れる地域もあっただろう。
何も知らぬ人々の大部分は、大地が吠えるような音に怯えて、耳を閉ざそうとする。一部の賢明なる者たちは、この後にやって来るであろう、地震やら地割れなどの大災害を想像して、いち早く周囲への避難を促そうとする。しかし、雷鳴の如き音が全ての声を掻き消す。
やがて、その雷鳴の如き音は三分ほど続くと、ぴたりと止んだ。
「え、あ? なん、だったの?」
夜鷹たちにくっ付かれていた奈都は、恐るべき音から解放されて、ほっと息を吐くように声を出した。まだ、耳鳴りが止まないが、それでも、夜鷹たちへと声をかける。
「ね、ねぇ、夜鷹さんたち? これって、大地震の予兆だったりするのかな? あの、逃げた方が良いんじゃ?」
「ちがう」
「えっ?」
「じしん、ちがう」
「つなみも、ちがう」
「そういうのじゃない」
「うん――――もっと、ひどい」
この時点で、正しく状況を推察出来ている者は、世界には一握りしか存在していない。
その数少ない存在の一つが、夜鷹たちだった。
リースの従者たる彼女たちは、主が死亡するという最悪のシナリオが発生した場合、どのような『次善策』が発動するのか、予め教えられていたのである。
故に、突如として、地面から金色の光が湧き上がるように空に放たれたとしても、まるで動揺することはなかった。
「くるねー」
「きてほしくないねー」
「すいていらんくはー?」
「ぎりぎり、びー?」
「それなら、なんとか?」
「でもなー、かきゅうでも、かみですぞー?」
「にげるぐらいなら、なんとかー」
「なつにはがんばってもらいたい」
「それなー」
それは、元々、夜鷹という群体生物は感情に乏しいということもあるが、予め知っている者にとっては、動揺しても仕方がない、という諦観の心構えがあったからである。
何せ、この異変の規模は『世界中全て』という、途方もないものだったのだから。
「…………なに、あれ?」
やがて、地面から湧き上がった光が収まる頃には、『それ』が現れていた。
余りにも唐突に現れた物だから、何かの建物か銅像を見逃していたのかと首を傾げたくなるほどの巨大さだった。
全長三十メートル。
赤銅色の肌に、筋骨隆々の上半身。
下半身は、裸体である上半身と対比になるかの如く、物々しい具足を身に着けて。
その頭部は、牛の物と酷似していた。
「みのたうろすー?」
「どちらかといえば、ごずてんのう?」
「まー、しゅうごうされているかんじでー」
「りゅうみゃく、ごっちゃだからなー」
「ちせいはー? ちせいはあるー?」
「どだろー?」
「まー、びー、じょういなら、わんちゃん?」
体に引っ付いた夜鷹たちが居なければ、奈都は恐ろしさで、そのまま気絶していたかもしれない。それほどまでに、目の前の現象は常軌を逸していたのだ。
巨大なる怪物の出現。
魔人とも魔獣とも区別のつかないそれは、存在感だけで周囲の生命体の全てを圧倒していた。そう、さながら『神』の如く。
だが、奈都の理性がそれを否定する。何故ならば、境界でもない場所でこれほどの魔物を召喚するのは、ほぼ不可能であるからだ。侵色同盟が開発した術式を使うにせよ、それには膨大な魔力と大規模な儀式が必要不可欠だ。
こんなに唐突に、まるで、通り雨の如く出現していいほど、巨大なる魔物は格の低い存在ではなかった。
『…………まったく、罪なことをするものだ』
故に、奈都はその声が聞こえた時、大いに戸惑った。
『衆生を巻き込み、一体、何を為そうというのか。やれ、天上を賭けて争う者のことは、いつの時代でも訳が分からぬ……だが、いいだろう。この場に召喚されたのも、何かの縁だ』
何故ならば、その声は巨大な魔物から発せられたにしては、あまりにも常識的な言葉で、なおかつ、優しげな声色をしていたのだから。
『荒れ狂う龍のうなりに戸惑う者どもよ、聞くがいい。この領域にあるものは、気まぐれで守護してやる。だが、出て行くのも自由だ、拘束はせん。生贄も、信仰も自由にしろ。己はただ、ここに在って、この馬鹿騒ぎが収まるのを待つのみだ』
巨大な魔物はそう告げると、ふっと姿を掻き消した。
まるで、最初から何も居なかったかのように姿が消えたが、奈都は理解している。実際には消えたわけではなく、姿を小さく変えて見えなくなっただけなのだと。例え、巨大な肉体から、姿を変えようとも、感じる威圧感は全く揺るがないということを。
ただ、宣言した言葉の通り、従来の魔物とは違い、人間を襲い始めるわけでは無いようなので、奈都は一息吐いた。
「いがいとりせいてきー」
「しんしでしたなー」
「しばらくは、ここでじゅんびです」
「じょうほうほしいねー」
「…………あ、あの、夜鷹さんたち、これは、どういうことですか?」
そして、自分の体に引っ付く夜鷹たちへ、問いかける。
この異常事態は、一体何なのかと。
「どういうことといわれましてもー」
「んんんー、ひとことでいえば」
「ひとことでいっちゃうとぉ」
舌足らずの言葉で、夜鷹たちは奈都の質問へと答える。
同時刻、日本各地で無辜の人々が浮かべているであろう疑問に対して、答える。
「「「じんだいかいき」」」
既に、世界は塗り替えられてしまったという、絶望の言葉を。
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「おお! 我らが友、《明星》のリースよ! 死んでしまうとは情けない! だが、いいとも! 貴様の野望は我らが受け継ぐ! 精々、この世ならざる場所にて、偉業を見届けるがいい!」
荒涼とした大地の上で、吠えたけるように、その異形は叫んだ。
筋肉質ながら、引き締まった男の肉体。それを包むのは、上等な布で仕立てられた礼服だ。さながら、王侯貴族でも着るような豪奢な礼服であるが、奇妙なほどその肉体に似合っていた。首からしただけならば、偉大なる貴族の末裔と呼ばれていても信じてしまうほど、力強く品のある姿だろう。
だが、その男の首から上は獅子だった。
まるで、質の悪い魔法にかけられたような有様の異形であるが、その姿こそ、男にとっての正しい姿だ。
「貴様が最後に遺した時間を、我らは決して無駄にはしない! だが、もしも余裕があったのならば! そうさなぁ! 貴様を殺した奴の悲鳴を、レクイエムとして手向けてやろう!」
獅子の頭を持つ王者。
それが、《王冠》と呼ばれる、侵色同盟の幹部だ。
「故に! 我の号令に続け! 眷属たちよ!! さぁ、神の国を蹂躙しに行くぞ!」
そう、侵色同盟の中でも、随一の大戦力を有する幹部だ。
『『『――――――ォォオオン!!!』』』
《王冠》の号令に呼応して、幾千、幾万の獣の叫びが大地を満たす。
それら全ての叫び声は、《王冠》の眷属とされる魔獣たちの叫び声であり、小国であるのならば、たった一夜にして壊滅せるほどの戦力が、そこにはあった。
かくして、魔獣王たる《王冠》は、『神の国となった日本』を目指す。
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生い茂る木々と草花で、獣の道すら途絶える山奥。
そこで、のそりと土色の肌をした巨漢が動いた。
「…………そう、か」
その巨漢――大山は何かを悼むように身近く呟くと、のっそりと立ち上がる。
既に、前の戦いで受けた傷は癒えていた。
古い友を殺したであろう、イレギュラー。天宮照子。
荒れ狂う世界の指針となりうる、特異点。土御門治明。
あるいは、神域と化した日本に於いて、召喚されているであろう、数多の魔神たち。
戦う相手には事欠かない。故に、大山は個人として、そして、侵色同盟の最強の幹部として、行動を開始する。
鬼神らしく。
戦士らしく。
修羅の如く。
大山は、戦乱が巻き起こる世界を楽しみにしていた。
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薄暗い工房の中で、《人形師》は目を覚ました。
周囲には、作りかけの作品と、作り上げた作品が混在としている。だが、不思議と規則性があり、起き上がった《人形師》の動きを阻害しない。
雑多ながらも、法則性がある空間こそが、《人形師》――芦屋陽介の工房だった。
「ん……ああ、逝ってしまったんだね、僕の友達。我らが《明星》のリース。君は、僕たちの中でも、一番真面目で、一番頭が良かったから、きっと貧乏くじを引いてしまったんだね」
陽介は同志であり、友達が無くなった事実に、静かに涙を流した。そして、服の袖で涙を拭おうしたところで、自分が全裸だったことに気づく。
そういえば、作品の作業に集中しすぎて、昨日は全裸のまま寝てしまったのだと。
「これは、リースが生きていたら絶対に微妙な顔をされるところだねぇ。うーん、緊張感のない僕で申し訳ないよ……でも、まぁ、そうだね。君のおかげで、君が居なくなった後でも、僕たちの本懐を果たすための余地は残っているからさ」
ぱちんっ、と陽介が指を鳴らすと、それを合図に人形たちは動き出す。
それぞれが自立して動き、陽介の生活を支援するために、せわしなく動き出し、やがて、工房内へと明かりが灯った。
「姉さんにくっ付く悪い虫を払うついでに、君の仇討ちをしようと思うんだ」
人形たちが動き始める空間の中で、静かに、人間である陽介は微笑む。
喜びと、怒りと、悲しみと、悔恨が混ざった感情を、一片も微笑の仮面の外側に出すこともなく。
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蒼穹と暗黒の境目にあるような、孤高の城。
侵色同盟の本部であり、絶大なる堅牢さを誇るその城……その深奥にある玉座。
権威を示すように豪奢でありながらも、不思議と品のある造りのあるそれ。だが、その玉座は空だった。本来、そこに着くべき盟主が不在だからだ。
では、盟主はどこに居るのか?
侵色同盟という、世界を覆しうる組織のトップは、どこに隠れ潜んでいるのか?
残念ながら、それを知る者は居ない。
侵色同盟の情報を司り、盟主と幹部たちの仲立ちをしていたリースは既に死んだ。
故に、この世界のどこにも、盟主の居場所を知る者は無く。
「おやすみ、リース」
どこかの国の、どこかの町の雑踏の中。小さく呟かれた別れの言葉が、盟主による物だったことに気づいた者は、世界中のどこにも居なかった。
そして、荒れ狂う龍の背中にある国で、世界の行く末を賭けた大戦が始まる。




