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第100話 赤き魔神の遺骸 5

 勝敗とは、戦いが始まる前から決まっている、とリースは考えている。

 よほど実力が拮抗している者同士ならばともかく、大抵の場合、戦う前の状態こそが、明確に勝敗を分ける。

 例えば、肉体。

 単純な肉弾戦ならば、肉体が大きい方が有利だ。武術を鍛え上げた達人であっても、生身では野生の熊に太刀打ちできないように、絶対的な肉体の差がある場合、既に勝敗の天秤は傾いていることが多い。


 例えば、技術。

 時に、技術は肉体の差を凌駕する。ただし、それは肉体の差よりもよほど差が開けていなければ、意味を為さないことが多い。だが、隔絶した技術は、肉体を競い合わせる時よりも、自身の負傷を抑えて倒すことも可能だ。あるいは、たった一度きりの不意打ちや、初見殺しならば、さほどの技術が無くとも、無傷での勝利も可能だろう。


 例えば、精神。

 どれだけ鍛え上げた肉体と技術を持とうが、精神が病んでいるのならば、勝敗はあっさりと敵へと傾く。多少の不調は誤魔化せるにしても、精神とは人が行動を為すための根源だ。それが失われてしまえば、最悪、戦う前から相手は負けてしまうだろう。


 例えば、武器。

 心技体全て揃った達人も、恐るべき武器を持った者が、指先一つ動かしただけで死ぬことがある。それは拳銃であったり、爆弾のスイッチであったりするだろう。だが、強い威力を持つ武器に頼れば頼るほど、当然、武器以外の要素が衰えていき、いつか、致命的な隙を生むことになるだろう。


 そして、魔力。

 魔力はそれらの前提を全て覆すことが可能だ。肉体も、技術も、精神も、武器も。魔力というリソースが膨大であるのならば、問題ない。どれだけ小細工を重ねようとも、巨大な津波の前では、多くの生命体の足掻きが無意味であるように、膨大な魔力とはそれほど前に、理不尽な戦いの要素なのだ。


「…………ああ、終わりにするとも。天宮照子、君の生命を終わらせてやる」


 だからこそ、照子と対峙したリースは、冷徹なほどに己の不利を思い知っていた。

 素の肉体強度は同程度。技術はリースが圧倒的に有利。精神だって、赤き頭脳を持つリースならば、激しい戦いの中でも、冷たい理性を持ちながら戦い続けられる。武器は、無手の照子に対して、リースは幾つもの呪具を隠し持っている。

 だが、魔力の差が著しい。

 ほんの少し前までは、魔人として上位に君臨するリースの魔力と照子の魔力は、同程度であるはずだった。されど、大山との戦いにより、神の領域に足を踏み入れた照子は既に、周囲から魔力を無尽蔵に略奪する術を会得している。加えて、無尽蔵の魔力を出力する際、高威力を出すための魔力収束方法すらも使用可能となったのだから、もはや、生ける戦術兵器と呼んでも過言ではないほどの力を、照子は有している。


「ワタシの存在に賭けても、ね」


 まともに戦えば、勝機は無い。

 加えて、照子の隣には、シェルが存在している。魔神器官の核を、すぐ破壊できる立ち位置で、リースを牽制しているのだ。

 しかし、シェルを人質にしているという点こそが、リースはこの状況を打開する可能性があると考えていた。何故ならば、魔神器官に大打撃を与えるのであれば、リースを待つ前に、シェルを破壊してしまえばいい。そうしなかったのは、そうした時点で、リースが逃亡して潜伏するということを考慮したからだろう。

 つまり、照子は欲を出しているのだ。あるいは、どうしてもリースをこの場で倒しておきたいと考えている。


「――――ふっ」


 リースは人質が居るという状況にも構わず、魔人の瞬発力を持って、瞬く間に照子との距離を縮める。水面を跳ねる石のように、地面を蹴って疾走する。

 勝機は一瞬だ。

 照子が人質をどのように使おうが関係ない。肝心なのは、照子の思考が僅かでも、『人質を確保している』ということに割り振られているということだ。それこそが、リースが付け入る僅かな隙を生む。

 照子は人質の使い方に慣れていない。一般上がりの退魔師、しかも、活動期間は一年にも満たないのだ。例え、どのような覚悟を決めていたとしても、人質があるという前提での行動を取るはず。その普段との齟齬、一瞬の停滞こそがリースにとっての希望だ。


「権能発動」


 短く宣言して、リースは盟主から授かった権能の一つを起動させる。

 それは、リースを時間の歩みから飛翔させるものだ。通常の一秒を十秒に変えるほどの肉体的加速。韋駄天の如き神速を行使することが可能な権能だ。

 故に、リースの尋常ならざる思考速度はさらに加速し、また、行動速度もそれに準じる。


「死を告げる死神の指先よ」


 加速した時間の中で、リースはさらにもう一つ、盟主から授かった権能を発動させる。

 それは、即死の権能だ。一度指差せば、相手の心臓の動きを止めて、強制的に絶命させる、恐るべき魔神の力を宿した権能。

 だが、同時に発動できる権能も数は、三つ。これで限界だ。

 未来予測。時間加速。即死指名。これら三つの権能により、瞬きも必要ないほどの時間の内に、照子を殺す準備は整えられた。


「――鈍い」


 その直後、リースの右腕は雷の如き魔手によって吹き飛ばされた。

 即死指名の権能を宿した部位が、その威力を照子に定める前に、跡形もなく吹き飛ばされてしまったのである。


「お前、いつもよりも鈍いなぁ」

「ぐ、がっ!?」


 思考速度が加速していたからこそ、辛うじてリースは代わりの権能を発動させた。それは、肉体を金剛以上の強度へと変える効果を持つ。ただし、代償として韋駄天の如き肉体速度は失われるが、リースの判断は間違いではなかった。

 何故ならば、リースの右腕を吹き飛ばした次に、もう片方の腕で振るわれた手刀は、心臓を狙い打たんと突き出されていたのだから。


「ご、ぼっ」


 右腕が指先から、肩口まで消し飛んだ激痛。

 加えて、心臓を守る骨と肉が潰れた灼熱の痛み。

 それらを加速した時間で味わいながら、リースは大空洞の地面を転がる。権能によって強度が上がった肉体は、地面との摩擦程度で傷つかないが、衝撃までは殺しきれない。


「ぐ、う」


 心臓を狙った一撃を受けたことで、リースの肉体は二十メートル後方まで離された。途中、無理やり起き上がり、残った手で地面を掴まなければ、さらに距離が離れてしまうほどの威力が、照子の攻撃には込められていた。

 問題は、これが照子にとっての通常攻撃に過ぎない、ということである。


「なんだ、人質に遠慮でもしているのか? ああ、しているんだろうなぁ、リース。分かるさ、君はきっと身内には優しい奴なんだろう。だからこそ、私はこの方法を選んだ。これなら、お前は破れかぶれの攻撃なんて出来ないんじゃないか?」


 そして、リース本来の権能である未来予測は、またしても覆された。

 照子は人質の扱いに慣れていない。故に、人質に対して思考を割り振る分、隙が生じるはず。それを狙い、リースは高速戦闘を仕掛けた。瞬きをするよりも前に、一瞬の隙の内に、照子の体勢を貫通するほどの即死を与える予定だったのだ。

 だが、結果はまるで違う物となっていた。

 照子は人質に対して、一切の注意を払っていない。リースが大空洞に現れた時からずっと、リースに集中し続けて、一瞬の隙も晒さない。仮に、自らの戦闘の余波でシェルが破壊されようとも、照子はまるで気にせず戦闘を続けるだろう。

 理解しているのだ。

 そういう戦い方こそが、リースが最も嫌がる物なのだと。人質の価値がまるで違うからこそ、成り立つ戦いもあるのだと。

 しかし、それでもリースの予測通りの攻撃速度ならば、まだ重傷を負いながらも即死を通す算段は付いていたはずだった。権能発動に必要な部位を死守して、照子へと指差すことは十分可能だったはずなのである。

 それが希望的観測だと理解したのは、右腕を失った瞬間だ。

 もはや、照子は雷の速度と同等か、それ以上の速度で動くことができる。しかも、魔力を極限にまで圧縮した状態で動くことによって、周囲の物理法則を常に捻じ曲げていた。故に、異常な速度で動いても、周囲に衝撃波一つ生じることなく活動できるのだ。


「ばけ、もの……め」


 リースは痛む胸に顔を顰めながらも、照子を睨みつける。

 照子は悪魔の如き嘲笑を浮かべながらも、追撃はしない。追撃のために、シェルの傍から離れるなどという愚行は犯さない。リースがシェルを巻き込む権能を使用不可能な状態で、なおかつ、一番照子が動きやすい位置を陣取っている。

 この時点で、リースの赤き頭脳は、冷徹に敗色濃厚であることを理性に告げた。

 されど、リースは鬼気迫る表情でその報告を切り捨て、再び、魔力を体中へと循環させていく。新たな権能の組み合わせを決めて、立ち向かう覚悟を決める。


「やれやれ、仕方ないな。そんな目で見つめられたら、私だって思うところがあるのだよ。だから、ほら、お前の覚悟に免じて、これからはフェアに戦おうじゃないか」


 そんな覚悟を決めたリースが目にしたのは、照子がポケットからジッポライターを取り出す姿だった。


「……は?」


 一瞬の疑問の後、リースの権能が最悪の未来を予測する。

 硬直と混乱。それらが一気にリースの脳に負担を強いるが、辛うじてリースは、『その時』に動き出すことができた。そう、シェルに向かって、照子が無造作に、火をつけたままのジッポライターを放り投げた瞬間に。


「――――っ!」


 ジッポライターが灯す火は、普通の物ではなかった。

 同類殺しの炎。特異点の少年が持つ、魔物殺しの力だ。恐らくは、あのジッポライターは、特異点の少年が力を分けた、魔道具なのだろうと、リースの頭脳は状況を解析する。

 あの炎でシェルが焼かれてしまえば、漲る魔力を糧に、煌々と燃え盛ることを。

 ここで、リースは二つの選択を迫られた。

 一つは、ジッポライターを無視して照子と戦うこと。片腕が欠損した状態であるが、まだ、打てる手は幾つも残っている。戦えないわけではない。だが、当然、シェルは炎に焼却され、仲間たちの蘇生は叶わない。

 もう一つは、あらゆる保身を捨てて、ジッポライターを取りに向かうこと。可能ではある。単に重力に従って落下するように、下手から放り投げられたジッポライターは、掴むだけならば簡単だ。だが、そこに照子の妨害が加われば、難易度は飛躍的に向上するだろう。何より、自ら致命的な隙を晒してしまえば、今度こそ死は避けられない。


「お、おおおおぉおおおっ!!」


 この時、リースは初めて未来予測をかなぐり捨てて、未来を掴み取ることを選んだ。

 慣れぬ絶叫を上げながらも、絶望的な二択から導き出される未来を覆そうと、全身全霊でジッポライターへと手を伸ばす。

 最大限に照子の行動を警戒。どのような妨害が襲い掛かったとしても、致命傷だけは避けて、ジッポライターを回収。その後、限度である三つ同時以上の権能を発動させて、戦況を覆す。無謀な予測。むしろ、夢想の如き計画であるが、それでも、リースは同胞たちを救うために、不可能を乗り越えようとしていた。


「やぁ、そんなに欲しいのなら、もう一つあげよう」


 そんなリースの覚悟を嘲笑うかの如く、照子からの妨害はなかった。

 驚くほど簡単に、リースは燃えるジッポライターを左手で掴み取る。その時、リースが目にしていた物は、『もう一つのジッポライター』に火を点けて、悠々とシェルへと放り投げる照子の姿だった。

 当然、リースの頭上を越えるように投げられたジッポライターには、同族殺しの炎が灯っていて。


「あ、が……」

「リース。お前の欠点は、仲間想いが過ぎるところだ。その所為で、最初から詰んでいる要素にも気づかない」


 気勢を透かされたリースが、それでももう一つのジッポライターの行方へ目を移した時、その胸へと魔手が突き刺さった。肉体は強化されていたはずだったが、既にその強度に適応したのだろう。障子でも破くかの如く、照子の魔手はリースの胸部を貫いた。


「でもまぁ、気持ちは分かる。だから、リース。これは私からお前への手向けだ」


 致命傷を受け、呆然とするリースの頭部へ、残る照子の腕が、拳を振るう。

 魔力が極限まで収束した一撃。権能による防御も間に合わず、一度受ければ、赤き脳髄は一欠けらも残らずに消し飛ぶものだ。

 だが、それは照子からリースへの慈悲だった。

 『人間』と認めた魔人に対して、安らかなる死を運ぶための一撃だった。


「…………あぁ。そうか、天宮照子。おまえ、は―――」


 絶対なる死を目前としたリースの思考は、加速した時間に於いて、さらに走馬灯を繰り広げる。僅かな間に、記憶は時を遡って。そして、気付いてしまう。

 照子が何故、リースにとってのイレギュラーなのかを。

 一体、どんな真実に到達して、どんな理由から記憶を封じてしまったのかも。


「さようなら、リース」


 しかし、その結論はリースの口から語られること無く、一つの衝撃が全てを消し飛ばした。

 血煙すら残さずに、照子の一撃はリースの頭部を消し飛ばした。

 リースが至った真実も、想いも、何もかも無に帰して。

 守ろうとしたシェルすらも、蒼炎が煌々と焼き尽くす。

 そして、照子の前には、かつて、赤き魔神だった者の遺骸だけが残された。

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― 新着の感想 ―
[一言] >だから、ほら、お前の覚悟に免じて、これからはフェアに戦おうじゃないか  と言いつつ、このあと人質に放火。  本人はただ、人質が居ない状態で戦おうとしただけなのか、作中のリースが考えた…
[一言] 最後は呆気なく( ˘ω˘ )
[一言] よっしゃあ!蹂躙は一方的であるほど胸に迫るものがあるという言葉は正しいな。
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