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一番勝負__有馬喜兵衛  (結)


彼は手にした木刀を捨てたのである。それを見た喜兵衛は武蔵が負けを認めたのかと思った。何か言葉を掛けようとしたその時、武蔵がこちらに向って来るではないか。何が起こったのか咄嗟に理解しかねた喜兵衛だったが、思わず木刀を打ち下ろし、武蔵は機敏にそれをかわすと再び間合いを取った。

「何の真似だ」

喜兵衛は思わず武蔵に叫んだ。武蔵は無言のまま腰を溜め、両手を突き出して喜兵衛を睨んでいる。

“こいつ”

今度は素手で戦うと言う事らしい。太刀打ちで適わぬと見て取った武蔵は、戦法を変え、飽くまで喜兵衛に立ち向かおうと言うのか。喜兵衛もその根性、というか諦めの悪さに呆れる想いだったが、やれやれと言う感じで自分も木刀を捨て、空手になった。

元々鹿島神道流は剣術の専門家ではなく、戦場におけるあらゆる状況に、あらゆる状態で対応すべく考案された総合的格闘術なのである。鹿島流だけではなく、古流の兵法と言うのは大抵そうである。因みに鹿島神道流の刀術と言うのは試合用のものではなく、全体の動きは小さく、甲冑の継ぎ目に刃を滑り込ませ、関節の腱を引き切ると言った感じの物が主体で、余り動きは大きくない。これに比べて今に残る新当流の型と言うのは動きが大きく、腰をおろした“介者剣法”と言われるものの部類に入る。この介者剣法は大きく太刀を振り下ろし、鎧ごと敵を斬る為などと取ってつけたようなことを言う者もいるが、重い鎧を着たまま姿勢を低くしたりすれば重量に耐えかねて腰が砕け、動く事さえままならないのだ。第一鎧を着けて闘うのなら、得物は槍か弓矢であろうし、無理に鎧ごと真っ向から切り下ろすなど、兜割りなど試し斬りでもやるならともかく、戦場でやれる筈が無いし、その意味も無い。新当流に残る、鍔迫り合いからしゃがみ込んで下から敵の喉を突く型など、鎧を着けていたのでは出来る物ではないだろう。ト伝の履歴を見ると、討ち取った敵の数二百十二人、戦場では矢傷を六ヶ所受けただけで敵の物の具が当たった事が無いと言う。しかし、戦場で一体どの位戦果を上げたのかと言う事は具体的には全く触れられて居らず、その代わり真剣勝負を十九回も行ったと言うのだ。スポーツの試合ではない。負ければほぼ確実に命を落とす真剣勝負を十九回も行うとは、もしこれが本当だとすれば信じ難い快挙である。木刀の試合でさえ死ぬ危険は多いが、それも百回以上こなしたと言うのだ。しかし、戦場の手柄に関しては、具体的な記述が全くと言えるほど無いのである。ト伝の直接の先輩と言うべき松本備前守などは、戦場で挙げた首級七十五、そのうち大将首が二十五と言う戦果が残っている。これはどういう事であろうか。つまり、ト伝と言う人は、兵法と呼ばれた古伝の戦場武術を近代的な試合へと転換するきっかけを作った、或いはその時期に上手く時流に乗った兵法家なのであろう。つまり、あらゆる武器を公平に扱う実戦的古武術を剣術と言う一種のゲームに絞って修行した“剣客”の草分けとも言えるのではないか。新当流というのは別にト伝が言い出したことではないが、彼を流祖と仰ぐ以上その戦法を忠実に模倣したものと思って差支え有るまい。故に、この新当流と言うのは、補助的に徒手格闘術は残っていたとしても、飽くまで本命は剣術であった。ト伝の後輩、上泉伊勢守の新陰流の無刀取などとは大分趣が違うだろう。いや、無刀取りというのは飽くまで刀を取るものだから、素手対素手の闘いとなると……果てしなく脱線しそうなので話を武蔵と喜兵衛に戻そう。

喜兵衛も無手になって武蔵に向って両腕を突き出した。しかし、彼の身に付けた無手勝流は、互いに甲冑を着けた状態を想定しての小具足技であったため、多少動きが硬い。勿論、彼とても今まで巷の修羅場で命がけの戦いを経験してきた海千山千のつわものである。素手のやり取りも数知れず切り抜けて来た為、そのやり方も熟知していた。しかし、喜兵衛は知らなかった。武蔵の身のこなしは凡そ常人のものとは桁外れであり、その速さは超人的といっても過言ではない事を。今までの武蔵の動きを見ていればその位分かりそうな物であったが、魔が刺したと言うべきなのだろうか、太刀打ちで余りにもハッキリと優位に立っていた為、つい油断したのだろうか。追い詰められた武蔵は獣じみた形相で喜兵衛を見据えると、やおら相手の懐に飛び込みその股間を蹴り上げた。喜兵衛とて武芸者である。スポーツ格闘家のように金的を無警戒にさらけ出していたわけではなかろうが、武蔵のスピードが常軌を逸して早かった為、防ぎ切れなかったのだ。

「うお」

ひるんだ所で鼻頭に頭突きを食らわすと、喜兵衛は尻餅を突いて後ろに倒れた。その隙に、武蔵は今しがた手から放した木刀__どちらが握っていたものかは分からないが__を拾い、喜兵衛の脳天に打ち下ろした。出血した頭を押さえた喜兵衛は、許しを乞うように片手を差し出したが、武蔵は振りかぶり、もう一撃、今度は充分の体勢から完璧に近い会心の一太刀を放った。恐らく今の一撃が致命傷になったであろう。喜兵衛は即死せず倒れながらピクピクと痙攣していたが、これ以上攻撃を加えなくとも、譬えすぐに治療を施したとしても、彼は助からなかったに違いない。しかし、武蔵は容赦しなかった。

それから展開された凄惨な光景は、見物衆の心身を凍りつかせ、一生涯忘れ得ぬ悪夢となって記憶に突き刺さったのであった。

木刀を握りなおした武蔵は、獣の咆哮を放ちながら倒れた喜兵衛の頭部に更に打ち下ろした。最初のうちは武蔵の木刀が打ち下ろされる度に喜兵衛はビクンビクンと跳ねる様に動いていたが、やがて動きが小さくなり、遂に幾ら叩いても動かなくなった。喜兵衛の顔がつぶれ、脳漿を撒き散らし、頭の形が平たくなっても武蔵はやめなかった。恐怖の為である。少しでも打つのを止めたら喜兵衛が立ち上がり、木太刀を拾って打ちかかってくるのではないかという恐怖から、武蔵は狂ったように、いや、完全に発狂状態で喜兵衛を撲り続けた。血に染まり、狂気の形相で相手を殴打するその姿は地獄の悪鬼のようであった。

余りの残忍さに、見物人の中には気を失う者、吐く者、逃げ出す者が続出し、今では殆んど誰も残っていなかった。秀吉の朝鮮出兵で、壮年の若い男は殆んどいない。足軽崩れの老人たちだけが、眉をしかめながらその光景を見据えている。

やがて打ちつかれたのだろうか、全身から水を被ったように汗を滴らせ、息を切らせた武蔵が全身を震わせながらながら木刀を握り締め、血走った目を眦が裂けるほどに見開いて倒れたままの喜兵衛を凝視していた。少しでも目を逸らすと喜兵衛が息を吹き返し、再び自分に打ちかかってくるかもしれないという恐怖に、いや、そんなまとまった思考の元にではなく、兎にも角にも強烈な恐怖に囚われた武蔵は、息を荒げたまま硬直したような異常な緊張の只中にいた。

そうして見詰めていた喜兵衛が完全に息絶えたらしい事を確認した武蔵は漸く木太刀から片手を離し、もう一度両手に握り直すと命綱のようにそれを握り締め、今一度喜兵衛を木刀で打ち据えた。

喜兵衛は全く動かなかった。

返り血を浴び、所々赤黒く斑点の着いた武蔵は、それでも喜兵衛から目を離さない。

もう一度、武蔵は喜兵衛を打った。

矢張り動かなかった。

今度こそ、己の勝を確信した武蔵は、喜兵衛の屍骸を片足で踏みつけると天に向って勝利の雄叫びを放った。



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